日々是普通



 私はほんの少し、普通の人とは違う。
 たいていの人から「かわいい」と評される普通よりは見目良い容姿のことではなく、もっと根本的に。
 とはいっても、普段の生活には何等問題ない。
 普通に大学に通い、普通に生活する、ごく一般的な生活をしている。
「ウチみたいなところに、こういうもの持ち込んで換金して生活しているのは、一般的とは言わない気がするが?」
 黒い布張りのトレイの上に広げられた、つややかな光を放つ真珠数十粒を見ながら呆れた口調でこぼすのは着流しを着た胡散臭い雰囲気の男だ。
 胡散臭いが悪い男ではないことはそれなりの付き合いなので知っている。
「人の心を読まないで。それに普通にバイトもしてるし」
「駄々洩れなオマエが悪い。はい毎度」
 真珠を検分し終わった店主である男は十枚程度のお札をむきだしのままこちらに寄越す。
「私の涙の結晶がこの価格かぁ。こんな美少女の持ち込む商品なんだから、色を付けてくれてもいいんだよ? 毎回言うけど」
「毎回言うが、きちんと相場通りな上、端数分程度は色付けてやってる。用が済んだらさっさと帰れ。商売の邪魔だ」
 一応客なのだから、もう少しまともな対応をしてほしいが、出所不明の怪しいものを買い取ってくれる店は他に知らないし、仕方がない。
 文句は言わずにおとなしく退散する。
「じゃ、また次回」


「あれキツネ、だよね?」
 河川敷の草むらの中に茶色の毛皮がふわふわとそよいでいる。
「生きてる?」
 ふさふさの尻尾から頭まで一直線に横たわっていて近づいても動かない。
 質感的に作り物っぽくはないから本物だろうけれど、死んでるんだったらヤだな。
 そっと胸のあたりに触れるととくとくと心音が伝わる。
「生きてるかぁ。どうしようかなぁ」
 生きてたら生きていたで面倒だよね、実際。
 普通、こんな町中にいる生き物ではないだろう。動物園から脱走したとか、一般家庭でペットとして買われていたというのも考えづらい。
 それ以前にこのキツネは普通のキツネではないだろう。つまり、広義でいえばお仲間だ。
 放置するには寝覚めが悪い。
「仕方ない、連れて帰るか」
 抱きかかえるには少し大きい。
 コートを脱いで、キツネに寄り添うように横たわりつつ、どうにか背負う。
 その上からコートを羽織って、キツネを覆う。
 不格好で怪しいことこの上ないが、キツネ丸出し状態で帰宅するよりはましだと思うことにする。
 そろそろ暗くなってきたから、それほど目立たないだろう。
 目立たないと良いなぁ。


「重、かったぁ」
 なんとか家までたどり着き、リビングにキツネを転がす。
 うまく下ろせなくて、なんかゴツっとか音がしたけど、目を覚まさないから大丈夫だよね? とどめを刺したってことないよね?
 ふかふかした毛並みが規則正しく動いている。うん。心臓は動いているようだ。
「……ねむ」
 すよすよと眠るキツネを眺めていたせいか、あくびがこぼれる。
 キツネを運ぶという余計な労働もしたことだし、少し寝よう。
 そのまま横たわり、そっとキツネに抱き着く。
 ふわふわあったかくて、抱き枕にちょうどいい。
 おやすみなさい。


