使い魔日誌 ――ムサシ――



 吾輩は黒狼である。名前はある。ムサシという。
 董森の魔女の使い魔だ。
 連れ歩くには不便なサイズ、との主の言により、警備をしつつ気ままに森にいることが多い。
 そして現在、朝の散歩を済ませ定位置である小屋に戻ってきたところであるが。
 ……見たことのない子供がいる。
 董森の魔女には何人もの養い子がいる。だいたいの者は魔女になり、独立したり、森に残ったりしている。
 末の養い子は……十七になったんだったか。
 一人前と呼ぶには危なっかしいが、魔女と呼んでも格好がつくようになってきた。
 その末の養い子が幼子を連れている。
 それも、既に肉の身体を手放しているじゃないか、あの子供は。
 どこから連れて来たんだ。
 お目付け役は何してたんだ。
「いぬ、いた」
 幼子が俺に向かって指をさす。
 誰が犬だ
「いたねぇ。おはよー、ムサシ」
 のんびりとした口調で末の養い子、アイリはひらひらと手を振る。
 だから犬ではない。
「アイリ」
「ムサシ、この子はサク。私の養い子」
 苦言を察知したのか、遮るように紹介する。
「養い子って、お前……」
 まさか気づいていないのか、この子供が幽霊だと。
 いくら魔女が朧のものと親しく、生者と遜色なく知覚するとは言っても。
 ……こいつ、たまに抜けてるからな。気づかないのもあり得るか。
 少なくともお目付け役であるリアムは気づくはずなのに、伝えていないのか?
「わかってる。暫定。一応、だから」
 じっとりと視線を向けていると、言いたいことを察したようだ。
 あぁ、幼子に配慮したのか。
 死というものを理解できていない可能性もあるのか。
「いぬ、さわって、いい?」
 栄養の足りていなさそうな細すぎる子供は首を傾げて尋ねる。
「犬、ではなくムサシだ。触ってもいいぞ、サク」
 黒狼だと言ってもどうせ理解できぬだろう。
 言葉のおぼつかないような幼子に目くじら立てることもない。
「むさし…………ふわふわ」
 小さな手がそっと胴に触れる。
「ねーふわふわだねぇ」
 隣にしゃがんでアイリが遠慮なく背をわしわし撫でる。
「アイリに許可はしてないぞ」
「聞こえなーい」
 こちらが本気で言っていないことをわかっているので、アイリは気にせず撫で続ける。
 その手がサクと比べて随分おおきくて、成長したものだと少し感慨深くなった。


 アイリが森へ連れてこられたのはサクよりももっと小さな頃だった。
 森と外との境界に捨てられていたと聞いている。
 一歳くらいだっただろうか。痩せこけて、目だけが異様に大きく見えた。
 董森にとって久方ぶりの養い子だったので、長じて魔女になった元養い子たちや使い魔たちが何くれとかまいたおしたおかげか、すくすくと天真爛漫に育った。
 あの貧相で、命の炎が消えるのも時間の問題のように見えた赤ん坊が、立派な、とは言い難いが魔女としてもまぁ及第点だと言える程度になったのは喜ばしいことだ。
 が、もう少し遠慮というか、慎重さというか、魔女らしさというか、そういうものを身に着けてくれたらよりよいと思うのだ。
 撫でるのに飽きたのか、横たわっている俺にもたれかかり欠伸を一つ。
「サクー、ふかふか気持ちいいよぉ」
 枕にするな。そして仲間を作ろうとするな。
 自分の隣に来るように手招きするアイリと俺の顔を交互に見て、サクは少し迷ったようにしながら首を傾げる。
「むさし、いいの?」
 なんという、主に似合わず慎ましやかなことか。
 それにこんな幼子の頼みを無下に断ることなどできるはずもない。
「もちろんだ」
 サクははにかむと、アイリの隣に座りそっと体重をかけてくる。
 アイリはこういうことはなかった気がする。幼いころから体当たりでぶつかって、飛び乗ってきた。
 まぁ、あれはあれで幼子らしい無邪気さがかわいらしかったけれども。
 しばらくすると小さな寝息がたつ。
 視線を向けるとアイリが柔らかな表情で眠るサクを見ていた。
 いつまでも手のかかる末っ子だと思っていたが、年少のものを身近に置くというのは成長させるには良いものかもしれない。
 今日の少々雑な行動も、サクに気兼ねさせないよう振る舞ったのだろう。
「アイリ、お前……」
「あー、こんなところでサボってた! アイリ、今日の薬草採取ノルマ終わってない!」
 誉めてやろうと思ったところを、駆け寄ってきた猫の使い魔、リアムの言葉に口をつぐむ。
「い、今から行こうと思ってたんだよっ。ちょっと、ほんとだってば」
 疑いの目で見上げるリアムにアイリは慌てて立ち上がる。
 どうだかなぁ。
 とりあえず誉め言葉を口にしなくて良かった。
「リアム、ここにいて。サクが起きた時に誰かいないと不安かもしれないし」
 サボる言い訳では?
 俺とリアムの視線がそろって胡乱気なものだったことにアイリは頬を膨らませる。
「ちゃんとやるって。大丈夫、森に行けば誰かいるでしょ」
 軽い足取りで森へと走っていく。
「成長したと思ったんだが、まだまだだなぁ」
「まぁ、アイリですしねぇ。サクのこと、ふつうに気づいてなかったですしね……死者だと」
 最後はサクに聞こえないよう声を潜めた。
「サクの方が早く成長するかもなぁ」
 今はまだ普通の子供のようにすやすやと眠っているけれど、使い魔となれば。
「そうしたら私もお目付け役しなくて済むねぇ」
 清々すると言わんばかりにうなずく。
 それはどうだろうか。
 結局心配が二倍になるだけのような。
 手が離れるとなったらなったで寂しく思うのだろうから、余計なことは口にしないでおいた。

【終】




Feb. 2023

関連→ 使い魔日誌