よびあう鏡



 気づいてもらえなくなった。
 私には見えているのに、素通りしてしまう視線。
 名前を呼んでも、その声も届かない。
 そしてあの子の声も聞こえない。口が動いているから、何か言っているのだとは思うのだけど。
 生まれたときから、一緒にいたのに。
 いつだって、何も言わなくてもわかったのに、今は、こんなに遠い。
「どうしたの?」
 途方にくれてうつむいていると、やわらかな声。顔をあげると心配そうな顔をして見下ろす青年。
 大学生くらいだろうか。優しげな顔立ちのかっこいい人だ。
「あの、えぇと」
 信じてもらえるだろうか。
 あの子のこと、見えるのは今、私だけなのに。
 アタマのおかしな子だって思われるのは、ちょっと、かなりイヤだ。
「あそこにいる子、お姉さんか妹さん?」
「見えるのっ?」
 青年の視線の先には、間違いなくあの子がいた。
 自分が、幻を見ているんじゃないかって、最近少し考えていたから、うれしかった。
 やっぱり、本当に、いたんだ。
「双子なの。交通事故で……だから、もう、みんなには見えないの。でも、私には見える。だって、私の半分なんだもんっ」
 ちいさくうなずいた青年に勢い込んで伝えると青年はもう一度静かにうなずく。
「うん。ぼくにも見えるよ。よく似てるね。見分けがつかないくらい」
 友達にも良く言われた。
 お互いのふりをして、友だちがいつ気付くか、いたずらもした。毎日、楽しかった。
「でも、向こうからは見えないみたい。全然。呼んでも気付いてくれないの。すぐそばにいるのに」
「それは、さみしいね」
 おだやかな声音がしみこむように届き、涙腺がゆるむ。
 ぱたぱたと落ちる涙を手の甲で強く拭う。
「ここで、待ってて。会わせて、あげる」
 気遣うようにあたまにのせられた大きな手。
「ホント?」
「うん。約束」
 やさしい笑みを浮かべた青年の言葉に大きく頷きを返した。


「こんにちは」
 疲れ果てて座り込んでいたところにかけられた声にのろのろと顔をあげると、静かに微笑む青年がこちらを見下ろしている。
「探しものですか?」
 なんだろう。
 いつもであれば、胡散臭くて無視してさっさと立ち去るのに。
 思わず打ち明けてしまったのは、それだけ疲れていたのか、信じられるなにかを感じたのだろうか。
「双子の妹を探してるんです。もう、いないのはわかってるんです。でも、私を呼ぶ声が聞こえるから」
 人一人分くらいあけてとなりに座った青年は、おかしなことを言うこちらの言葉を静かに受け止める。
「もう、いない?」
「事故で。でも、ずっと一緒にいたから。絶対私のこと探してるし、きっと、泣いてる。あの子、泣き虫だから。そう思って、来てみたら、やっぱり声が聞こえるからいると思うの。でも、私が呼んでる声は聞こえないみたい」
 幽霊になってしまったあの子の姿は見えなくて、それでも声が今にも泣き出しそうだからなんとか、会いたい。
「会いたい?」
 心を見透かしたように青年が尋ねる。
 そのいたわるような声に反射的にうなずいていた。


「……うそ」
「良かった」
 双子の二人はお互いの顔を見て、声を聞いて泣き笑いのような表情になる。
 お互いの存在を確かめ合うように抱き合う。その様子は、ひとつに、戻ろうとしているようにも見えた。
 しばらくそうしていた二人は、こちらの存在を同時に思い出したようにふりむく。
「ありがとう」
 よく似た二つの声が重なってとどく。
「……どう、いたしまして」
 あまりに素直なお礼を受ける気持ちの準備が整わず、妙な間が空いた。
 双子は顔を見合わせ、楽しそうな笑みを交わす。
 その様子を直視できずに目を伏せる。
 くすくす。
 無邪気で愉しげな笑い声が、ゆっくり遠くなって、ようやく顔をあげる。
 お互いがお互いだけを亡くしたと信じ、ひとり残ってしまった自分に罪悪感を抱いていた。
 会えなくなってしまったことを嘆いていた。
「もう、ずっと一緒だよ」
 ちいさな、呟きは我ながら自己欺瞞に満ちていた。
 消えてしまったら、一緒も何も、ない。
 二人がいた痕跡はかけらも残らず、ただ耳の奥に双子の笑い声がまだ響いていた。

【終】




Aug. 2010
関連→連作【幽想寂日】