夕暮れのまほう



「ジュース一本で買収とか安すぎー、受験生こき使うなんてひどすぎー」
 誰もいない特別教室棟の窓閉めチェックを言いつけられた鬱憤を、でたらめな節をつけて歌いつつ各教室を見て回る。
「教師怠慢ー、給料泥棒ー、おれ勤勉ー、働き者ー、めざせ内申アップー」
 最上階の廊下を引き続き、たらたらと歩く。
 四階は使われることのなくなった部屋ばかりで、窓が開いている可能性は低い。
 ほぼ物置と化した教室のドアを開けると、よどんだ空気が漏れてくる。
 ざっと視線を走らせ、カギがかかっているのを確認して、次の教室へ。
「こーれで最後。やっと解放ー。報酬もらって、一目散ー、帰ってゲーム三昧ー、してる場合じゃないけれどー」
 開いていたドアから教室内を覗く。
 ふわりとかすかな風。
 西日差し込む窓際に人影。
「あ」
 思わず口を自分の手でふさぐ。
 阿呆な歌、聞かれたか?
 くす、と小さく笑った気配がした。
 やっぱ、聞かれてたか。
 だからと言って、なんか言い訳するのも違うし、とりあえず平然を装うしかない。
「あの、下校時刻だから、カギ、閉めたいんだけど」
「ごめんなさい、三矢くん」
 窓を閉めた女子は振り返って謝る。
「……」
 肩をちょっと越したくらいの長さのまっすぐな髪。大きな目。
 背は高くはないけど、そんなに低くもない。
 なんていうか、ちょっと結構かわいい。
 上履きの色は青だから同じ学年のはずだけど、見覚えがない。
 女子の方はこっちのこと知っているのに、不覚じゃないか。もったいない。
「クラスメイトなのに顔も覚えていてもらえないって、ちょっとさみしいね。確かに私、地味で目立たないけど」
 怒ってるとか、悲しんでるとかではなく、どちらかというと面白がっているような声。
「……クラスメイト? 五組?」
 いやいやいや、いくらなんでもクラス替えから五か月も経ってるのだから、同じクラスの人間の顔と名前が一致できている。が、この女子は顔すら見覚えがない。
 ぶっちゃけ、好みのタイプの顔立ちだ。実際同じクラスなら一番に覚えていてもおかしくない。
 不審そうな視線を感じたのだろう。
 女子はちょっと困ったような笑みを浮かべて名乗った。
「嘘じゃないよ。同じクラスの大賀です」


 クラスメイトの大賀といえば、自称通り、地味で目立たないタイプだ。
 だからと言って大人しすぎるわけでもない。授業中指されればきちんと答えてるし、ホントに良くも悪くも普通。
 見た目も特に目を引くところもなく、十人並だ。
 もちろん、おれが他人の容姿をどうこう言える見た目じゃないことは自覚してるし、その辺は棚上げしておく。
「まさか名前も覚えてもらえてないとか、そんな感じ?」
「まさか!」
 困ったような顔をしている自称大賀にあわてて否定するとほっとしたように笑う。
 やばい。かわいい。
 かわいいが、かわいいからこそ、違う。
「あのさ、おれの知ってる大賀と違うんだけど」
 おそるおそる告げると、自称大賀は思い切り眉をひそめる。
「何を言っているかよくわからないんだけど?」
 とぼけている風ではなく、本気で困惑している。
 うーん。なんだろう。この違和感。
「良くわからないけど、とりあえず鍵チェックして先生に報告行かないと、なんだよね?」
 そうだった。
 職員室行けば担任も居る。
「大賀も付き合ってよ」
 断られるだろうと思ってた。
 どう見ても『大賀』ではないし、おれ一人はどうにか誤魔化せても、先生に見られれば、生徒でないことがばれてしまう。
「別に良いけど?」
 多少不思議そうにしながらも、自称大賀はあっさり頷く。
「へ? 良いの?」
「なんでそんな驚くの? 三矢くん、今日ちょっと変だよ」
 おれが変なのか?
 大賀が鞄をもって廊下に出る間に鍵の確認をして、ならんで階段を下りる。
 なんとなく無言で、でも居心地悪くなくて、それがなんだか不思議だった。
 自称クラスメイトとはいえ、キモチ的にはほぼ初対面なのに。
「せんせー。渡せんー、カギ見てきたー」
 職員室のドアを開け、奥の席の担任を呼ぶ。
「渡辺先生、カギの確認終了しました、だ。バカモノ」
「受験生に仕事を押し付けて文句を言うなよー。ってことで、ジュース」
「はいはい。ごくろーさん。他の奴に言いふらすなよ。って、大賀も一緒だったのか」
 ドアの陰にいた自称大賀に担任はあっさり声をかける。
 ……やっぱり本物の大賀なのか?
「じゃ、口止め料で二人分。寄り道せずにさっさと帰れよ」
 二百円を寄越して、担任はさっさと席に戻る。
 一体、どういうことなんだよ。


