嘘つきの君とぼくのウソ



「多田くん、ちょっといいかな?」
 うたたねから目覚めたおれの前にいたのは、先月一組に転入してきた噂の美少女。
 たしか、えぇと左右田とか聞いたような。
 名前さえもうろ覚えな、接点もない美少女は 笑顔どころか、何か思いつめたような顔でこちらを見つめていた。


 どうしてこんなことになったのか。
 いつもならとっくに下校している時間、誰もいない教室にいたのにはわけがある。
 第一に、委員会の集まりが放課後にあった。
 第二.教室に戻ったら机に置いてあるはずのノートがなく、かわりに友人からの書置きが一枚。
 曰く、借りてたノートを家に忘れて来たので取りに帰る。しばし待て。
 提出期限が今日までのノートだ。
 どうしてもというから貸したのが仇になった。
 取ってくるついでに提出しておけよと思わなくもないが、時計を見てそろそろ戻ってくるだろうと待つことにした。
 帰りになんか奢らせようと決め、机に突っ伏す。
 少し前まで誰かがいたのだろう。教室にはまだ暖房の暖かさが残っていて眠気を誘う。
 おそらくそれほど長い時間寝ていたわけではない。
 それでも何か短い夢を見ていた気がする。
 時計を見ようと顔を上げたらごく近くに件の美少女が立っていたのだ。
 驚きすぎてのどが変な音を立てた。
 そして瞬き二つ。
 まだ夢の中かと思ったけれど、そうでもないようだ。
 左右田さんは生真面目な表情のまま口を開いた。


「で、それから?」
「なんか、お礼を言いたいって話だったけど心当たりはないし、話はかみ合わないしで、結局人違いだったってことがわかった」
 ノートを持って戻って来た友人に二人で話しているところを目撃され好奇心たっぷりの笑顔で詰め寄られて辟易する。
 ちなみに左右田さんは友人が教室に入ってくるのを見ると逃げるように出て行った。
 「ごめんなさい」と一言残して。
「なんだよ、つまんないな。告白されたかと思ったのに」
「ありえないでしょ。あんなかわいい女子が平凡で冴えない目立たない男子に告白なんて」
 長めの前髪に眼鏡にマスクで冴えないを通り越して不審者気味なのだ。
 そんなおれに美少女が告白とかどこのご都合主義な漫画の世界だ。
「夢くらい見させてくれよ」
「別に須崎が話しかけられたわけじゃないんだし」
 そもそもどんな夢だっていう話だ。
「地味男子の多田がかわいい女子に一目ぼれされて、なんてことがあったら世の中の普通男子にも希望がもたらされるだろ」
 告白から一目ぼれまでランクアップしてるぞ、大丈夫か、妄想癖。


 須崎に伝えたことには多少のウソがあった。
 左右田さんがしたのはお礼ではなく謝罪だった。
「どうしても、謝りたくて」
 口にされたのはそんな言葉だった。
「おれ。何かされたっけ?」
 けげんな表情を隠さないまま尋ねると左右田さんは肯く。
「……初対面、だと思うんだけど」
「うん。現世では」
 現世。
 普段あまり耳にすることのない言葉だ。
 お坊さんの説教とかなら出てくることもあるのだろうか。
 冗談でも、こちらを揶揄っているわけでもなさそうな生真面目な表情の左右田さんを見つめ返す。
「中二病かよ、って思ったでしょ?」
 少し気の抜けた笑みのようなものを漏らす。
 いやいや、ライトノベル的だなぁと思ったくらいですよ。
 誤魔化すようにあいまいに笑みを返す。
 実際、中二病っていうのは的確だ。本人に自覚があるのは良いのか悪いのか。
「私だって他の人からこんなこと言われたら口にしなくても『大丈夫か、こいつ』くらいは 思うけど。でも」
 左右田さんは視線を落として言いよどむ。
 美少女だよなぁ、やっぱり。
 悄然とした様子を間近で見せられると、どうにかその憂いを払ってあげてくなりそうなほどに。
「多田ー、おっまったせー」
 勢いよく開けられるドアの音に続いて、申し訳なさのかけらもないにぎやかな声が微妙な緊張感を打ち破ってくれた。
 この場合、須崎に感謝するべきなのか?
 いや、ノートをさっさと返してくれていれば左右田さんとこういう状況になることもなかったわけで、そもそも諸悪の根源か。
「詳しくは、また。……ごめんなさい」
 須崎に聞こえないような小さな声で言い残して左右田さんは去っていった。
 『また』はなくても良いんだよなぁ。そんなときが来ないと良いなぁ。
 須崎のにぎやかな妄想をあしらいながらそんなことを考えていたのだけれど、世の中そんな上手くはいかない。知ってた。


 とはいえ、再会は少し先のことになる。
 一週間くらいは、いつ来るのかと少々身構えていたのだけれど、それが二週間、三週間と経てば気も緩む、そしてひと月も過ぎれば忘れる。
 その忘れたころを見計らったように左右田さんは現れた。
 校門を出て、駅とは逆方向の生徒があまり通らない道で待ち伏せするように。
「多田くん、ちょっといいかな?」
 心臓がひっくり返るかと思った。
 叫ばなかった自分を褒めたたえたい。
 閑静な住宅街で大声ですなんて顰蹙ものだ。
「……左右田さん、なんで」
 相変わらずの生真面目な表情。
 不意打ちにもほどがあるでしょ、ストーカーなの?


