▽ ▽ ▽
ふと気配を感じて横目で隣を見る。
ひっ。
思わず叫びそうになった声をどうにか飲み込んだ。
大声を出してはいけない。
焦ってもいけない。平常心だ。
この手の人は刺激しないに限る。
悟られないようにゆっくりと呼吸を整え、改めて隣をそっと確認する。
何の前触れもなく――私が気づかなかったとかではない。空席だった隣に突然湧き出すように現れたのだ。
一見ごく普通、というより結構かわいい感じの女の子だ。
たぶん同年代。大学生くらいに見える。
さて、どうしようか。
思ったよりまともそうな子だったので迷いが生じる。
見た目からしてヤバそうなら端から無視、じっと息をひそめて相手が立ち去るのを待つ選択しかないのだけれど。
話しかけても大丈夫だろうか。
いや、通例通り無視一択でも良いんだけど、早々に立ち去ってもらえるならその方が良いんだよね。
いくらかわいい子だとはいえ、車の中という密室に突如あらわれ、助手席に収まっている推定幽霊。
ホラーである。
本音を言えばガソリンの残りが心もとない。
この幽霊がいつ立ち去るかわからないが、それまで延々と運転し続けることは難しい。
幽霊のせたままガソリンスタンドに立ち寄るのもちょっとな。
給油で降りた途端、文字通り車を乗っ取られたら終わりだし。
とはいえ、なんと声をかけるべきか。
運転中、下手な話運びで激昂されでもしたら事故一直線。
単独で自分がダメになるだけならまだしも、周囲を巻き込んだら目も当てられない。
交通量の少ない道を選びながら進んではいるけれど、ひと気がまるでないわけではない。
触らぬ神に祟りなし、の精神が大切だろうか。
「あ、この歌、なつかしい」
何の緊張感もない自然な声に、驚いてブレーキを踏みこんでしまう。
タイヤが嫌な感じにこすれる音と同時に前のめった体がシートに戻る。
「ご、ごめん。大丈夫だった?」
幸い後続車はなく、急ブレーキによる被害はなさそうだ。
それにほっとしながら、助手席に声をかける。
……かけてしまった。座っているのは幽霊なのに。大丈夫だったか、この対応。
「び、っくりしたぁ。うわぁ。……ふっふふ」
目を丸くして、心臓を両手で抑えていた幽霊は何がおかしいのか、くすくすと笑いだした。
嫌な感じではない、屈託のない笑い方だけれど。
大丈夫なのか? これ。
* * *
気が付いたら車に乗っていた。
誘拐でもされたか? と一瞬思ったけれどシートベルトはつけているものの拘束はされていないし、そもそも誘拐なら助手席に座らせたりはしないだろうな。
思い出した。さっき、布団に入った。
つまり、これは夢だ。
安心したところで運転する隣の人を見る。
すごく顔が良いというわけではないけれど、なんだか雰囲気のある人だ。
線が細めでちょっと中性的な顔立ち。
かっこいいとは思うけれど、好みのタイプからはずれている。
私はもう少し筋肉質な感じが好きなのよ。夢なのにままならないなぁ。
あ、でもハンドルを握る手は良い感じ。骨ばってて長く細い指。
それにしても妙にリアルな夢だなぁ。
エアコンの冷気や、車の振動、流れていく景色も。そして運転している彼の息遣いも薄っすらと聞こえてくるほどに。
まぁ、どちらにしろ夢だ。
何か怖いことが起こるわけでもなさそうだし、のんびりと目が覚めるのを待てばいいか。
心地よい振動になんだか眠たくなってくる
夢の中なのに、現実には寝ているのにさらに眠たくなるって変な感じだ。
ここで寝たら、また違う夢を見たりするんだろうか。
とりとめのないことを考えていると、聞きなじみのある音楽が流れだす。
ちょっと古い曲だ。母が若いころ好きだったとかで、よく聞いていた
「この歌、なつかしい」
声にした途端、身体がつんのめりかけ、それがシートベルトで押さえつけられる。
なに、急に。
「ご、ごめん。大丈夫だった?」
男性にしては少々高めの、でも柔らかな声が心配そうな目と合わせてこちらへ向けられた。
夢なのにすごい衝撃だったし、謎の男性は気遣ってくれるし、相変わらず懐かしい歌声が車の中に響いているし、なんだか可笑しくなる。
声を立てて笑いだした私をみる男性の目が不審そうなものに変わる。
