繰り返された謝罪のコトバ。そして。
「これ以上続けたら、歌どころか声も出なくなるってさ」
笑った表情が、今にも泣き出しそうに見えた。
かけがえのないものだと知っていた。それは、お互いに。口に出すことはなくても、長い付き合いの間に。
短く長い静寂。
それぞれが何を思っただろう。
「……じゃあ、」
促すように口を開いたのは誰だっただろう。聞きたくなくても、答えが想像ついていても、それでも確認しないわけにはいかなかった。
「辞めるよ」
静かに吐き出された言葉は、わかっていたはずなのに大きく圧しかかってきた。
聴きなれた歌声の知らない曲。
全開の窓から入り込んできたその声をはっきり聴き取るために車の速度を緩める。
そしてそれが録音でなく生歌で、声の主が間違いなく友人だと確信した時点でブレーキを踏みこむ。
閑静というべきかさびれていると評するべきか迷うような、しんとした住宅街の中の小さな児童公園に友人の姿を見つけそっと様子を伺う。
ブランコをこぎながら気持ち良さそうに歌う横顔。それに向かい合うように柵に座った少女のまっすぐな目。
一目で、わかってしまった己が少々呪わしい。まったく。何やってるんだか。
山ほどの文句はあとでゆっくり言うことにしてハンドルに突っ伏し、耳を澄ます。
……歌声がかすれる。以前ならありえなかったこと。
それは痛々しく響くのは単に自分の感傷だけかもしれない。
本人は相変わらず幸せそうに歌い終えていた。
その姿を視界の片隅にいれてから車を発進させた。
バックミラーに映ったマンションのエントランスから目当ての人間が出てくるのを見つけて煙草の火を消す。
「よぉ」
ドアを開けると同時にかすれた声。
「thasヴォーカル。女子中学生と援交?!」
助手席におさまった相手に、ゴシップ雑誌の見だしめいた言葉をあえて淡々とかける。
がっくりと肩を落とした当のヴォーカリストはゆっくり首を横に振る。
「女子高生と純愛! に修正希望」
「こーこーせいっ?」
真剣に驚く。この間までランドセル背負っててもおかしくなさそうだったぞ、あのコ。
「確かにちょっと前までは中学生だったけどさぁ。っていうか、おれも初めはそう思ったんだけどサ……ところで純愛の方に突っ込みなしか?」
かさかさの声で笑う。難しい注文だな。
「オマエが手ぇ出すならホンキなんだろうし? 何でよりによって中……高校生なんだ、その上一般人で。ばかじゃないのか、ちったぁ考えろや、この犯罪者とは思うけどな」
ちらっと見ただけだがさほど可愛いとかでもなかっただろ。
「常陸、容赦なさすぎ。それに手、出してない。出してるのは声くらいだ」
苦笑い浮かべて。まったく。
「そう。声。……司、なに歌ってんだ?」
歌い続ければ話すことさえも難しくなると宣告されているはずだ。だからこそ。
「歌わなきゃ、死んじゃうからねぇ」
昔からの口癖。そんなことは知ってるが。
「あのな」
「わかってる。まだ全壊させる気はないから。セーブしてるよ。シゴトにするのはもう無理だけど?」
自分ののどに軽く触れて静かな笑み。言うべきコトバがうまく出せずにため息を返すに留めた。
「あの歌、おまえの曲だよな?」
車を発進させると同時にシートをたおし、寝の体勢に入った相手に軽く尋ねる。運転手の隣で堂々と寝ようとするなよな。
「だよー」
だらけた声。
「最近のヤツ?」
「……二、三年前のかな」
「ちょっとめずらしい感じだよな? クセは司っぽいんだけど」
「thasのツカサには歌えないやつだから」
答えがいちいち中途半端に短いのは、眠いせいなのかしゃべるのがしんどいのか、単に面倒なのか。使えないから聴かせなかった、ってことはわかるから良いが。
「thasっぽくはないわな、確かに。シンプルすぎるし。でもおれは好きだな」
全部聴けなかったのが残念だ。さすがに今この場で歌えと言うほど鬼畜にはなれないが。
司はごぞごそと上着のポケットを探り、目当てのものを取り出すと手を伸ばす。
「常陸はさぁ、たまにそうやってストレートにほめるからヤだよねぇ」
普段とのギャップがねぇとかぼそぼそ続けている司の手からUSBメモリを抜き取る。
「何でこんなもの持ってんの」
赤信号で停まったのを幸いにオーディオにUSBを差し込む。
自分の歌を聴いて歩くような趣味はなかったと思うんだが。
「海ちゃんにあげようと思って」
彼女の名前なのだろうと言うのは聞かなくてもわかる。
柔らかな声がスピーカーから流れ始める。まだ、声に違和感のないころの。
「何で渡さないんだよ?」
「……だってさぁ、おれの歌が聴きたくて会いに来てくれる海ちゃんにコレ渡したら、おれって用ナシな感じしない?」
もともと、どちらかといえば童顔なのだけれどそのナサケナイ笑顔でより幼く見える。良い歳のクセして何言ってんだか。
「恋愛初心者の中学生か、キサマは。今時、小学生のがマシだぞ、きっと。自分に向けられる好意の種類もわかりませんかぁ? ばかだとは思ってたけど」
はたから見て一目瞭然。ま、確かに司のほうがより気持ちたれ流してはいたが。
「誰かさんみたいにムダに百戦錬磨じゃありませんよ、スミマセンね。尻拭い、何度させられたかなんてもう忘れたけどねー」
古い話を。最近はおとなしくしてるだろーが。軽く抗議の目をむけるといたずらっぽい笑顔がそこにある。
「実際ねぇ、そうやってセーブしてないと犯罪者道一直線だからさー、って話」
納得。
「そー言うことね。マジでその『海ちゃん』のキモチわかってないんだったらどうしようかと」
「やめてくれー。そういううれしいこと言われると一線を越えてしまいそうな自分がいます」
何一つ直截的なこと言ってないが、一人で楽しそうだな、おい。
「自滅したいなら止めないけどな」
捕まるのが先か、彼女に避けられるほうが先か。
「実際そんな度胸があれば苦労しないよな? 彼女と同年代くらいのガキだったら突っ走るんだけどさ」
オトナになったよなぁ、と笑う顔がばかみたいにしあわせそうじゃないか。
「言ってろよ」
「着いたぞ」
「んー」
そのままの状態で司はでぐぐっと伸びをする。シートベルトくらいはずせよ。
「さんきゅ」
車から降り、もう一度のびをする。
「車、停めてくる」
先に行っているように促す。
頷いた司はドアを閉めようとした手を止め、隙間から顔を突っ込む。何やってんだよ。
「常陸、ありがとな」
静かな眼。ばぁか。
さっさと行け、と追い払うように手をふる。
閉められたドア。車をゆっくり走らせる。
良かったのだろう。出会えて。
「シアワセに」
本人に面と向かっては決して口にしないことを呟く。願いをこめて。
Sep. 2005
関連→連作【thas】