天泣恢々



  ※

「は? おかにんぎょ?」
 店にやってきた男の口にした突拍子もない言葉を思わず聞き返す。
 なんだそれは。
「えぇ、陸人魚(おかにんぎょ)。陸に上がった人魚がいると聞いたのです。その人魚のこぼす涙は宝石となり、それを持つと幸せになると聞きました」
 話が微妙に間違っているが、全くのでたらめでないのが少々問題だ。
「陸人魚、というのは初めて聞きましたが、それを見つけてどうする気です?」
「結婚式に参列していただこうかと」
 男は細い目をさらに細めて笑みを浮かべる。
「けっこんしき」
 血痕式? 結魂式? そんなわけないな、普通に考えるべきだ。結婚式。
 夫婦になる者たちがする儀式。
「どちらさまの?」
 己が混乱しているのがわかる。何を聞いたらいいのか、もうさっぱりだ。
「私と、彼女の」
 ぽ、と頬を染める男。
 男の恥じらいを見てもなぁ、なんも楽しくないなぁ。
「それはおめでとうございます」
 とりあえず、当たり障りなくお祝いの言葉を伝えておく。客に対する店主の義務だ。たぶん。
「それで、その陸人魚とやらを参列させて、どうするんです?」
「参列してお祝いしていただきたいだけですよ。そして我々の結婚式で感動した陸人魚が涙をこぼし、その涙の宝石を妻となる彼女へ贈るのです」
 あれだ。マリッジ・ブルーならぬマリッジ・ハイ。頭ン中、お花畑か。
 特に知り合いでもない相手の結婚式に出て、感動して泣く奴なんていないだろ。
「もちろん、陸人魚殿に報酬は払います。宝石の分も。もちろんご店主にも既定の仲介料をお支払いしますよ」
「……結婚式はいつですか」
「二週間後です!」
 無茶を言うな、と反射的に返さなかった自分をほめたい。
「そもそもですが、陸人魚という存在を私は見たことも聞いたことがありません」
 少し嘘だ。
 陸人魚という呼び方は初めて聞いたのは確かだが、実際、諸事情により陸地で暮らす人魚はいる。
「二週間で見つけるのは、難しいですかねぇ」
「そう、ですね。探すアテが今のところないので。ただ、人魚の涙であれば、入手可能ですよ」
 人魚のこぼした涙は宝石、というか真珠となる。
 それを持つと幸せになるかどうかは知らないが、我々人外にとっては、万病に効く薬ともなる。
「……そうですね。陸人魚の探索もお願いします。見つからなければ、最上級の人魚の涙を購入させてください」
「承知しました」


