you wish ... ?



「は?」
 唐突な申し出に対しての反応としては至極まっとうだった思う。
 つけていたイヤホンを外しながら相手の顔を見る。
 おなじ年齢くらいか、もしかしたらいくつか年下かもしれない。どちらかといえばやさしげな雰囲気。
 首から提げられたカードケースには来客証が入っているので、社員ではないらしいが、ひとりで社員食堂を使う程度にはうちの会社に来慣れているようだ。
 隣の席に座ったその男はにこにこと人懐こい笑みを浮かべたまま、返事を待つようにすこし首を傾げた。
 

 怪訝と言うよりは胡散臭そうにこちらを見た。
 まぁ、当り前だろう。
 のどかな昼下がり、そこそこ混みあった社員食堂で隣り合わせただけの、初対面の男から、あんなことを言われたら普通は引く。
 それは百も承知で声をかけた。
 引き続き不審の目でこちらを見る相手に名刺を差し出す。
「突然、声かけてすみません。(株)フィルトの西垣と申します」
「……川本です。あいにく名刺を持ち合わせていませんが」
 少々悩んだあと、とりあえず名刺を受け取ってくれる。
 しかしあまりにも困惑の表情をくずさない様子に、はずしたのかと不安になる。
 それでも、ここで今更方向転換するわけにもいかない。
「いえ。お気遣いなく。ところで、これも何かの縁。今日の夜、夕食でも一緒にいかがですか?」
 我ながら強引だし、厚顔無恥な申し出だ。
 相手にかるく眉をひそめられたことに気付かないふりをして、続ける。
「あなたも『さとり』でしょう、川本律子さん?」
 これが違っていたら、今までの言動がすべて、ただのいかれた発言でしかなくなる。
 ある程度確信を持って接触したとはいえ、世の中に絶対はない。
 顔には笑顔を貼り付けたまま、しかし内心は緊張して返答を待つ。
 眉根を寄せたまま、しかしため息をひとつつくと川本律子さんは渡した名刺を裏返し、何やら書き付ける。
「連絡先」
 めんどくさそうな口調で返された名刺の裏には携帯電話のメールアドレスだけが書かれていた。
 それ以上、話しをする気はないらしく、川本律子さんは食べ終わったトレイを持って立ち上がる。
「第一関門、突破かな」
 ふり返ることなく返却口へ向かう背中を見ながら、ほんの少し安堵まじりのため息をもらした。


 最初はどうして目に付いたのか、わからなかった。
 初めに気がついたのは、やっぱり社員食堂で、今日と同じく、隅の席で一人食事をしていた。
 目をひくような美人では決してなく、地味で大人しげで目立たない雰囲気。
 特に好みの顔だというわけでもなく、良くも悪くもごく普通。
 音楽でも聴いているのか、耳にはイヤホンがかけられている。
 雑多な人のあふれる社員食堂で、一人で食事するのもめずらしいわけじゃないし、音楽を聴きながら食べる人もいないわけじゃない。
 だから、それが理由で気になったわけではないはずだった。
 その後も、何度か食堂で見かけることがあって、その度に一人で、イヤホン装着で、そして、やっぱり目に付いた。
 そして、たまたま食器返却口で隣り合ったときに違和感の正体にようやく気がついた。
 自分と同じ『さとり』だと。


 メール一往復半で待ち合わせの店を決めた。
 もともとの性格なのか、警戒してのものなのかはわからないけれど、川本律子さんのメールはひどく短くそっけなかった。
 それでも無視されなかったことは幸いだし、きちんと時間五分前に店に到着する辺り、律儀でまじめな人だと思う。
「こんばんは」
「お待たせして申し訳ありません」
 言葉は丁寧だけれど、にこりとも笑わず、ぶっきらぼうな口調。
「こちらこそ。突然誘ってしまってすみません。予定とかなかったですか?」
 こちらの言葉には返事をせず、ちょうどやってきた店員に注文をする。
 飲み物だけではなく、食事する時間程度は付き合ってくれる気があるらしい。
 続けて自分の分も注文し、店員が立ち去ると沈黙がおちる。
 用件は呼び出したほうから切り出せということなのか、川本律子さんはぼんやりと窓の外を眺めている。
 改めて向き合うと、何を話したら良いかわからなくなる。
「……お昼はスミマセンでした。あれ、おどろきました? うちの両親から、『お仲間』を判別する試金石代わりにつかえるって聞いてて。律子さんは、ああいうの聞いてなかったですか?」
 あの時、こちらが『さとり』だからということにではなく、言葉の内容に純粋に驚いていたように見えた。
「ずいぶん、ハイリスクな試金石ですね。もし違ってて、その上頷かれでもしたら厄介すぎると思うけど」
 ということはやっぱり間違いなく『さとり』なわけだ。
「ぼくは面白いし、良い方法だと思ったんですけどね。例えさとりでなかったとしても、少なくともこころが読めない相手なら、充分すぎませんか、条件として」
 『さとり』は人の心が聞こえる。それは、望む望まないに関わらず。
 相手に触れなければ聞こえない程度にコントロールすることは可能だけれど、それでも完全に遮断するのは難しい。
 そんな中、さとりはさとりの心のうちを聞くことが出来ない。相手の心のうちがまるわかりでは、一緒に暮らすことも次世代を残すのも困難になるから、種の保存の為に組み込まれているのかもしれない。
「だいたい、絶対数が少ないんです。そんな中、せっかくの出会いを棒に振るなんて馬鹿みたいじゃないですか。多少の危ない橋渡っても縁を繋ぎたいと思うのはごく普通だと思いますが?」
 一気に言うと川本律子さんは静かに笑う。
「私はこんな、めんどくさい力、残したくもない。誰かと一緒にいるのもめんどくさい。そういうことで、あなたと親しくなるつもりもない」
 笑顔のまま、つきはなした言葉を吐き出すと、運ばれてきた料理に手を合わせる。
「……じゃあ、どうして来てくれたんですか?」
「こんな話、職場でしたくない。他社の人間と話しているの見られて悪目立ちしたくもない。あなた、無視したら何度でも声かけてきそうだし」
 食事をしながら淡々と呟く。
 的確な判断だと思う。どちらかというと諦めの悪い性質だ。
「『さとり』というだけで、性格に難ありの私より、気のあう普通の人間と付き合うほうが建設的だと思う」
 難ならこっちだってある。
 『さとり』が難なしで育ったら、そのほうが怖い。
「だけってワケじゃあ、ないんですけどね」
 ひとり言めいた反論に川本律子さんはかるく眉をひそめた。
「さすがにすぐにどうこうするほど短絡的ではないですよ。試金石はあくまでも試金石です。それとも、友人としての関係を作るのも拒否ですか?」
「必要性を感じない。私は今ある状態で満足してる」
 取り付く島もない。
「わかりました」
 ため息まじりに返すと、川本律子さんはほっとしたような表情を浮かべる。
 がっかりだ。
 そのあとは、ろくな会話もないまま食事を済ませ、店の前で解散。
 まっすぐに駅に向かう背中を見送りながら、深々とため息をこぼす。
 惨敗。


