すとーかー



 1 飛鳥井

 九時三十六分PM。
 東へ徒歩十二分でJRの駅へ。西へ徒歩十五分で私鉄の駅、という便が良いのかイマイチなのか微妙な立地にある四階建てのワンルームマンション。
 そのベランダから向かいの建物を眺める。
 一階にはカフェ、二階は会社の事務所、三階は英会話教室、四階はパソコン教室が入った雑居ビル。
 三階の明りが消え、外側にくっついている螺旋階段を十数人が降りてきて、大半がJR方面へ向かっていく。
 ただ、たった一人。ふんわりしたかわいらしい雰囲気の女性だけ、いつものように挨拶を交わし、西方面に歩き出す。
 雑居ビルの隣にあるコンビニから出てきた青年が女性のあとを追うように続く。
 ほぼ毎日繰り返されている状況。少なくともここ一月は。
「よし」
 携帯と財布だけが入った小さなかばんと鍵をつかんで部屋を出た。


「っていうか、これってストーカーだよね」
 小さく呟き、青年のあとを追う。
 十メートルくらい先にいる青年のそのまた十メートルくらい先には女性のうしろ姿が見える。
「普通にかっこいいと思うんだけどねぇ。まぁ、年の差は少しあるけど。あのお姉さん、かわいい感じだし全然問題なさそう……ってダメか」
 週に一度くらいの割合で女性を迎えに来ている男性の存在を忘れていた。その男性の姿を見つけるとストーカー青年はあとを追うことなくいなくなっていた。
 ストーカーの癖に恋人の存在が気にならないのか? ナゾだ。
 まぁ、ストーカーの心理自体ナゾだけど。そんなこと言ったら。
 相変わらずストーカー青年は一定の距離をあけて女性のあとをつけている。
「おい、ストーカー」
 耳元にささやくような声と同時に肩に手が置かれる。
「――っっ」
 ぎゃーっと叫びださなかった己の自制心を褒めてやりたい。
 心臓まだバクバクいってるじゃないか。何てことするんだ。
「諏訪ー。何のつもりよ」
 腐れ縁の同級生を睨みつけ小声で文句を言う。人聞きの悪いことを言うなよぉ。
「飛鳥井さぁ、彼氏ナシが長くてさみしいのはわかるけどストーカーは感心しないなぁ」
 憐れむような目で見るんじゃない。失礼なやつだな。まったく。
「誰がストーカーよ」
「どっから見てもストーカーだろ。少なくともここ一週間、毎日あの男のあとをつけてるよな」
 実際のところ二週間になる、なんてことわざわざ申告したりしないけどさ。
「っていうか、それを知ってる諏訪はどうなの?」
「同じマンションに住んでるんだからしょうがないっしょ。たまたま目に入って、さぁ。夜道をふらふら出てったら危ないだろ」
 ぱこん、とかるく後頭部をたたかれる。
 まだ十時前なんだけどなぁ。それに人気のないところ歩いてるわけじゃないし、とか思ったりもするけれど。心配してくれたのは確かだし、ちょっと嬉しい。
「ありがと」
「オマエ、たまに素直だよなぁ。ほら、帰るぞ?」
 手を引っ張られる。
「なんで?」
「なんで、って。ストーカーを毎日ストーカーしてどうするの。飛鳥井、あのストーカーのこと好きなの?」
 話が飛躍してないか?
「なんでそんな話になるの? あのストーカーがあの女の人に何かしたら困るでしょ。だから」
 そのために気になって、毎日ついていってたんだし。
 女性が改札を通るのを見届けるとストーカー氏は、それ以上追うことなく路地を抜けていってしまっていたからできた事だけど。
「あー、大丈夫。そういうコトできないタイプだよ、あのストーカーは」
 諏訪はきっぱりと言う。
「なんで言い切れるの」
「だって同じ科だし」
「え? ……って、うちの学生なの?」
 意外。
「そんなに驚くことか? ストーカー行為除けば、別に普通にマトモだろ、ヤツは」
 確かに。
「まぁね。結構かっこいいしね」
「おれのがカッコいい」
 胸を張る諏訪の肩をぽんとたたく。
「うんうん。そうだね」
「思ってないだろ、お前」
「いやいや、誰も言ってくれないから自分で言う辺り、哀れだよなぁなんて思ってないよ?」
 ストーカー氏の姿はとっくに見えなくなっていて、いつまでも留まっていても仕方ないのでもと来た道を戻る。
「言い逃げするな」
「してないよー。で、諏訪はストーカー氏と仲良いの?」
 追いかけてきた諏訪に尋ねる。
「挨拶程度かな。それより、もうあとつけるのは止めろよ」
「…………はーい」
 苦くいう諏訪の言葉におとなしく返事をする。
 口うるさいなぁ、とは思うけど。反論しても、余計にくどくど言われるだけだし。
「ねぇ、諏訪。おなか空かない? なんかちょっと食べていこー」
「太るぞ?」
「ありがと。諏訪のおごりね?」
 軽く足元にけりを入れてから、手近なカフェに足を向けた。


