ゆうばれの朝



 ※ ※ ※

 傘を開いて駅を出る。
 いつも通りの通学路を歩き出すと、数メートル先に仲良くしてくれているクラスメイトの背中を見つける。
 傘を寄せ合い楽しそうに会話する二人の歩きは遅くて、他の人たちは少し邪魔そうにしながら追い越していく。
 このまま行けば自分もすぐに追いついてしまうことは目に見えていて、それを避けるために手近な路地に入る。
「ふぅ」
 抜けた先は古めの家が並ぶ住宅街で、さっきまでの喧騒がウソのようにひと気もない。
 ぱらぱらと傘に跳ねる雨の音を聞きながら、もう一度、大きく息をつく。
 別に話をしたくないとか、顔を合わせたくないとかじゃない。
 二人はやさしいし、良い人たちだ。
 教室に着けばたぶんお互いに笑って挨拶を交わすし、昨夜のドラマの話や、課題の話だってする。
 ただ、二人は小学校からの仲らしく、間に入るとどうしてもジャマしている、気を遣わせているという感覚が生まれてしまうのが厄介だった。
「こっちのが静かで良いな」
 傘の中、小さく声に出す。
 いつもの道は登校時間だとどうしても混み合うし、賑やかすぎる。
 焦ってる人や、のんびり歩く人の、ばらばらな歩調に翻弄されての登校は結構くたびれる。
 こちらの通りはきちんとした歩道はないものの、車通りもほとんどなく自分のペースで歩けた。
 民家の庭先の花を楽しみながらも、あまりのひと気のなさに、なんだか不安になる。
 ざわめきや車の音はかすかに届くけれど、遠くに感じて歩を速める。
「っわ」
 次の角で曲がって大通りに出ようかと顔を上げた瞬間、視界に入った人影に思わず声を上げると同時に足が止まる。
 電柱に隠れるように佇んでいたのは、同年代の女の子。
 幸い叫び声は聞こえなかったのか、彼女は視線を落としたままだったので、そそくさとそのわきを通り過ぎる。
 予定より一本先の路地から元の通りに戻ると、一気ににぎやかな空気に包まれる。
「なに、してたんだろ」
 なんだか気になって、見えるはずもないのに、今来た路地を振り返った。


 * * *

「何が見えるの?」
 唐突に掛けられた声に、滲みかけていたものを袖口で拭い振り返る。
 立っていたのは声と同様に優しげな雰囲気の男の人だった。
「何、って」
 ごく普通の景色だ。夕焼けは少しキレイだけれど、ありふれた、代わり映えのしない、決して都会とは言えない街並み。
 答えにまごついていると、その人は気にした様子もなく横に来てフェンスの上から辺りを見渡す。
「良い町だね」
 そんな言い方をするということは、この辺の人じゃないんだろうか。
「特に何もない、ですけど」
 普段だったら、見ず知らずの人にこんな風に話せたりしないのに、なんとなく話したくなった。話しかけやすい雰囲気があった。
「私、引っ越すことになって。まだもうちょっと先の話なんですけど」
 隣に並んで、フェンス越しに生まれ育った町を見下ろす。
「あそこが中学校で、向こうにある高校を受験するつもりだったのに。友達とも約束して、一緒に頑張ろうねって」
 夏期講習にも通って、模試の結果に一喜一憂して。
「全部ダメになっちゃった」
 言葉と一緒になって零れ落ちそうになったものを止めるために空を仰いだつもりが、背の高いその人とまともに目を合わせる羽目になる。
「そっか。それは寂しいね」
 新しい友達ができるよとか、ダメとか言うなとか、そういうことばかり聞いてきた中で、その言葉がすごく胸に落ちて、我慢していたものがぱたぱたと零れ落ちた。
「私、そんな器用じゃないのに。仲良くなるの、そんな簡単じゃないし、大事なのに」
 どうしようもないことは分かっているけれど、納得しきれていないまま、勝手に話は進んでいって、気持ちが追い付けない。
「そうだよね。難しいよね」
 それはこちらにおもねっているとかではなくて。その人自身にも思い当たることがあるような口ぶりで、なんだかほっとする。
「私、がんばれるかなぁ」
 頑張れ、なんて無責任に言われるの好きじゃないけど、この人になら。
「そうだね。じゃあ、キミの行く先がすこしでも良いものであれますように」
 コートのポケットから取り出した小さな小さな封筒を手渡された。


 * * *

 秋の雨は冷たい。
 あの人に貰った小さな封筒を手に小さな十字路に立つ。
「お守りっていうか、おまじない、かな」
 今思い出しても、胡散臭いというか、子供だましな言葉だった。ただ、声は真面目で優しくて、信じてみたくなった。
 ――四つ辻には人が行き交い。雨は境界をあいまいにする。お守りの封筒を持って立てば、きっと良い方向に進める。
 たぶん、きっと気休めだ。
 立体駐車場の屋上なんかでフェンスにしがみつくようにしていた自分を見て、自殺志願者と勘違いしたのかもしれないし、そうでなくても凹んでいる中学生を放っておけなかったのだろう。見るからに優しそうな人だったから。
 わかっていたけれど、試してみても別に損があるわけじゃないし、少しでも前を向くきっかけにしたかった。
 だから雨の度に封筒を手に、十字路に立った。
 特に、何も起こらなかったけれど。


