忘れじの灯



 会えると思ってたのに。
 楽しみにしてたのに。


「えぇー。聡志ちゃん、いないのぉ?」
 大袈裟だけどがっくりと膝をつきたくなった。
 車で二時間。
 ものすごい田舎というわけでもないけれど、だからといって街だとはいえない、どこにでもある町。
 お盆と正月。
 とりたてて面白いわけでもないおばあちゃんの家に律儀に来るのは従兄の聡志に会うためだけと言っても過言ではなかったのに。
「ごめんねぇ、弥恵ちゃん。聡志ったら塾の合宿に行っちゃったのよぉ。お盆にまでって思ったんだけど、受験生なんだからって言ってねぇ」
 ごめんねぇ。と、もう一度伯母さんは言って笑う。
「ほら、座って。今スイカ切るからねぇ」
 ぱたぱたと忙しげに台所に戻っていく伯母さんの後をお母さんが手伝いに続く。
 ……別に、スイカはどうでもいいんだけどさ。
 部屋の隅に座り、つけっぱなしになってるテレビをなんとなく眺める。
 お父さんは伯父さんたちと既に呑みに入ってるし。
 うそつき。
 お正月に受験勉強見てくれたときに、受かったらお祝いしてくれるって言ったのに。
 合格祝いはどうでも良いけど、会えるの楽しみにしてたのに。
 つまんない。
 聡志以外の従兄弟は歳が離れていて一緒に遊ぶって感じじゃないし、だいたい夜にならないと来ないし。
 出されたスイカをかじりながら、ため息をつく。
 宿題は持ってきたけど、聡志に教えてもらうつもりだったから一人じゃやる気にならない。
 壁にかかった時計を見あげる。三時十分。
 お墓参りはいつも六時くらいからだし、夜ごはんはそのあとだし。先は長い。
「お母さん、伯母さん。ちょっと散歩に行って来るね」
 スイカの皮を片付け、台所にいる二人に声を掛ける。
「帽子かぶっていきなさいねぇ」
「お墓参りまでには帰ってくるのよ」
 二人から口々に言われる。小さい子じゃないんだから。
「はぁい」
 でもとりあえず、素直に返事をして靴を履いた。


 一縷の望み、というヤツだったのかもしれないし。
 単純にやってみたかっただけかもしれないし。
 きゅうりとナスに、折った割り箸を四本ずつ突き刺し、足を作る。
 その横におがらを小さく積み、火をつける。
 薄暗い建物のなか、小さな火はひどく明るくて、これだけ明るければもしかしたら見つけてきてくれるかもしれない、なんて馬鹿なことを考える。
「まぁ、無理だろうけどね。戻ってくるなら家に帰るだろうし」
 愚痴っぽく呟く。
 揺れる炎を眺める。
 やさしい笑顔を思い出す。