「はい、大賀」
 一人百円だと、コンビニでジュースは買えないので昇降口にある自販機に立ち寄る。
 紙パックのジュースしかないので、炭酸とかはもちろんなく、残念な品ぞろえだ。
 校則じゃ寄り道は不可ってことになっているから、余分にお金もらえててもコンビニには寄れないし、仕方ないということにしておく。
「ありがとう」
 渡した百円を嬉しそうに受け取る顔がかわいくて、ちょっと視線をそらす。
 やっぱり、別人な気がするんだよなぁ。
 でも、担任はあっさり「大賀」と呼んだし。
「おれが奢るわけじゃないけど」
「三矢くんが仕事したお礼の分け前だから、おごってもらったと同じだよ」
 にこにこと「ありがとう」をもう一度言ってオレンジジュースを買う大賀に続いて、コーヒー牛乳のボタンを押す。
「そういえば大賀はあんなとこで何やってたんだ?」
 第二音楽室とは名がついているものの、授業で使われたためしはない。
 クラス全員が入るには狭い部屋だから、授業で使うことは想定していないのかもしれないけれど。
「んー。息抜き、かな」
 本当なのかウソなのかはわからないけれど、細かいところまで話したくないようにみえた。
「三矢くんは? 夏期講習、午前中だけだよね?」
「あー。推薦用の小論文指導受けてた」
 推薦が使えるっていうと「ずるい」とか言い出す奴がいるから、なんとなく後ろめたくて、答え方も歯切れが悪くなる。
「そうなんだ。すごいね、推薦枠とれるって。でも小論文とか、大変そう。私、文章書くのニガテだし」
 眉を寄せて、難しい顔をする。
 なんか、ほっとする反応だ。
「おれもニガテだよー。一回目に出したのがあまりにひどくて個人指導だよ」
「そうなの? だから解放されるとか歌ってたの?」
 思い出したように、大賀はくすくすと笑う。
 うわ。まじか。結構まともに聞かれてたんじゃないか。
「わ、忘れてくれ」
 恥ずかしすぎる。顔が熱い。
 残りわずかになったコーヒー牛乳をずるずると飲み干す。
「えー。わかった。三矢くんはゲーム好きなの?」
 わかってないだろ、それ。完全に歌の内容から拾い出してるし。
 もうほんと、勘弁してほしい。
 隣を歩く大賀をみると、特に他意はなかったようで、自分のやってるゲームのタイトルをあげたりしてる。
 他愛ない話をしながら並んで歩いていた大賀が足を止める。
「あ、私こっちだから。じゃあ、また明日ね」
 手を振りかえして、別れる。
 明日ってことは、やっぱり今の大賀はホントの大賀、ってことなのか?
 さっぱりだ。


「なぁ、あれ、誰かわかるか?」
 教室の真ん中あたりの席に座る女子をそっと指さし、友人にこそこそと尋ねる。
「? 大賀だろ? 何、三矢、ボケ?」
「いや、そうだよな」
 昨日と同じ大賀が、そこにはいて曖昧に頷きつつ、疑問を続ける。
「あんな、顔だっけ?」
 昨日、音楽室で見た時よりは、少し大人しげに見えるけれど、でも今までの大賀とはやっぱり違うように見える。
「あんなでしょ。……いや、普段そんなまじまじとは見ないけど、去年も同じクラスだったし、あんな感じだったぞ?」
 不審そうにしていることに気が付いたのか、念を押すように付け加えられた。
「だよなー」
 担任だって普通に大賀って呼んでたし、常識的に考えて、クラスメイトが唐突に別人になるってことはない。
 いちばん考えられるのはおれの目がおかしいってことだけど、大賀以外は変わりないんだよなー。
「なになに、どうしたんだよ。大賀となんかあったのか?」
「別に、何もないけど」
 さっぱり分かんないだけだ。
「あ、わかった!」
 名案と言わんばかりに目を輝かせる。
 なんか、嫌な予感しかしない。
「あれだ、好きなんだろ。大賀のこと」
 はぁ?
 思いがけない言葉に固まっている間に先生が入ってきたせいで、否定するタイミングを失った。


 休憩時間にとりあえず、しっかりきっかり否定をして、しかし完全に誤解してにやにやしている友人の鬱陶しい視線を黙殺しつつ、講習を乗り切る。
 帰ろう。もう、帰る。
 たぶん、暑さと勉強のし過ぎだ。それで目がおかしいんだ。疲れてるんだ。
「渡せんー、今日は小論指導休むー」
 職員室に戻る途中の担任をつかまえて伝える。
「やり直し」
「渡辺先生。申し訳ありませんが今日の小論文の指導、休ませてください」
 言い直すと、担任は苦笑いする。
「了解。じゃ、ゆっくり休め」
 特に理由も聞かず、あっさりと許してくれるあたり、結構良い先生だと思う。
「ありがとうございます。しつれーします」
 割と真面目に感謝して頭を下げ、昇降口に向かう。
「あ、三矢くん。……大丈夫? なんかよろよろしてるけど」
 なんで、大賀がいるんだよ。
 友人の「好きなんだろ」の言葉が頭の中でぐるぐる回る。
「ちがう。……じゃなくて、大丈夫。なんでもない」
 あわてて言い直すが、大賀は眉をひそめて心配そうにする。
「そう? 昨日からちょっと変だし。無理しないでね?」
 やっぱり可愛いし。やさしいし。
 でも、おれの知ってる大賀じゃないし、
 まだ、好きとかじゃないし。
 ……まだ?
「じゃ、大賀、また明日」
 熱くなった顔を見られたくなくて、あわてて外に飛び出した。

【終】




Sep. 2015