「こういう時に限って、来ない」
特に約束することはなく、休みの日にふらりとやってくる。
今日もそんな感じで来てくれないかなぁと思っていたのだけれど、夕方になっても姿を現さないということは、来ないつもりなのだろう、今日は。
「寒いから外に出たくなかったんだけどなぁ」
冬は暗くなり始めると早い。
少々心配性ななぎは暗くなってから会いに行けば、また苦い顔をするだろう。
仕方なくこたつから出て、手近な上着をきて鍵と財布を突っ込む。
「肝心なもの、忘れるところだった」
靴を履いたところで気づき、紙袋に手を伸ばす
玄関近くに置いておいて正解だった。靴を脱がずに済んだ。
「うー。やっぱり外は寒いなぁ」
日陰には昨日降った雪がまだ残っていて、見るだけで寒さが倍増だ。
指先から冷えてくる。手袋してくるべきだったかもしれない。が、取りに戻るのも面倒だ。
ポケットに手を突っ込んで、目的地へと急いだ。
「下にはいないか」
神社の階段脇の石垣に座っていることも良くあるので、期待していたけれどそこになぎの姿はなかった。
地味に長い石段を見上げて溜息をつく。
まぁ、運動不足解消だと思えば。
薄暗くなってきたし、さくさく行こう。
数十段の階段を上がるうちに、息も上がってきたけれど、だいぶ体はあったまってきた。
よし、あと二段。
「っゎ」
雪が残っていたのか、最後の一段を上るときに足が滑る。
「和葉っ」
まずい、落ちる。と思ったところに腕を引っ張られる。
「あ、ぶなー」
ゆるく膝はついたものの、衝撃はそれほどなかったので、痛めてはなさそう。
「あぶなーじゃないわ。もっとしっかり足下を見ろ。それ以前にポケットに手を突っ込んで歩くな。わしが支えなかったらどうなってたか」
怒声が降ってくる。
「……ごめんなさい」
小学生がされるような注意だ。
実際なぎが助けてくれなかったら、文字通り手が出ないまま、下まで真っ逆さまだったかもしれない。
「不精せず、手袋をして来い。そしてもう少し厚着をして来い。寒そうだぞ、その恰好」
説教モードに入ったなぎが、へたりこんだままの私の手を取り引っ張り上げてくれる。
「ありがとう」
「けがは?」
「大丈夫。……あぁ、ちょっとへこんだなぁ」
手首にかけていた紙袋の中身を確認すると箱がひしゃげていた。
「こんなに手を冷たくしてまで、どうしたんだ? もう、だいぶ暗くなっているし、危ないだろう」
「だって、今日、なぎ来なかったから」
諫める口調のなぎに言い返す言葉は我ながら拗ねた子どものようだ。
成人して何年もたっている自分が、見た目高校生程度のなぎに、大人げない態度をとっている滑稽さも自覚している。
「送るから。話しながら行こう。こんな人気のないところに長々といるものじゃない」
「なぎはいるのに」
「わしは人ではないからな」
それはわかっている。
なぎはこの神社の主、神様だから。
そんななぎが優しいから、つい甘えてしまうのだけれど。
手を引かれ、のぼってきたばかりの階段をおりる。
いつもより歩調がゆっくりなのは、また滑るといけないと思っているからだろう。
「で、何か話があったのではないか?」
階段を降りきっても話しはじめない私になぎは促す。
「うん。今日は、話というか、これ」
先ほど少し潰してしまった紙袋を渡す。
「なんだ。お供えか?」
なぎは笑って受け取る。
「……まぁ、そう、かな。いつもお世話になってますってことで。バレンタインだし。見つけた時、なぎ、好きかなぁって思って」
「わしが行かなかったから、夕方になって仕方なく外に出てきたな?」
お見通しらしい。
「どうせならバレンタイン当日に渡した方が良いかと思ったんだよ」
別にこだわる必要はなかったんだけれど。中身がチョコレートってだけで、気持ち的には実質はお歳暮と変わりないわけだし。
「ありがとう。せっかくだから一緒に食べよう」
子どもをあやすようにぽすぽすと頭を撫でられた。
「どれから食べようか、迷ってしまうのう」
各種銘柄の日本酒チョコ詰合せをにこにこと眺めているなぎを見て、買ってきて良かったと改めて思う。
ちなみに自分のも買ってきているので同じものが私の前にもある。
「では、和葉。ありがたくいただく」
なぎは右下のチョコの包みをはがし口に入れる。
目を細めて味わっている。口角が上がっているので気に入ったようだ。良かった。
同じものをつまみ口に含む。
うん。結構辛口。でもチョコと合う。おいしい。
「ところで、和葉。わし以外にも渡したのか?」
「チョコを? 渡してないよ。なぎの以外は自分用を買っただけ」
なんだ、唐突に。
「困ったものだのぅ。……」
「言わないで」
なぎが口を開く前にさえぎる。
言いたいことは、聞かずともわかった。
「なぎまで、言わないで。そういうの、やだ」
「わしまで、ってことは他の誰かに言われたのか?」
やわらかい声。話せば良いと促すような。
「…………それは、まぁ、普通に言われるでしょ。私、いい歳だし、職場の人とか」
「職場で言われたくらいで和葉がそこまで過敏に反応するとは思えんが?」
はぐらかしたのはバレバレだったらしい。
ゆったりとお茶を飲んで、なぎは見透かすようにこちらを見つめる。
「カマをかけたんだ?」
「いや。今までチョコなど買ってきたことなどないから、そういう相手ができたのかと思ったのも半分はあるが」
完全否定はしないらしい。
嘘をつかないのは神様だからだろうか。
「今、私は酔っ払っている」
「チョコに入っている酒くらいじゃ、酔わんだろ、和葉は。……で、酔っ払いのたわごとはなんだ?」
仕方ないなぁ、と言わんばかりになぎは微笑む。
「今まで、ほったらかしだったのに、もういないからって、代わりみたいに世話を焼かれるの、困る」
双子の妹が亡くなって約三年。両親も少しずついない生活に慣れてきたのだと思う。
幼いころから入退院を繰り返していた妹に手がかかった分、私をなおざりにしてきた罪悪感もあるのだろう。
年始に帰省した時に、あれこれ世話を焼かれた。
その一環だったと思う。
付き合っている人はいないのか、結婚しないのか、早くみつけないと、等々。
こちらを思ってくれての言葉だとはわかっているから、曖昧に笑ってやり過ごしたけれど。
「余計なお世話だし。私は、それなりに幸せなのに」
なんだかそういうのを、全否定されている気がした。心配の言葉の裏で。
「そうか。和葉、えらかったな。両親を慮って」
当たり前のことなのに、なぎはそうやって褒めるから。
「言わないつもりだったのに」
話を聞いてくれるなぎに依存している自覚がある。甘えていると思う。
そしてだんだん悪化しているとも思う。
だから、これは自分で消化しようと思っていたのに。
「大丈夫じゃよ。聞かなかったことにしておこう。和葉は酔っ払いだろう? きっと朝になればすっかり忘れている」
宣言した酔っ払い設定を活かしてくれるらしい。
「なぎがいてくれて良かったなぁ」
ずっとそばにいてくれたら良いのに。とは絶対口にできないけれど。
「わしも和葉と会えてよかったよ」
酔ってなんかいないのに、おりてきたやわらかな睡魔に身をゆだねた。