桜下のささやき




灯里(あかり)ちゃん、春休み、一緒にお花見に行かない?」
 いつものように外のベンチで並んでお昼を食べ終えて、何気ない風に誘う。
 出会って一年弱。
 ほぼ毎日一緒にお昼ご飯を食べているし、友達といってもいいと思う。
 でも、休みの日に二人で出かけることは今までなかった。
 それは灯里に限った話ではなくて、つまり(ひびき)にとって友人をお誘いするということ自体が初めてなわけで。
 実のところものすごく緊張していた。
「あ、えと、無理ならいいの。私が毎年行ってて、だから、ちょっと聞いてみただけで」
 無理強いしたいわけじゃない。
 断りやすいように慌てて付け足すと灯里は困ったようにうつむく。
「行きたい、んだけど……人が多いところだと、迷惑かけちゃうかもしれないから」
「大丈夫。人はあまり来ないところなの。大きな桜の木が一本あるだけで。でも良いところなの、静かで、きれいで……どう、かな」
「響ちゃんが迷惑でないなら、行きたいな」
「うれしい。日にち決めるのはもう少し後でいいかな。せっかくだから満開くらいの時に行きたいし。あぁ、でも天気もあるから、予報が出てからのがいいかな」
 早くに決めすぎて、当日雨で中止とか悲しすぎる。せっかくのお出かけなのに。
「私、春休み特に予定ないから、いつでも良いよ。なんなら前日に決めても大丈夫なくらいかも」
 ふんわりと笑う灯里に響もつられて微笑んで、また連絡すると伝えた。


「ごきげんよう、じゃなくておはよう」
 学内で普通に使っている挨拶は、外ではあまり使われないものだと慌てて言い直す。
「おはよう、だね。私も今、なんて言おうか一瞬悩んじゃった」
 駅から出てきた灯里と顔を見合わせてお互い笑う。
「こっちまで来させて、ごめんね」
 何も考えずに花見の場所を響の家の近くで決めてしまったけれど、灯里の家からだと微妙に距離がある。
「ううん。こっちまで来るの初めてだからちょっと旅気分で新鮮だった」
「だいぶ長閑な感じでしょ」
 背の高い建物はなく、駅前を離れてしまえば、住宅の間に田んぼや畑もあって程よく田舎だ。
「うん。気持ちいい。晴れてよかったね」
 週間天気予報が日ごとにころころ変わってあてに出来ず何度か予定を変更するはめになった。
「うん。朝起きて安心した。行こっか」


「うわ、すごいねぇ」
 駅から歩いて三十分ほどにある小高い丘にポツンと大きな桜の木が一本。
 周囲は畑や田んぼ、大きめの道路はあるけれど、車通りはそれほど多くない静かな場所だ。
「ごめんね。遠くて。でも良かった、ほぼ満開だね」
 まだ少しつぼみの部分は残っているけれど、きれいにピンクだ。
「大丈夫。響ちゃん、荷物多くて重たかったでしょ」
「慣れてるから。それにたぶん、食べるのほぼ私だし」
 重箱に詰められた二人分のお弁当は確かに重かった。
 が、八割がたを胃に収めるのは大食いの響のほうなのだから灯里に持たせるわけにはいかない。
「あれだけ食べて、なんで響ちゃんは太らないのか不思議だよ、私」
「私からしたら、あんな小さなお弁当箱でおなか一杯になる灯里ちゃんのほうが不思議だけど」
 まぁ、灯里だけでなく同級生は大体あんな感じの量だから、響のほうが異色なのは理解している。
 桜の下にレジャーシートを敷いて、靴を脱ぐ。
「……不思議といえば、この場所も不思議、だよね」
 灯里もレジャーシートの上に荷物を降ろして、改めて周囲を見渡す。
「こんなにいい場所なのに、誰もいない」
 灯里が疑問に思うのももっともだと思う。
 駅からは離れているけれど、近くに民家はそれなりあるし、桜が咲いていなくても見晴らしはいいし、散歩にも最適な場所だ、普通なら。
「うん。そうだね」
 今さらながら、ちょっと失敗したと思う。
 自分にとっては当たり前に慣れすぎていて、普通に連れてきてしまったけれど、この場所のことを聞いたら灯里は嫌がるかもしれない。
「ごめん、変なこと言ったね」
 こちらの微妙な表情を読んで、灯里は困ったように笑って、お茶を渡してくれる。
「ありがと。でも、うん。変だって思う灯里ちゃんが正しいんだ。ここはちょっと特殊な場所で……」
「あのね、響ちゃん。無理して話すことないよ。私は静かなほうが嬉しいから、いい場所だなぁって思っただけだから」
 桜を見上げている灯里の表情に嘘はないように見えた。
「えぇとね、どう説明していいのか困ってただけで、言いたくないわけじゃ……灯里ちゃんに気味悪がられるかな、とはちょっと心配なんだけど」
「気味悪いなんて、ないよ。ここ、何も『見え』ないし、ね。お弁当、食べない? おなか、すいちゃった」
 まだお昼には少し早いけれど、言いよどむ響に気を使ってくれたのだろう。それに、確かに少しおなかはすいた。
「うん。そうしよっか」


