目に、灼きついた。
実のところ、見られることには慣れていた。
だからブランコを立ちこぎしながら気のおもむくまま歌っている最中、目の端に映ったオンナノコに対してそれほど注意を払っていなかった。その時は。
歌い終え、ブランコを止めた時にもまだ少女はいた。じっとこちらを見つめる大きな目。
思わず見つめ返すと驚いたように少女は走り去ってしまった。
「あ」
来た。夕暮れの中、小さな影。歌を止めて小さなジャングルジムから飛び降りる。
公園の入り口にある垣根に身を潜めて少女が来るのを待つ。
我ながら悪趣味と言うか、どうかと思う行動。誰かに見咎められたら確実通報案件だ。
立ち止まる人の気配。
少女がこちらに気づかず反対側のほうを覗き込んでいる隙に背後に立ち肩に手を乗せる。
なんとも形容しがたい叫び声に、慌てて少女の口をふさぐ。
人気がなくて良かった。
「あのさぁ。大きな声出さないでよ、変質者みたいじゃん、おれ」
やってることはそう変わらない気もするが、あえて気づかないふりをして言うと少女は何か言いたげにばたばた暴れる。
あぁ、まだ捕まえたままだったか。手を離すと少女は数歩離れてからこちらを見上げる。
「あ」
警戒していた表情がちょっとだけ緩む。
「昨日はどーも」
おびえさせないように笑って手を振る。
「しっかし、すごい悲鳴だったよねぇ」
思い出しても笑える。もう少し可愛らしく叫ぶかと思ったら、未知の生物のこどもの鳴き声みたいな。
「えぇと、中学生?」
小柄で女らしいとは口がさけても言えないがりがりの体つきの少女に尋ねる。
「高校生です」
何となく憮然とした返事。
ついついからかいたくなるなぁ、その言い方。
「ホントに?」
「ホントですっ」
ムキになったような返事。さては良く間違われてるな?
「下手すると小学生かと思ったのになぁ」
わざとらしく首を傾げてみせる。
あからさまに少女はむっとした顔つきをする。
反応が顕著でかわいーなぁ、もう。
女の子が実年齢より年下に見られてうれしくなるのは何歳からなんだろうね、まったく。むずかしいったら。
まぁ、さすがに高校生の女の子が中学生に間違われてうれしがるとは思ってないけれど。ほんとうは。
大きな目でにらんでいる少女に手を合わせて謝る。
「だいぶ、暗くなってきちゃったね」
反応に困っているような少女に微笑いかける。
「早く帰った方が良いよ。知らないおじさんにはついていかないようにね?」
なにより自身があやしいおじさんな気もしなくもないが、少女はそれについては指摘せずに小さく頭を下げて帰っていった。
「おつとめ、ごくろー」
細いシルエットに大声で呼びかける。……しまった。まずいかもしれない。
少女は一瞬立ち止まったものの、何となくこのまま行き過ぎそうな雰囲気だ。
「さみしいじゃないか、帰ろーとするなよ。ジュースおごってあげるから」
おいでおいでと手招きする。
いろんな意味で自分にあきれる。ばかだ。
仕方なさそうにこちらに向かってくる少女を視界に入れながら滑り台を駆け下りる。
やばい、息が上がってる。
「何飲む?」
とりあえず自分用にお茶を買ってから尋ねる。
「おんなじので」
あきらめた様子の少女にもう一本を手渡す。
公園の車止めに座りお茶を流し込む。
のどがひりひりする。しまったなぁ。後悔先立たず。壊れかけの役立たず。
少女がお茶を飲んでいるのを横目に、足元に落ちていた小枝を拾う。
「名前教えてもらって良い? おれは司くんです」
地面に枝で名前を書きながら、出来るだけ喉に負担をかけないように言う。しかし、いい年して「くん」もないと思うけどな、自分。
少女に枝を渡すと隣に『海』と並べる。
「うみちゃん?」
「かい」
愛想なくひと言で応える。
「かいちゃんね」
うみ、より似合ってる気がする。雰囲気に。
「学校帰り? 家この近所?」