ごめんなさい。大丈夫です。アタマぶつけておかしくなったりとかしてないです。
ちょっと夜中のテンションで、どうでも良いことが面白くなっちゃっただけです。
「ごめんなさい、驚かせて。これTHASですよね、好きなんですか?」
さっきの曲だけではなく、よくよく考えてみれば全部同じバンドの曲だった。
今は解散してしまっているバンドだし、同年代で聴いているのは珍しい気がする。
男性は目を瞬かせた後、やわらかに笑む。
あ、この笑顔は結構いい。
▽ ▽ ▽
話してみると思った以上に『普通』の子だった。
通常、身体を失った魂は徐々に変質して自我を失っていく。
それを鑑みるとおそらく彼女が死んでからさほど時間は経っていないし、自分が死んでいることもわかっていない。
できればいい感じに成仏してほしいんだけどなぁ。
残念ながら私にそのスキルはないし。
「送っていくよ。家はどこ?」
これが正解かどうかはわからない。
でも帰巣本能的な感じで家のそばまで行けばそちらへ引っ張られていくかもしれない。という楽観的予測。そうだと良いなぁ。
このまま隣で徐々に悪霊化されたら目も当てられない。
私はわが身がかわいい。
よそに押し付けた後に起こりうる惨状については罪悪感はあるけれど。
……出来る限りのフォローはするので勘弁してください。
「家は、栄松町……えぇと、松浦駅の近く、でわかる?」
町名を聞いてもぴんと来ていない私に気づいて駅名を出してくれる。
思った以上に近くだったことにほっとする。
というか、多少遠回りになるものの帰宅の方向なのでちょうど良い。
「大丈夫。わかるよ。ソラドの辺?」
たしか駅近くにあるスーパーに栄松店と書いてあった気がして名前を出す。
「そう。ソラドの裏の駐車場からすぐそばのアパート」
ひと駅さきが大学の最寄り駅なのであのあたりは学生向けのアパートが多い。
「スーパーが近いのは良いよね」
栄松町にむけて車を走らせながら、どうでも良い話題を続ける。
「うん。でも、もう少し離れたところに小さいスーパーがあって、そこのほうがいろいろ安いんだよ。でも、買ったものを持って歩くのにはちょっと距離があってねぇ」
言いながら彼女はくすくす笑いだす。
ヤダ、なにこわい。正気なくしていく感じ?
アクセルを気持ち強く踏み込む。
無事に帰りつきたい。
「ごめんなさい。なんか主婦みたいな会話してるなーって思って、夢って、自分の願望が現れるって言うよね。主婦願望があるのか、私。とか思ったら笑えてきちゃって」
言いながらも笑ってる。
これは、もともとこういう感じの子なのか、壊れ始めてるのかどっちか判別つかないぞ。
話している内容は普通……あ、夢だと思ってるのか、今の状況。
知らない人間の運転する車に乗ってることを疑問にも思ってないのはそのせいか。
その勘違いのまま送り届けたい。
ぼんやりと窓の外を眺め始めた彼女を横目で確認して、もう少しアクセルを踏み込んだ。
* * *
目が覚めたら朝だった。
車の中ではなくベッドの上だった。当たり前だ。夢を見ていたのだから。
スマホから鳴り響くアラームの音を止めてベッドから抜け出す。
気が付けばあの車の中でかかっていたなつかしい曲を口ずさんでいた。
いつもだったらすぐに曖昧になっていく夢の内容が、褪せることなく鮮明なままだ。
ハンドルを握る手の動きや、少し困ったような表情、吐息。
好みじゃないなぁなんて思ってた顔とかもはっきり思い出せる。
他愛のない話しかしなかったけれど、なんだか居心地のいい人だった。
会えないのは少し惜しい気がする。また夢で会えたりするだろうか。
などと乙女チックなことを考えていたのだけれど。
「あ」
声が重なった。
大学の食堂で、空席を探してさまよっているところで出くわしたのはあの夢の中の男性だった。
呆然とこちらを見つめる彼と同じような表情を私もしているとは思う。
私は夢の中の人が現実に! という驚きなんだけれど、彼は何故驚いているのか。
「いきてた」
え? なんて?
「はじめまして、なのかな、一応。昨夜のこと、記憶にある? 良かったらお昼一緒にしませんか?」
「えぇと」
話の展開についていけない。なんで夢のことを知ってるってこと?