「うぎゃー」
 耳元で騒ぐなよ、うるさいなぁ。気持ちよく寝てたのに。
 キツネが身をよじって腕の中から逃げていく。
「キツネなら『コンコン』とか鳴きなさいよ、かわいくない悲鳴を上げないで」
「本物の狐は『コンコン』とは鳴かない。っていうか、オマエなんだよ」
「っていうか普通のキツネは人語もしゃべらないと思うけど。とりあえず、元気そうで何より」
 壁際で毛を逆立て不審げにこちらを見ていたキツネは、しまったと言わんばかりに表情を変える。
「私も同類だから警戒しなくても」
「……同類?」
「『人間』ではないという意味なだけ。半狐ではないよ」
 さっくり返すとキツネはゆるりと人型になった。二十代半ばの男性。髪の色がキツネの時と同じだ。
 それにしても人型になるときにちゃんと服着てるのって不思議だよなぁ。
「少しは驚けよ」
「半狐だってわかって連れてきてるのに、驚くもないでしょ」
「わかってて男に抱き着いて寝るってどうなんだよ、慎みも何もないな」
 いや、オスかどうかまでは確認しなかったし、知らなかったよ。
「もふもふしてたしさぁ」
「警戒心もゼロかよ」
「それより、なんであんなとこで倒れてたの?」
「…………覚えて、ない」
 キツネ男は視線をそらして答える。
 嘘だな。良いけど、別に。
「行くところないなら、うち住む?」
「オマエ、バカだろ」
「記憶喪失キツネ男、名前は覚えてる? ちなみに私はカイリ」
「ムギ」
 確かに麦色の毛並みだった。本名なのか偽名なのか。
「じゃ、ムギよろしくね」
「…………世話になる」
 何やらいろいろ飲み込んだような難しい顔をしつつ、ムギは頭を下げた。


  ※  ※  ※


 控えめに言っておかしな女だった。
 見た目は可愛らしい、美少女だと言っても間違いはない。
 ただ道端に落ちている狐を拾って帰って、それがただの狐ではなく半人半狐だとわかっていながら抱き着いて眠る。
 男だとは知らなかったというが、そういう問題ではない。
 気軽に「うち住む?」とか、ありえない。が、こちらも背に腹は代えられなかった。現状無職宿無しなのだ。
 年末近づくこの季節に野宿はつらい。半分狐とはいえ、寒いものは寒い。
 ということでカイリの申し出を受けて厄介になる代わりに家事全般を請け負うことになったのは良い。
「おい。なんだこの冷蔵庫」
 とりあえず飯を作るべく開けた冷蔵庫の中身は見事に飲み物ばかりだった。それも半分はアルコール類だ。
「食材は? それに未成年が飲酒するな」
「ちゃんと成人してるし。料理はしないし」
 高校生かと思ってた。が、二十歳越えてるのか、これで。いろいろ、成長が足りないんじゃないか?
 まぁ、カイリも人外のようだし、種族によっては見た目と年齢が比例しないものもいるが、それにしてももう少し肉を付けるべきだろう。
「うるさいっ」
 何も言っていないが不憫さを含んだ視線でいろいろ察したらしい。
 財布をこちらに放り投げて買い出しを命じられた。
 ……クレジットカードまで入ってるじゃないか、持ち逃げしたらどうする気なんだ。


「ただい……な、どうしたっ」
 リビングのドアを開けると床に座り込んだカイリがいた。その目に涙。
 焦って声をかけると、何でもないという風にひらりとかるく手を振られる。
 視線の先はテレビだ。何か古そうな感じのアニメを観ている。
 涙はほろほろと頬を伝い、ラグの上に落ちて、しかしシミを作ることなく、ころりとしたまるい小さな玉がカイリの周囲にころがっていた。
「真珠?」
 近づき、一つをつまみ上げるとほのかに光るそれは真珠のように見えた。
「もう。集中できないでしょ」
 最後の一滴が床に落ちる直前にまた白い玉になる。
「なんだ、これ……今まで、聞きそびれてたけど」
「食い扶持が増えたから、稼がないと」
 そういうことを聞いてるんじゃない。そして養ってくれる気満々なのか、こいつ。おかしい。
「拾った動物は最後まで責任取らないと」
 ペット扱いか。それはともかく、わかってて話を逸らしてないか?
「私、人魚なの。一応」
 普通に脚があるように見えるが、擬態なのだろうか。
 それとも半狐のように人になったり魚になったりというタイプのことか?
「親は普通の人魚なんだけど、たまに外見ほぼ人間みたいな私みたいなのができるんだよ。先祖返りらしいけど」
 欠伸をしながら目をこする。
「人魚の涙は真珠になる。良い小遣い稼ぎ」
 ふわりと笑う姿は美少女なんだが、なんだかな。
 換金目的でアニメ見て泣いて出てきた真珠では微妙にありがたみがないというか。
「とりあえず、飯を作る」
 

