使い魔日誌



「ローブ着ていて心地良い季節になったねぇ」
 月明りだけが照らす路地裏を歩く、のんびりとした歩調にあった気の抜けた声。
 確かに日が陰ると肌寒い季節にローブは重宝するだろう。
「真夏のローブは地獄だったものねぇ」
「冷却魔法使っていれば、さほどでもなかったろ」
「そうだけど、見た目的に不審者でしょ。熱帯夜に真っ黒ローブ着てたら。警察に見つかったら職務質問まっしぐらよ」
 やだやだ、と首を横に振る。
「別に悪さしてるじゃなし、身分証明書出せば済む話だろ。昔と違って迫害されてるわけじゃないんだし」
「その辺ふらふら出歩いてるとも思われてないでしょ、魔女が。良い見世物じゃない」
 魔女の薬やまじない付きの商品などは世間一般に認知されているが、だいたいは仲介人を通しての販売で魔女本人が表立って世間に出ることは少ない。
「なら出歩かなきゃいいだろ。もしくは一般人に擬態しろ」
 魔女としてのローブ着用は絶対条件ではない。
「だって、これ着てないと魔法うまく使えないし」
 ぷく、と頬を膨らませてそっぽを向く。
「いや、だからな。そんな半人前が養い子を探そうとするのがどうかって話なんだが」
「でも、魔女は養い子がいてこそ一人前、みたいなところがあるじゃない」
 そうだけど、そうじゃない。
 半人前を卒業して、養い子を育てて一人前になるのであって、半人前が養い子を得ても半人前に足手まといが付いた分マイナスだ。
「アイリは森で使い魔を捕まえる方が先だと思うが」
「私にはリアムがいるし」
 アイリは足元を歩くこちらに視線を寄越す。
「わかってると思うが、私はアイリの師匠の使い魔だ」
 私の主の末の養い子であるアイリのお目付け役としてくっついているだけだ。
なし崩しに自分の使い魔にしようとしないでほしい。
「えぇ。リアムが良いのになぁ。賢くて、やさしくて、面倒見がよくて、何しろ猫だし!」
 わかってる。猫が好きなのは。
 よく森にすむ猫と戯れてるもんな。
「あのな、使い魔をしつけるのも魔女の腕だぞ」
 私がこれほど有能なのも主たる董森の魔女の指導のたまものだ。有能すぎて面倒な仕事が回ってきてしまうのはいささか解せないが。
「で、満足したか? そろそろ帰るぞ」
 跳び上がり、アイリの肩に乗る。
 本気で養い子を見つけて拾うつもりはないはずだ。
 単純にたまには森の外に出て息抜きをしたいのだと思う。
 その割には街中でなく暗がりを選んで歩いているが……。
「今日あたり、見つかりそうな気がしたのになぁ。魔女の勘、外れたかぁ」
 のんびりぼやくアイリの言葉に嫌な予感がする。
 半人前だが、魔女の力が弱いわけではないのだ。アイリは。それどころか。
「あ。あれ」
 急に走り出したアイリの肩から落ちかけ、どうにかローブのフードに収まる。
 何見つけたんだよ。


