手をのばす。
決して届かないモノだけれど。
だからこそ、欲しかった。
「これだ」
仁王立ちをして見上げる。
ベッドの上。窓から毎日ながめていた灰色の建物。
巨大な石碑のように見えていたそれが、何なのかずっと見に来たかった。
いざ、目の前にたってみるとそれほど大きな建物ではない。
三階程度の建物の上に石碑に見えた塔がたっているだけだ。
周囲は雑草が伸び放題で、それだけでもこの建物が長い間使われていないことがわかる。
「オジャマシマース」
誰もいないのだろうが、とりあえず声をかけて建物内に入る。
扉を開けると、停滞しきった空気の古びたにおいが鼻につく。
薄暗い部屋の中、窓から射し込む光が埃に反射して妙に幻想的だ。
目を細めながら辺りを見回す。
がらんとしたホール。
装飾の施されたコンクリート柱が規則正しくならんでいる。
正面には重厚な、これも装飾された木造の階段。
その踊り場、光の中に。
「天使?」
十三、四歳くらいに見える、背中に羽根の生えた少女。
やわらかそうな金色の髪が肩を覆っている。
「え?」
少女がふり返る。
翼がふわり、と動く。
「ホンモノだ」
非現実的な光景。妙にすんなり受け入れられたのは、その手の話を聞いたことがあったせいかもしれない。
まぁ、それ以前に今の自分の状況も状況なのだけれど。
「……っくりしたぁ」
はふー。と大きなためいきをついて天使はへたり込む。
「ごめん、驚かせちゃったな」
「おにーさん、つわもの。ふつー、驚くよ」
ヒザを抱えて天使はどこか感嘆したようにいう。
「おれがキミを見て驚くのも変じゃない?」
「そーかも……って、ぇ? え?」
何だか一人で困ったようにわたわたしている様子が妙にかわいらしい。
思わず笑いが漏れる。
「気づいてるよ。自分がいわゆる幽霊になってること」
軽く言う。
目が覚めた時、既に身体をまとってはいなかった。
キモチ的には全く変わりないにも関わらずセカイから弾かれてしまっている。
交われず、漂って。
「気づいてたんだ」
こちらを気遣うようなやわらかい声音。
安心させるように微笑ってみせる。
「そ。ある程度、覚悟はできてたんだよ。入院長かったしね」
別に強がりではなく。
ただ、まさか幽霊になるとは思っていなかったけれど。
「何でここに? あ、私は天使だけど成仏とかはさせてあげられないよ? 管轄が違うもの」
予防線を張るように言って、天使は両手を広げてみせる。
「そ、んなことは思ってもなかったな。ただ、この建物が気になっていたから来ただけだし。キミに会えたのは偶然。で、キミは何でここにいるの?」
尋ねると複雑な表情をする。
聞かれたくなかったのか……?
「……修行中」
憮然として応える。
あまり深く追求しない方が良さそうだ。
話をかえておこう。
「ここって何の建物だったかは知ってる?」
「ん。昔の百貨店だったらしいよ」
天使は階段の手すりにもたれて視線を上に向ける。
つられて見上げると吹き抜けになった高い天井。
あちこち欠損部分はるけれど、それなりに豪奢な電灯。
当時としては、そしてこんな片田舎にしては立派な百貨店だったのだろう。
「屋上に庭園もあるんだよ、ここ」
どこか自慢げに言う。
「それ、見たいな。案内してよ」
天使は肯いて軽く階段を上りはじめた。
「眺め良いー」
周囲が低い建物ばかりのおかげで三階建ての屋上とはいってもかなり遠くまで見渡せる。
入院していた、病院も。
その窓からずっと見ていた塔の両横に大きな樹。
その周囲にある背の低い木を伸びきった雑草が覆ってしまっている。
「んー。普段は中ばっかりだからまぶしい」
天使はうれしそうに目を細める。
「廃園、だねぇ」
屋上の縁に座る。
フェンスも何もなくて、生身だったらさすがに怖くてやれなかっただろう。
「でも、これはこれで良くない? 人の手が入りすぎてるより私は好き」
朽ちかけたベンチに天使は座る。
何だか素直に無邪気でカワイイので、同意の頷きを返す。
「だね」
空を仰ぎ見る。
抜けるような青空。
風が樹葉をゆらす音。
「おにーさん、さぁ。何か思い残してることない? 話、聞くだけなら、するよ?」
軽い口調。
でも、やさしい微笑。
さすが天使。
「キミはさ、ずっとココにいるの?」
一人でいて、さみしくないのだろうか。とふと思う。
「まだ、当分はいると思うよ」
天使はニガワライをする。
「お願いしても良いかな。伝えてくれる? おれの友達が来たらさ、おれは元気だったって……いや、元気はおかしいのか」
ここに一緒に来よう、と言ったのは自分。
ムリだろうとは予測がついていた。
そして、あいつもわかっていただろう。
それでも顔色一つ変えず、肯いてくれた優しい友人。
「恋人?」
「ちがう、トモダチ」
端からは正反対に見られて一緒にいることを不思議に思われた。
一緒にいるとひどく気楽だった。
尊敬も、していた。
絶対、言ってやらないけれど。
「ふぅん。……いいけど、その人が私のこと見えるとは限らないよ? 私が見える人って言うのは一定条件クリアしてなきゃダメだし。おにーさんが私を見られるのは多分、幽霊さんだからだろうし」
ベンチの上で膝を立てて、頬杖ついて天使は言う。
条件がどんなのかは少々気になるが、それには触れずに答える。
「大丈夫。アレはちょっと変わってるから、多分会えると思うよ」
天使は不思議そうな顔をした。
夕暮れ。
幽霊氏はこちらを見て微笑う。
傾いた陽差しに透ける。
「ありがとう」
びっくりした。
「なんでっ?」
「って聞かれると困るな」
空を見上げて考えている。
「アリガトウ、はアリガトウだよ」
思いつかなかったな。
幽霊氏の手が髪を撫でるように動く。
どうして良いか、困る。
「ばいばい。またね」
そのまま、消える。
「――だから、さぁっ。そういうっ」
ずるいんじゃない?
また、とか。絶対ないのに。
夕闇がおりてくる。
溜息ついて、建物の中に戻る。
ガラスに映った姿を見てなんだか泣きたくなった。
「……アリガトウ、は私の科白だよ」