 
  ※  ※  ※

「馬鹿なのか、オマエ」
 馴染み客である美少女人魚とその連れを見て反射的に言葉が漏れた。
「何が」
「何がじゃないよ。人と番(つがい)になるなと言われてるからって、半狐選んでどうするよ。余計ややこしくなるだろうが」
 人間と交わってしまった人魚のせいでごくたまに生まれてしまう先祖返り。
 幼体の頃は普通の人魚だが、だんだん足が生え、海で暮らせなくなる。
 その悲劇を減らすため、人魚は人とは交わるなと厳命されている。
 だがらと言って人外なら交わっていいという問題ではない。尾っぽじゃなく、尻尾が生えた子供が生まれたらどうする。
「あぁ。そういう。違う違う。交わらない交わらない。ペットだよ。ムギだよ」
 首をかしげていた美少女はけらけらと否定する。
「ペット、ね」
 一応、頼まれて後見人もどきをしている立場としては、妙なものを飼うのは勘弁してほしいのだが。
「拾ったからにはちゃんと養わないと」
 満面の笑みを浮かべ、カウンターに真珠の入った袋を置く。
 どうもずれてるんだよなぁ、この小娘。
「それはヒモと同義じゃないか?」
「あの、おれはここで仕事を斡旋してもらえると聞いて来たんですが」
 黙っていた半狐が、くたびれた風に口をはさむ。
「別にずっと、うちにいてくれて良いのに。食生活が向上してありがたいし」
「世話になってる間は家事くらいやるが、飯ぐらいは自分で用意できるようになれよ、ほっとくと水分しかとらないんだから、カイリは」
 把握した。ペットでもヒモでもなくて保護者だな、この半狐。割とまっとうに真面目そうだ。
「ムギって言ったか。もう、オマエそのまま小娘の面倒見てやれよ。良いよ、許す」
「面倒見てるのは私だよ」
「いや、おれは自立したいんですが」
 口々に文句を言うな。やかましい。
「じゃあ小娘の家の家政夫でいいだろ、そいつ、それなりに資産あるし、見た目はかわいいし、住み込みで条件は良いだろ」
 まぁ、子どもさえ作らなければ、恋仲になるのも見逃す。めんどくさい。
「いえ、おれにも好みというものがあります」
 真面目くさった顔で、本人を目の前に何を言ってやがる。
「何が不満なの! こんな美少女なのに」
「自分で言うとこ。慎みもないとこ、家事能力がゼロなとこ、抱き枕を強要したうえ、寝ぼけて足蹴にするとこ」
 淡々と言い返されて、小娘は不満気な顔をする。
「だって、モフモフは癒しだし、でも寝てるとちょっと暑くなったりするし」
「ぬいぐるみでも抱いて寝ろって言ってるだろ。男相手に抱き着くとか、慎みや危機感を持てって言ってんだよ」
「ムギ、私のこと好みじゃないって!」
「それ以前の問題だ」
 一体、何を見せられてるんだろうな、これは。
 とりあえず、仲良くやってるのは良く解った。
「ガキども、やかましい。帰れ」


 真珠の清算を済ませ、職場は探しておくと伝えて二人を追い出した。
「面倒なことにならないと良いがねぇ」
 当たり前のように手をつないで帰る後姿に、安堵と溜息がないまぜになってこぼれた。

【終】




Dec. 2020
関連→ 天泣恢々