「何頼んだっけ?」
段ボール箱に貼られた荷札の送り主は【Laboratory】とあるが、記憶にない。
とはいえ、大手ショッピングサイト経由で購入する時、いちいち個別の店舗名まで気にしないから、覚えてなくてもおかしくはない。
ネット購入便利だから、気になったものはついポチポチと買ってしまうしな。
あて先は自分になっているので、きっといつもの調子で何か買ったのだろう。
サイズの割に軽い段ボールの封をカッターで中身まで切らないよう慎重に開ける。
ぎっしり詰まった直径三センチくらいの普通のより大きい『ぷちぷち』をすべて引っ張り出す。以上。
「中身、入れ忘れ?」
段ボールの隙間に挟まっていないか、『ぷちぷち』に貼りついていないか見ても、ない。
明細書もついていないから、何を入れ忘れられたかもわからない。
発送案内のメールをチェックしても、それっぽいものがない。
仕方ないから送り主の名前と電話番号で検索しても、引っかからない。
なんだこれ、送り付け商法か?
それにしては請求書も振込用紙も入ってない。
んー、もう放置で良いかなぁ。
あー、でも電話かけて確認くらいはするべきか。中身が入ってないのに高額請求とか来たら困るし。
荷札を見ながら電話番号をスマホに入力して。
「あ」
通話ボタンを押す手前で気づく。
荷札の端っこに小さく【無償サンプル】と書いてあった。
「なるほど」
何かのキャンペーンに応募したんだろう。記憶はないけれど。それが届いて、でも中身を入れ忘れられたと。
何が届くのだったのかは気になるけれど、まぁ仕方がない。
大きな『ぷちぷち』の一つに力を込める。
普通サイズのものより弾力があって割りづらい。両手の親指を使ってさらに力を加える。
ぱちんっと小気味の良い音を立てて弾ける。
同時にふわりと目の前に球体が浮かび上がる。
「しゃぼんだま?」
窓は開いていないから外から入ってきたわけではないだろう。
それは息を吹きかけても流れていくことなく目の前でふわりと浮かんだままだ。
表面というか内側に何か景色が映っているようで、顔を近づける。
鼻先で触れてしまったようでぱしんと弾けて消えて、なんだか懐かしいような幸せな気持ちになる。
『ぷちぷち』をもう一つ割ってみると、案の定『しゃぼんだま』が浮かび上がる。
そしてまたその中の景色に目を凝らした。
■
チャイムを押す。
室内で音が鳴っているのは聞こえるが、応答はない。在宅しているのは確かなはずだ。
ドアを引くが、当然のことながらカギがかかっている。
「困るなぁ」
かばんから万能鍵をだし、鍵を開ける。
幸い、チェーンまではかかっていなかったのでドアはすんなり開いた。
「おじゃましまーす」
入ってすぐ、短い廊下の正面にあるドアを開ける。
ふわりと甘く、なつかしいような空気がまとわりついてくる。
「ほんっと、困るなぁ」
ソファには焦点の合わない目で空を見つめる男。手元には『ぷちぷち』の形状をした『記憶喚起剤』。三〇〇くらいあるうち半分ほどが潰されている。
荷物が届いてからは三十時間ほどしかたっていないはずだ。
ずいぶんハイペースで使用してくれたらしい。
「困るわー。完全に中毒じゃん」
「あー、水沢ぁ、ひさしぶりぃ」
部屋の主がわずかに焦点の合った目で、こちらを嬉しそうに見た。
忘れたつもりでいた懐かしい呼び声。呼び方。
その名は、もう葬ったものなのに、どうして今更。
男の顔をもう一度しっかり見れば、幼馴染の面影。
その名前も、思い出も、全て忘れたはずなのに。
「困るんですけどね、勝手におれまで実験に巻き込むのは」
すべてを消して今の『場所』に来たのに、記憶喚起剤の残滓のせいで。
かばんから回収装置を取り出しスイッチを入れる。
漂う甘やいだ空気を吸い取らせている間に残った『ぷちぷち』をかばんに詰め込み、男に回復薬を接種する。
「回収完了しました。帰所します」
回収装置を片付けながら報告し、つけっぱなしだった通信機のスイッチを切る。
「会えてうれしかったよ。こんな形じゃなければ、もっと良かったけれど」
本当なら会いたくなかったけれど。それでも。
ソファに横たえ、近くにあった上着をかけて部屋を後にした。
「もうやめてくださいよ、ああいうの」
「無償サンプルなんて怪しげなもの使う方が悪くないかぁ?」
人の好さげな笑みを浮かべた元凶の男は、のんびりと言い返してくる。
案の定、堪えていない。
通信機越しにさんざん言った苦言もおそらく右から左だろう。
「ゴミだと思われてますから、あれ。せめて使用説明を付けるとか」
「そんなものつけたら、普通の人は使ってくれないだろ」
だからそういうものを送り付けるのが問題なのだ。いくらここが特殊機関とはいえ、一般人に無差別人体実験はまずい。
「あんたの尻拭いをしないといけないこっちの身にもなってください。おれはおれの研究がしたいんだ」
確かに自分のが後輩ではあるし、この男が研究員として優秀であるのは確かだが、部下のように使われるいわれはない。
「冷たいこと言うなよ、水沢ぁ」
「あんたがその名を呼ぶな」
ここではその名は使っていない。公表もしていない。ここはそういう場所だ。
「で、回収した記憶は?」
意に介した風もなく話を戻す。
「は? あんたに渡すわけないでしょうが。製薬にまわして、持ち主に返しますよ」
普段、思い出すことのない記憶であっても、勝手に消してしまって良いわけない。
「うわ、最悪ぅ。……なぁ、それって相手がおまえの幼馴染だったから? 見知らぬ誰かだったとしても同じ対応?」
意地の悪い笑みを浮かべた先輩研究員に冷めた視線を向けてみせる。
「おれを実験に巻き込むなと言ったはずですが」
■
「また来た」
【Laboratory】からの荷物。荷札には同じく【無償サンプル】の文字。
開けてみると『ぷちぷち』ではなく、空の荷物を送ったお詫びが書かれた手紙と色とりどりの金平糖だった。
早速いくつかまとめて口に放り込む。
懐かしい甘さが溶けて、染み渡った。
May. 2021