「あぁ。ごめんね。不審者じゃないよ。ちゃんとここの学生」
夢と変わらない、少し高めのやわらかな声。
差し出された学生証は確かにうちの大学のものだ。それは良い。別に疑ってはなかったし。
氏名 矢倉冬子
「え、おんなのひと?」
声に出してしまって唇をかむ。もう遅いけど。
彼、ではなく彼女、矢倉さんは苦笑いする。
「良く間違われるんだよねぇ。あ、空席発見。食べながら話さない? 無理そう?」
すぐそばでちょうど開いたテーブルをすかさず確保して矢倉さんは振り返る。
その笑顔が、あの少しいいなぁと思った笑顔で、反射的にうなずく。
いや、どっちにしろOKするつもりだったんだよ。
今日は友達と一緒じゃなかったし、夢のことも気になってたし。
それに、もう一度会いたいと思っていたんだから、もともと。
▽ ▽ ▽
昼間にも現れるのか、この幽霊。と、思ったのは一瞬。
違う。生きてる。
では他人の空似かとも考えたけれど、こちらを見て驚いた表情をしたということは本人で間違いないだろう。
つまり昨夜のは幽霊ではなく生霊か。
それも同じ大学だなんてどういう縁だ? とりあえず負の感情はなさそうだから問題ないと信じたい。
「さっきはごめんなさい。失礼なことを言って。えぇと、英文科一年の常盤みさきです」
向かいに座った昨夜の幽霊はぺこりと頭を下げたあと名乗る。
気にしないように再度伝えてから、本題に入る。
「昨日のこと、どんな感じで覚えてる?」
夢だと思っていたこと、気が付いたら朝で、いつも通りベッドで目を覚ましたことを常盤さんは説明してくれる。
こちらも状況をかるく説明し返す。
「え? 夢じゃなくて、リアルに運転中に私が助手席に乗ってたの? 普通に完全にホラーじゃない? え? なんであんなに平然としてたの?」
ドン引きの様子だ。失敗した。言わなきゃよかった。
別に平然とはしてはなかったんだけど。
「顔に出てなかっただけで、普通にどうしようって焦ってたよ」
「どうしようって考えてる辺りが既に平静だよ。見知らぬ他人が助手席に乗ってたら絶叫ものじゃない?」
「……まぁ、そうなんだけどね。慣れてるっていうか、ね」
あまり詳細を語りたくないので曖昧に濁す。
「私のことはともかく、常盤さんはちょっと心配だね。幽体離脱は初めて?」
周囲に聞こえないよう声を潜める。
「ゆっ、幽体離脱、なの? あれ。夢だと思ってたしわかんない、けど。でもあんなはっきり記憶に残る夢みたいなのは今までなかった、よ」
「だよね。もし、また何かあったら連絡して。少しは手助けできるかもしれない」
連絡先を書いて渡す。
我ながら胡散臭いにもほどがある。
* * *
「昨日の今日、というか、今日の今日ですよ、常盤さん」
急ブレーキで停車した後、矢倉さんはハンドルに突っ伏す。
「えぇと、なんでだろうね?」
気が付けばまた助手席に座っていた。
車の中では昨日と同じTHASの曲。
なんだか居心地のいい空間。
「気楽にしてるけど、良くない状況ですからね。続くと消耗して肉体にも影響出ますから」
……胡散臭い一直線だよとぼそぼそ呟いているけど、大丈夫? ごめんね?
「たぶんね。もう少し話したいな、っていうか仲良くなりたいなって考えてたからだと思うんだ、今日は……だからね、困ったことがなくても連絡していい? 普通に、友だちみたいに」
ちょっと照れくさいことも夢うつつのようなこんな状況なら言える。
「……そういうのは昼間のうちに言ってほしかったなぁ。心臓に悪い」
突っ伏したままもごもごと文句を言う。
そうだよね。でもさ、リアルで面と向かっては言いづらくて。
笑って曖昧に濁すと大きなため息とともに矢倉さんは顔を上げる。
そしてあの、ほっとするような笑顔。
「よろこんで」
▽ ▽ ▽
新しい友人ができて、めでたしめでたし。
で終わるはずもなく。
幽体離脱は繰り返されるし、胡散臭い家業に巻き込むことになるし先行きは一筋縄ではいかなかったりもするのだけれど。
出会えて良かったとは思っているから充分だ。
Aug. 2024