ゼラ・ガーデン



 こつこつと軽いノックの音に身体を起こす。
「誰だ」
「……統監から申しつかってまいりました」
 変声期前の子どもの声を訝しむより先に、その内容に顔をしかめる。
 通信で済むところを、わざわざ人を寄越すということはろくでもない用件に違いない。
 しかし、用件を聞きたくないからといって使いを帰らせでもしたら、御当人が喜々として訪問して来ることは想像に難くない。多忙なくせに妙なところに労力を割くことを惜しまない性格は、長い付き合いの中で嫌というほど思い知らされている。
「今行く」
 脇に置いてあった彩染グラスをかけると、真っ暗だった部屋に色が広がる。
 変化に目を馴染ませるため、何度かまばたきしてから立ち上がり、ドアを開けた。
 部屋よりも明るい照明の下、十歳程度の痩せた子どもが立っていた。
「ウォード様ですか?」
 子どもの問いに、頷いて首から提げた識別タグを見せる。
 子どもがそれを確認している間に、こちらも子どものタグに目を走らせる。
 想像通りの名前を読み取り、眉を寄せる。
 これが奥院の子どもか。
「こちらを渡すようにと」
 白い封筒に手書きでこちらのフルネームが書かれている。裏返すと、統監その人のフルネームがやはり手書きで記されていた。
「確かに賜りました」
 取りあえず言葉は丁寧に返すが、気持ちが全くこもっていないのは相対した子どもにもまるわかりだっただろう。
 しかし気にした様子もなく一礼する。
「失礼いたします」
 一貫して感情のこもらない声で子どもはそのまま立ち去る。
「何をさせるつもりなんだか」
 部屋に戻りながら封をあけて中から便箋を引っ張り出す。
 中にはやはり自筆で一言「十五時〇五分」。
 言いたいことはわかるが、端的過ぎる文面に深々とため息をこぼした。


