雪神



 タスケテタスケテタスケテ。
 降る花片と散る淡雪に紛れて届くささやかな音。
 聞く者のいないはずのその声をおとさず受け取ったただ一人は白い息をはく。
「さて、どうしようか」


「さっぶぃー。コーヒー頂戴、コーヒー」
 暗闇にぽつんと灯る装飾の少ない箱型の建物のドアを開け店員にたのむ。
 カウンターの中から愛想のかけらもない冷ややかな視線がむけられる。
「うちは喫茶店じゃないんだが」
 視線と同じくらい冷たい声音。
 知ってますよ、ここがコンビニだってコトは。ただ店員用にいれてあるコーヒーを分けてもらえないかなと思っただけで。仕方ない缶コーヒーでも買うか。
「章(あや)、そんな心無いこと言うんじゃないよ。こんな天気の中わざわざ尋ねてきてくれた親友に」
 人好きのする笑顔を浮かべてもう一人の店員がマグカップを持って出てくる。とは言っても章の使鬼であって人間ではない。見た目は全然問題なく同年代の男なのだけれど。
「おまたせー。リクエストどおりのコーヒーです」
 そのコーヒーを受け取って、口をつける前に大きく落胆のため息をつく。
「なんでアイスだよ。この天候で」
 外は季節はずれまくりの雪。当然寒い。欲しかったのはホットコーヒーであって、氷たっぷりうかんだアイスコーヒーではない、断じて。
「さむいコーヒーが欲しいっていったの鷹間(たかま)だろー」
 すねたような口調。
「なんだよ、寒いコーヒーって。日本語おかしいだろ。それ言うなら冷たいコーヒーだし。おれは『さむい』『コーヒー頂戴』別々の言葉……おい、一人我関せずでいないで何とか言ってやってくれよ、章。飼い主だろ、お前」
 章はめんどくさそうに読んでいた本から顔をあげる。
「うちでコーヒーを頼む鷹間が悪い。おまけに昊(こう)が人をおちょくるのを趣味にしてるのわかってるんだからそのことで文句をいわれても困る」
 それだけ言うと再び本に目を戻す。友達甲斐のないやつだ。
「昊、とりあえずそのコーヒーはカンベンしてくれ」
 入ってきたときより多少はマシだとはいえまだ身体は冷えている。
 仕方なしにレジ前に置かれた保温器のなかから缶コーヒーをとりだす。
「会計してください、店員さん」
「一二〇円。何しに来たわけ?」
 仕方なさそうに章は本を閉じてレジを打つ。
「別にー。遊びに来ちゃダメなわけ?」
「比較的迷惑」
 簡潔な言葉がコーヒーと一緒に渡される。
「おい、昊。オマエのご主人ずいぶんじゃないか?」
 イートインコーナーに座り、こそと苦言をはく。言われた使い魔は苦笑いする。
「こんな寒い中きて、風邪でも引いたら大変だろって言ってるんだよ、章は」
 どんな変換したらそうなるんだ? 信じていない視線を向けると昊は肩をすくめる。
「ま、それはともかく。本当はなにか用があってきたんだろ?」
 向かいに座り、自分のいれてきたアイスコーヒーに口をつけながら言う。見てるだけで寒くなりそうだ。
「用っていうかさ、相談っていうか。声が聞こえたんだよね。『タスケテタスケテ』ってさ」
「おい。面倒ごとを持ち込むなら金払えよ」
 拝み屋めいたことをやることもある章は嫌そうに口を挟む。
 守銭奴め。まぁ、学費以外は全て自分でまかなっているのだから仕方ないとは思うが。
 たすけを求めるように昊を見る。
「んー。鷹間が聞き取れたなら悪いものじゃないから放っておいてもいいんじゃない?」
 かるい声。あー、そうなんだけどさ。そういう返答が欲しかったんじゃないんだが。
「『良いもの』がタスケテって言ってるから余計に放っておけない感じがするんだけど」
「ま、確かに。どこで聞いたんだ?」
「学校のそば。裏門でて西に行くと小さな公園あるだろ。あの横通り過ぎたときにさ。一応あたり見回してみたけど見つけられなかった」
 そういうものを見る目には恵まれていないのだ、残念ながら。ただたまに聞こえないはずの声が聞こえるだけ。それも悪意のないもの限定で。
「『天承』は『神』の声聞くのが仕事だからねぇ。高貴な方の姿を見るのは普通ご法度だし。章、どうする?」
「行けばいいんだろ?」
 憮然とした声。
「だってさ。良かったな、鷹間」
 話の展開についていけない。変な関係だよな、この二人。どっちが主でどっちが従なんだか。
「わるいな、章」
「しょうがないからな」
 感謝の意をこめて言うと深々とため息まじりの声が返ってきた。