 2 諏訪

「飛鳥井、こっち」
 お盆を持ってきょろきょろしている姿を見つけて手を振る。
「……諏訪ぁ。なに、わざわざ呼び出して」
 キープしてあった向かいの席に座り、ぶすくれた口調で続ける。
「私、今日はがっつり定食気分だったんだけど」
 麺中心の南食堂に呼び出したのは失敗だったか。麺類好きだから気を利かせたつもりだったんだが、裏目に出たな。
「お詫びに今度おごる」
 っていうか、昨日もおごらされたな。そういえば。
「あ、そう? シャンドールの限定パフェね」
「なんでだよ。中央食堂の定食じゃねぇの?」
 定食なら四百円前後で済むのに、あそこのパフェ、千円ぐらいするじゃねぇか。
 飛鳥井はカレーうどんを飲み込んで笑う。
「男一人でパフェ食べに行くのさみしいでしょ? 付き合ってあげるんだよ」
 自分ひとりだったら、わざわざ食べにはいかないけど。その辺りは言っても無駄だろうな。
「で、何の用だったの?」
 飛鳥井は意識の大半をカレーうどんに集中しながら一応、本題も忘れずに尋ねてくる。
「あぁ。……おい、矢倉。こっち」
 もう一人の待ち人の姿を見つけて手を振ると、了解したように手を上げてからこちらへ来る。
「悪い。遅くなった」
「いや、おれが無理言ったんだし。で、こっちが飛鳥井。……飛鳥井、」
「あ、ストーカー氏」
 どんぶりから顔をあげた飛鳥井がごく普通に口にする。
 周囲のざわめきが一瞬静まった気がする。
 なんてこと言うんだ、場所考えろよ。
「えぇと、矢倉です」
 ストーカー呼ばわりされた矢倉は苦笑いして名乗る。
「飛鳥井です」
 ストーカー発言のあとで良く普通に名乗れるよな、こいつも。
「えぇと、誤解をときに来ました」


 3 矢倉

「矢倉、だよな?」
 隣席から声を掛けられ、顔をあげる。
 マトモに口を利くのは初めてだったと思う。挨拶くらいは交わしたことがあったかもしれないけれど。
「……えぇと、諏訪?」
 わざわざ何だ? 他にも空いている席もあるのに。
「講義終わったあと、ちょっと良いか?」
「なんで?」
 とりたてて接点ないのに。ノート貸せ、とかだったらこの場で済む話だ。
「毎日九時半くらいに、杵築町のコンビニにいるだろ? で、そのあと杵築新駅方面に行くよな?」
「……なんで?」
 知ってるんだ、そんなこと。
「おれのアパート、あのコンビニの向かいなんだよねぇ」
 苦笑い含みの言葉。
「そうなんだ。それで、なんで?」
 さっきから、『なんで?』しか言ってないな、おれ。
「同じアパートに住んでるヤツがね、矢倉の行動を不審に思って毎日あとを追っかけてるんだよ」
 まじまじと諏訪の顔を見つめる。
「それって」
 まさか。
「女の人の後ろ、つけてるよな?」
 よりいっそうひそめてくれた声に、思わず机に突っ伏す。
 そこまで、見られてるのか。
「おれはねぇ、矢倉が妙な目的でそういうコトやってるとは思えないから、放っておけば良いって言っておいたんだけど。とにかく好奇心旺盛でさぁ。放っておくと、矢倉に迷惑かけることになりかねないから」
 諏訪は「その辺りの誤解を対面でといちゃいたいんだよね」とぼやき雑じりに続ける。
 とりあえず、ストーカーだと断定されてるわけじゃなくて良かった、のか?
「ということで、二限終わったら、南食堂な。……こりゃ、休講だなぁ。じゃ、矢倉。あとでな」
 いつまでも来ない講師に見切りをつけたのか、何人も講義室を出て行くながれに雑じって、諏訪は立ち上がった。


 4 矢倉

「実はあれ、姉なんです」
 諏訪が南食堂で紹介してくれたのは女の子で、ちょっと意表をつかれた。
 そして反面、少し納得する。
「おねーさんをストーカー?」
 飛鳥井さんは軽く首を傾げて尋ねてくれる。
 屈託ないのは大変結構ですけど、出来れば学食でストーカーストーカー言わないで頂けるとありがたいんですが。
「飛鳥井」
 諏訪は咎めるように名前を呼ぶ。なんか、保護者だな、諏訪。
 しかしあまり気にした様子を見せず、飛鳥井さんは重ねて問う。
「じゃあさ、たまにお姉さんと一緒に帰ってる男の人は?」
 そこまで知ってるのか。それだけ観察されてて気付かない自分も自分だな。
 軽くため息をついて答える。
「あれは兄。姉っていうのは厳密には兄の奥さんになる人で……見た目どおり、ふわふわぼんやりした人だから、心配で」
 護衛というと大げさだけれども。
 何度かおかしな男にあとをつけられたと言うくせにどこか無頓着なのだ、あの人は。
 ぽん、と唐突に肩をたたかれる。
 何かと思って隣を見てみれば『まるっと了解した』と言わんばかりの諏訪の表情。
 バレるとは思ってはいたけども。その同情するような顔をされるとさすがにちょっとむかつく。
「やさしいねぇ、矢倉」
 頬杖ついて、飛鳥井さんは言う。
 この人はこの人でなんていうか、ちょっと天然なのか?
「えぇと、そういうことなので。ストーカーではないです。とりあえず」
 言い切ると飛鳥井さんは笑う。
「了解です。じゃ、これからお姉さん出てくるまでうちで待てば良いよ」
 毎日コンビニで時間つぶすのも大変でしょ? なんて続けるのを聞いて諏訪が脱力した。
 ……大変だな。


