そつのない、というのが印象だった。
クラスの中心的な集団の中で、愉しそうに騒いでいるうちの一人。
授業中は寝たりもせず、比較的まじめに授業を受けていて、それを少し意外に思った。
席が近いため、その程度の認識はあったが、あとはクラスメイトとして挨拶を交わす程度で、深く関わることはないと思っていた。
だから、『乗客』の名を知らされたとき、おどろいた。
不眠の人間に、ちょっとした手伝いをしてもらい、その対価に安眠をわたす仲介役を手伝うようになって数ヶ月。
知り合いに当たることは想定していなかった。
不眠の人間が必ずしも、そこに来るわけではないのだ。
そしてその当人はとても不眠に陥るタイプには見えず、同姓同名の別人という一縷の望みを持った。
残念ながら目の前に現れたのは見慣れたクラスメイトだったけれど。
「水弥一真(みずや かずま)様ですね?」
動揺は思ったより声に現れず、このときほど、感情が表に出にくい性質に感謝したことはないかもしれない。
おかげで水弥は不審げにこちらを見たもののクラスメイトだとは気付きもしなかった。
不幸中の幸いだ。
「良かったねー、バレなくて」
戻ってきて早々、心のこもっていない言葉をかける叔父に眉をひそめる。
「バレたら面白かったのに、って顔に描いてある」
「穿った見方をするもんじゃないよ。僕がそんなひどいこと思うはずないじゃないか」
柔和な笑顔でうそぶく。
「代わってくれ」
もともとはこの叔父がやっていたことだ。その役目を無理やり押し付けられたこと自体、かなり不本意なのだ。
その上、クラスメイトを相手にするなんて冗談ではない。
「僕は他にやることがあるから。弓弦(ゆづる)も往生際の悪いこと言ってないで、一旦引き受けたことは最後までやり遂げなさいな」
穏やかな口調で、しかし我を通す叔父の性格は熟知している。
「やりたくてやってるんじゃない」
意を汲んでもらえないことはわかっているが、不満ぐらい言わないとやってられない。
「大丈夫。弓弦は僕より向いてるから」
全くもって根拠のない叔父の言葉に深々と溜息を返した。
幾度かの手伝いをしてもらって、そつのないという印象より深まった。
対象との距離のとり方、話し方、視線の合わせ方。
押し付けがましくなく、それなりに親身になに感じられる雰囲気。
ものすごく不本意ではあるけれど、自分の正体がばれた後も、程よくこちらの間合いを読む。
それが逆に腹立たしくもあったけれど。
「彼は当たりだねぇ。良い拾い物した」
満足げに言う叔父の言葉に否やはなかった。
かつんと静かにドアが閉まる音。
矢を放ったあと、小さく息を吐く。
気付かないふりをする為に、つぎの矢を番える。
中に入ってきて畳に正座する水弥を視線だけで確認して、矢を放つ。
出来れば話などしたくはないが、そのまま放置しておいても仕方がないので、諦めて弓をおく。
「はよーっす」
邪魔にならないタイミングで挨拶してくる水弥に向かい合う。
「早起きだな」
「あの状態で二度寝出来るか。渡井、あれ失敗だろ」
眉をひそめて水弥はどこか苛立たしげに言う。
前夜に仲介した相手のことを言っていることはすぐにわかった。
たしかに、夢に浸りきった対象を現実に立ち返らせることが目的ではあった。
「別に。オレは会って話をしてくれ、と言っただけだし、水弥はそれを果たしたんじゃないのか?」
細かい説明をしないままに巻き込んではいたが、水弥はかなり正確に状況を把握しているようだ。
「本当にそれだけで良いのか? 連れて帰るのが目的なんじゃないのか?」
不審そうに見られ、ため息をつく。
「たぶん、それが出来ればベストなんだろうけれど、絶対ということもない。……助けろ、という依頼があって動いているわけでもない。ある種、慈善事業みたいなものだしな」
あの、人を食った叔父から押し付けられているだけの自分も全てを知らされているわけではないが、どこからか報酬が出ているわけではないはずだ。
「慈善事業?」
「だから、別に水弥が気にすることはない。あの件はあれで終了で構わない」
もともと、好きで引きこもっている人間に声をかける意義はないと思っている。
人選には自分の意思を挟む余地がないので、仲介はしたけれど。
「おれがもう一度、同じヤツに会いに行きたいといったら?」
水弥の言葉にかるい違和感を覚える。
今まで見ていた限り、対象に深く関わるタイプだとは思っていなかった。
「一期一会が基本だから無理。だいたい、戻る気のない者を連れ帰ったって、同じことを繰り返すから無駄な労力が増えるだけだ」
伝えると、水弥は考え込むように黙る。
「不服そうだが、何かこだわる理由でもあるのか?」
黙りこくった水弥に水を向けると、諦めたように、うすく笑う。
「いや、消化不良なだけ」
ごろりと板間に寝転がりそっぽを向く。
「うまくいかないもんだなぁ」
「水弥はうまくやってるよ」
ひとり言めいた呟きが、本気でへこんで聞こえて、思わず口にする。
柄にもないことを言った気恥ずかしさから、顔を合わせないよう的場に向かった。
「渡井さぁ、ここいつも一人だけど、他に部員いないのか?」
弓を置くと、水弥が口を開く。
というか、なんで昨日の今日でまた来ているんだ。
昨日はあんなことがあった後だからまだしも、今日は何も用がないはずだ。
昨夜は仲介もしていない。
「三年に数人いるが、朝練には出てこない」
ちなみに昼練にも出てこない日のほうが多い。おまけに顧問もろくに顔を出さないので、気楽でありがたい。
その分、こうして部外者にしょっちゅう出入りされてしまうようではありがたさも半減だが。
「うちの学校、部活動ゆるいもんな。納得」
「今日は何の用だよ」
「別に用はないけど? 早く目が覚めたし、暇だし、弓道見てるの割と楽しいし?」
寝付きが良くないのに、目覚めは良いのか?
