『ヒトに関わるなよ、イク』
 幼い頃から繰り返された言葉。
「……でも、どうしようもなかったんだよ、長」 
 関わるな、の真意を理解するには痛みを伴って、理解した時には遅すぎた。
「……ごめん」
 その言葉を受ける者は、居なかった。


「何やってんだ、こんなトコで」
 イクは木の上から声をかける。
 『森』の入口。
 普通の人間は入り込まない場所だ。
 わたわたとうろたえている少女に、木から降りたイクは重ねて問う。
「迷子か?」
「なっ、失礼ねっ。子供扱いしてっ」
 憤慨してにらむ少女の頭を、イクはニヤニヤしてたたく。
「十五、六じゃ立派に子供だよ」
「っざけないで、私は二十一よっ」
 噛み付きそうな勢いで、がなる少女――見た目は、であるが――とは反対にイクは力なくしゃがみこむ。
 どう見ても外見は、成人には見えない。
「うーそーだろぉ」
 自分を納得させる如く一人ごちているイクを観察して、少女は小さく尋ねた。
「精氏族?」


「あんな『伝説』、信じてる奴がいるとは思わなかった」
 紅色の眼に微苦笑を浮かべてイクは続ける。
「オレは炎を司る精氏、名前はイク」
 精氏族。自然物との『対話』が可能であるといわれる種族。
 どこにいるか、それ以上に実在するのかさえも謎とされた、
 それを目の前にしたせいか、少女はにこにこと言う。
「私はユーキ。年はさっきも行った通り二十一。考古神秘学の勉強してる。あなたはいくつ? 精氏族って見た目通りの歳じゃないんでしょう?」
「詳しいな」
 普通の人間とは違い、精氏族の外見年齢は重ねた年数と比例しない。
 個体差はあるが青年期がかなり長く、幼年期、老年期が短い。
 見た目が十九、二十位のイクが、実は三十と言うことも有り得るのだ。
「オレは見た目とそんなに変わんないよ。二十年かな、『森』に居るのは」
 赤茶の髪をかきあげ、イクは答える。
「じゃ、私のが年上ね。……って何? 『居るのは』って」
 イクの引っかかる言い回しに気がついて、ユーキは再度問う。
「お子様は帰る時間だぞ」
 思いっきり話を逸らすと、あやすようにユーキの頭をぽんぽんっとたたいて、イクは森の奥へ向かう。
「教えてくれるまで帰らないっ」
「御自由に」
 背を向けたままイクは手を振る。
「教えてよっ。気になって眠れなくなっちゃう」
 行ってしまおうとするイクの服をつかんでユーキは子供のように言う。
「駄々っ子かよ。ったく、教えてやるから帰れよ?」
 深い溜息をついて、首を縦に振るユーキを見る。
 厄介なものに引っかかってしまったと思いつつイクは口を開いた。
「精氏族には親と言うものが存在しない。何時の間にか、『森』に居るんだ。わかったら帰る」
 至極簡単で不親切な説明であったにも関わらず、ユーキは満足したらしい。
「ありがと。じゃまたね、イク」
 ぶんぶんと手を振ってユーキは森から出ていく。
「またねってのは何だよ」
 ユーキの後ろ姿を見ながらイクはげっそりと呟いた。