 手元の時計に目を落とす。
 十五時一分前。
 窓を模した硝子に映るのはまだ明るい青空。
 本来であれば域外は闇で覆われ、空の色など判別出来ないが、昼夜の判別をする為に、色が生きていれば見えたであろう空が映されるようになっている。
 嘘くさく、空々しい。
 もう一度時計を見、十五時ちょうどになったのを確認してノックをひとつ。
「入ってください」
 穏やかな声が返ってきたので、仕方なくドアを開く。
「お召しにより参上しました」 
 取りあえず言葉だけは丁寧に答え、統監以外誰もいないことを確認してソファに座る。
「怪我はどうですか?」
「ぼちぼちですよ。おかげさまで。……その節にはお心遣い有難う御座いました、統監殿」
 執務机に向かっていた統監は立ち上がり、かるく苦笑いを浮かべる。
「もういいでしょう、ウォード」
「お前が良いって言うならな」
「勧めもなく座っておいて……どうぞ」
 手ずから入れたお茶を出した統監は向かいに座る。
「で、ユス。わざわざ呼び出して何の用だ」
 学生の頃のように名前を呼んで口調を平生のものに戻す。
 正時から五分ずらした時間を指定するのは、学生時代散々五分前集合を叩き込まれたことに対する一種の皮肉だ。
 手書きの手紙で人を介して呼び出したということから考えても、仕事ではなく私用のはずだった。
「カイルに会いましたか?」
「会ったも何も、お前が寄越したんだろうが」
「どうでした?」
 誰に対しても基本的に丁寧な態度を崩さない統監に肩をすくめて見せる。
「暗いガキだな。悪い意味で子どもらしくない。おまけに痩せすぎ。ちゃんと食わせてるのか?」
「手厳しいですね」
 言葉とは裏腹に表情はひとつも変えず、美味しそうにお茶を飲む。
「稚児の面倒くらいしっかり見とけよ」
「な、んてこと言うんです。……君、僕を失脚させる気ですか?」
 渋面を作って統監は声を低くする。
「事実はどうあれ、お前に責任がある子どもには変わりない」
「だから、わざわざ含みを持たせないでください。そんな趣味はないですよ」
「で、そのカイルがどうしたって?」
 これ以上からかえば、あとでひどい反撃を食らうのは目に見えているので話を戻す。
「君、暇ですね?」
「……療養休暇を頂けていると存じていますが」
「そんな警戒しなくても」
 柔和な笑顔と声だが、それを信じてはいけないことは今までの経験で判っている。
「するに決まってるだろうが。何年の付き合いだと思ってんだ」
「カイルを預かってください」
 こちらの言い分をまるっと無視して話を進める。
「俺には稚児趣味はないぞ」
「僕にもありませんよ」
 ため息をひとつついて続ける。
「カイルは光を見つけたことに対して罪悪感を抱いています」
「何故」
「光は光のない場所での生活を強いられています」
 つまらなさそうに言う。
 生真面目そうな子どもだった。あの暗い雰囲気も罪悪感から来るものだったのだろう。
「で、それと俺が預かるのと何の関係があるんだ」
 子どもの扱いなどわからない。我ながら、子守にむいているとも思えない。
「力をつけたいようです。光を守るために」
「あー、それはあれか。域外で行動できるようにってことか」
「それを含めて、ですね」
「十歳かそこらだろ?」
「再来月の誕生日で十歳になります。訓練校に入れることも考えたんですが」
「あそこは基本十五歳からだからな」
 多少の特例はあるが、それでも十歳では引き受けてもらえないだろう。
「今のままでは五年ももちません」
 そこまで追い詰められているということか。
「お前、俺が失敗して帰って来たこと判ってるよな?」
 自身は傷を負っただけで済んだが、同行者は命を落とした。
「とりあえず、危険地区にまで連れていけなんて言いませんよ」
「そういう問題じゃないだろ」
 絶対の安全はありえない。それが域外となれば尚更に。
 いままで表に出さずしまいこんでいたのは、何かあったら困るからだ。
「外に出す危険より、あれが自害する可能性が高い方が問題なんですよ」
「力にもいろいろあるんだ。その辺言い聞かせれば良いじゃないか。もともと、お前の跡を継がせるつもりなんだろ?」
 権力ほど守るに適した力はないだろう。
「……それ、噂になってますか?」
 声がかすかに冷える。
 やっぱりそうだったか。
「いや。俺の勝手な想像」
「ホントに君は嫌な人ですねぇ。……まぁ、噂になったらすべて君に責任をとってもらうことにしましょう」
「たまになんでお前に付き合ってるのか、わからなくなる」
 たまにどころか、顔を合わせるたびかもしれない。
「そうですか? 僕は君がいて大変便利ですが。……話を戻しましょう」
 にこやかに全くうれしくない言葉を吐いたあと、統監は表情を消す。
「絶対無事の約束は出来ない。最悪の場合、俺は自分の命を優先する」
「もちろんです。君に死んでもらっては困ります。……どちらにしろ、君が死ぬような状況でカイル一人残されて助かるとも思えませんし」
 二人死ぬより一人でも残った方がいいのは確かだ。それでも、もう少し揺らぐかと思ったら、甘かったらしい。
「ここに呼べよ。本人の意志が固いようなら引き受けてやる」
「ありがとうございます」
 カイルを呼び出す統監の背を見ながら、深いため息をこぼした。
 

