月鬼



(あや)、明後日休みって何?」
 辟易とした表情で「いらっしゃいませ」と心にもないいつもの挨拶を受け流して鷹間(たかま)は尋ねる。
 明後日の日付と午前六時から翌日午前六時まで丸一日の臨時休業を知らせる張り紙を指さす。
「設備の点検と清掃と、ついでにいくつかの修繕をやるから閉める。間違えて来るなよ」
 二十四時間、いつでも開いてるコンビニが一日閉めてしまうのも妙な感じだ。
 ただ、ここは立地のせいか、章がバイトに入っている時間帯、鷹間自身以外ほとんど客を見かけない。
「ここも古いからねぇ。あちこちガタもきてるし」
 ずるずるとモップを押しながら、もう一人の店員、(こう)が眠そうに口をはさむ。
「ってことは、章、明後日ヒマなんだ?」
 平日は基本毎日、週末も八割方、二十四時から朝四時までシフトを入れている二人が珍しくフリーな時間があるようだ。
 鷹間の言葉に章は顔を上げてかるく眉をひそめる。
「だからって、どこかに行ったりはしないからな」
 章は鷹間が何も言わないうちから牽制する。
「ひどいなぁ。おれが何したっていうんだよ」
「自分は今まで何もしてませんみたいな……良く思い返してみろ」
「昊まで言う?」
「無自覚トラブルメイカーなんだよ、鷹間は」
 思い当たる節ゼロ、と言わんばかりの鷹間の態度にあきれながら昊は指摘する。
「でもさぁ、せっかく休みなんだし、良い季節なんだし、月見しない?」
 章と昊は外を覗くと、満月よりはほんの少し欠けた月が見えた。
 中秋は過ぎてしまったけれど、澄んだ秋の空にくっきりとした月は確かにきれいではある。
「月、見るだけ?」
「もちろん。気持ち程度のお酒とおつまみは用意しておくよ!」
 誘いに乗ってくれそうな気配に鷹間はうきうきと畳み掛ける。
「いや、そういう意味じゃなく……まぁ、いいや。長時間は付き合わないからな」
「わかってるって。章の貴重な睡眠時間はちゃんと確保する。昊も来るだろ?」
 章の承諾を受けて、鷹間は振り返る。
「章が行くならな」
 うなずいた昊に、満足げな鷹間は詳細はメールすると伝えて、帰ってしまう。
「……少しは売り上げに貢献していけよ」
 マイペースすぎる。
 章と昊は顔を見合わせて小さくため息をこぼした。


「で?」
「で、とは」
 文句を言いたげな章から視線を外して、鷹間はしらばっくれる。
「大学の敷地内で月見をする必要性について」
「晴れて良かったよな」
 文句を言いながらもきちんと指定した時間と場所まで来てくれるのだから章は律儀だ。
 ただ下手に説明すれば、月見の前に帰られてしまいそうなので章の背中を押し、裏門から構内に入った。
 雲一つない空にはほぼ真ん丸な月があるはずだが、鬱蒼としげる木々に阻まれて、ここでは一端しか見えない。
「章はあんまりこっちの方来ないだろ」
「用事ないからな」
 裏門側にあるのはサークル棟や運動場で、講義が終わるとさっさと帰る章たちには馴染みがない。
「おれも、あんまりこっちには来ないんだけどさ、ちょっと面白い話を聞いて」
「鷹間の面白い話って、不穏でしかないな」
 昊が苦笑いまじりにこぼす。
 口にはしないが章もおそらく同感のはずだ。
「言いたくないから言わないけどな、鷹間」
 章は声にしたことを具現する能力を持つ『浄声(じょうしょう)』で、それは形式に則らないと発現しないとはいえ、嫌な予感を言葉にはしたくないのだろう。
「大丈夫だって。普通に、月がきれいに見える場所があるんだって話なだけだから」
「鷹間の大丈夫ほど信用できないモノはない」
 昊のその言葉に章は同意の溜息をかぶせた。