  ※


「こんにちはー」
「ちっ」
「え、いま舌打ちした? 客に対して?」
 店主の表情に、隣の少女の笑顔が一転、思い切り眉を顰めたものになる。
「間が悪いんだよ、オマエ」
 普段から気安い二人ではあるけれど、さすがに挨拶に舌打ちを返すのは珍しい。
「何かあったんですか?」
「外、すれ違ったか? 何か話したか?」
「お客さんですよね? すれ違いはしましたが、門の内側だったので、軽く目礼程度はで済ませましたが」
 あまり顔を合わせたい相手ではなかったので、目を伏せたともいう。
「門の内側で客同士の会話禁止してるのヒトヨでしょ。当然向こうも声かけてこなかったよ」
「オマエの方、見ていたか?」
「別に、見られてないよ」
 まじめな声で尋ねるヒトヨに対してカイリは軽く答えるが、それは違う。
「ヒトヨさん、無駄です、カイリに聞くの。みられることに慣れすぎてるのか、無頓着なんですよ、こいつ。普通に見られてました」
 カイリは黙っていれば美少女だ。
 やわらかく波打つ長い髪に、光の加減によっては碧くも見える大きな目、白い肌に小さな顔。
 街中を歩いていても、目をひく容貌だ。
 喋ると台無しだし、中身は残念だけれど。
「気づかれたかな。めんどくせぇなぁ」
「あれ、化狐ですよね?」
 ぼやくヒトヨに尋ねると苦かった顔が面白がったような笑みにかわる。
「なんですか?」
「いや。オマエみたいなはぐれ半狐でも、真狐に対して思うところがあるんだとおかしかっただけだ」
「いえ、単純に化狐と呼ぶのが普通だっただけで、他意はないです」
 まぁ、あえて仲良くしようとも思わないけれど。
「質問ー。半狐と化狐? 真狐? って何が違うの?」
 カイリが子供みたいに手を挙げる。
 ちらりとヒトヨを見るが、説明する気はなさそうだった。
「半狐は狐も人の姿も両方自分の姿なんだよ。おれのこの姿も、歳を取ることはあっても、違う姿にはなれない。真狐の本性は狐。得手不得手はあるらしいけれど老若男女、人じゃなくて動物でも無生物でも変化可能」
「ふぅん」
 自分から聞いくせに、気のない相槌だな。
「で、ヒトヨ。何で私が会っちゃいけなかったの? その真狐さんに」
 ヒトヨは束の間迷ったように視線をずらし、そしてため息をついた。
「結婚式に出る気は、あるか?」
「良いよ」
「おい、ちょっと待て。ヒトヨさんがためらってるんだ、少しは警戒しろ」
 何の躊躇もなくうなずくカイリを慌てて止める。
「さすが保護者」
「保護者じゃない!」
「ムギはペットで私がご主人だよ!」
「それも違う!」
 ヒトヨとカイリ、それぞれの言い分を即否定する。
「オマエ、そいつのことペットとか余所で言うなよ、外聞悪い」
 ヒトヨは半ば呆れたように苦い声を出す。
 もっと言ってやってほしい。
 できればもっと早く言ってやってほしかった。すでに何か所かで公言されえ、不審な目で見られているのだ。
 実際、倒れているところを助けてくれたのは事実で、その時は狐の姿だったから拾ったペット扱いしているのはわかっている。
 ただ人間姿の時にペットと紹介されるのは大変不名誉だ。
「……話がそれましたね。で、結婚式って何ですか」
「さっきの真狐の依頼が陸人魚を結婚式に参列させたいらしくてな」
「陸人魚って初めて聞きますが、カイリみたいなのの別称ですか?」
 大昔、人と番った人魚がいて、そのせいで稀に足が生え、海で暮らせなくなる人魚が生まれるらしい。
 カイリもそんな一人とのことだ。
「初耳だけど?」
「だろうな。俺も初めて聞いた」
「わかった。私を陸人魚だと偽って出席させて、報酬をたんまりもらうわけだね! さすがヒトヨ、悪徳」
 名案、といわんばかりのカイリにヒトヨは深々と溜息をつく。
「失礼な小娘だな、相変わらず。……一応陸人魚なんて知らない、見つからなかったで済ますつもりだったが、真狐がオマエ見てたっていうからな。人魚だと気づかれていた場合のことを考えての確認だ」
「でも、なんで陸人魚を出席させようとしてるんですかね、その真狐は」
「陸人魚の涙を嫁にプレゼントしたいとか言っていたが、それが本心かどうかはわからない」
 口調は渋く、本心かどうかわからないゆえに、行かせたくないと思っているようだ。
「別に結婚式に出るくらい、平気だと思うけどなぁ……狐の嫁入りでしょ、ちょっと見てみたいし」
「齧られても知らんぞ」
「美味しいんですか、人魚って」
 お気楽なカイリの言葉をいさめるヒトヨに尋ねる。
 ギリ、普通の人魚の尾っぽ部分ならいけるか?
「……オマエ、たまにすっとぼけてるよな。人魚の肉って言ったら不老不死の象徴だろうが」
 そういえば、聞いたことあったな、そんな話。
「実際、不死になるのかなぁ? 私が私をかじっても不死になる?」
 カイリが自分の手首を眺めて眉根を寄せる。
 おい。試そうとするな。
「やめとけ。相性がある。即死か不死か、どっちに転ぶかわからんぞ」
「本当にかじったりしないよ。別に不死になりたくないし」
 カイリは頬をふくらませる。
「オマエは好奇心でやりそうなんだよ、軽率に」
 ヒトヨの言葉に同意するようにうなずくと、カイリはますます頬をふくらませた。

  ※

 とりあえずカイリから「出席したい」という無駄に前向きな返答をされてしまったので、真狐に連絡を取る。
 陸人魚ではないが、一応地上で暮らす人魚であること、泣くかどうかわからないこと、泣いたとしてもその涙は幸せを約束するものではないこと、ついでに同行者として半狐がついていくことを伝える。
「もちろん,かまいません。何ならご店主もご一緒に」
 自分が同行するのは遠慮して契約をまとめた。
「それでは当日、こちらまで迎えを寄越してください」


「ただいまー」
「戻りました」
 何事もなく戻ってきた二人にほっとする。
 下調べの上、大丈夫だろうと送り出しはしたが、何事にも絶対はない。
「どうだった?」
「ふつーだったよね、ムギ」
「普通、なのか? 山の方の神社で参列者はおれたち以外、狐の姿でした。花嫁・花婿も狐。神主も狐。巫女も狐。そのあと、披露宴? は、山の中の古い一軒家で、稲荷寿司が山積みでした」
「酢飯が紅白だった! お酒もおいしかった。頑張って泣いて、ご祝儀代わりに二粒おいてきたー」
 いつもより陽気だと思ったら、酒が入ってるのか。
「おれは断れなかった一杯だけです。カイリは勧められるだけ飲んでましたが」
「止めろよ」
「止めたからこの程度で済んでるんですよ。とりあえず、先方はそれなりに満足そうだったので、良かったんじゃないですか?」
 疲れた顔を隠さず、ムギはため息をこぼす。
「白無垢、きれいだったよね」
「なんだ、着たいのか?」
 それなりに年ごろの娘だし、憧れるのもわからなくはない。
「え? 私が着てどうするの。着るならムギでしょ? 狐のふわふわ茶色の毛に白無垢、かわいさ倍増。今回の報酬で買えるかな? 狐用ってどこで買える?」
 まっとうな感覚を期待した自分が悪かった。
「買うな。買っても着ないからな!」
「羽織袴もすてきだったから、そっちでも良いよ」
 うきうきしているカイリに食って掛かろうとするムギを止める。
「子供たち、もう帰れ。うるさいから」
 二人を外に追い出す。
「雨降ってる」
 音もなく静かな霧雨。
「虹だ!」
 カイリにつられて空を見上げる。
 淡い空に架かる虹の上に小さく狐の行列が見えた。

【終】




Jul. 2022
関連→ 日々是普通