「イクーっ、居る?」
 大声で呼ばれイクは木から落ちそうになる。
 見た目だけではなく、行動も子供のようだ。
「居なけりゃ良かったなぁと思ってるところだよ」
「年上を敬うってコト知らないのぉ」
 木から降りてきたイクを見上げてユーキは頬を膨らませる。
「言動見てると年上に見えねーよ、あんたの場合」
「ユーキ、だよ。あんたってのは止めてよ」
 怒るユーキを、わかったわかったと取り成してイクは話を変える。
「で、昨日の今日で何の用だ?」
「森の中、案内して」
 予想通りの答えが返ってきてイクは即答する。
「ダメ」
「何にも変な事しないから。他の人にもしゃべらないし」
 イクの眼を見てユーキは懇願する。
「ダメ。精氏は全般に『外』の介入を嫌うの。オレだってガキの頃からヒトに関わるなって言われてるし。これだってバレたらどうなるか」
 それだけでなく、ヒト一人くらい、抹消してしまうのは問題無いのだ、精氏にとっては。
 イクの拒否の言葉と表情でユーキは諦めたように尋ねる。
「それって精氏狩りのせい?」
 何百年か前、金に目の眩んだ人間が見世物にするため数多の精氏を捕獲した事件。
 人界では作り話だというのが圧倒的意見になってはいるが。
「おそらくね」
 『森』の中ではれっきとした史実として残っている。
「……イクは気にしないんだ?」
「そんなには。おれ自身が実際直面したわけじゃないし。暇だし、『森』の外なら何も問題無い」
 ユーキが絶対森の中に行く、と言わなかったことにイクはほっとする。
「そっかぁ、暇つぶしなのか。私はイクに会うの楽しみにしてたんだけどー」
 ぶつぶつと下を向いて呟くユーキを見てイクは肩を竦める。
「一緒に居てつまんない奴だったら、いつまでも話しなんかしねーよ」
「ホントっ?」
 ぱっと顔をほころばせて、ユーキはイクを見る。
「本当だって。精氏は嘘つかないんだよ」
 嬉しそうにしているユーキを見てイクも笑みを浮かべる。
「嘘つけないんじゃないんだ」
「つけるけどつかないってのが大事なんだよ」
 イクは何故大切かには触れずに続ける。
「ユーキも嘘つけないだろ、すぐ顔に出るもんな」
「どぉせね」
 むくれるユーキにイクは笑みを向ける。
「誉めてるんだけど、オレは」
 裏表がないから安心させられるのだ。
「なら良いけどね」
 ユーキの小さな子供の様な笑顔を見て、良く人界で生きていられるなと頭の隅で考え、イクは溜息に似た微笑をもらした。


「ユーキ、そろそろ森に入り浸るの止めたら?」
 ユーキが森──入口手前だが──へ来始めてから半年余が過ぎた。
 ほぼ毎日、朝から日暮れまで居るのだ。
「迷惑?」
 捨てられた子犬のような眼で尋ねられ、イクは否定の語を口にする。
「迷惑じゃないよ」
 でなければ、毎日一緒に居たりしない。楽しいと思ってる。
 それは口にせず別のことを言う。
「ただ、毎日こっちに居ると普段の生活が困るだろ? 学校とか。親も心配するだろうし」
「学校はね、休職願いが出してあって、ね」
 言いにくそうにユーキは呟く。
「休職? 休学だろーが、間違うなよ」
「休職なの。学生じゃなくて、講師」
 呆れたように訂正したイクにユーキは訂正を重ねた。
 イクは眉をひそめる。
「講師って教える方ってことか? 生徒は妙な気分だったろうなぁ」
「どーせっ、わたしは十五、六にしか見えない童顔よっ」
 イクに言われる前にユーキは自分で言う。頬を膨らませて。
「可愛くていーよ」
 ユーキの膨れた頬を、ふにっと引っ張ってイクは微笑んだ。


「ごめんね、イク」
 イクの腕の中でユーキは呟く。
「なんでっ、体、おかしいなら、早く言わないんだよっ。こんな」
 腹が立つのは自分が気づけなかったこと。
 こんなに、ユーキに死が近づくまで。
「だって。イクと居たかったから」
「ばか、だろ」
 森と人界と体内の時間の相違が体をムシばんでいる。
 気づいたのは死の間際、ユーキが倒れた時で、取り戻すには遅すぎた。
「先に、いってごめんね。最期がイクと一緒で、嬉しいよ」
 こんな時でも、いつもと変わらぬ笑みを浮かべる。
 イクもつられて笑む。
「一緒に、いけなくて残念だけど、ずっと覚えてるよ、ユーキ」
「うん、……じゃあね」
 一年前から繰り返された別れ際の言葉。
 「また明日ね」という言葉は続かない。
 そしてユーキは居なくなった。
 残ったヌケガラをイクは地面に横たえる。
「『炎者』」
 喚ばれた炎は、主の意を汲み、ユーキを包んだ。
「ごめん」
 ヌケガラさえもなくなった地面には、ぱたぱたと水滴がしみをつくった。

【終】




May. 1996