「和沙、何一人でニヤニヤしてんの? 不気味だよ」
メールを打ち終わったらしい友人は携帯をしまいながらこちらを見て呆れ声を出す。
「……あぁ、ゴメン。後ろの男のコたちの会話がさぁ、ものすっごく地元の話題だからなんかね」
小声で答える。
高校生っぽい、他愛のない会話。その中に混じるいくつかの店や場所の名前が、ココから電車で一時間ほどの実家近くの「わかる」場所でおかしいというかうれしいというか、親近感。
「知り合いかもよ? ……ぉっと」
停まる電車の揺れに負けてよろめく。
「まさか。じゃ、夏津」
「んー、またメールするよ」
ひらひら手をふる夏津に見送られて電車を下りた。
「和沙、ちゃん?」
混みあった改札を抜けて一息をついたところで名前を呼ばれ、ふり返る。
が、見知った顔はない。聞き間違いか。軽く肩をすくめて歩き出す。
「和沙ちゃん」
聞き間違いじゃないな、これは。足を止め周りを見渡すと、にこり。無邪気な笑顔の主と目が合う。
「和沙ちゃん、だよね」
同じ歳くらい。背の高い男が人なつっこく笑む。
「……」
誰だろう。見覚えない。声にも覚えがないし。キャッチセールス? それにしては名前知ってるし。
青年の顔を凝視する。
「わかんない? 和沙ちゃん」
ぇえと。……どこかで見覚えがある気がする。そのニコニコした笑顔と、呼び方。
「ちょっと待って、わかる。……知ってる」
こういってる時点で今は忘れてることを暴露しているようなものだけれど。
「ヒントだそうか? 和沙ちゃん」
「いらない。大丈夫」
最近じゃない。こんな呼び方されるの小さな頃だけだし……コドモのころの同級生……じゃなくて……あ。
「景ちゃん?」
思い出す。小さな頃、よく後ろをくっついてきてた。近所に住んでるかわいい弟分。いつごろからかずっと顔を見なくなっていたけど。
「アタリ」
かわらない無邪気な笑顔が返ってきた。
「ほんとに景ちゃん? うわー、びっくり。すごい偶然。一人? どうしたの、今日」
なつかしい。そして目線、見あげなきゃいけないのが変な感じで。
「さっきまで友達と一緒にふらふらしてた。で、和沙ちゃんらしき姿を見て追っかけてきた。さっきの電車で一緒だったんだよ」
もしかしてあの会話の主?
「景ちゃんって今高三だよね。受験じゃないの?」
この時期、ふらふらしてる時間があるのだろうか。
「もう決まった。推薦で」
「すごい、おめでとー」
「ありがとう。ねぇ、どこか聞いて?」
なんというか、弟だなぁ。甘えたというか。
「どこ?」
「西海大」
「あ、知ってたの?」
わざわざ聞いて、なんて言ったのは同じ大学だとわかっていたとしか思えない。
「もちろん」
にっこり。何がもちろんなんだか。
「じゃ、構内で会うかもね」
「構内じゃないとダメ?」
は?
「冬休み、予定ある?」
「……なんで?」
「みんな受験で忙しそうでさ。遊ぼうよ?」
子どもの頃も、そういえばこうやって付いてきてたっけ。
思わずニガワライがもれる。
「いいよ」
「和沙ちゃん?」
電話のむこうからうかがう声。
「ですよ」
「今、大丈夫?」
こういうトコ、かわいいなぁ。
「いいよ、どしたの?」
「あのさ、……二十四日ヒマ?」
おずおずと尋ねられ、ため息をつく。
「言いたくないけど、ヒマ」
「ホントに?」
うれしそうに言うなよ。
「で?」
「和沙ちゃんに会ったこと、かーさんに言ったら会いたいって。で、今年はクリスマスケーキ大きいの買っちゃったから来てもらえって。だから、さ」
どうかな? と続けられ、うなずく。
「うん。おばさんに会うのも久しぶり。迷惑じゃなければおじゃまする」
「迷惑なワケないって。待ってる」
耳元でうれしそうな声。思わず笑みがこぼれる。
「ありがと。じゃ、二十四日に」
「和沙ちゃん、いらっしゃい。キレイになったわねぇ」
玄関を開けた景のかわいらしい母親の言葉に微笑う。
「おばさんこそ。かわらないです。今日はお招きありがとうございます」
招き入れるままに家の中に入る。
「いえいえ。何のお構いも出来ないけどゆっくりしていってね。景ももう戻ってくるから」
「出かけてるんですか?」
「ケーキを取りに行ってるの」
昔とかわらない落ち着いたリビングに通される。なつかしくて、きょろきょろしてると紅茶のカップがテーブルに置かれる。
「はい、どうぞ。じゃ、おばさん出かけるわね。今日はおじさんとクリスマスデートなの」
あとはよろしくね。言い残して、玄関が閉まる音。
「え?」
引きとめる間もなくよそ様のリビングにひとり残され、呆然とする。
なに? どういうこと?
「ただいまー」
軽い足音。
「あ、和沙ちゃん来てる」
ケーキ片手に覗き込む顔。
「来てる、じゃないでしょ、景ちゃん。おばさんが会いたいって言ってたんじゃなかったの?」
「あれ? 会ってない?」
おかしいな、と首を傾げる。わざとらしい。
「会ったけど、出掛けるって」
「なら良いじゃない。かーさんは和沙ちゃんに会いたいって言ってて、和沙ちゃんは会ったんだし。ケーキはほら、この通り大きいのがあるし」
テーブルの上においたケーキは確かに三人家族の景の家にしては大きすぎる。
「何か、おかしくない?」
「そう? ケーキ、食べる?」
軽く人の話を無視してるな?
「食べない。そういう態度なら、もう帰る」
「ヤだ」
ヤダって。あのね。
「じゃ、説明してよ」
「ココまできて、そういうこと言う? 察してくれるとかそういうのはナシ?」
深々とため息をついて隣に座る。ソファが沈む。
「警戒させないように無邪気にふるまいすぎたおれが悪いのか? でも、和沙ちゃん絶対鈍感だよね?」
独り言めいてはいるが確実にこちらのコトを非難している。
「景ちゃん、感じわるい」
「そうじゃなくてさ。何でこうなるかな。……和沙ちゃんのことがスキなんだけど」
……え?
「ずっと、見てた。和沙ちゃんは全然眼中になかったみたいだけど、おれのコト」
真剣な顔。唐突な言葉に頭が働かない。えぇと。
「うそつき」
とりあえず言うと不服そうにこちらを見る。
「なんで?」
「景ちゃんに彼女いたの知ってるし。ずっとなんてありえない」
母親経由で聞いたことがある。
景は苦笑いを浮かべる。
「でもずっと好きだったのは和沙ちゃんだよ」
呆れるよ。そこまで堂々としてると。
「ねぇ、今すぐ好きになってくれなくても良いからさ」
内緒話するように。
こんなときは子どものころと変わらない笑顔。ため息を返事の代わりにはきだした。
いつか、ほだされるんじゃないか。このままじゃ。
Dec. 2005