何気なく尋ねてから問題ありな質問だったな、と後悔する。誘拐犯っぽい。いかにも。
「そう、ですけど」
しかし少女は警戒することなくさらりと応える。
おい。無防備すぎるだろ、それは。
「もう少し気をつけたほうが良いよ」
ため息混じりに言うと少女は素直にうなずく。
そんなことより、と言いたげに少女は口を開く。
「ここで何やってたの?」
何って言われても。
空をながめて考える。
海ちゃんを待ってた。なんて言おうものなら。確実に変質者の烙印を押される。それどころか本格的に通報される。
「んー? ぼんやりしたり、歌をうたったりね」
夕焼けはすでに遠くいつの間にか藍色の空が広がってしまっている。
そう、初めは歌う場所を探しに来てたんだったっけ。
「今日は、歌わないの?」
一瞬、飛んでいた意識が現実に引き戻される。
別段、興味なさそうにしているようにも見える少女の目。
「聴きたい?」
尋ねるとそっぽを向いてしまう。素直じゃないというか。
「ごめんね、今日は売り切れ」
気をつけて話すぶんには問題ないようだが、歌うのは無理だろう。全壊させる気にはまだならない。
がっかりした顔の少女に小さく微笑う。
「明日は海ちゃんのためにとっておくから」
このまま大人しくしていれば、一曲くらいなら平気だろう。明日になれば。
「だから、また明日ね」
ささやくように言う。
後姿がうれしそうに見えたのは気のせいかもしれない。
「おかえり、海ちゃん」
学校帰りの少女に声をかける。それが思ったよりもかすれていてため息をつきたくなる。
大人しくしていたのに。ポンコツ。
「風邪?」
明らかにわかるほどひどい声らしい。あいまいに微笑ってごまかす。
「座って?」
背もたれのないベンチに少女を座らせる。その隣に並んで座らず反対側から座る。
歌っているところをあの目でまじまじと至近距離で見つめられるのはちょっと避けたい気分だ。
「今日、大きな声でないんだけど。それでも良い?」
振り返り、少女の横顔に尋ねる。どうせならベストな状態で聴かせてあげたかったけれど。
「良いけど。のど、痛いなら無理しなくても」
複雑な表情で少女は言う。聴きたい半分。心配、は半分もないかもしれないけれど。
「大丈夫。約束だしね。リクエストある? 知らない歌はダメだけど」
考え込んだあと少女はぽつんと呟く。
「はじめの時、歌ってたやつ」
ブランコに乗りながら大声で歌ってたようには出来ないけれど。
「了解」
少女を視界から外す。
腕が軽く触れる。
声を音に乗せていく。のどは多少痛むが歌えないほどではない。ささやくように歌う。
とおく、空の色が変わっていくのをながめながら。
眠ってしまったのか少女は歌い終わっても目を覚まさない。起こさないようにそっと息をつく。目を閉じる。風がきもちいい。
「なんて、歌?」
「あ、起きてた?」
声、ひどい。しばらく歌えないな、これは。今更遅いけれど、なふべく負担をかけないように静かに応える。
「あれはねぇ、タイトルはないかな。……イルカの歌……生まれた海に戻ってきたけれど、そこはもう帰りたかった海じゃなくなってたみたいな」
改めて説明するのははずかしい。日本語で歌うのが照れくさいから英語にしたのというのに、これでは意味なしだ。
「暗くなっちゃったねぇ」
ふりかえり、照れ隠しに関係ないことを呟く。少女のまっすぐな目から逃げるように立ち上がり伸びをする。
「帰ろうか」
毎度のことながらだいぶ暗くなってしまっている。
「明日も、いる?」
言葉に少し驚いてふりかえる。
何だか迷子みたいな表情。
「声、こんなだから歌えないと思うけどね、いるよ」
座って下を向いている少女の髪をなでる。
「海ちゃんは?」
尋ねると立ち上がる。
「ばいばい」
ちょっとずるくないか? こっちにだけ言わせておいて。
その様子を見て少女はちいさく笑った。
「また、明日」
May. 2005
関連→連作【thas】