歌鬼



 私、まだ歌っている。


 閑静な住宅街の暗闇の中、ぽつんと、しかし煌々と灯りをもらす一つの建物。
 人通りはもちろん、車通りさえもないような場所での開店はかなりのムダにみえる。光熱費も人件費も。
 案の定、客の姿が見えない店のドアをおして入る。
「いらっしゃいませ」
 条件反射としか思えないタイミングで愛想が良いとは言いかねる声をかけられる。
「働いてるねぇ、章(あや)」
「なんだ、鷹間か」
 友人の姿に、店員対応したことを損したといわんばかりにカウンターに目を落とす。
「客商売なんだからもうちょっと愛想良くしても罰は当たらないと思うぞ」
「客なのか?」
 胡乱気な表情を無視し鷹間はカウンターの上に頬杖をつく。
「それはそれとして。どーせ客なんか来ないんだし暇だろ? 傷心の親友の話、聞いてくれよ」
「あっれー、鷹間。またフられたの?」
 突如割り込んだ軽快な声に鷹間は振りかえる。
「昊(こう)、いたのか」
 表向き章の従兄弟とされているモノがモップ片手に人好きな笑顔をたたえて立っている。
「章とオレは一心同体も同然。いつでも一緒。で、鷹間?」
 楽しそうに続きを待つ昊を見やって、章はカウンターの上の本に目を落とす。
「良かったな、鷹間。話し相手ができて」
「さみしーコト言うなよー。ヤダよ、こんな人の不幸は密の味を座右の銘にしてるような奴に話すの」
「冷たいこと言うなよ、章。せっかくだから一緒に笑いものにしよーよ」
「……手短にな」
 二人のやかましさに抗うだけ無駄だと悟ったのか章は本を閉じると溜息をついた。


「ってコトで、これいらなくなった。オマエにやる」
 ふられたことに対する泣き言や愚痴をひと段落させて鷹間は投げやりに小さなものを放る。
 受け止めたそれは掌に収まる程度の、一見してアクセサリーが入っているとわかる箱。
「ひでーと思わない? それ渡した途端別れ話だぞ? 確かにそんなに高いものじゃないけどさぁ。だからって」
 再度、愚痴がはじまる。
「だからっておれがもらっても困るんだが」
 それを断ち切るように章が口を開く。
 小さな紅い石のはまったほっそりとした指輪。例え石が本物だったとしても、質入して換金できるほどのものでもなさそうだ。
「捨てるには忍びないけど、持ってると思い出して悲しくなるこの男心を汲んでくれよ、章ー」
「鷹間さぁ、どーせすぐ次の女できるんだし、その子にあげたら?」
「昊。そんなことできるわけねーじゃん。その時はその時だよ」
 否定はせず、鷹間は曖昧に笑う。
「どうでもいいけど、話が終わったらさっさと帰れよ」
 いつのまにか読書に戻っている章はうるさいから、と冷ややかに続ける。
「おまえには人並みの情けとかやさしさとかはないのか?」
 がっくりと肩を落とし鷹間は呟く。
「一通りは聞いてやっただ上、こいつも預かってやる。充分だろ」
 章は指輪入りの箱を無造作にポケットにつっこむ。
「鷹間さぁ。章にこの手の話し向いてないことくらいわかるだろ」
 短い付き合いじゃないんだしと肩をすくめて昊はあきれる。
「じゃ、章向きの話してやるよ」
 挑むような鷹間に、章は苦い顔で額を押さえる。
「……帰ってくれ」