「ねぇ。私、あなたにあったかい寝床と毎日おなか一杯の食事を提供できるよ。一緒に来ない?」
 アイリの前には四、五歳くらいの煤けた雰囲気の子供。
 適当に切られた後、のびっ放しになっているらしきざんばらな髪。季節にそぐわないサイズも合ってないTシャツから見える手足は骨が浮いて見える細さ。焦点の定まらないぼんやりした瞳。
 おそらく遺棄された子供だろう。
「アイリ! なに勝手に声かけてるんだよ」
 一切の躊躇なく話しかけたアイリの耳元に文句を伝える。
 魔女の養い子は、この手の遺棄された子供が多いから、対象としては問題ない。普通であれば。
 ただ、この子供の場合は別だ。
 アイリも、もしくは子供当人でさえも気づいてないかもしれないが。
「だって、寒くておなか空いてるのはつらいでしょ」
 小さくささやき返すアイリの言葉に反論を呑みこむ。
 アイリもそうして拾われた子供だった。
「帰るおうち、ある? 今日だけでも良いよ。うちに来ない?」
 アイリはしゃがんで、子供と目を合わせる。
「ねこ、はなすの?」
 かすれた小さな声。
 生気の欠けた先ほどよりは焦点を結んだ目がフードから顔を出している私を見つめる。
 小声で話していたが、聞こえてしまっていたか。
「すごーい。優秀ね。リアムの言葉が聞き取れるなんて」
 にこにこしながらアイリは大仰に褒める。
 普通の人間には猫の鳴き声に聞こえるよう偽装しているので、人語を話していることに気づいたのは有望ではある。
 しかし言葉がわかるとなると、下手なことを言えない。どちらにしろ苦言を呈しても、アイリが聞く耳持つとは限らない。
「話すよー。他にも話すカラスや、フクロウや、犬もいるよ。うちに来る?」
 犬なんかいたか? ……もしかして黒狼のことじゃないだろうな。
「いぬ、みたい」
「そっか。じゃあ行こう。そうだ、自己紹介。この話す猫はリアム。私はアイリ。君は?」
「…………わかんない」
 風に紛れて消えてしまいそうなほどに小さな声。
 もう覚えていないのだろう。
 アイリは一瞬浮かべた寂しげな表情をすぐに笑顔にかえる。
「そっか。じゃあ、ゆっくり良い名前考えようか。とりあえず、帰ろう」
 アイリ差し出した手に、子供はおずおずと指先で触れる。アイリはその小さな手をしっかり握りなおしてローブの中に子供を抱き込んだ。


「あ、エミねぇ様、おはよー。ごはん、簡単なものでよければついでに作るよ」
 董森の屋敷に戻る早々、出くわした古株の養い子にアイリは軽く声をかける。
「んー。ありがと。お願い」
 欠伸交じりに応えたエミは、軽快な足取りで先に行くアイリを見送り、そして一瞬固まる。
 ち、気づいたか。
「ちょっと待て、リアム」
「に゙ゃ」
 潜んでいたアイリのフードから引っ張り出される。
 しっぽを引っ張るのはやめていただきたい。
「なんだよ、エミ」
「おい、今アイリは何を連れてた」
 先ほどまでの眠そうな顔だったのに、今は眉間にしわが寄っている。
 元々きつい顔立ちなので極悪な人相だ。付き合いが長いので、その表情で怯むこともないが。
「……なんだろうな」
「お目付け役が何のんきなこと言ってるんだ。だいたい私は森の外に出るのも反対して」
 だからしっぽを引っ張るな。痛い!
「一応止めようとしたんだが、もう声をかけた後だったんだよ。アイリの『勘』が見つかりそうだって告げてたんなら、もう防ぎようはないだろ」
 私は悪くない。巻き込まれただけだ。
「それにしても、だ。もう少しどうにか」
「ちなみに、アレ。養い子だと思ってるから、アイリは」
 ぐちぐちと文句を続けようとしていたエミは、それを聞いて大きく目を見開く。険のある顔が多少愛嬌を帯びる。
 普段からそうしていたらどうだろうか。
「はぁ? だって、あれはどう見ても」
「アイリがポンコツなんだよ、そのくせ一人前の魔女には養い子が必要だって意気揚々と」
 本人が本当のことを知ったらどんな顔をするだろう。想像すると少し笑える。
「その抜けたところが愛らしいんだよ、アイリは……」
 笑いがかみ殺せてないぞ、エミ。
「ほら、さっさと食堂に行くぞ」
 

