強い視線。
凛とした横顔。
そのせいか、一瞬見誤った。
生きているのかと。
「うちに何か用?」
本当のことを言えば、私のことを見ていたような気がしたのだけれど、とりあえず無難な問いかけにした。
私に何か用ですか? なんて、自意識過剰っぽいし。ちょっと、けっこうかっこいい人だったから、余計に。
突然かけた声に驚いたのか、自分よりいくつか年長に見える青年はちょっと困ったような笑みを浮かべた。
「そういうわけじゃ、ないんだけどね。こちらに奉職してるの?」
私が巫女装束を着ているからだろう。
朱塗りの鳥居を見上げて青年は尋ねる。
穏やかでやわらかな口調。その話し方が、どことなく父に似ていて気が緩む。
「違うよ。私まだ高校生だったし。お父さんが神主なの」
やっていたのはお手伝い程度だ。
「帰らないの?」
「帰れないよ」
かけられた言葉がすごくやさしく聞こえて、思わず応える。
青年は続きを待つようにしずかにこちらを見つめていた。
「だって、私、幽霊だから」
「うん。でも、関係ないでしょ。帰りたければ帰れば良いんだよ?」
突拍子もないことを言ったつもりなのに、青年があっさりうなずいたことに、逆に驚いた。
初めから幽霊だってわかっていて、話してたんだろうか。
「普通の家ならそうかもしれないけど、うちは神社だもん」
ちょっと特殊だと思う。
うちであると同時に、この鳥居の向こうは神様の住まいだから。
「神社だとダメなの?」
淡々と尋ねる声に頷く。
「うん。神社は神域だから。不浄なものは入れないんだよ」
「そっか。……でも、帰りたくない?」
「っあったりまえでしょ。帰りたいよ。決まってるじゃない」
大好きだった。
毎日石段上り下りするの面倒だったけど、のぼりきったあと振り返れば、見晴らしがすごく良かった。
境内の掃除だって、面倒だなって思うときもあったけど、掃き清めたあとは、清々しかった。
寡黙だけど優しいお父さんも、口やかましいけど料理上手なお母さんも、大好きだった。
一緒に暮らすのはもうムリだけど、もう一度会いたい。あいたい。
「ごめん」
少しかがんで、目線を合わせるようにして謝った青年の表情がなんだかすごく哀しそうに見えて、あわてて涙を拭う。
「ううん。違う。ただの八つ当たり」
毎日、見上げてるだけだった。
通り過ぎる人は、誰も気付いてくれなかった。
さみしくて、それでも離れ難くて。
だから、話しかけて、応えてもらえたのが、本当はすごくうれしかった。
「やさしいね」
言ったその顔も、少しさみしそうに見えたけど、すぐに微笑ったから気のせいだったかもしれない。
「ぼくと手を繋げば家に帰れるよ、っていったらどうする?」
差し出された大きな手を思いっきりつかむ。
「ホントに? 行く。行きたい」
「じゃ、行こうか」
青年は私の手をやさしく握り返した。
鳥居の前で一礼する。
参道の端を歩く。
神社で育った私にとっては当り前のことだけど、こういう若い人で知ってる人はあんまりいない気がする。実際、同級生とかが来てもきちんと出来てる子、いなかったし。
「良く、神社とか来るの?」
手水舎できちんと手と口をすすぐ青年に尋ねると、少し困った顔をした。
「あんまり。なんで?」
「なんか、ちゃんと知ってるから」
「……ここまで来たらもう手を放しても大丈夫だよ。ぼくはそこにいるから、ゆっくり見ておいでよ」
手を洗う間、青年のひじをつかんでいた私の手をそっとはずし、手水舎の脇にあるベンチに腰かける。
「う、ん。じゃ、いってくる、ね」
久しぶりに帰って来た境内は、相変わらず落ち葉ひとつなく整えられていて、やっぱりすごくなつかしいのに、なんだかすごく心細い気がした。
「ねぇ、私どうしたら良いのかな?」
陽がおち、夕焼けが紺色の空に変わる頃、ベンチのところへ戻ってきた少女が心細そうに呟く。
「そうだね」
「私、帰って来れたけど、もう戻れないんだね、やっぱり」
「……ごめんね」
諦めきれていなかった言葉に、ただ謝ることしかできない。
「あのね、実は神様なのかなって思ったの。それか神様のお使い」
今にも泣き出しそうな顔で、それでも何とか少女は微笑みを浮かべた。
「ぼくが?」
「そう。だって、神域なのに幽霊連れて入れるし、やさしいし、きれいだし……。でも、ダメなんだね。神様でも元には戻せない」
覚悟したような少女の声に、立ち上がり手をのばす。
「ぼくは、ただの人間だし、やさしくも、きれいでもないよ」
親切心ではなく、完全に少女を消すために近付いただけ。
「そんなことないよ。うれしかった。もう一度、帰って来れて」
抱き寄せた少女はその言葉を最後に、かき消えた。
「ごめんね」
自己満足でしかない謝罪の声は誰にも届かないまま、風に紛れた。
Jan. 2012
関連→連作【幽想寂日】