「しっかし、なんでこの季節に雪が降るかな」
 桜も満開を通りこして散り始めている。そんな時季に。天気予報では何十年ぶりかとか言っていた異常気象。
 そろそろ夜明けを迎える時間帯ではあるけれど空はまだ暗いままで細かい雪を降らせている。
「だからお前が聞いたんだろ」
 トレーナー一枚のひどく寒そうな格好で隣を歩く章が言う。
「意味わかんないんだけど」
「声の主がこの雪の原因だってコト。まぁ、推測だけどね」
 根本的に言葉が足りない章の説明に昊が補足をしてくれる。
 わかったような、わからないような。だいたい雪を降らせるようなものが何をタスケテほしいんだか。
「鷹間、ここ?」
 公園の前で立ち止まる。
「そ。……聞こえない?」
 タスケテタスケテタスケテ……。間断なく細い声。
「ダメだな。昊は?」
 目を伏せ、耳を澄ましていた様子の章は首を横に振る。
「ここで俺が聞いちゃったら『天承』の立場ないだろ」
 からかうようにも聞こえる口調。ニガワライでそれに応える。立場も何も役に立たない力だ。
「どっちの方から聞こえる?」
 章の声により耳を澄ます。……よくわからない。が、なんとなくひかれる方へ向かう。
 公園の中。端にある満開の桜の樹に近づく。先ほどよりは声がちかい気がする。
「多分、この辺?」
 足音を消してついてきた二人に指し示す。
「見えるか?」
 目を凝らすように指したあたりを見ながら章が昊に尋ねる。
「何かいるのはわかるけど、はっきりとはダメだね。ちいさすぎる」
「しょうがないか」
 呟くと章は小さく手をたたく。ぱんと乾いた音が夜にひびく。
「《迷いしモノ、姿を現し給え》」
 吐息のような声と同時に小さな明かりが燈る。反射するクモの巣の中央に捕らわれた小さな生き物。
「めずらしい。雪花蝶じゃないか」
 相変わらずタスケテタスケテタスケテと囁く声は続く。淡いひかりを発しているその声のもとは昊の言葉通り確かに蝶に似ていた。
「雪花蝶?」
 説明を促すように章がたずねる。
「精霊になるんだろうな。もともとはもっと寒いところ……街中よりは山間部の基本的に空気がキレイなところに棲んでいるんだと思う。おれも大昔に一回見たきりだし……風で流されてきたのか、山から降りてきた人間にくっついてきたのか」
 雪の結晶がいくつも重なったような模様の透けた翅の部分をつまむ。
「ほら、いきな」
 空に向かって昊は手をのばす。ひらひらと雪花蝶は上空を旋回しそして高い方へとびさっていく。助けを求めるささやきが消え、淡い光が薄暗闇に消えていくのを見送る。
「っくしゅん」
 なにやらかわいらしいくしゃみが静寂を破る。
「余韻だいなし」
 けらけらと昊が笑う。おい。主人が風邪引いたかもなのにその態度はどうなんだ?
「なんでそんな薄着なんだよ」
 確かに最近は暖かかったけれど、昨日家を出る時点では雪も降って寒かったはずだ。
「冬物はクリーニングに出したんだよ」
 ぶるっと身体を震わせて章はしかめ面で言う。
「さっさと引き取っとかないから」
「鷹間、ちがう。章はちゃんと引き取ってきてるけど着てこなかったの。もう一回クリーニングに出すのもったいなくて。節約根性。風邪引いたら意味ないのにねー」
「……帰る」
 言い返す気力もないのか章はさっさと歩き出す。
「ありがとーな、章」
 なんだかんだ言って付き合いのいい友人の背中に声をかける。
「じゃ、またねー、鷹間」
 後を追っていく昊に声をかけられてかるく笑みを返す。
 雪花蝶がとびさった空をもう一度みあげ、降る雪が少なくなっているのに気がつく。
「ばいばい」
 呟いて今はもう声は聞こえない場所をあとにした。

【終】




Apr. 2007
関連→連作【神鬼】