 左右田さんと並んで歩く。
 話がしたいと言われ、帰りながらで良ければと答えたことに少し後悔している。
 横目で視界に入る左右田さんは何かを言おうとしては口ごもるを繰り返していた。
 空気が重い。
 だからと言ってどうすることもできないまま十分ほど経過。
「あの、おれの家、この先だから」
 車が通り抜けるのは少々きびしい、路地と言うに多少広い道の奥を指さす。
「あ。……ん。あの、……ごめんなさい。……うまく」
 はらりと左右田さんの頬に一滴涙が伝う。
 そのことを恥じるように、慌てて手の甲で拭い何もなかったかのように平静に見せようとしている左右田さんを見て、気づかれないように溜息をこぼす。
 困った。
 面倒な話は聞きたくはないけれど、だからと言ってこんな状態で突き放せるほど冷たい人間ではないつもりなんだ。
「左右田さん、話は落ち着いてからで大丈夫。日を改めても良いし、……今からうちに来てもらっても構わないし」
「…………良いの?」
 ためらうような、すがるような小さな声。
「うち、誰もいないけど、左右田さんが良ければ」
「ご家族に、気を遣わせるの、申し訳ないから。多田くんだけなら、その方が」
 自分で提案しておいてなんだけど、警戒心なさすぎじゃない?
 女の子、それもすごい美少女が躊躇うことなく、ろくに知りもしない男一人の家に行くのはダメだと思う。
 いくらおれが無害そうな見た目で、腕力がなさそうでも、左右田さん一人くらい簡単に抑え込める。
 やらないけど。そんなこと。
 ただ世の中、ごく普通の善人ばかりではない。
 そのくらい、わかっているはずだ。
「じゃ。こっち」
 とはいえ、ここでそんなことを注意しても仕方ないし、ご近所の人に見られたくもない。
 話は家の中でゆっくりできるのだ。
 左右田さんを誘って、家に向かった。