「しつれいします」
 ノックのあと、覇気のない声が続きドアが開く。
「何の御用でしょうか」
 こちらに軽く目礼をしたあと、統監の前に立ちカイルはしずかに訊ねる。
「用があるのは僕じゃなくて、あっちの方だよ……さっき会ったから知ってるね?」
「ウォード様、何の御用でしょうか」
 改めて相対してみても、印象は変わらない。
 あきらめきっているようにも見える昏い眼が、まっすぐこちらを見つめる。
 悪くない。
「統監に聞いた。光を守れる力が欲しいって?」
 その言葉を聞いて、カイルは統監を一瞬にらみ、視線を戻す。文句のひとつでも言いたそうな、苛立たしそうな表情。
 おもしろい。
「俺は一応護衛官だ。お前が望むなら力を貸してやっても良い」
「っ、おねがいします」
 慌てて頭を下げ、すがりつくように見つめるカイルを見返す。
「言っとくが、域外は決して安全じゃない。色がないというだけでなく、こちらに危害を加えるものも山ほどいる」
「平気です」
「……俺は自分の命が危なければ、お前を見捨てるよ?」
「平気です」
 間髪入れず、まっすぐ、必死に応える。
 あぶなっかしい。
 ため息を飲み込んで、横目で統監の様子をうかがうと表情なくただしずかに成行きを見守る体だ。
「俺は預言者も、奥院の子どもも連れ歩くつもりはない。……全てを捨てる覚悟はあるか?」
「あります」
 即答したカイルの顔をしばらく見つめて、息を吐く。
「ま、いいだろ。多少気に入らない部分もあるが」
 眉を寄せ、難しい顔をしているカイルを放っておき、統監に向き直る。
「こいつを官棟に移動させる。ちょうど空いた部屋があるだろ」
「準備させます」
 言うが早いか、すぐにどこかに回線を繋いで手配をするのを聞きながら、カイルに視線を戻す。
「ジー。そういうことだから、必要なものをまとめておけ」
「……ジー?」
「言っただろ。『カイル』を連れ歩くわけにはいかない」
 域外で一番危険なのは毒虫でも獣でもなく、そこに住む人間だ。
 さすがにカイルの顔を知られていることはないだろうが、名前くらいは伝わっている可能性が高く、そんな中、カイルを連れ歩くのは自殺行為だ。
 名前を変えたくらいで、どれだけ効果があるかは疑問が残らないでもないが。
「わかりました。失礼します」
「ジー、もうひとつ」
 退室しようとするところを呼び止める。
 怪訝そうに振り返ったカイルに肝心なことを伝える。
「飯はちゃんと食え。そんなガリガリを域外には連れて行けない」


「君は本当に人が悪い」
 お茶を入れなおしながら、言葉とは裏腹にどこか愉しそうに統監は言う。
「なにが」
「あれの覚悟ではなく、僕の覚悟を見ましたね?」
 差し出されたカップを受け取り、苦笑いと一緒にお茶を飲み込む。
「お前が揺らげばおもしろいとは思ったけどな」
 ここまできて、躊躇うような可愛げを持ち合わせていないことも良く知っていた。
「僕がつけた名前を剥奪するなんてひどい人ですねぇ。思わず引き止めそうになりました」
「嘘付け」
「まぁ、潮時でしょうね。カイルが二人も居たら混乱しますし」
 統監はおっとりと微笑う。
 まだ、何かかくしてやがったな。
「二人ってなんだよ」
「光の存在は当分伏せておきたいんですよ」
 確たることがわかっていないまま、公表してしまえば、いたずらに混乱を招く。それは、わかるが、名前を同じにする意味はわからない。
「拾った者の名前をつけるのは一般的でしょう? カイルが見つけたんだから、光の名前がカイルになるのはなんら問題ないとおもいますが」
「……その方式でいったらあいつもユスになるだろうが」
「あぁ、カイルにはレーニアの姓をあげましたし」
 養子にしたから姓が同じになっただけであって、それなら一般的だ。
「お前、わかっててやってるだろ」
 わかっていないはずもないが、あえて指摘すると統監は肩をすくめる。
「実際、二人も子どもを抱え込むと言うのは想定外でしてね。下手に名前をつけて、そこからばれる危険を考えたら、カイルの名前を使っておいたほうが煙に巻けるかな、と」
 それ以外に思惑があるのかないのかは読み取れない。
「じゃ、せいぜいカイルがまだここにいると思わせてくれよ。俺の連れ歩いているのが奥院の子供だと思われないように」
「努力しましょう」
 その言葉を潮に立ち上がる。
「ウォード」
「あ?」
「どうして、ジーなんですか?」
 顔をあげると、頬杖をついてまっすぐにこちらを見る眼とぶつかる。
「おしまいで、はじまりだから」
 誤魔化しは出来なさそうなので素直に答えると、一瞬考えるような表情を見せたあと、笑う。
「なるほど。……それでは、よろしくおねがいします」
「確かに承りました」
 敬礼を返し、部屋を出た。

【終】




Dec. 2011
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