神無月の杜



「しね! ばぁかっ」
 ちょうど通りかかった石段の上から降ってきた、穏やかでない物言いに眉をひそめる。
 コドモにはありがちな悪態かもしれないけれど、声が泣き出しそうに聞こえて足を止めた。
 自分からこの石段を上っていくのは、少々癪ではあるけれど、聞かなかったことにして帰宅するというのも、なんとなくもやっとするというか。
 仕方ない。
 ため息をひとつこぼして、石段に足をかけた。

 
 運動不足の体には、たかだか数十段の石段も堪える。
 荒い息を落ち着かせながら、声の主をさぐる。
 小さな境内だ。探すまでもなく社の前にうずくまる人影を見つける。
 黄昏刻。はっきりとはわからないけれど、近くの中学校の制服を着ているようにみえる。
 やっぱり、泣いているのだろうか。
 顔をあげず、こちらの存在にも気付いていないようだ。
 泣いているのであれば、そっとしておいてあげるのが正解だとは思う。
 多感な時期だ。
 自身のことをふりかえってみても、悩みなんか山ほどあった。今思えば、笑ってしまえるようなことだったけれど、その時は真剣だった。
 大人になってしまった自分の、したり顔な慰めなんて要らないだろう。
 だけど、秋の夕暮れはあっという間に夜にかわる。
 人気のない神社に、不審者が来ないとも限らない。特に、今は。
 でも、だからといって何と声をかけるべきか。
 だいたい、今の状況を傍から見れば自分の存在こそが不審者じゃないか?
 かけるべき言葉を探していると、のろのろと顔をあげた中学生と目が合う。
 勝気そうな目元に涙が浮かんでるかどうかは、この距離と暗さで確認できなかった。
「こんばんは。さがしもの?」
 とりあえず、当たり障りない程度に声をかける。
「……こんばんは。別に、探し物とかじゃないです」
 むっつりとした声。それでも、きちんと答えを返す辺り、真面目な子なんだろう。
「じゃ、ねがいごとか」
 『死ね、ばか』が願いごとだったら、ちょっと物騒だけれど、とりあえずそれは置いておこう。
「そんなの、叶うわけない。神様なんていないし」
「あー、まぁねぇ。そうだよね。私もそう思ってたし」
 思わず、ニガワライが零れ落ちる。
 どうせ、叶わないから神頼みなんてする意味がないと思ってた。
 立ち上がり、にらむようにこちらを見ている少女の視線を逸らすように足下に目をやる。
「ならなんで、こんなとこに来てるんですか」
 怒ったような口調。
 その言葉、そっくりそのまま返したいけどな。
「願いがね、叶うかどうかは別として、ここには神様がいるよ?」
 自称なので実際のところは狐狸物怪の類かもしれないけれど、まぁ人間ではないことは確かだ。
 少女は顔をしかめる。
「馬鹿にしてるんですか? 幼稚園児でもないのに、そんなの信じるわけないじゃないですか」
「まぁ、そうだよね。……でも、居るんだよ」
 本人曰く、ただ『聞く』だけの存在で『叶え』たりは出来ないらしいけれど。
「じゃあ、証拠見せてください。人の心の中に、とかつまらないこと言わないでくださいよ」
 堂々と朗々と挑むようにこちらを見すえる。
「今は、ムリ。だって、十月は神無月。神様は出雲へお出かけ中。知ってた? 出雲では十月は神在月って言うんだよ?」
 嘘じゃない。
 当の本人に何しに行くか聞いたら、半ば遊山だとかありがたくもなんともないことを暴露してたけど。
「言い逃れしないでください」
 そう思うよね。普通。うん。
 どうしようかな。っていうか、どうしても神様の存在を信じさせる必要もないのか。別に。
 ただ、ここで引くのは負けるみたいで、ちょっと悔しい。
「十一月になったら、またここで会うとか、どう?」
「そんなヒマじゃないです。受験生なんですから。もう、ウソって認めたらどうですか?」
 どこか勝ち誇っているようにも見える。
 くそぅ。大人気ないとは思うけど、言い負かしてやりたいなぁ。
「和葉? やっぱり来たな?」
 唐突に割って入った声は、今は留守にしているはずのここの主のものだ。
 姿を探すと、自分と少女の間にぼんやりと浮かび上がる小さな小さな姿。
 いつもの高校生くらいの年頃の姿がそのまま手のひらサイズに縮小されて立っていた。
「なぎー?」
「あぁ。おどろいているところ悪いが、残念ながら和葉の声は聞こえぬし、姿も見えない。これは、わしに会えず、さみしい想いをしている和葉のために残した置き手紙のようなものだ」
 どこか尊大な口調。
 しかし、誤解も甚だしい。別にさみしくて神社に来たわけではない。
「心配せずとも霜月にはちゃんと帰る。話もその時、聞いてやる。ではな。いい子で待ってろよ」
 好き勝手言いたいことだけ言って、ちいさな姿が風にとける。
「…………なに、今の」
「なぎ。さっき話した、ここの神様」
 脱力してしゃがみこんだまま、少女の呆然とした問いに答える。
「え? なに?」
「あんな態度だけど、実はやさしいよ。アナタの話もきっときちんと聞いてくれる。……例え、叶わなくても、聞いてもらえるだけで、楽になることってあるよ」
 顔をあげ、少女の目を見てゆっくり伝える。
 自分自身、話せずにいた想いをなぎに吐き出せたおかげでずいぶん楽になった。
「周りの人に、話せないことって結構あるよね。たぶん、そういうのを引き受けてくれるのが神様なんだって思う」
 少女は感情を見せず、それでも声に耳を傾けてくれている。
「だから、また来るといいよ。十一月になってから」
 少女は黙ったまま視線を落とす。
 これ以上、踏み込んでいいものか迷いながら、結局続ける。
 学生の頃の半月は結構長い。大人になってしまうと日々に紛れてすぐ過ぎ去ってしまうけれど。
「ぶちまける相手が、私でもよければ今から聞くよ? 私はあなたがどこの誰だか知らないし、あなたもでしょ。知らない人にぶちまけるなら気楽じゃない?」
 神様ほどじゃなくても。それなら、来月まで待たなくても良い。
 しばらくして、少女が小さくうなずいたのを見て立ち上がる。
「よし。じゃ、場所かえよっか。公園行って、自販機であったかいもの、買おう」
 完全に陽が落ちた境内の明かりは頼りない外灯ひとつのみ。大通りからも離れていて、逃げ場もない。
 そんな場所で見ず知らずの女と二人きりでいることに少女が不安を感じないとも限らない。
 近くの公園なら外灯も多く、犬の散歩などしてる人もいるのでまだマシだろう。
 とりあえず、先に歩き出す。
 その背後で静かな足音がつづいた。


 出来たのは、ただ聞くことだけ。
 自分がなぎにしてもらったほど、きっとうまくは出来なかったけれど。
 少女は少し笑って帰っていったから、ちいさく安堵した。
 

【終】




Oct. 2010
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わらうかど