「あ、これは確かに良い景色だ」
 裏門から続く林の中、直径二メートル程度の池があり、樹が途切れている。
 真上には皓々と輝く月があり、池に月が映るのもあって、外灯もないのに明るかった。
「でしょ。……やっぱりちょっと夜は冷えるねってことでお湯割りー」
 小さめボトルの焼酎とステンレスの水筒を鷹間は取り出しシートの上に並べた紙コップに注ぐ。
「近くのコンビニでおでんも買ってきたよ!」
 大きな荷物を持っていると思ったら、それ以外にもお菓子やつまみを次々と取り出す。
「どれだけ持ってきてるんだよ」
 章の声に呆れたような笑いが混ざる。
「なんか買い出したら楽しくなってきちゃってさぁ、ついね。ま、三人いれば、粗方片付くでしょ」
 おでんさえ片付ければ、あとは日持ちのするものがほとんどだし残ったとしても持ち帰れば良いだけだ。
「少し不思議なんだが、こんないいスポットに誰も来ないんだ?」
 お湯割りを飲みながら、ぼんやりと水面の月を眺めていた章が視線を鷹間に向けた。
「あー、うん。なんかねぇ、出るって噂らしくてさぁ」
 少々躊躇しながらもネタばらしをした鷹間は、章の視線が険しくなるのを感じて慌てて付け足す。
「いや、でも。ほら、章がいれば問題ないし」
「触らぬ神にって言うだろうが、学習しろよ、いい加減」
「じゃなくて、たぶん酔っぱらって幻覚でも見たんだと思うんだ。な、昊。変な気配解かないだろ」
「今のところは」
 助けを求める鷹間の目が。あまりに必死で昊は仕方なくフォローを入れる。
「もう少し自分の立場を考えろよ」
 半ばあきらめたような言葉が章の口からこぼれた。
 章の言う立場というのが、鷹間自身にとってはそれほど重要とは思えず、しかし反論しても堂々巡りになるのは目に見えているので、聞き流す。案じてもらえているのは、正直嬉しいとは思っているけれど。
「とにかく、せっかくの穴場スポットで、月はきれいでお酒は美味しい。楽しまないともったいないって……え?」
 耳元にかすかにそして不自然な風を感じ、視線をさ迷わせると何とも言えない表情の章たちと目が合う。
「なに。もしかして、何かいる?」
 何もないはずの空間になんとなく気配を感じる。
「《みおやの許しのまま、閉ざしはらえ》」
 一拍の後、章の抑揚のない静かな声が透る。
 そして鷹間の横に全体的に白っぽい人が現れた。
「ご相伴にあずかってもいいかな?」
「もちろんです。どうぞ」
 『浄声』の力で顕現したということは普通の人ではないだろうが、章たちが何も言わないということは悪いものではないはずだ。
 鷹間は新しい紙コップにお湯割りを作りと空いた場所に座った人に渡す。
「あぁ、ありがとう。……私は月の影だよ」
 疑問が顔に出ていたのだろう。コップを受け取った反対の手で池に映る月を指さす。
 精霊とか、そういうものなのだろう、きっと。
「お騒がせして申し訳ありません」
 章が静かに頭を下げる。
「この程度、騒ぎにも入らぬよ。褒められたのが嬉しくて、つい顔を出してしまった」
 目を細めてお酒を飲む姿が穏やかで、ほっとする。
「もっと、怖いものが出て来るかと」
「無粋に騒ぐ輩を追い出すのに、趣向を凝らしたからの」
 鷹間の漏らした失言に、いたずらっぽい笑みが返る。
「連れが無礼を」
「構わぬよ。こうして話せるも楽しいものだ。せっかくの佳き月、良き酒なのだから」
「良かったら、こっちも召し上がってくださいね」
 鷹揚に許す月影にほっとしていた章は、つまみを差し出した鷹間の後頭部を軽くはたく。
 二人の様子を楽しげに眺める月影に昊は静かにお酒のお代わりを注いだ。
  

 更ける夜。
 池の月が溶け消え、そして紙の酒杯のみが残った。

【終】




Oct. 2018
関連→連作【神鬼】