 食堂のテーブルでもくもくとリゾットを食べる子供。
「おかわりあるからねー」
 その様子をニコニコと眺めるアイリ。
 微笑ましい。
 エミはアイリの作ったオムレツとかぼちゃスープを口に運びながら、やはりニヤニヤが隠せていない。
 完全に面白がってるな。わからなくもない。
 私もミルクを飲みながら、いつ、どう切り出すべきかと考える。
 アイリが気づくまで放っておいても、さほど問題ない気もするなぁ。面倒だし。
「そうだ。エミねぇ様。養い子を迎える手続きってどうすれば良かったっけ」
 ぶほ、とエミがむせる。
 笑ったのか、驚いたのか、どっちだ?
 しかし、手続きがあることを覚えているのはえらいが、聞く相手が悪い。エミに事務的なことができるはずないだろ。
 そして今回のケースでは手続きはいらないんだなぁ。
 仕方ない、話すか。
 子供の様子をちらりと見ると、不器用な手つきでリゾットを食べ続けている。
 口に入るより皿にこぼれ戻っている方が多くないか? スプーンの上手な使い方も教えてやらないとなぁ。
 とりあえず、こちらの動向を気にしてはいないようだ。
 アイリの肩にひょいと乗っかり耳元で小さくささやく。
「あの子供は養い子にはなれない」
 子供に聞かれるかもしれないので、直截的な言い方を避ける。
「……なんで」
 鳩が豆鉄砲を食らった、というのはこういう表情だろう。目を真ん丸にして、幼さが際立つ。
 面白い表情だが、あまり面白くない話を続ける。
「あの子供は肉体的にもう成長することはない」
 アイリは少し考えるように視線を泳がせ、小さく唇をかむ。
「そっか。つないだ時、手の温度がなかったかな、そういえば」
 気づいてくれたようで何よりだ。
 あの子供は、既に生きていない。いわゆる幽霊状態だ。
 魔女は朧な存在とも親しく、肉の身体を持つものと変わりなく知覚するので、未熟者のアイリは見誤ったのだ。
「でも、うちの子になってもらうのは大丈夫だよね?」
 エミにオムレツを分けてもらっている子供を見て、アイリは小さく尋ねる、
「同意が取れればな」
 養い子ではなくとも、生者でないならば森に住まうのは問題ない。本人さえ良ければ、アイリの使い魔となっても良いのだし。
「もう、ごちそうさま? おなかいっぱいになった?」
 少々雑な手つきで口元をエミに拭われている子供に、アイリは明るい口調で尋ねる。
 こくん、とうなづく子供の頭をエミはわしわしと撫でている。面倒見がいいんだよな、エミも。きつくて怖い顔立ちに似合わず。
「よし。じゃあ今日はもう寝よう」
「……いっしょ?」
「うん。私もリアムも一緒。エミねぇ様は今からお仕事だからまた今度」
 アイリの袖口を小さく引く子供に目線を合わせて安心させるように微笑む。
「……いぬは?」
「犬はお家で寝てるかなぁ。また明日起きたら会いに行こうね」
 頷く子供と手をつないでアイリは自室に向かう。
「犬って、黒狼のこと? 本人聞いたら怒るでしょ」
 言葉とは裏腹にエミはくすくす笑う。
 同感。
「いっしょ。りあむ」
 立ち止まり振り向いた子供に呼ばれて、慌てて追いかけた。



「毎日、今日みたいにあったかい寝床とおなか一杯の食事を提供できるよ。うちの子になる?」
「いっしょ?」
「うん。私もリアムも一緒にいるよ」
「いぬは?」
 どうしても犬が気になるのか。犬じゃないけどな、うちにいるのは。
「一緒」
「いっしょ、いる。うちのこ、なる」
「うん。じゃ、私が名前を付けても良い?」
 アイリは頷く子供の頭をそっとなでる。
 名は、主からもらう最初の贈り物であり祝福。
「あなたの名前はサク、だよ」
「さく」
「そう。よろしくね、サク」
 名前を呼ばれて、子供は初めてちいさな笑みをこぼした。


 

【終】




Nov. 2022