 定位置と化している食堂の片隅で、相変わらずイヤホンを装着したまま食事をする川本律子さんの隣に座る。
「こんにちは」
 聞こえなかったふりをされないように、イヤホンのコードを指で引っ掛けはずす。
「……」
 眉間に思い切りしわを寄せた顔に、にこやかな笑顔を返す。
「律子さん、今日の夜、ご飯一緒しませんか?」
「先日お話したはずですが」
 イヤホンを付け直して食事を再開する。
「律子さんの言い分はわかったけど、ぼくがそれに配慮する必要ないですよね。ちなみにぼくはしつこいので、OKいただくまで、何度も話しかけますよ」
 一回拒否られたくらいで撤退するくらいなら、端から話しかけたりしない。こう見えてけっこうな覚悟で声をかけたのだ。
「もし予定があるなら別の日でも構いませんが?」
「……メールします」
 こちらを見ないまま、思い切り不機嫌な口調。
「待ってまーす」
 殊更軽く返した。
 こんなことで怯んでいられるか。
 

「どういうつもり?」
 注文したものがそろうと、川本律子さんは低い声でたずねる。
「単純に律子さんと仲良くしたいなーっていうつもり。最初は『さとり』だから気になったっていうのは事実だけど、別にそれだけで声をかけたわけじゃないんですよ、ぼくだって」
 全く信じていない目で見つめられて苦笑いする。
 いくら『お仲間』でも、一緒にいて不愉快になりそうな相手だったら、接触しない。
「食堂で一人でいるけど、無理してる風じゃなくて、別に他人を拒絶してるわけでもなくて、箸使いがきれいで、そういうのも良いなって思った」
 同僚らしき人と和やかに話をしている姿も見た。ふと浮かぶ笑顔がちょっと良かった。
 実を言えば、その時居合わせた付き合いのある社内の人間からさりげなく情報を仕入れたりもした。
 他人と距離をとってはいるけれど、拒絶していない。きちんとしてる。
 律子さんは箸をおく。
「前も言ったけど、あえて私じゃなくても良いと思うよ。確かにさとりは少ないけど、皆無なわけじゃないし、普通の人でも読み難い人だっているわけだし」
「そうかもしれないけどね。取りあえず今は律子さんと仲良くなりたいんだ。律子さんがぼくのこと、顔も見たくないくらいに嫌いなら仕方ないけど、そうでなければたまにメールしたり、こうやってごはん食べたりとかどう? もちろん友達として」
 当面は、という言葉は飲み込んでおいて、答えを待つ。
 しばらくすると深々としたため息とともに目を逸らされる。
「……私、そんなにマメにメールとか出来ないけど」
 よし。粘り勝ち。


 どうして自分だけが気付いたと思っているのかちょっと不思議に思う。
 同じ『さとり』なのだから、こちらだって同様に気付いている可能性は高いのに。
 気にならなかったはずないのに。
 ただ、自分から接触するふんぎりがつかずにいただけだ。
 だから、隣に座られた時は驚いた。
 そして、すごく楽だった。意識を閉ざさなくても聞こえないということが、これほどに楽だと思わなかった。
 相手が口に出す前に、だいたい何を言い出すかは察しがつくことが当り前の中、なんの心構えもない状態で発せられた言葉が新鮮で、その内容に耳を疑った。
「結婚しませんか?」
 頷かないだけの理性は残っていた。
 人懐こい笑みにあえてぶっきらぼうに返した。
 我ながら天邪鬼だ。
 でも、「難あり」だと伝えた上でまだ絡んできたのだから、責任は向こうにあるはずだ。
「……私、そんなにマメにメールとか出来ないけど」
 あの時、さとりの力をつなぎたくないと言ったのは別に方便じゃなかったけれど。
 それでも、やっぱりたぶん、一緒に居たくなる。
 きっと。ずっと。
 だから、時期を見て、次は自分から言ってみようと目論見つつ、視線を逸らす。
 知らず、ちいさく笑みがこぼれた。

【終】




Jun. 2012