「あけまして、おめでとう」
カーテンの隙間から差し込む光がまぶしくて、寝返りを打つ。
もう一眠りしたかったけれど、耳に届いた挨拶で起きることにする。
「おはよう。来てたの」
部屋の真ん中においてあるコタツに入り、蜜柑をむいている横顔に声をかける。
「一年の計は元旦にあり。その言葉通りだと、和葉は、今年は寝て終わりそうだな」
「イヤミっぽいなぁ」
枕元の携帯電話に手をのばし、時間を確認する。十一時過ぎか。良く寝た。
「何時まで呑んでたんだ?」
蜜柑の白い筋を、ちまちま丁寧にとりながら失礼なことを言う。
「人が四六時中呑んでるみたいな言い方、やめてよね」
一人暮らしの部屋で、一人深酒なんかしない。
ベッドから抜け出し、洗面所へ向かう。
「年頃の女が恥じらいもなく、男の前を寝巻き姿で歩くのはどうかと思うな」
「私が寝てるのに、勝手に入って来たのは、なぎでしょ」
だいたい、男といいきって良いのか、なぎは。
部屋に戻って適当な着替えを引っ張り出して、洗面所に向かう。
さすがに目の前で着替がえたりするほど、恥じらいをなくしてない。
着替えて戻ってくると、白い筋を取ってぴかぴかな蜜柑をなぎは満足そうに眺めている。
その対面に正座する。
「あけましておめでとう、なぎ」
「……蜜柑食べるか、和葉」
ぴかぴかの蜜柑を差し出され、そのまま受け取る。
「ありがと。……なぎはこんなとこ来てて良いの?」
今日は一番忙しいのではないだろうか。
蜜柑をひとふさ口にいれる。部屋、乾燥してるから水分が美味しい。
「別にいようがいまいが関係ないだろう。人は勝手に願い事を垂れ流しに来るだけだ」
静かな微笑みでなぎはこちらを見た。
―――
なぎとの出会いは数ヶ月前にさかのぼる。
飲み会の帰り道、呑みすぎて、アパートにたどり着けず、神社の石垣で休憩してたときだった。
「おんなのこがこんな時間にこんな薄暗いところにいるのは感心しないな」
女の子、というには少々トウが立っているのではないだろうか、自分は。
職場でそういう風に呼ぶ年配男性社員がいないわけではないけれど、顔をあげたそこにいたのは高校生か、せいぜい大学生だろう。
「んー。だいじょぉぶ。へーき」
意識は比較的はっきりしているけれど、ろれつが回っているとは言いがたい。
真冬じゃなくて良かった。お酒が抜けるまで、ここにいても風邪をひくことはないだろう。
とりあえず、今は立てる気がしない。
あたま、ふわふわしてきたな。まずいなぁ。調子に乗って、限度超えた呑みかたした。
「こまったものだなぁ。名前は?」
「和葉(かずは)」
呆れたような声がやさしくて、聞かれるがままに答える。
「和葉か。良い名前だ。わしはなぎという」
「なぎくんはぁ、何してたの? あぶないよぉ? こんな時間まで外にいちゃ」
かわいらしい感じだし。夜目だったら女の子と間違われそうだ。そうじゃなくても、世の中物騒だし。こんなとこで半分酔いつぶれてる女には言われたくないだろうけど。
「わしの住まいはこの上だからな。酔っぱらいの姿を見に下りてきただけだ」
「神社の子?」
この神社、人が住んでるんだ。小さなお社があるだけだと思ってた。
なぎに尋ねると、ほのかな外灯の下、にこりと笑みが浮かぶ。息をつくのが楽になるような気がする。
「そろそろ、動けるか? 送ろう。今日は月無の夜。闇が深いからな」
どことなく時代がかった物言いに、断りの言葉がうまく出てこず、うなずいた。
「お、今日は呑んでないな?」
石段に腰掛けたなぎに苦笑いを返す。
「毎日呑んでるわけじゃないよ。この間みたいに酔っ払うのはめったにないし」
「そうか?」
微妙にえらそうな口調が、かわいらしい顔とミスマッチなのに、似合う。
「なぎくん、今日は何してるの?」
八時すぎ。夜遊びするにはこのあたりは辺鄙すぎるし、学校帰りという雰囲気でもない。
「和葉が来るのを、待っていた」
「なんで?」
おだやかな口調のなぎに、少々不審なものを感じる。
「警戒するな。わしのところに和葉の声が届いて、わしが和葉を気に入った。それだけだ」
「……なに、それ」
意味がわからない。だいたい、自分のこと「わし」って、言う? 今どきの子が。変だよね。ぜったい。
「和葉はなにか願いがあるんじゃないか?」
なぎに引っ張られるかたちで石段を登る。
「願い?」
お金持ちになりたいとか? 幸せになりたいとか?
