それぞれの事情。




 猫の事情(1)
 
 吾輩は猫である(注1)。名前はまだ無い(注2)。


 まずは注釈1から説明しようか。
 某有名な文豪の小説の冒頭を借りたが、ボクは猫だ。ただし、ただの猫ではない。
 見た目は、黒猫だ。足先としっぽの先だけがわずかに白い。
 そして外見はたいへんにかわいらしい黒猫だけれど、ボクは人語を解することができる。まぁ、これは普通の猫でもまま居ることだから特別なことではない。ボクの場合はそれだけでなく、話すことも可能だ。
 たまにテレビとかでやっている「ごはん」だとか言っているようにも聞こえる程度の中途半端なものではない。きちんと文章として会話ができる。
 まぁ、それをところ構わずひけらかすような分別のないことはしないので、傍から見ればやはりただの黒猫ではあるのだけれど。
 そして注釈2に移ろう。
 今のボクには名前がない。
 さっきまで、名前を付けてくれる主人を絶賛探索中だった。
 そう。たった今、とうとう見つけたのだ。
 ボクの主人としてふさわしい人間。
 

 人間の事情(1)

 ここに来ても、会えるわけではないということは分かっていても、節目節目につい、足を運んでしまう。
 夕暮れに沈む小さな町を高台から見下ろしてゆっくりと息を吐く。
 未だに諦めきれていない、というわけではないと思う。
 ただ、会えないことがわかっていても、それでも懐かしく思い出して、会いたくなる。
 こんな感傷的な自分を見たら、きっと笑う。もしくは悪いものでも食べたかと心配するか。
 その様子を想像すると少し笑えて、ベンチから立ち上がる。
「じゃ、また」
 聞く相手のいない挨拶を風に紛れさせる。
「にゃ」
 それに返事をしたかのようなタイミングで小さな鳴き声が届く。
 足元を見ると、こちらを見上げる猫が一匹。
 子猫と言うほどでもないが、成猫になる手前くらいの見た目は愛らしい猫。
 会いたい相手には出会えないのに、要らないモノにばかりは出くわす。
「にゃぁ」
「間に合ってる」
 媚びるように見つめる猫に冷ややかな言葉を投げ返した。


 猫の事情(2)

「あ? ……んにゃ」
 おもわず普通に言葉を出してしまい、あわてて猫っぽくふるまう。
 どういう意味だ。
 人間の中には猫好きばかりでないというのは知っている。そもそも、動物嫌いとかいう人間もいるし、それは仕方ない。
 ボクにだって好き嫌いはあるし、それは理解の範囲内だ。
 だけど、「間に合ってる」っていう言い方はなくないか? 訪問販売相手にしてるんじゃないんだからさ。
 「あっちいけ」や、もっと手軽に「しっし」と追っ払うならわかるんだけど。
 ボクを見下ろす目には嫌悪感はないように思う。ただ、めんどくさそうにため息をついて、視線をはなすと歩き出す。
「にゃー」
 逃がすか、こら。
 太ももに飛びつくと、一瞬だけ止まるが、直ぐに動き出す。
 おい。歩きにくいだろ。諦めて止まれよ!
 振り落とされないように必死でしがみつきながら、にゃあにゃあと鳴いて訴える。
 思いが通じたのか、足は止まり手が伸ばされる。
「にゃ?」
 首筋をつままれ、そのまま持ち上げられ――放り投げやがったな、この人でなし。
 いや。そのくらいの方が主人としてはふさわしい気もするが、ボクがその対象になっては何の意味もない。
 猫の執念を甘く見るなよ。
 かっこよく着地を決めたボクは、そのまま助走をつけて主人候補のかばんに飛び移る。
 持ち手に前足としっぽを絡ませてつかまり、後ろ脚も踏ん張って離れないぞと全身を使ってアピールする。
「おまえがなんなのかは知らないけれど、知りたくもないし。とにかく天使とか悪魔とか幽霊とか妖怪とか、余計なものと関わりたくない。口車に乗る気もない。諦めて他を探せ。以上」
 猫に向かって、至極真面目に、しかしくたびれた口調で、それでもきっぱり言い切る。
 なんだよ、そのラインナップ……。


 人間の事情(2)

 昔から普通の人には見えないモノに、よく遭遇した。
 別に悪い者ばかりではなかったけれど、面倒事になる確率は高い。
 大体、普通の人間には見えない相手と会話している様子は傍から見れば奇矯な行動でしかない。
 つまり関わらないのが最良。それなのにかばんに張り付いた黒猫もどきは猫を装うことも放棄したようだ。
「さっすがボクのご主人。数多の修羅場を潜り抜けてるんですね。すごいです。そんなご主人にお仕えして、是非手助けがしたいんです」
 人間の姿をしていたら、揉み手でもしそうな勢いのおべっかを黒猫は吐き出す。
 実際はかばんから剥されないように、しがみついた体勢のままなので、すごく間抜けな状態だ。
「主人にはならない。話は聞かない。離れろ。他を当たれ」
「いーやーだー」
 かばんから引きはがそうとするが、猫もどきも必死なのか手を離さない。
「話だけでも聞いてくださいよー。ご主人様にも悪い話じゃないんですよー」
 その手の話がまともだったことなどない。
 引きはがす手に一層力を込める。
「せっかくの才能を活かしましょうよー。ボクは使い魔としてしっかりサポートしますからー」
 甘言にのってひどい目に合うのはおとぎ話の頃からの常道だ。
「ご主人様には類まれなる魔術師としての才能がおありなんですよー。その気になれば世界だって掌握できますー」
「そんなメンドクサイことしたくない」
 なんだよ、世界を掌握って。
「大金持ちになることだって可能ですよ。錬金術、錬金術。なんだって手に入れられます!」
「無理だよ」