 ※ ※ ※

 あれ以来、裏道を良く通るようになった。
 駅を出る前に友人に会ってしまえば普通に表通りを一緒に通学するけれど、それを少し残念に思う程度には一人で静かな道を歩くのは落ち着いた。
 そして度々あの女の子も見かけた。
 特に何をするでもなく、傘の下でうつむくように立っていた。
「そういえば、雨の日ばっかりだな」
 程なく梅雨入りしたせいで雨の日が多く、気が付かなかったけれど、晴れた日には見かけない。
 普段は自転車通学とかで登校時間が違うとかだろうか。この辺ではあまり見かけない制服だけれど。
 なんとなく気になりつつも、相手は通り過ぎる自分を気にすることもなく、ただすれ違うだけだった。


「何してるの?」
 その日は病院に行ったせいで、いつもよりずいぶん遅い時間の登校だった。
 いつもの癖で裏通りを通り抜けると、いつもの場所で傘をさした彼女の後姿。
 そろそろ三時間目が始まるくらいの時間なのに、特に焦った様子もなく普通に立っているのはさすがに不思議で、思わず声をかけた。
 彼女はびっくりしたように振り返る。
「え?」
 

 * * *

「驚かせてごめんね。ちょっと気になって」
 きれいな空色の傘をさしていたその人は、なんだかすごく申し訳なさそうな表情で、自分は病院帰りだということと、良く見かけるから気になってと続けた。
 私は簡単におまじないの話を説明する。
「私も友達作るのニガテだから、そういうのわかるよ」
 通りすがりに話しかけて来るような人だったから信じられなくてまじまじと見つめてしまう。
「普段、こんな風に声をかけたりできないし、自分でもびっくりなんだけどね」
 困り顔で笑うのがなんだかおかしくて、つられて笑う。
「私、そろそろ行かないと。またね」
 腕時計を見て、ちょっと慌てたように言うと、その人は小さく手を振って行ってしまう。
 私のことを良く見かけると言っていたけれど、この辺では見ない制服の人だった。
 病院帰りと言っていたから、この辺りの病院に良く来ているということなのか。
「なんか、不思議」
 なんとなくおまじない効果のような気がして、ちょっと気分があがり、手元の封筒をいつも以上に大事に鞄にしまいこむ。
そして足元に落ちている小さなものに気が付いた。
「校章?」
 丸い縁に沿って『央』の文字がデザインされている。
「さっきの人のかな」
 制服と同じく見覚えのない形で、近辺に『央』がつく学校も覚えがない。
「やっぱり不思議」
 なくさないようにハンカチに包んで、かばんにしまう。
 良く見かける、と言ってくれていたし、きっとまた会えるだろう。


 * * *

「おはよう。また会ったね」
 来るだろう方向を見ていたので、ちょっと前から、あの人が来るってわかってた。
 それでも、にこやかに声をかけてきてくれたのが、嬉しくて。
「こんにちはっ。あの、今日は、待ってたんです」
 持っていた校章を差し出す。
「あなたのじゃ、ないですか?」
「そう。ありがとう。どこにやったんだろうって思ってたんだ」
 買いなおさずに済んだー、助かった。とのんびり笑う。
「あの、央西高校なんですか?」
 引っ越し先の央西市と同じ文字が使われていて、気になって調べた。
「ん。そうだよ」
 我ながらちょっと、ストーカーっぽいというか、キモチ悪いよな、ドン引きされるかなとか心配していたのだけれど、特に気にした風もなくあっさりと頷かれる。
「あの。私、高校、迷ってて。まだ、決めてなかったんですけど。あの、同じところ行ってもいいですか」
 当然学年も違ってしまうけど、少しでも知ってる人がいるのは心強いというか。
「まだ二回しか会ってないのに、知り合いとか言うのアレですけど、あの、別に頼ろうとかじゃなくて、いてくれるだけで、励みになるっていうか、勝手に安心するっていうか、頑張れるっていうか」
 言い出したら、こっちのがよっぽどドン引き事項だった。わたわたと言い訳する私にくすくすと笑い声がとどく。
「うん。待ってる」