「ここは祖母の家。とは言っても祖母は移住しちゃったから実質一人暮らしなんだけど」
 元々独居を想定しての小ぢんまりとした家。
 家族で暮らしているようにはみえないせいだろう。少し不思議そうに眺めていた左右田さんに簡単に説明する。
「そうなんだ」
 深くは聞かずに流してくれたことにほっとする。
 何故? とか、両親は? とか、説明も誤魔化すのもめんどくさい。
 リビングのソファに座った左右田さんにお茶と買い置きしてあった適当なお菓子を出して向かいに座る。
「本読んでるから、気が向いたら話して? 無理して今日話さなくても良いし」
 一生話してくれなくても良いけれど、それは言葉にしてはダメだろう。
 読みかけで放置してあった文庫を開いたところで小さく笑った気配がして顔を上げる。
 左右田さんが嬉しそうにも悲しそうにも見える表情で微笑んでいた。
「かわってない」
 目が合うと左右田さんは意を決したように口を開く。
「荒唐無稽な話だし、この間も言ったみたいに中二病だなって思われても仕方ないんだけれど……とりあえず私の妄想の物語だと思ってもらっても良いから、聞くだけ聞いてほしいの」
 おれが頷くのを見て左右田さんは「いただきます」と断ってからお茶を一口飲んで続ける。
「私、前世の記憶があるの。そこは日本ではなくて、魔法とかもあっていわゆる異世界な感じ。そこには改星の魔術師と呼ばれている天命をも覆すことのできる高名な魔術師がいて」
 中二病で恥ずかしい名前だ。もう少し、こう、どうにかならなかったのか。
 それはさておき、左右田さんが説明してくれたのはざっくりとこんな感じだった。
 曰く、その世界で改星の魔術師は自分の都合の良いように運命を捻じ曲げていて、左右田さんはそんな魔術師を粛正するために送り込まれたそうだ。
 庇護が必要な弱者を装って改星の魔術師に近づき、友人関係を築いて最終的に裏切った。
「彼を死なせてしまってから判ったことがいくつもあった。改星の魔術師は私利私欲のために星の流れを変えていたわけではなくて、世の中を良くするために動いていたこと。それを邪魔に思った施政者が彼を消すべく動いていたこと」
 左右田さんは冷めてしまっているお茶をぐいと飲み干してまたすぐにこちらを見た。
「無知蒙昧な小娘が、聖女だとおだてられ、施政者の安易な甘言にのって、彼のやさしさを裏切って命を奪ってしまった。あの国の未来はもっと明るくなるはずだったのに」
 左右田さんは遠くを見つめる。
「どういう因果かはわからない。気が付けば私は平和なこの国で新たな生を受けて平穏に幸せに生活していた。中二病的なあの記憶はただの夢の中の産物だと思っていたのに、多田くんを見つけてしまった。思い出してしまった」
「ちょっと待って、左右田さん……信じる信じないはあとにして、とりあえず深呼吸して」
 唇をかみしめる左右田さんに、できるだけ平静に声をかける。今にも倒れてしまいそうな顔色だった。
 虚を突かれたように少し力をゆるめた左右田さんにお茶をいれてくると断って立ち上がる。
 左右田さんに落ち着いてもらいたいのも本当だけれど、実際は自分自身が少し落ち着きたかった。
 全く想像しなかったわけではないけれど、あそこまで思い詰めているとは思わなかった。
 どう伝えればあの思い込みを解けるだろうか。難題過ぎる。
 ゆっくりとお茶をいれながら大きなため息を吐き出す。
 リビングに戻り、お茶を出してから元のソファに座る。
 左右田さんは顔色は変わらず良くないままだけれど、表情は多少落ち着いたように見えた。
「多田くんの前世は私が殺した改星の魔術師なの。今更謝っても無意味なことはわかってる。でも黙っていることもできなくて」
 こちらが口をはさむ隙もなく、一息に言い切られてしまう。
 さて、どうしようか。
「えぇと、その魔術師が本当に力ある魔術師だったなら、その時に死ぬことも織り込み済みだったんじゃないかな? 運命を変えてたってことは前提として未来が見えていたんでしょ?」
「でも、それは」
「そうじゃないなら、ただのポンコツ魔術師じゃない? だとしたら生きていてもより良い未来なんて作れなかっただろうし」
 少し考え込むような左右田さんに余計な時間を与えないように畳みかける。
「魔術師がその名の通りだったのか、ポンコツだったかは実際のところはわからない。どちらにしろ、その世界の未来は最良に進んだはずだし、良くも悪くも左右田さんの前世に責任なんて欠片もない。まして、今の左右田さんに罪があるはずないよ」
 強引な言い分だけれど、言いきってみせる。
 それに本音だ。
 けれど左右田さんは納得できない表情で、しかし反論の言葉を見つけられないのか視線を落とす。
「やさしい人だったの。やさしくしてもらったの。利用されるだけの私を大事にしてくれた人なんて彼だけだった」
「……やさしい人だったなら、左右田さんが生まれ変わった後にまで自分を責めていることを知ったら悲しむんじゃない?」
 左右田さんはゆるりと首を横に振り「でも」と反論する。
 その様は聞き分けのない幼子のようにも見えた。
「じゃあ本当はやさしくないんだよ。残された左右田さんが罪悪感を抱くこと、予想出来ていたはずなのに死んで逃げた」
 ぼくは左右田さんが知りえないことを知っている。記憶している。
 わかっていて殺されたのだ。罪の意識を背負った彼女がより良い未来を作っていってくれることがわかっていた。
 誤算は彼女が生まれ変わっても気に病むほどに罪の意識にとらわれていたことだ。
 彼女の行動が切っ掛けを作っただけで、実際の殺害は別人によるものだったからここまで負担をかけていたとは思わなかった。
「ごめんね」
「ちがう。ぜったいに。やさしい人だった」
 小さくこぼした謝罪は左右田さんの泣き出しそうな否定の声で掻き消えた。
「……うん。じゃあそのやさしい魔術師だったおれが謝罪を受け取って、もう気にしないでって言ったら左右田さんは納得してくれる?」
「えぇと、それは」
「前世は前世だしさ。今はせっかくそれなりに平和な世界で生きてるんだし、同級生なんだし、普通に友達になるのはどう?」
 戸惑っている左右田さんに、魔術師の記憶が残っていることは隠して、ただの普通の男子高校生の顔で提案してみる。
「え。……あ、うん」
 こくりと肯く。
 大丈夫かなぁ、微妙に素直なんだよなぁ、こういうとこ。
 騙されやすそうっていうか、ちょろいっていうか、
「じゃ、友達から忠告。一人暮らしの男の家にのこのこと上がり込んではいけません」
 無防備にもほどがある。
「え。でもそれは多田くんだったし」
 それはおれが無害そうだという意味なのか、前世の人柄によるものなのか。
「……駅まで送るから」
 大きくため息をこぼしてみせた。


「また、遊びに行って良い?」
 左右田さんの言葉に思い切り渋面を作る。
 さっきの話、聞いてましたか?
「友達、でしょ? ね、またね」
 言い逃げするように左右田さんは駅に向かって走り出す。
 まったく。
 別れ際に向けられた憂いの消えた笑顔を思い返して、笑みがこぼれた。

【終】




Mar. 2024