 お盆のせいなのか、単に寂れているからなのか、ほとんどのお店がシャッターを閉めている商店街をたらたら歩く。
「あっついなぁ」
 ちょうど見つけた自販機でジュースを買い、どこか日陰で休めるところないかとあたりを見まわす。
 細い路地の向こうにあやしげな古い建物。
 休憩できるかどうかわからないけど、とりあえず気になる。
「すごーい」
 黒に近い灰色の廃墟。すごく高いわけではないけれどそびえたつ、といった雰囲気。
 あたりに人気がないことを確認して、重厚なドアをそっと押す。
 思っていたよりかるく動いた扉の隙間から、そろりと中に入り込む。
 高い位置にある窓から光が差し込んでいるおかげで、視界に不自由なく中の様子がわかる。
 円筒状の柱がいくつも並び、いくつかの台が取り残されている。そのむこうで何かが動いた気がした。
 おそるおそる近寄り、柱の陰から覗く。
 ……なにあれ。
 目をこすり、まばたきを繰り返しても光景は変わらない。
 しゃがみこんでいるのは白いワンピース姿の少女。ふんわりとした金色の髪が差し込む光りにきらきら反射する。
 別にそれだけなら、物好きな子だなぁで済む。自分だって、こっそり入り込んでるんだし。同類。
 ただその金髪少女の背にありえないものがあるのだ。
 ふよふよと揺れる白い羽。
 見間違いかとさらに目を凝らして覗き込む。
「こんにちは?」
 頬でもつねってみようかと思っていたところを、少女が顔をあげて、首をかしげる。
「……こんにちは」
 とりあえず聞きたいことはいろいろあるけれど、挨拶を返しておく。
「やっぱり、見えてたんだ。どっちかなぁ、って思ってちょっとためらっちゃったよ、声かけるの」
 くすくす笑いながら、羽をはたりと大きくひとつ動かし立ち上がる。
 本物の羽だ。
「天使?」
「そう」
 なんだか威張ったように胸をそらす。あんまりにも堂々としすぎてて疑う気にもなれない。
 もう、夢なら夢でも良いや。
「ねぇ、何やってたの?」
 天使の足元に視線を落とし、違和感のもうひとつを尋ねる。
「迎え火。知らないの?」
 きゅうりとナスで出来た馬と牛の横に、燃え尽きて煙が昇るばかりの何か。
「知ってるけど」
 目の前で見たのは初めてだけど、テレビとかでは観たことがある。ご先祖様がお盆に帰ってくるときの目印だよね。
 天使のご先祖様? っていうか、天使とお盆ってなんか宗教違うし。変だよね。
 だいたい、そのきゅうりとナスはどうやって手に入れてきたんだ? 天使がスーパー行ってお買い物? アリエナイ。
 やっぱり夢か?
「天使がなんで迎え火なんかやってるの?」
「そんなの、幽霊でも良いから会いたい人がいるからに決まってるじゃない」
 むくれたようにそっぽ向いた顔が、すごく可愛くて。
「誰、誰?」
 おもわず、トモダチに聞くみたいに。興味津々で、詰め寄った。


「だっからさぁ、ほぼ年に二回しか会えないわけ。なのに塾の合宿とか行っちゃってさぁ。これで向こうが大学生になって、一人暮らしなんかはじめたりしたらますます遠くなっちゃう。せっかく同じ高校生って立場になったのに」
 楽しみにしてたのに。好きだから。
 告白だって、しちゃおうかな、なんて。思ってたのに。
 って、なんで天使相手に愚痴ってるんだ、私。天使の会いたい人の話を聞こうとしてたはずなのに。
 天使は頬杖をついてニコニコと聞いてくれてて、思わず尋ねる。
「見込みナシだと思う?」
「見込みなければ諦められるの?」
 笑顔だけど、言ってることは結構辛らつだと思う。
「うーん。どうだろ」
 もう刷り込みみたいに、小さいころから大好きだし。
 考え込んでいると天使は頭をなでてくれる。優しい手。
「どっちでも良いんだよ。だって、アナタはこれからいろんな人と出会うんだし。いろんな人を好きになれるよ」
 やわらかい、大人びた声。
 見た目、同じ歳くらいなのに。まぁ、天使だから人とは違うのかもしれないけれど。
「天使は?」
「そうだねぇ。私はここに来てくれるのを待つことしか出来ないから」
 淡く微笑う。すごくキレイで哀しげに。
「私、また来るよっ。天使の好きな人のかわりには全然ならないと思うけど。でも、トモダチってことで」
 勢い込んで言った自分のことばに赤面する。
 何恥ずかしいこと力説してるんだ。
「ありがとう」
 天使の顔が、すごく嬉しそうで。
 言って良かった、なんて思ったりした。


「迎え火のご利益かな?」
 ナスの牛にそっと触れる。
 還るはずのない人を待ちわびて。
 一人のままだったら、きっとすごく寂しかった。
 例えばもう二度と会うことがなかったとしても、言葉はずっと残る。ずっと覚えておく。
 だから。
 会いたかった人にも、また来てくれるといった少女にも。
「また、ね」
 夕暮れの陽射しのささない廃墟で、小さな声がとけて消えた。

【終】




Aug. 2008
関連→連作【カラノトビラ】