遣神(つかいがみ)



「ただいまー」
 夜に沈む閑静な住宅街に、不釣り合いな明かりを放つコンビニのドアを開ける。
 相変わらずお客ゼロの店内にはレジカウンターで本を読む店員と、商品を前出ししている店員の二人。
「ここはお前の家か?」
 呆れ声で突っ込んだ昊(こう)は陳列の手を止めて立ち上がる。
「そうじゃないけどさ。帰って来たら挨拶はただいまでしょ。これ、お土産」
 チーズケーキの入った箱を渡すと、昊はカウンターにいる章(あや)にそれをまわす。
「旅行か?」
「っていうか、『加護』を享けにねー。途中のサービスエリアで買った」
「地味に情報漏えいするなよ」
 パッケージに書かれた須里高原チーズケーキの文字を見て、章は思い切り顔をしかめる。
「別に隠す意味ないでしょ。『境木(さかき)』だって本山の場所くらい察しがついてるはずだし」
 『鷹間(たかま)』の本拠地の完全な位置は分かってないとしても、須里付近にあることくらい、わかっていなければおかしい。
「そういう問題じゃない。立場を考えろって話だ」
 読みかけの本を音を立てて閉じ、章は苦い声を鷹間に向ける。
「別に敵対組織ってわけじゃないんだから」
 神の声を聴くとされる『鷹間』と鬼を従える声を持つ『境木』。
 それぞれ特殊な力を持つが、反目する必要もないはずだ。
「不可侵でうまくいっているところに、余計な波風を立てる必要はないだろ」
 聞き分けない子供を諭すように、こちらをまっすぐ見つめる昊は、どこからどう見ても人間だけれど、章を主人とする使鬼だ。
「何にも知らないくせに『穢れ』で一括りにするとか、バカバカしいだろ」
 選民意識の高い『鷹間』の集まりに出る度に、呈される苦言。
 不浄に触れるな。特に鬼を擁す『境木』には近づくな。
 耳にタコができるくらい繰り返されているが、章も昊もごく全うで、自分なんかより、ずっときちんとしている。
「ほら。コーヒー。ここに置くぞ」
 売り物ではない、店員用に用意してあるコーヒーを入れたカップを章はイートイン用のテーブルに置く。
「ありがとー」
 普段なら「うちは喫茶店じゃない」等、ひとしきり文句を言うのに、凹んだり弱ったりしている時は気遣ってくれることが嬉しい。
「それ言うならこっちだろ。土産ありがとう」
 無愛想な章がめずらしく目元を和ませた。


「章はさぁ、イヤじゃないわけ?」
 一口サイズのチーズケーキの紙を剥いていた章は小さくため息をこぼす。
「これが当たり前だからな。ただ、うちは『鷹間』ほど小うるさくない。だから鷹間は大変だと思う。文句言いたくなるのもわかる」
 章は幼い頃から、相応の教育を受けているはずだ。そしてそれに伴う制限も数多にあるはずで、なのに、それを当たり前だと言いきれる潔さを実は尊敬している。本人に言えば嫌がりそうだから口にはしないけれど。
「おれって中途半端だよなぁ」
 残っていたコーヒーを鷹間はずるずるとすする。
「そこが鷹間の良いところだろ?」
「中途半端がぁ?」
 昊の慰めの言葉はその場しのぎの適当にしか聞こえない。
「そうじゃなくてさ。鷹間は反省できて、他人を認められて、良いとこを見つけるのもうまくて、やさしい。トラブルメーカーなのは頂けないけどな」
 まっすぐに褒められ、居たたまれなくなっていたところに、最後に付け加えられたマイナスポイントに鷹間は肩を落とす。
「それはおれのせいではないだろ。章と昊が」
「助けてくださいっ!」
 扉が全開に大きく開くと同時に入って来た女の子が近くに立っていた昊に縋り付く。
 反動で行ったり来たりするドアが完全に落ち着くと昊はやんわりと女の子を離す。
「なにが?」
 どことなく不機嫌そうに細められた昊の眼を女の子は真ん丸でこぼれそうな大きな目で見上げる。
 かわいい子だった。
 ふんわりと柔らかそうな髪を二つに結んで、真っ白なワンピースを着ていて、高校生くらいに見えた。
 自分があんな子にしがみつかれてお願いされたら何でも聞いちゃうけどなぁと、鷹間は少々うらやましく様子を眺める。
「このままじゃ、友達が殺されちゃうんです!」
 昊の制服のシャツを掴み、幼い顔立ちとは裏腹の物騒な言葉を口にする。
「だから?」
「助けてくださいって言ってるでしょっ。あなたは、」
「おれはただの使鬼だ。知ってるはずだ」
 日頃はどちらかと言えば愛想が良い昊の声が今は冷たく、安易に口をはさめない。
 が、この様子だとかわいい女の子は人間ではないのだろう。
 カウンターから一歩も動かず、状況を眺めている章も今のところ何か言う気もないようだ。
「ずいぶん、ヘタレたのね。あの」
「余計な口を利くなと言ったつもりだが?」
「飼い馴らされたものね」
「挑発のつもりだろうが、おれにとっては褒め言葉だ」
 昊は口角を上げて笑顔を作るが目は冷えたままで、空気は全く和らがない。
 このまま殺伐とした状況が続くのは辛い。
 仲裁するべきだろうかと章に視線を向けると、軽くため息をつく様子が目に入る。
「営業妨害。これ以上は外でやれ」
 火に油だろ、これ。
 案の定女の子は章を睨み付ける。
「人間ごときがえらそうに」
「オマエ」
 殺気のこもった声に威勢の良かった女の子も思わず息をのんだ。
「昊」
 それを意に介した様子もなく、どこかのんびりと章が名前を呼ぶ。
「……わかってる」
 あまり納得していない風に、それでも殺気は完全に消え、空気が緩む。
「で? 人間ごときでも良ければ話くらい聞くけど? 解決してあげられるかはわからないけれど」
 静かになった店内に、章のやわらかな声が通る。
「章!」
 それを諌めるように今度は昊が呼ぶ。
「困ってるんだろ、友達」
 言葉を具現する≪浄声≫の力は使っていないはずなのに、頼りたくなる章の深い声。
 女の子は何度も迷うように視線を動かし、意を決したように章に近づく。
「…………おねがい。あの子を助けて。このままじゃ、死んじゃう」
 か細いけれど、必死な懇願。
「絶対は約束できない。善処する。それで良ければ」
 女の子は何度もうなずく。
 涙をこらえているように見えた。
「不服そうだねぇ?」
 昊の隣に立ち、鷹間は小さく声をかける。
「……言っても聞かないからな、章は」
 諦めたように深々とため息をついた昊は、いつも通りで、鷹間は笑みに紛らさせてほっと息をついた。