「幽霊?」
 鷹間の言葉に興味津々で昊が食いつく。
「そう。夕暮れ時になると歌声が聞こえるんだってさ。森の中で。で、その歌声に誘われて森に踏み入れると誰もいない。声のするほうへ、奥へ奥へ入っていっても誰もいなくて……気が付いたときには歌声はなく、振り返ると来た道がわからないほど深くに入り込んでるのに気が付いて道に迷うんだって」
「セイレーンみたいだねぇ。誘って食って」
 胡散臭い怪談話に昊は楽しそうに付け加える。
「それのどこがおれ向きの話なわけ?」
 言葉にしたことを実現させることができる『浄声(じょうしょう)』と呼ばれる能力で拝み屋まがいのことをやっている章のとぼけた発言に鷹間は呆れる。
「どこをどうとってもオマエ向きだろ」
「例えおれ向きだとしても、それをどうしろって? 祓えって言われればやらなくもないけれど、依頼料払えよ」
 少しだけ譲歩して章は冷ややかに言う。
「冷たいなぁ。オンナノコの依頼は無償でやったくせに、親友からは金とるの? 昊、オマエも何とか言ってくれよ」
「鷹間より女の子のほうがかわいいからそれは仕方ないんじゃない?」
 モップをかけながら昊は簡単に言い放つ。
「そうでなく」
「しょうがないなぁ。章ー。面白そうだから見に行くだけ行ってみよ。いざとなったら鷹間を人身御供にすれば良いんだし」
 モップの柄にあごをかけて昊は誘う。
「二人で行って来れば。おれは寝る。寝させろ」
 学校終わって深夜バイトに入るまでの短い憩いの睡眠時間を犠牲にする気はさらさらない章はにべもなく断る。
「昊と二人で行ってマジで人身御供にされたらどうするんだ」
「鷹間ー、俺がそんなことするわけないだろー。失礼だねぇ……章、携帯なってるぞ」
 昊がかすかな電子音をとらえ、カウンター奥に目線を送る。
 二人のくだらないやり取りから抜けられるのにほっとしながら章は携帯を開く。
 送られて来ていたメールの内容に目を通し深々とため息をつく。
「鷹間、非常に不本意だけれども幽霊見物、付き合ってやるよ」
 唐突な方向転換の言葉に鷹間は目をみはる。
「なんで」
「スポンサーが付いたから」
 章はめんどくさそうに携帯電話を放る。それをうけとった昊はメールの内容を確認する。
 鷹間の語った内容が簡潔に、多少の補足を加えて書かれている。そしてそれを排除するようにという依頼文。
「ふん。またタイミング良いことで」
 昊がさめた口調でもらすのを章はニガワライで返す。
「はした金でもただ働きじゃなけりゃかまわない。鷹間はどうする?」
「邪魔じゃなければ行くよ。こんな機会めったにないし」
「明日……もう今日か、六時森林公園前な」
「了解。でも、おまえ寝る暇あるのか?」
「ま、慣れてるし」
「おまえ、そのうち倒れるぞ」
 少し考えた後、平然と言う章に鷹間は比較的まじめな顔で忠告した。


「聴こえるか?」
 目を伏せ、耳を澄ましているらしい章にそっと鷹間は尋ねる。
「いや……おまえは?」
 とおりすぎるのは森を抜ける風の音くらいで歌声らしきものは何一つ聞こえず肩をすくめてみせる。
「もともとおれは不浄なものとの相性悪いし」
「当然だな。『鷹間』が穢れから隔離されるのは。家人に言われなかったか? オレに近づくなって」
 からかうような口調で昊は言う。
「べっつにー。おれは家、出る身だし。昊より不浄なものなんか外歩いてりゃ山ほどあるし。イマサラ?」
「ま、鷹間は清廉潔白って言葉からは程遠いもんなぁ。あぁいう家で育って、どうしてこう育つかねぇ」
 わざとらしく首を傾げてみせる昊に鷹間は舌を出す。
「反動だよ、反動」
「……昊」
 軽口の応酬に、静かにしみこむ声。
 昊は即座に反応する。
「あぁ、はじまったな」
 その言葉に鷹間も森に視線をやる。
 音を聞き取る為、集中して森を見つめる。キンと不快な耳鳴りのあと、チューニングが合うように歌声が耳に届く。
「思ったよりパワフルな歌声だな」
 まだ若そうな女の、腹のそこからのしっかりした発声。
 昊がセイレーンなどと言ったせいか、もっとか細いものを想像していた鷹間はどことなく呆れたような呟きをもらす。
「確かに。惑わすっていうのとはちょっと違う感じだな」
「こんなところで、なぜ歌がと興味を持たせるにはとりあえず充分だ。か細い声で、気のせいだと無視されたり、幽霊を想像させるより都合が良いだろ」
 さめた声で章は言うと躊躇せずに森に踏み込んだ。


