小学生の頃、夏休みはいつも祖母の家に預けられていた。
両親は仕事で忙しくしていたし、まぁ仕方のないことだったとは思う。
ただ祖母の家は田舎で、歳の近い子供もいなくて退屈だった。
その日も宿題のノルマを終わらせてやることもなく縁側で寝ころがった。
軒先にかけられているガラスの風鈴には金魚の絵が描いてあって、下から眺めると空で泳いでいるように見えて、それが少し好きだった。
たまに吹く風に揺られてちりんちりんと鳴る風鈴の音を聞きながら微睡む。
うるさいくらいのセミの声や通り過ぎる郵便屋さんのバイクの音、お昼ご飯の準備をしている祖母の使う包丁の音をふわふわとした意識の向こうで聴いているうちに寝落ちた。
かしゃん。
突然の音に飛び起きた。
一瞬、今どこにいるのかとか時間とか判らなくて混乱する。
頭を振ってしっかり覚醒させて、風鈴が沓脱石の上に落ちて割れているのを見つけたのと、慌てた祖母が縁側に現れたのはほぼ同時だった。
「あらあら、りっちゃん、落としちゃったの? おばあちゃんに言ってくれたら取ってあげたのに。ケガはない?」
割れた風鈴を見て祖母は勘違いしたようだ。
私が風鈴を落として割ってしまったと。
「わたしじゃない」
小さく反論はした。
「そうね。おばあちゃんは怒ってないから大丈夫よ。ケガがなくて良かったわ」
祖母はわかっていると言うようにうんうんと肯いて安心させるような笑顔を私に向けた。
そうじゃない。私は嘘はついていない。
さっきまで寝ていて、落ちた音で目が覚めたんだと主張してもわかってくれないだろうと諦めた。
祖母にとって私は両親に放っておかれているかわいそうな子で、ちょっとしたいたずらをしたり嘘をついて大人の気を引こうとしていると思い込んでいる。
祖母は優しい人で嫌いではないけれど、そういうところはちょっと苦手だった。
「もうお昼ごはんができるからね。台所にいらっしゃい。風鈴はそのままにしておいてね、おばあちゃん、あとで片付けるから」
返事を待たずにパタパタと台所に戻っていく背中を見送って、破片を踏まないように気を付けながら沓脱石にあったサンダルを履く。
散らばった破片から金魚の絵が残ったかけらをそっと摘み取ってそのまま裏山へ向かった。
あれから祖母と私の間には何となく溝ができたと思う。
祖母からすれば突然そっけない態度をとりだした困った孫を刺激しないよう距離を取るようにしていたのかもしれないけれど。
小学校高学年になったこともあり祖母の家に預けられることがなくなったことも一因かもしれない。
それでもお正月やお盆には両親とともに顔を出していたけれど、高校生の時に祖母が亡くなり葬儀に出てそれきり。
そして今日、十年ぶりに祖母の家にやってきたのは間もなくこの家を取り壊すと聞いたからだ。
祖母が亡くなって十年、誰も済んでいない家は思ったよりも荒れていなかった。
おそらく隣の市にいる親戚辺りが時折手入れに来てくれているのだろう。
庭も草が全体的に生えてはいるものの、丈はそれほど高くなく、歩くのに不自由はなさそうだ。
そのことにほっちして敷地内に足を踏み入れる。
懐かしい。
引き戸の玄関。
ピンポンと音がするだけのインタホンは押してみたけどさすがに今は鳴らなかった。
そのまま庭へ回り、少し砂っぽい縁側の上を手で払ってから座る。
ここでスイカを食べたり、花火をしたり楽しいことはたくさんあった。
そして上を見る。
風鈴を見るのも好きだった。
沓脱石の上に落ちて割れていた光景は今でもはっきり思い出せた。
「よし。行きますか」
あえて声に出してから立ち上がり、裏山に向かう。
裏山と呼んではいる実際は小高い丘というか雑木林というかそんな感じの場所だ。
さすがにこちらまで手入れはされていなく、膝丈の草むらをかき分けて進む。
裏山に入ってしまえばさすがに草も減り、ひんやりと湿った空気に一息つく。
「どの辺だったかなぁ」
当時より樹も大きくなったり、増えたりしてちょっと感覚が狂う。
それでも見覚えのある石や切り株を頼りに目当ての場所にたどり着く。
そこだけ樹がなくぽかりと空が見える場所。
真ん中にある大きな切り株にあいた穴の中、それは変わらず……いや、汚れてはいたけれどなくならずにあった。
ハンカチで汚れをぬぐい、日に透かす。
風鈴のかけらに描かれた少し色あせた金魚が空の青に映える。
「え?」
ゆらりとガラスの表面が揺らいで目を瞬くあいだに金魚の絵が消えた。
ただの透明なガラス片になった向こうで何かが動いた気がして目を凝らす。
赤と黒の金魚が空を渡り雲間にかくれる。
「え?」
ガラス片と空を見比べて、そしてなんだか笑いがこみあげてくる。
幼いわだかまりがどうでも良くなった気がした。
Sep. 2025