 
 ※ ※ ※

「頑張らないとなぁ」
 必死になって言い募っていた彼女を思い出し、傘の下、一人微笑む。
 たぶん、言っていたことは本当で、こちらに何か期待してるとかではないだろう。
 でも、約一年後、校内で再会した時に、俯いてる自分を見せたくないと思う。
「おはよう。梢ちゃん。何か良いことあったの?」
 下駄箱で顔を合わせたクラスメイトの言葉に、顔に出ていたのかと苦笑する。
「うん。落とした校章を拾って、返すために待っててくれてた子がいてね。うれしくて」
 今までなら曖昧に濁していたけれど、きちんと話す。
「良かったね。見つかったのもだけど、わざわざ持っててくれるのも嬉しいよね」
「校章とかなくすの地味に凹むからうれしさ倍増だよねー」
 二人は中学の時に失くしたハンカチの話をし出したけれど、一緒に教室に向かった。
 疎外感はゼロじゃないけれど、少し、マシになった気がした。


 * * *

「いない」
 引っ越し準備が重なる慌ただしい中、首尾よく央西高校に合格。
 頼るつもりはないけれど、「入学しました」の挨拶くらいはしたくて二年・三年生の教室をこそこそとのぞいて回る日々は撃沈つづきだった。
「亜子ー、まだ恩人見つからないの?」
 あの人を心配させたくなくて、頑張ったせいか、運が良かったのか、クラスに仲の良い友達もできた。
「そう。名前くらい聞いておくべきだったよ」
 顔を覚えているだけでは、誰かに尋ねることも出来ない。
「ま、地道にがんばれ。私は部活に行くよー」
「いってらっしゃい。私は帰る。雨降りそうだし」
 降水確率二〇%とか言ってたくせに、どんよりと黒い雲が広がっている。
 傘を持ってこなかったから、降り出す前に家にたどり着きたい。
「って、もう降ってるしー」
 靴を履きかえ、外に出るとすでにぽつぽつと地面に染みが出来ている。
 いやでも、このくらいの降りなら傘をさすほどではないし、それほど濡れずに帰れるはず。
 まぁ、そんな風にうまいこと行くはずもなく、だんだん強くなる雨足に合わせて、早歩きから小走りにスピードを上げ、校門を抜ける。
「あ」
 視界の端に映った空色に、足を止める。
 少し先に、見覚えのある傘の色。
 どきどきしながら、そっと追い越し、視線だけで横顔を盗み見る。
「やっぱり」
 立ち止まって、しっかり振り返ると、怪訝そうな表情のあの人と目があう。
「え? なんで?」
 私だと気付いたらしいあの人は、目を真ん丸にしながらも、空色の傘をさしかけてくれた。


 ※ ※ ※

 彼女がうちの高校に入ってくるのは来年の四月のはずで、でも目の前の彼女は確かにうちの制服を着ていて。
「なんでって、央西受けるって、言ったじゃないですか。無事、合格しましたよー。先輩のクラス、見つけられなかったから、偶然会えてよかったです」
 にこにこと彼女は一緒の傘の中で笑う。
「……えぇと、良くわからないんだけど、転入ってこと?」
「ちがいますよ。普通に新入生」
「だって、最後にあったのって二週間くらい前でしょ、六月初めくらいで」
 新入生なら、あの時すでにうちの制服を着ていないとおかしい。
「違いますよ。十一月です。じゃないと、願書間に合わないし」
 全然かみ合わないまま二人で顔を見合わせる。
「なんか、良くわからないですけど、とりあえず先輩に会えて良かったです、いろいろと」
「えぇとね、先輩じゃないよ。私も一年だし」
 本当にさっぱり意味がわからないけれど。
 とにかく現実にこうして顔を合わせることができて。
「私も会えてうれしいよ」
 目を瞬かせている彼女に笑顔を向けた。


 * * *

「そういえば」
「ん?」
 他の人の通行に邪魔にならないよう隅に寄って立ち止まる。
「あのおまじないの封筒、願いが叶ったら開けてねって言われてたんだった」
 かばんから封筒を取り出す。
 実際あの人の言った通り、良いほうに進んだ。
 不思議な、でもうれしい出会いがあった。
 十分に効果があった。
「何が書いてあるのかな?」
 中に入っていた白い四つ折りの便箋を二人でどきどきしながら開く。
「白紙?」
 呟きと同時に、風にあおられたかのように便箋が舞い上がる。
 慌てて手を伸ばしたその先で、便箋は鳥へと形を変える。
「え?」
「なに?」
 白い小鳥はいつの間にか雨が止んだ空に飛び去り、すぐに見えなくなった。
「ただの紙だったよね?」
 呆然と二人で顔を見合わせる。
 ただの気休めだと思っていたけれど、本物だったのかもしれない。
 


 ◇ ◇ ◇

飛んできた白い鳥に手を伸ばす。
「うまく出会えたみたいだね」
 あのままではどんどん沈んで行ってしまいそうだった。
 命にかかわるわけではなくても、気付いてしまっては放っておけなくて、ほんの少し手を貸した。
 それでも彼女自身が踏み出さなければ、何の意味もなかったことで。
「良かった」
 ただのおせっかいだし、自己満足だったけれど、笑っていられるなら、意味があったと安堵する。
 雲間から差し込んだ陽光に紙の鳥がほどけて消えた。

【終】




Jul. 2017