モノクローム・ガーデン



 はじまりは、一つの予言。


 世界は色を失った。
 かつての予言者の言葉通りに。
 ただ、それを信じた当時の施政者とその子孫により、わずかな希望が残された。
 数多の時を越え、始まりの予言者の血を引く少年が救いに繋がる予言をする。
 種蒔く者の存在。その在処。
 言葉通りの場所から発見された赤子は丁重に隔離された。


  ※  ※  ※


 ジーはドアの前に立ち、小さく息を吐く。
「統監、お呼びですか?」
「入ってください」
 返ってきた丁寧な口調に促され、ジーはドアを開けた。
 いつものように執務机に座った統監にジーは敬礼する。
「何の御用でしょうか」
 経験上、余計な隙を与えれば、それだけ無駄話で時間を潰されることをわかっているジーは即、本題に入った。
「護衛をお願いします、ラボまで」
 統監はつまらなさそうにしながら、しかし雑ぜ返すことなく用件を口にする。
「ご自身の側近に頼んでください。それは、おれの仕事ではないです」
「もちろんわかってますよ。だから、君の仕事です。カイルをラボまで送ってください」
 その言葉にジーは統監の顔をまっすぐ見つめた。
「いつ」
「別に急いでいるわけではないですが、明日辺り出発してもらいましょうか。愚図愚図していても仕方ないですし」
 反応を楽しむかのような統監に、無駄だと知りつつジーは表情を消して話を聞く。
「君一人なら一日で行ける距離でしょうが、カイルも遠出は初めてですし、のんびり行ってください」
「完成したということですか?」
 予言により存在を伝えられてきた救いの種。世界が色を失う以前からそれを信じた者により、長く研究が続けられていた。
 押籠められてきた少女を連れ出す理由はそれしかないと知りながらもジーは確認する。
「実際は、カイルが蒔かないとはっきりとしたことはわからないけれどね。本人は自信満々でしたよ」
 憂鬱そうに聞いているジーの内心を読んで、統監は苦笑して続けた。
「今回の矛先はカイルだろうし、君はそれほど絡まれないとは思うけどね。ところで、そろそろ、カイルを呼んでも?」
「あんたはそういう奴だよ……。どうぞ?」
 一応、確認を取りながらも、答えを待たず端末を操作している統監にジーは小さく舌打ちした。
「行儀悪い。育て方間違ったかね」
「まともに育った方じゃないですか?」
 ジーは、あえて嫌がる語句を選択する統監の苦言を軽く受け流した。
「カイルです。入ります」
 硬質な声とともにドアが開く。
 入ってきたやせっぽちの少女はジーに軽く会釈をすると、統監の前に立つ。
「何の用ですか?」
「君たちはなんというか、本当に単刀直入だね。……ま、いいでしょう。カイル、彼はジーです。一緒にラボまで行って下さい」
 統監の言葉を聞いてジーをまじまじと見つめたカイルは、すぐに統監に向き直る。
「私は一人でも平気だ。彩染グラスを着けている人間など足手まといでしかないと思う」
 率直過ぎるカイルに統監は苦笑いを浮かべる。
「そうは言ってもね、カイル。初めての域外に一人きりで放り出すわけにはいかないよ。君がただ一人の光である以上ね」
 色が失われた状態で人が生きていくのは困難であり、その為、居住区として作られた彩域内で、器具を装着することにより、色のある生活が可能になっていた。
 彩域内で暮らす中で、彩染グラスを着けていない者は皆無であり、カイルの言い分であれば、誰も護衛に就けなくなる。
 やわらかな声音で諭されたカイルは不信そうにジーを見上げた。
「役に立つのか? 強そうには見えないが」
「きちんと訓練されている。域外であっても、それほど問題なく動くよ」
 二人の好き勝手な言い分に口を挟まず、ジーは成り行きをただ見守る。
 どちらにしろ、統監の決定が覆らないことだけは確実にわかっていた。
「もともと私に拒否権など、ないしな。ちょっと言ってみただけだ」
 薄い笑みで統監に肩をすくめてみせたカイルはすぐにジーに向き直り頭を下げる。
「よろしく頼む」
「……こちらこそ」
 カイルの潔さに、一瞬遅れてジーは笑み返した。
「双方、納得したようで何より。カイルは出発の準備を。ジーはもう少し残ってください」
 二人に目礼し退室するカイルの足音が遠のくと統監は口を開く。
「どうです?」
 座るように手振りで勧められ、ジーは統監の向かいに仕方なく腰かける。
「おれに意見を聞くんですか、統監殿?」
 嫌がらせとしか思えない質問に、ジーはわかりやすく顔を顰めた。
「あれを見つけた予言者様以上に訊かなければならない方がみえますか?」
 言葉こそ丁寧だが、揶揄を隠さない響きにジーはうんざりと溜息を吐いた。
「うまく育てましたね」
 あっさりと命令を受け入れた。文句は言っていたが、あれは親しさの現れだろう。
「せっかく君が見つけてくれた光だからね。だいなしにしないよう気を使ったよ」
 ジーが見つけさえしなければ、カイルも当り前に色を享受できたはずだった。
 ジーが何の疑問も持たず予言を伝えたことにより、それは根こそぎ奪い取られた。
「そんなにおれのせいだと繰返さなくても、ちゃんと責任は取りますよ」
「もちろん、逃げ出すなんて思ってないよ。君がわざわざ受ける必要のない訓練を受けたのもカイルの為なのは承知しているつもりですし」
 頬杖をつき、何もかも見透かしたような統監にジーは苦虫を噛み潰したような表情を返した。
「あんたが、予言者やった方がいいんじゃないですか?」
「予言者なんて高尚なこと、僕には無理ですよ。しがない政治屋で充分満足しています」
 皮肉に皮肉を返され、ジーは不愉快そうに眉根を寄せる。
「話はそれだけですか?」
 居れば居るだけ腹立たしい思いをするだけなので、ジーは話を切り上げようと席を立った。
「カイルを頼みます」
 ようやくまじめな顔で吐き出された短い一言に、本音を見つけてジーは笑みを零した。