「あれ? ないのか?」
石段を登りきって振り返ったなぎは、本気で驚いた顔。
「……あったよ」
小さなお社の前に立ち、呟く。
「過去形?」
手水鉢のふちに座ってなぎは尋ねる。
「そう。生きてて欲しかった人がいたの」
いつも白いベッドの中にいた。白い顔で、それでもいつも微笑っていた。
「恋人か?」
「うぅん。妹。双子の」
似ているのは顔立ちだけだった。ぶっきらぼうな私とは大違いに愛想の良い妹。性格も体質も大違いでだからこそ、うまくいっていたんだと思う。大切だった。
「祈ったり、しなかった。祈らなきゃ、治らないような病気だなんて考えたくなかった。私、不信心だし」
そういう時だけ神頼みするのも、なんか違うって思ったし。でも、祈っておけば良かったかもしれない。
そうすれば出来る限りのことをしたと、言えたかもしれない。
「和葉は正しい」
いつの間にかすぐそばに立っているなぎから、静かすぎる声がもれる。
「神など、ただ声を聞く役割でしかない。何も出来ぬ存在だよ、わしは。嫌になるな」
泣き出しそうに見えるその微笑みが、妹の表情になぜかダブった。
「なぎくん?」
「でも、聞くだけは出来る。……和葉、誰にも話すことが出来ずに辛かっただろう」
その言葉に溜息がこぼれる。
平気なふりをするのは、予想以上にしんどくて、変わらずすぎていく日々をあたりまえに過ごせる自分に何度も、苦笑いが浮かんだ。
「もう、いなくなったことが哀しいのか、いなくても平気で過ごせる自分が悲しいのか、わからなくなってきたよ」
つかれた。
「ぜんぶ、わしが聞いてやるよ」
あたまをなでるなぎの手がやさしくて、少し涙が出た。
―――
「聞くのが仕事でしょうが」
あれから、会社帰りにちょくちょく会うようになって、なぎの正体が神社の『主』だということがわかって、その頃にはウチにも出入するようになっていた。
今では自分の家のようにくつろぐ姿が、すごく馴染んで、穏やかで平和で幸せな感じ。
「今は和葉専属だ」
次なる蜜柑をむきながら堂々となぎは言う。
「あのね。私はもう充分聞いてもらったよ」
もちろん、まだ哀しいけれど。ゆっくり落ち着きはじめている。
「なんだ。和葉はわしが来るのは迷惑か」
またしてもきれいにむいた蜜柑をこちらに差し出す。
「そんなこと言ってないでしょ。なぎ。自分で食べられないんだから、むかないでよ」
いくつ食べさせる気よ。
じっとりとこちらを見つめるなぎに、溜息をついて付け足す。
「なぎがいてくれるのは嬉しいよ。でも、仮にも一応神様が一人の人間を贔屓するのはどうかと思うんだよ」
「気にするな。どうせ異口同音の願いだ」
もうひとつ蜜柑を取り、止めるヒマなくオレンジ色の皮をむく。おい。
「なかには、真剣な願いごとする人いるかもしれないでしょ」
「そうならば、初詣だけにしか来ないということもないだろう?」
ああいえば、こういうし。
「っていうか、なぎ。私の言うこともまともに聞いてないし」
「ちゃんといつも聞いてるぞ。失礼な」
しゃあしゃあと言い切るなぎの手から蜜柑を取り上げる。
「さっき、蜜柑をむくなと言ったでしょ」
食べられないくせに、なんでそういうコトするかな。
「むくのが楽しいんだよ」
ふくれた顔が子どもっぽくて、思わず噴出す。
「なぎがいて良かったよ。今年もよろしく」
満足そうななぎの表情につられて、笑みがこぼれた。