「暇なら、どこか部活はいれば?」
確か帰宅部だったはずだ。
弓道部に入られると、必然的に自分が教える羽目になるので勘弁だが、団体競技とか、向いてそうだ。
協調性があって、人をまとめるのが上手そうに見える。
「あー、部活ねぇ。中学の時はサッカーやってたよ」
どこかとおい目をして小さく笑みを浮かべる。
じゃあ、またやれば? と、気軽に言えない雰囲気があって、黙る。
「そーいうところ、良いよな。渡井って」
なんというか、水弥の言葉の選び方は、たまにすごくまっすぐすぎて反応に困る。
ここで、突っ込んで聞いて良いものかどうかにも迷う。
もともと、バレなければ現実で深く関わることなどなかったはずの相手で、本音を言えば無理に聞き出したいほどの関心があるわけでもない。
どこまで踏み込んでいいものか。
「高校にあがる直前に、膝をやっちゃってね。激しい運動は不可なんだ」
達観したような微笑。
「今は無理しなければ、体育の授業くらいなら普通に参加できる程度まで回復したから、それほど問題ないんだけどな。……ただ、一応、サッカーで推薦取れる程度にのめり込んでいたから、当時はさすがにショックだったけど」
かるく話しているが、けっこう重たい話じゃないか?
推薦とっていたのに今うちの学校に居るということは、受験しなおしたのだろうし、それだけでも大変だったはずだ。
怪我のことが影響して不眠気味になったのか。
「ちなみに不眠はこの件とは無関係だよ。たぶん。……いや、ある意味関係あるのか?」
こちらの表情を読んだようなタイミングで言った水弥は途中で首を傾げる。
「何だそれ」
「たぶん、体力が有り余ってるんだよ。運動しなくなってるから」
「……別に、うちの学校の部活なんて体育と大した差はないんじゃないか?」
あまりにも諦めきった笑みが気になり、先ほどは言えなかった言葉を思わず口を出す。
朝練をやっている部なんてほぼ皆無のはずだし、昼練もみっちりやっているところは少ない。
おかげで大会等では勝てないが。もともと部活をしっかりしていような人間はうちの学校は選ばないから問題ないのだろう。
だからこそ、気楽に参加できるはずだ。
「まぁ、そうなんだけどな」
水弥はそれ以上は何も言わず、苦笑いを浮かべる。
その表情を見て、気取られないよう息を吐く。
「水弥、やっぱりもう止めた方がいい」
「はぁ?」
「この間のヤツにこだわっていたのは、同調してたからじゃないのか? ああいうのは結構いる。いちいち親身になるのは、どうかと思う」
同調は戻れなくなるという危険があるせいもあるが、あんな風に引きずっていては安眠の意味がない。
「さすがに、それが渡井の親切心だっていうのはわかるけどさ、余計なお世話。で、おれのこと、良くとりすぎ」
水弥は大きなため息を一つついて立ち上がる。
「前にも言ったけど、おれは気にいってるんだよ、快眠定期。その後のことは自己責任だから、渡井が気にする必要はない」
じゃ、また教室で。と言い残し軽やかに弓道場を出て行く。
なんか、やり込められた感じでものすごく釈然としない。
やり場のない怒りに似たものの持って行き場が見当たらずにいるところに予予鈴が鳴る。
時間を見計らって、立ち去ったソツのなさがいまいましい。
「くそ。こっちの着替えの時間を考慮して話を打ち切れよな」
手早く片付けに取り掛かかることで、とりあえず腹立たしさを押し込めた。
Dec. 2012
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