「ここ?」
 女の子の案内で連れてこられたのは、郊外の随分ひらけた場所だった。
 杭とロープで囲われていて、重機が数台あるところを見ると、宅地造成でもしそうな感じだ。
「こっち」
 縞模様のロープをくぐって立ち入り禁止区域内に入っていく女の子の後に続く。
 早朝のおかげで見咎められることがないのは幸いだ。
 立ち入り禁止区域じゃなくても、こんななにもないところに若い男三人と女の子一人でいること自体、不審極まりないだろうし。
「ここ。……わかる?」
 立ち入り禁止区域内のちょうど真ん中あたりだろうか。
 小さな池の前で立ち止まった女の子は、窺うように章を見上げる。
「このままじゃ埋め立てられて、ここに住む、あの子は死んでしまう」
「引っ越しとか、出来ないのか?」
 池に住んでいるものが何かはわからないけれど、別の池に移動させるのでは駄目なのだろうか。
「簡単に言わないで!」
「ごめん」
 女の子の鋭い視線に鷹間は反射的に謝る。
「まぁ、棲んでる魚を連れ帰る風にはいかないだろうねぇ。それにしても、工事もまだなのにずいぶん弱ってないか?」
 昊は特に何か居るようには見えない池に視線を向ける。
「≪かそけき者、我が声に応えよ≫」
 章が一つ手を打ち、池に声をかけると、水面が揺れ、和服姿の少女の姿がぼんやりと浮かび上がる。
「ミナ。もう大丈夫だよ。助けてくれるって」
「ハク。私はもういいの。言ったでしょう。御足労頂いたのにすみません。私はこの池とともに生き、朽ちるものです。その時を待つ準備も出来ています」
「私はイヤだから!」
 すべてを受け入れているような落ちついた声音に、駄々っ子のようにハクは叫ぶ。
「それは本音だろうけれど、それでもどんな形であっても一緒にあれる未来を望めるとしたら?」
「……大きな代償を払わされそうなお話ですね?」
 章の声は真摯だけれど、内容は確かに悪魔の取引のように聞こえなくもない。
 自覚はあったのか章は苦笑する。
「あなた方が代償を払う必要はない。ただ絶対助けるともいえない。最善は尽くすけれど」
「何故そこまで。あなたに利はないのに」
「……人間の身勝手で追いやられるのを知ったのに、放っておくのも寝覚めが悪いですから。で、どうします?」
「ミナ。おねがい。私、一人になるのヤだよ」
 今にも泣きだしそうなハクと章の顔を交互に見たミナは深く頭を下げた。
「よろしくお願いします」


 池の縁に片膝をつき、章は一つ手を打った後、水面に触れるとこちらには聞き取ることができない小さな声で言葉を紡ぐ。
 それに反応するように水面が静かに波紋を描き、ミナの姿が溶ける。
 章の放つ吐息にも似た音が止まると、波紋はゆっくりと収束しだし、最後に残った揺れを章は掬い取る。
「ハク殿。……手を」
 唐突に呼ばれて驚きながらも、素直に近づいてきたハクの手に、章は掬い取った水を注ぎ移す。
「飲んでください」
「……ミナは?」
「馴染むまでしばらくかかるとは思いますが、あなたと共に生きていけるはずです」
 ハクは小さくうなずき、手の中の水を飲み干す。
「うん。居るね。ここに」
 ハクは自分の胸をそっと押さえて、やわらかに微笑った。
「……ありがと」
 

「眠い」
 ハクと別れた途端、章は普段通りの疲れた声でこぼす。
「自業自得だ。あんなのに丁寧にいちいち構う必要はない。為にならない」
 一連の行動に口を挟んでいなかったが、許容していたわけではなかったようだ。
 不機嫌としか言いようのない声音の昊に章は弁明する気もないらしく無視して先を行く。
「でも、喜んでたし、良かったよ。章はすごいよ」
 すごく嬉しそうな笑顔を思い返す。
「? なに」
 章と昊が同時に振り返りこちらを見る。
「べつに」
「鷹間だよなぁ」
 どこか呆れたような口調の二人は、それ以上は言わず、さっさと歩きだす。
 腑には落ちないものの、とりあえずギスギスした空気が消えたことで良しとして、鷹間は二人を追いかけた。

【終】




May 2017