 5 諏訪

「良いの?」
 飛鳥井の『うちで待てば?』発言に、矢倉はにこりと返す。
 視線がこちらを向いてる辺り……バレバレかぁ?
「おれのとこでもいいけど、まぁ、おれはバイトでいないことも多いし、飛鳥井が良いなら良いんじゃないか?」
 そうとしか言えないだろ、この場合。
 まぁ、人気のない夜道をふらふらされるよりマシだと思うしかない。
 思って良いんだよな? 矢倉。
「じゃあ、お言葉に甘えて三日間、お邪魔させてもらおうかな」
「三日だけ?」
 飛鳥井が不思議そうに尋ねると、矢倉は肩をすくめる。
「今週いっぱいで退職するので」
 結婚するからか? まぁ、どちらにしても実らないし、不毛な感じだから良いきっかけだと思うけど。
 ……ヒトゴトだから、であって自分ごとだったらそんなこと考えたくないけどな。
「そっか。さみしくなるね」
 だれが? なんで? とか、つっこむべきか? どうして、そう選ぶ言葉が、微妙にわかりづらいんだよ、飛鳥井。
「じゃ、お先にー。矢倉くん、うちは四〇二号室だから」
 こちらに気持ちなど汲むはずもなく、食べ終わった丼と、荷物を持って軽やかに飛鳥井は行ってしまう。
「……大変だなぁ?」
 そのうしろ姿が見えなくなってから、矢倉は肩をたたいてくれる。
 仕返しだな、さっきの。
「そう思うなら、協力しろよ」
「失恋して傷心のおれに言うなよ。むしろジャマするかもなー」
 こいつ。こういうヤツだったのか。大人しそうなやつだと思ってたのに。
 顔は笑っていて、本気じゃないんだろうけど。
 言い返す言葉が見つからず、とりあえず顔をしかめて見せた。


 6 飛鳥井

「いらっしゃーい」
 インタホンで来訪者を確認してドアを開ける。
「良かったのかな、ほんとに」
 矢倉氏が困ったような顔でこちらを見る。
「もちろん。こっちが言い出したことなんだし」
 まだためらっている矢倉氏を置いて先に部屋に戻る。
「かぎ掛けてきてねー」
「……飛鳥井さんてさ、なんていうか。ちょっとあぶなっかしいよね?」
 これ食べてね、と矢倉氏は続ける。
 テーブルの上に置かれたのは駅前のケーキ屋さんの箱で、かえって悪いことした気分になる。気を使わせたなぁ。嬉しいけど。
「あぶなっかしくないよ、普通だよ。コーヒー、砂糖とミルクいる?」
「ありがとう。ブラックで大丈夫。でも、普通はほぼ初対面の男を一人暮らしの自分の部屋に入れないでしょ」
 すすめた椅子に座って矢倉氏は苦笑いする。
「普通はしないよ。でも、諏訪が矢倉氏はまともだって言ってたし。会って話した感じ、やっぱり良い人そうだったし。だからね」
 コーヒーと持ってきてくれたケーキを出す。
「……ちょっと諏訪に同情するかも」
 ぼそりと呟かれた言葉をかるく聞き流し、話を変える。
「そこのベランダから良く見えるんだよ」
 カーテンをまだ閉めていない窓からは、向かいのビルの明りが良く見える。
「カーテンは閉めたほうが良いんじゃないか? むこうが窓あけたら多分こっち丸見えだよ?」
 心配性というか、細かいトコ気づくなぁ。
 オマエが無頓着なだけ、とか諏訪なら言いそうだけど。
「ちょっと不思議だったんだけどさ、どうしておれの存在に気付いたの? 毎日、ベランダに出てなきゃわかんなかっただろ?」
 そうか、そこをつっこむか。っていうか普通つっこむよね。
「諏訪に同情はいらないってことなんだけどね」
 今の関係も、結構好きなのでこっちからは言ってやらないけど。
 窓をあけ、ベランダに出る。
 寒風に身震いひとつして、ベランダから道を見下ろす。
 いつもより、ちょっと早いけど。
 走ってくる人影。
 アパートの前、立ち止まって見上げる顔に、声を出さず口だけ動かして『おかえり』を伝える。
 ふり返ると、矢倉氏が複雑な表情をしている。
「……納得」
「ナイショね」
 駆け上がってくるであろう諏訪の為のコーヒーを入れながら小さく笑ってみせた。

【終】




Jan. 2009