「ん」
 翌朝。彩域を出ると唐突にカイルが手を差し出す。
「何?」
「手。繋いでいってやる。域外では見えないだろ」
 実際は、域外であれ、困難を感じない程度の訓練は受けているので歩行に問題はない。
「……じゃ、お言葉に甘えて」
 しかしジーは口にしかけた断りの言葉を飲み込み、微かに震えているカイルの手を取った。
 本来であれば、何かあった時のために両手を空けておいた方が良いのだが、大して危険のある道程でもないので問題ないだろうとジーは結論付ける。
 手を引いてもらうというよりはただ手をつないで黒に塗り込められた世界を黙々と歩く。
「……なんで?」
 カイルの小さな声に反応が遅れたジーは、慌てたように訊ね返す。
「聞いてなかった。何って?」
「なんで、平気で歩けるんだ? まさか、見えてるのか?」
 よほど不審に感じているのか、探るような声にジーは苦笑いを漏らす。
 ただ、視覚以外の感覚をフルに活用する訓練を受けて、経験をつんでいるだけだ。
「見えてないよ。カイルは?」
「私は濃淡くらいはわかる。このくらいの距離ならジーの表情だってある程度判別できるぞ」
 まっすぐに自分を見上げる気配にジーは視線を逸らす。
 漆黒に覆われた世界にあって、唯一カイルだけが外界を識別出来た。
 生まれてすぐ、色から隔離された代償に。
 ただ一人、暗闇の中、光を届けるために必要な能力。それを保つ為、カイルは彩域であれ遮色フィルターを外すことが叶わない。
「私のことはどうでもいいんだ。話を逸らすな」
 どこへでも行けるように、一人で歩かせない為に身につけたジーの能力。
「おれはこの辺、歩き慣れてるんだよ」
 ジーは嘘でも本当でもない中途半端な答えを返した。


「カイル、動くなっ」
「なっ?」
 警告はすこし遅く、踏鞴を踏むように逃げようとするカイルをジーは焦って掬い上げる。
「ジー?」
 顔を顰めたジーに、カイルは抱き上げられたまま不安げな声で呼ぶ。
「怪我は?」
「ない。何か変なものが脚に触っただけだ」
 ジーは安堵の息を漏らして、カイルの問うような気配に応える。
「蠍蛇だよ。刺されなかったなら良かった……この時季にもう出てきてるとは思わなかった、驚いたよな?」
 安心させるように笑って見せ、ジーはカイルを下ろす。
「ジーが刺されたんじゃないのか?」
「平気だよ。ラボまであと少しだよ。疲れてない? 最後の休憩を取ろうか?」
 ジーはしゃがみこんで足下を確認しようとしていたカイルに訊ねる。
「必要ない、早く行こう。また蠍蛇がでるといけない」
 カイルはジーの手を強く握って足を速めた。