「うわぁ、すごい」
 持ってきた重箱を広げると、灯里は感嘆の声を上げる。
 響も声こそ挙げなかったが同様の気持ちだった。というか、やりすぎだ。
 うずら卵はひよこになってるし、野菜は一口大に切ったり、型抜きしたものがかわいらしいピックに刺さっている。稲荷ずしのご飯はピンク色で、俵型のおにぎりには海苔で顔が描いてある。
 卵焼きはハート形だし、ハンバーグはクマ型で、ハムで薔薇が作ってある。その他もろもろこまごま、かわいらしい。
「崩すのがもったいない、かわいさだねぇ」
「なんか、ごめん。父がすごく張り切ってたのは知ってたんだけど」
 友達と花見に行くと伝えたら「お弁当作るから!」とうきうきしていた時から計画していたのだろう。
「え。なんで。うれしいよ。響ちゃんのお父さん、料理好きなんだね?」
「たぶん。でも、いつもこんな風なの作ってるわけじゃないよ。……今日のは一緒に出掛けるような友達ができたことに喜んでくれたんだと思う」
 特殊な家業のせいもあって、特別に親しい友人を作れずにいた響が、ただ遊びに行くだけでなく、この桜に誘えるような友人ができたことに安心して、友人になってくれた灯里をもてなす気持ちが暴走したのだろう。
「なら、余計にうれしい。……いただきます」
 響が「食べて」と勧めると、灯里はおにぎりに手を伸ばし、少し眺めてから口にする。
 響もから揚げを頬張り、飲み込んでから息をつく。
「この桜は私の護り樹なんだ」
「護り樹?」
「家業柄、どうしても変なことに遭いやすいでしょう? 古い樹と契約して守護してもらうの」
 少し首をかしげて、静かに受け止めていてくれる灯里に小さく笑ってみせる。
「樹なんだけど、私にとっては家族みたいな感じ。だから、灯里ちゃんを紹介したくて。何も説明せずにつれてきちゃってごめんね」
 嫌なことがあったときや、悩んでいるとき、誰にも言えなくて、ここでただ樹に寄り添ってもらっていた。
 何か答えてもらえるわけではないけれど、この場所があることが大事だった。
 灯里は少し考えるようにして、食べかけだったおにぎりを取り皿の上に置く。
 そして桜の樹に向き直り、正座する。
「視附(みつけ)灯里です。よろしくお願いします」
 深々と頭を下げる灯里の姿に、目の奥がにじむように痛くなる。
 こういうこと、普通はできないと思う。
 馬鹿みたい、と一笑に付されても仕方ないようなことに、当たり前みたいに受け取って、その上礼を尽くしてくれる。
「いいなぁ、灯里ちゃん。大好き」
 思わずこぼれた言葉に、振り返った灯里が目を丸くして、そしてはにかんだ。


 人を害す、人ならざる異形を消す一族でありながら響はそれを見ることができない。
 それでも、そういうものが『居る』ことは知っているし、祓う力も持っている。
 それとは反対に灯里は見ることができるが、対抗するすべを持たない。
 そして灯里は異形を引き寄せる性質を持つ。
 理不尽に怖い目に遭ったこともあるのだから、こんな妙なこと、忌避してもおかしくないのに。
 当初は、異形と同じように灯里のもつ性質に惹かれて近づいたけれど、今はそれ以外の部分のほうがずっと大切になっている。
「あ」
 灯里の視線が揺らぐ。
「どうしたの?」
 特におかしな気配は感じない。
 そして護り樹のある場に異形が入り込むことはないはずだ。でも、絶対ではないかもしれない。
「……ちがう。大丈夫。……なんか、きれいな」
 背にかばうように灯里の前に立つと、服の裾を引かれる。
 灯里は桜の樹のほうを見つめたまま、響のほうを見ない。
「灯里ちゃん?」
 何が見えているのか。
 怖いものではないようだけれど、それが本当に無害なものかどうかはわからない。
 見目をよくして、人を騙す異形だっているだろうから。
「灯里ちゃんっ」
 魅入られたように、動かない灯里の名をもう一度呼ぶ。
「大丈夫だよ」
 樹のほうに向かって深く頭を下げたあと、振り返った灯里はいつもと変わらない、穏やかな笑みを浮かべていた。
「何が、いたの?」
「桜の樹の精霊なのかな、たぶん、そういう感じの。響ちゃんに似てた。やさしく、響ちゃんを見てた」
「……よか、った。あのまま、どこかに行っちゃうかと思った」
 異形を祓うための『笛』はレジャーシートの重し代わりに置いたカバンの奥に入れっぱなしで、それを取るために動いた隙に灯里を捕られそうで怖かった。
 見えないことがこんなにも歯がゆいと思ったのは初めてだ。
「行かないよぉ。でも、ごめんなさい、心配かけて…………おなか、すいたね」
 気が緩んだ響のおなかがくるくると鳴り、灯里が笑いをかみ殺すようにしながら、食べかけのおにぎりに手を伸ばす。
 ごまかすこともできず、響も元の位置に座り、ハート形の卵焼きを一口で頬張った。


「そうだ、クラス替え、一緒になれるといいね」
「え、無理でしょ?」
 空になった重箱を片付けながら口にした響の言葉を灯里は一刀両断する。
「え、なんで!」
「え? だって響ちゃん、特クラスでしょ」
「何それ」
「……成績上位クラスなのかな。特に英語が強い人が集められてるって話だけど」
 何で知らないの、と言わんばかりの灯里の視線に、響は聞いたことないと首を横に振る。
「中学からの持ち上がり組の子が言ってたから嘘じゃないと思うけど……暗黙の了解ってやつなのかなぁ」
 灯里は不思議そうに首をかしげる。
「でも灯里ちゃんが特クラスに」
 はっきりと聞いてはいないけれど、灯里の成績は割といいはずだ。
「私、英語はそこまで良くないんだ」
 最後通牒に響はがっかりと肩を落とす。
 同じクラスになれるかもと楽しみにしていたのに。
「なんか、ごめんね。でも、今までみたいに一緒にお昼食べてくれる?」
 少し照れた風な灯里に大きくうなずいた。
「もちろん。これからもよろしくね」

【終】




Apr. 2022
関連→ ひそかの裏庭