 いつの間にか、歌声が変わる。相変わらずしっかりした発声ではあるけれどどこか哀しい、今にも泣き出しそうにも聴こえるものに。
 それに頓着せず迷いなくすすむ章の腕を昊はつかまえる。
「章、ちょっと止まれ」
 めんどくさそうに冷ややかな目がふり返る。
「問題ない」
「少しは警戒しろ。鷹間もいるんだぞ」
「わかってる」
 とりあえず立ち止まり、章はため息をつく。
「そうは見えないから言ってるんだ」
「鷹間がこの程度の魔に捕われるわけないだろ。じゃなかったら連れてこない」
「そういうもん?」
 他人事のように鷹間は尋ねる。
「『鷹間』は保護されてるから。よほどの大物でない限りは引っ張られないはず」
 説明になっていないようなことを章は言うと再び歌声の響く奥へ向かう。
「心配性だなぁ、昊。大丈夫だよ、章はああ見えて強いんだし」
 あきらめたように深々とため息をつく昊に鷹間は声をかける。
「強いけど、ああ見えて甘いから心配なんだよ」
 本人に聞こえないようにぼやかれた言葉。
「使い魔ってのもなかなか気苦労が絶えないねぇ」
 自分を使役する人間を親身に心配するというのも少々不思議な気がしつつ鷹間は軽く言う。
「そ。契約って割り切れればどんなに楽か」
 肩をすくめ昊は苦笑いを浮かべた。


 歌っていた。
 痛々しくなるほど、必死に。届けるように。
「章?」
「……やるよ」
 昊の促すような声に、何かをふり払うように大きく息をつく。
 呼気を整える。
「《歌にわずらいまどわしもの。形を現せ。わが言はそれを命ず》」
 決して大きくない声がりんと響く。
 二十代前半に見える女の姿が現れる。ゆるくウェーブのかかった髪、きつい眼差しはこちらを見ることなく歌い続ける。
「《声成らず、正に向かいて請う》」
 女の焦点が合いはじめる。それと同時に歌声が小さくなっていく。頬を涙が伝う。
 章は小さく息をはく。ほっとして。しかしまだここから先がある。どこからきりくずそうか、と視線を落とす。
 そこを横切る足。
「……」
 軽い足どりは女に近寄る。
「もう、泣かないで良いよ?」
 何もかも許容するやさしい声音。
「さすが鷹間」
 昊がぽそりと呟くのを聞いて、かたまっていた章は顔を上げる。
 鷹間は涙をふき取るかのように女の目元に指を触れる。
 女の表情があっけにとられたものになり、それが微笑みに似たものにかわる。
「鷹間」
 章はそれを見逃さず、ポケットから小さな箱を取り出し放る。
「あ?」
 飛んできたものを鷹間はあわててキャッチして、それを確認するとますます眉をひそめえる。そしてひとつ吐息をこぼし、女に向き直る。
「これね、キミのために選んだんじゃないんだ。突っ返されちゃって」
 箱のふたを開き女に見せる。
「……ばか」
 声にせず口だけを動かして章は呟く。
「言わなきゃわかんないものを……あいつ、だからふられるってことわかってんのかぁ?」
 小さな呆れ声に同意したように女が肩をすくめる。
「でもね、キミの方が似合うから、あげる。だから、もう泣かないで?」
 紅い石のついた指輪を鷹間は女の指に通す。
「ただ、歌いたかっただけなの」
 静かな声。
「うん。もう大丈夫だよ」
 それ以上何も聞かずに鷹間は簡単に請けおい、章に視線をよこす。
「《貴、永なる声を。浄に、浄に。乞いし歌は届きて癒すものとなし諒とする》」
 音もなく指輪が落ちる。
「章」
 振り返った鷹間の視線を避けて落ちた指輪に近づき、拾う。
「鷹間、ケース」
 差し出された小箱に指輪をおさめる。
「おやすみ」
 やわらかな声をかけふたを閉じる。穏やかな微笑が垣間見えて鷹間は呆れる。
「わかりにくい」
「なにが? これ、いる?」
 指輪の箱を再び開けると静かに歌が流れ出す。しみいる声。
「オルゴールになってるじゃん」
 昊が面白そうに覗き込む。音にあわせて石が瞬く。
「きれいな声だな。でも、おれには無理。預かっといて」
「わかった」
 無造作にポケットにつっこんで章は歩き出す。
「行こう、鷹間」
 促す昊にうなずく。視線を感じて一度だけ振り返ったそこには、もう何もいなかった。


 まだ歌える。それだけで。

【終】




Jul. 2006
関連→連作【神鬼】
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