「イミなんてなくても別にいーんじゃない?」
軽く言われたそのコトバ。
それはココに残っている。
もう、ずっと。
「あれ、なんだと思う?」
ベッドに横たわったままの友人の視線を追う。
高台にあるこの建物から見える町並みは、なんだか中途半端なサイズのおもちゃのようだ。
「どれ?」
「あそこ。あの、黒っぽい……教会っぽいヤツ」
指差した先には言葉通り教会に見えなくもない暗い色の建物。
ごちゃごちゃとした不揃いの家並みに埋没することなく違和感を醸しだしている。
その形状と色合いからは聖なる祈りの場所、と言うよりは、墓標と言った方がしっくりする。
そんな不吉な予感を振り払うように口を開く。
「で? あの建物に何かあるのか?」
「別に何もないよ。周囲から浮き立ってるから気になってるだけ。出所したら見に行こうかと思って。一緒に行こうか」
いたずらっぽく笑う。
……本当に?
「何だよ、出所って。大体、何でおれを巻き込もうとするかな」
想いをかくして呆れたように言ってみせる。
「タイクツなんだよー。こんなに長引くとは思わなかったし」
掠れた声。
寝転がったまま伸びをする。
やせた、手首。
「また、遊びに来てやるよ」
殊更、軽く言う。
「待っててやるよ」
目を細めて微笑う。
そのまま目を閉じる……疲れたように。
「長居して悪い。また来るよ」
座り心地の良くないパイプ椅子から立ち上がる。
「んーにゃ。わりぃね、おかまいもせずに」
うすく目を開けて、ひらひらと手を振る。
「ばぁか。オマエにお構いされたら、後がこわいよ。じゃ、な」
「んー」
眠気まじりの声が背に届く。
その声から逃げるように病室を出て、丁度来たエレベータに乗り込む。
誰も乗っていないその箱にぐったりともたれかかり目を閉じる。
目の奥に重いモノが残っている。
泣きたいワケじゃない。
ただ。
どうすることもできない、無力感。
軽い振動に体を起こす。
開いた扉から入ってくる静かな雑音に押し出されるように外に出た。
花束を持った青年。
黒いスーツ。黒いネクタイ。黒い傘。
雨のにおいを連れて。
無表情に。
すぐに、わかった。
……わかったよ。
コドモの頃から「いないはず」のものが見えていた。
役に立たないどころか、邪魔でしかないこの能力があって良かったと、初めて思えるのではないかと一縷の望みをかけていた。
薄暗い建物の中、白く浮かび上がるのがその人であれば良かったのに。
ねがい虚しく、そこにいたのは背に大きな羽根を持つ天使。
キレイな少女。十七、八にみえる。
「こんにちは」
曖昧にかけられる挨拶。
「……」
「もしかして、見えてないとか?」
独り言のように呟きに、溜息をついて答える。
「見えてるよ。……こんにちは。おじゃましてます」
普段であれば見えていないフリをしてやり過ごすところを応えたのは、縁だと思いたかったのだ。
「良かった」
にこ。と天使は印象的な笑みをはく。
その言葉に、どこか深い想いがあるように思えて目顔で尋ねる。
「待ってたの。きっと、来るって聞いていたから」
ふわり、軽く跳ねて天使は階段の手すりに座る。
装飾の施された古めかしい建物の雰囲気も手伝って必要以上に幻想的に見える。
「誰に?」
乾いた声が出る。
答えは、聞くまでもないのかもしれない。
それでも。
「名前は、知らないの。聞かなかったし。幽霊サン、おにーさんのコト、トモダチって言ってた」
「で?」
短く、意図のない疑問符をはさむ。
……なぜ、もう少し早くに来なかったのだろう。
そうすれば、会えたのに。
後悔に目を伏せる。
「あのね、元気だよって伝えてくれって」
元気も何も。会えないところに行ってしまったのに。
らしいというか、何というか。
小さく笑みが漏れる。
「自分勝手なヤツ。待っててやるとか言ったくせに」
愚痴っぽく、呟く。
果たされないことなど、お互い承知の約束だったのだけれど。
コトバにならない想いだけ。
見守るような、やわらかな視線を感じて顔を上げる。
「……何、泣いてるの」
静かにこちらを見つめていた天使の頬に涙がつたう。
「え、と……」
天使は困ったように下をむく。
床にぽとん、とシミがひとつできた。
泣くつもりなんか、なかった。
ただ、やさしい声が泣きたそうに聞こえて、つられただけ。きっと。
青年はこちらに近づきのぞき込む。
「ごめんな」
何を謝るのだろう。
くびを横に振る。
「キミに会えて、良かったよ……きっと、アイツも」
骨張った手が涙をぬぐう。
なんにも、していないのに?
顔を上げるとおだやかな微笑がそこにある。
「ありがとう」
薄暗い建物の中、光が天使を包む。
「っ」
天使は驚いたように天井を仰ぎ見る。
溶けるように光が淡くなり、室内は薄闇に戻る。
そして天使は居なくなった。
残されたのは雨の音。
「……ばいばい」
階段の下、置いた花束を一度だけふり返り雨の中踏み出した。