 猫の事情(3)

 主人候補は静かに笑う。
 笑ってくれたのに、なんだか寒気がした。
「……無理なんかじゃ」
「死んだ人間は生き返らない。逝ってしまった者とは二度と会えない。少なくとも、自分が生きている間は」
 死後の世界はどうか知らないけど。と軽く続けた時には笑みは消え、先ほどまでの淡々とした無表情に戻っていた。
「でも」
「でも、じゃない。無理だ。たとえ悪魔とでも契約して、呼び戻せたとしても、決してそれはおれの会いたい本人ではない。似ている、何かだよ」
「……試したことが?」
 あまりにも真に迫っていておそるおそる尋ねる。
 それだけの力はある人だと思った。だからこそ主人にと願ったのだ。
「まさか。基本的に当たり前のことだろ。そんなこともわからない使い魔なんか必要ないよ」
 言葉だけ見るとつきはなしているのに、あきれたような声はなんだか今までで一番やさしく聞こえた。
「じゃあ、使い魔じゃなくて良いから。ボクがそばにいてあげるから」
 放っておけない気がしたし、一緒にいたいと思った。
「あげるってなんだよ」
 ため息と一緒に漏れた微苦笑に、ボクは誤魔化すようにパタパタとしっぽを振った。


 人間の事情(3)

 諦めることにした。
 上から目線で「そばにいてあげる」などと言われたら苦笑するしかない。
 いったい、この猫もどきから自分はどういう風に見えているのか。
「とりあえず連れて帰ってやるけど、おれも居候の身だから、家主の許可がなければ入れられないからな」
 たぶん問題ないだろうが、一応牽制しておく。
「へ?」
 連れて帰るに驚いたのか、居候というのに引っかかったのか、猫もどきは間抜けな声を上げる。
「なに」
「えぇと。よろしくお願いします?」
 余計なことを言って前言撤回されたら困るとでも思ったのか、猫もどきは愛想笑いを浮かべる。
「後悔する羽目にならないと良いな?」
 半分脅し半分本気で言って、猫もどきに反問する間を与えないようかばんの奥に押し込めた。


 猫の事情(4)

「ただいま」
 ごく一般的な二階建て一軒家のドアを主は開ける。
 初めて見た時も、話をした時も孤独のイメージがあって、誰かと暮らしていると聞いて驚いたけれど、こうして実際に普通の家に入っていくと改めて違和感がある。
「おかえりー。志貴くん」
 ぱたぱたとスリッパの音を立てて玄関先まで迎え出たのは主よりはいくつか年長の女だった。
 ちょっとだけ目のあたりが似ているから、たぶん血縁なのだろうけれど、雰囲気は正反対だ。
 穏やかで人懐っこそうなふんわり甘い感じ。
 主はこんなのと同居でうまくやっていけてるのかと心配になるが、思いに反して穏やかな笑みを女に向けた。
「遥子さん。これ、付いてきちゃったんだけど」
 かばんの上にいたボクを主は摘み上げる。
「にゃー」
 雑な扱いに文句を言いたいところだが、ここで追い出されてはかなわないので、かわいらしく鳴いて愛想を振りまいておく。
「きゃー。かわいいわ。志貴くん。この子、お名前はっ」
 語尾にハートマークでも付きそうな甘ったるい、うきうきした声と同時にいつのまにか主の手を離れ、女に抱きしめられている。
 ぐ。くるしい。
「名前? 遥子さんがつけてやってください」
 ひどい。それじゃ、主の使い魔にならないじゃないか!
 女は「どうしようかなぁ」とか悩みながら、ボクを顔の高さまで持ち上げている。
 抗議だ。断然抗議する。
 猫の声で文句の雄叫びをあげながら、体をよじって何とか女の手から脱出して主のかばんに戻る。
「あーん。いっちゃったぁ」
 残念そうにしつつも、それ以上はこちらに手を出してこなさそうでほっとする。
「遥子さんに懐かないようなら、元いた場所に戻してきますよ」
 いやいやいやいや、それはないよ、主。
「志貴くんったら、ねこちゃん泣いちゃってるじゃない。私が急に触ってびっくりしちゃっただけよねー。もう、うちの子だもんねー」
 触っては来ずにかばんにいるぼくに目線を合わせてきた女に、鼻先で触れる。
 割と良いヤツだ。主の同居人として合格だろう。
「遥子さんがそう言うなら」
 

 人間の事情(4)

 まぁ、こうなると思っていた。
 今更猫もどきの一匹増えたところでどうということない。この家は。
「主ー。ボクに名前を付けてよ。お役にたつよ」
 かばんから人の腕を支えに立ち上がり、猫もどきはおもねる。
 この家にいるモノの気配にも気づいていないのに、どう役に立つというのか。
 が、名前がないのは不便だし、遥子さんからも「決まったら教えて」と言われている。
「じゃ、カイで」
 猫もどきはうれしそうに耳を後ろに下げる。


 猫の事情(5)

 悪くないなって思ったのに、主はそれに水を差すようなことを付け加えた。
「厄『介』モノのカイ」
 ……まぁ、良いよ。ボクは寛大だからね。
 近いうちに、きっと僕がいて良かったって思うんだろうからさ。


 ボクは見た目は猫の使い魔。
 名前は『カイ』に決まった。

【終】




Sep. 2016
関連→雨夜の虹