「勝手に入れるのか?」
「許可はもらってるよ」
 ジーが認証機に掌を押し当てるとラボのドアが自動で開く。
 黒一色の外から彩域に入り、ジーは目を慣らすように何度かまばたきする。
 ラボ内が全体的に白っぽいせいで余計に目に染みた。
「カイル、行こう」
 何度も来ているので内部は把握している。
 興味深そうに辺りを見回しているカイルを促す。
 ひと気のない廊下を進み、目的の部屋のドアを軽く叩く。
「ジーです。カイルをお連れしました」
「入ってぇ」
 甘ったるい喋りかたをする野太い声にげんなりとしながら、カイルと一緒に部屋に入る。
「カイル、あれが、一応このラボの所長」
 ソファから立ち上がりかけている、無精ひげ面の筋骨隆々な男をカイルに紹介する。
 カイルは困惑したように、ジーと所長の顔を交互に見ている。
「初めまして、カイル様。所長のコーエンです。で、あんたは毎度懲りないわね、ジー。さっさと医務室行きなさいよ」
 カイルの前に立ち、にこやかな対応をしたあと、所長は眉をひそめて言い放った。
「放っとけ。大したことない」
「ジー、やっぱり怪我してたのか? さっきの、蠍蛇の」
 詰め寄るカイルにジーは笑って見せる。
「大丈夫だって。慣れてるし」
 痛みはずいぶん前に麻痺していた。
「馬鹿おっしゃい。完全に耐性があるわけじゃないんだから、さっさと行く」
 これ以上ごねると実力行使をされかねないと踏んでジーは諦めた。
 以前やられたように、抱き上げられ、医務室に放り込まれるのは避けたい。
「わかりました。カイル、心配しなくていいから。また、あとでな」
 不安と心配の表情で見上げるカイルの手をそっとほどいた。


「カイル?」
 微かなドアの開く音に、ジーは目を覚ます。
「すまない。起こしたか?」
「いや。どうした? 眠れない?」
 廊下から入り込む灯りにうかぶ心細げなカイルの姿にジーは訊ねた。
 カイルは首をふる。
「ジーは、人のことばっかりだ。自分は怪我をして熱があるのに」
「熱なんてすぐ下がるよ。所長も言ってただろ」
 蠍蛇に刺されるのも、その傷が元で熱が出るのも初めてではなく、慣れてきたせいか、それも一晩もあれば下がる。
 ジーは起き上がり、ベッドの縁に腰かけ、カイルにも座るよう手招く。
「でも、私が居なければ、刺されなかった」
 すこし離れて座り、憮然と呟いたカイルにジーは笑みを零す。
「カイルに怪我がなくて良かったよ」
「何でだ? 私が光だからか? 統監の命令だからか? 所長に聞いた。ジーは、護衛官じゃないって。なのに、どうして」
「所長、余計なことを」
 肩を落としたジーにカイルは更に言い募ろうとして止められる。
「落ち着いて、話すから。……カイル、聞いたらきっとおれを恨むだろうけど」
 ジーは目を伏せ続けた。
「おれが、カイルを見つけた。カイルが光だと断じて、カイルから色も自由も奪った」
「ジーが、予言者だったのか?」
 かつての予言者以来、代々保護されてきた血縁者達。その中でジーは、一際色濃くその才を受け継いでいた。
 頷いたジーに、カイルはほっとしたような息を吐く。
「なんだ。そんなことか。それならジーは私の命の恩人じゃないか。恨む訳ないだろう」
 ジーが顔をあげるとカイルは続ける。
「ジーが見つけてくれなければ、私はあの暗い箱の中できっと死んでいた。ジーは奪ったって言うけれど、私は不便を感じてない。今、生きている。何にも問題ないじゃないか」
 単純明快すぎる答えにジーは苦笑する。
 それほど簡単なもののはずはない。予言によって負わされた席も決して軽いものではなかったはずだ。だが、今はその心遣いに甘えることにする。
「ありがとう」
「だから、ありがとうは私のほうだ。邪魔してすまなかった」
 ちゃんと寝るように言い残しカイルが部屋を出て行くと、ジーは密やかな息を漏らした。


「ジー、早く」
 先へ先へと急ぐカイルに引っ張られながらもジーはゆっくりとついて行く。
「ほら、すごくないか? もう、芽が出てる」
 所長から渡された種をカイルが蒔いて二日、点々と黒灰色の双葉が顔を出している。
 その根元は、本来の土の色。彩域でもないのに。そして、彩染グラスをはずしても、それは変わらない。
「すごい。遮色フィルターつけてても、わかる。これが土の色なんだ。ジー、見えてるか?」
 はしゃぐカイルにジーは微笑を向ける。
 この成功が、光の証し。予言の成就にジーは肩の荷が少し軽くなったように感じた。
 できれば、カイルにとってもそうであれば良いとジーは願う。
「見えてるよ、ちゃんと。良かったな」
 所長の事前の説明通り、芽は焼き付けられた黒を吸い取り成長し、世界はゆっくり色を取り戻すだろう。
 それは、ジーが幼い頃見た白夢の通りに。


  ※  ※  ※


 黒く咲く花が揺れる。
 花が落ち、種子は広く飛びたち、そしてまた花をつける。
 世界は彩光に包まれる。

【終】




Aug. 2011
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