志定蹟



 眠れない夜には定期券を持って布団に入る。
 胡散臭い経緯で手に入れたそれには【眠行 使用期限:無期限 眠交電車】と胡散臭い表記。
 それでも、嘘のように眠りに入れることだけは確かだった。


 胡散臭い定期を使った眠りの先にあるのは、寂れた改札口。そして姿勢のいい駅員が一人。
 これが夢なのか、何なのかはわからない。
 睡眠の代償に、人に会い、話を聞いてくるというのが契約だ。
「よ」
 実はクラスメイトな駅員に軽く声をかけるが、元来無愛想な渡井は、作り笑顔をすることさえ放棄して、表情を変えずに写真を取り出す。
「扱いが雑すぎる」
 親しいとまでは言えないものの、『現実』では多少なりとも話をするようになったにも拘らず、というより、『夢』の中ではより一層無愛想に拍車がかかっている。
「いってらっしゃいませ、水弥(みずや)様」
 言葉だけは丁寧に、しかしまったく気持ちのこもっていない見送りの言葉。
 胸の内は「無駄口たたいてないでさっさと行け」とでも思っているはずだ。
「はいはい。行ってきますよ」


 停車中のいつもの赤い電車に乗り込み、渡された写真を一応見ておく。
 基本、行った先にいるのは写真の人物一人だけなので、顔を覚える必要は特にない。
 写真には日に焼けた少年。小学校高学年くらいだろうか。
 活発そうに見えるこんな子供にも、夢に逃げ込む理由があるのだろうか。
 考えて、自分を振り返って苦笑いがこぼれた。
 
 
 電車の停まったかるい衝撃で目が覚めた。
 夢を見ていた気がするけれど、うっすらとしたそれは思い出す前に霧散する。
「……さて、働くか」
 ただ、なんとなく悲しいような気分だけが残っていて、ふり払うように声に出す。
 電車を降りるとホームの先に広がるのはグラウンド。
 四〇〇メートルトラック。向こう正面には古びた観客スタンド。左奥に野球用のバックネットに照明。その傍らにサッカーゴールが一組。
 地元にもよく似た感じの市民グラウンドがあったので、なんだか懐かしくなる。
 広々とした見通しのいいフィールドには対象の少年の姿はみえない。
 樹が茂っているバックネット裏か、こちらからは完全に死角になるスタンドの裏側だろうかとアタリを付けてグラウンドの中をのんびり歩く。
 芝が手入れされてないのか、まばらで、踏みしめる感触が中途半端だ。
「こんな感じだったなぁ」
 ここは写真の少年の夢の中で、自分の夢の中ではないのに、懐かしく感じて妙な気分になる。
「いるかな?」
 バックネット裏をのぞくが、木陰にも人の姿はない。
「残念」
 隠れているような気配も場所もないので、そのままスタンド裏に足を向ける。
 スタンドの裏にまわると、ハードルやトンボ、ローラー等が、整理されているとは言いにくい感じで収納されていてかるくイラッとする。
 あとで使う人のこと考えて片付けろよなぁ。
「ったく」
 せめて倒れているハードルを直そうと手を伸ばすと視界の端でぴくりと何かが動く。
「あ」
 高跳び用のマットの陰でうずくまる子供の背中を見つける。
 一瞬目が合うが、少年はあわてて目を伏せ、ますます体を小さく丸めた。
 失敗した。
 イライラが顔に出ていて、こわがらせた気がする。
「こんにちは。なにやってるんだ?」
 なるべくやさしく、責めているように聞こえないように少年の背中に声をかける。
 返事はないが、おびえている雰囲気だけは感じとれて、気づかれないようため息をつく。
「ちょっと、片付けさせてな」
 下手につつくと、余計にまずいことになりそうなので、とりあえずハードルの整理にとりかかった。


「よし、こんなもんか」
 結局きれいに並べなおしたため、結構時間がかかった。
 夢の中でも疲れるものは疲れるんだよな。
 それ以前に、他人の夢の中の散らかったハードルを片付ける意味はないのかもしれないけれど。
 性分だから仕方ない。
「これ、キミの?」
 片付け途中に見つけた、サッカーボールを少年の前に差し出すが、少年はより一層うつむき、膝に顔をうずめる。
「じゃ、借りるねー」
 少年のボールかどうかは定かではないけれど、一声かけて足元へ転がす。
 少年がこちらと話す気になってくれるまで、ずっと向き合っているのも気づまりだ。
 少年だって見ず知らずの相手に、しつこくされてもうざいだけだろうし。
 時間をつぶすのにちょうど良い。
 つま先で蹴り上げ、数度そのまま細かく弾ませる。少し大きく上げ、膝で受ける。
 何の不具合もなく、馴染んだ感触。
 背後に回し、かかとで蹴り上げ。
 現実なら、今はここまで出来ないはずのリフティングを続ける。
「え?」
 何か聞かれた声がして、ボールを手に受ける。
「……どうしたら、そんな風になれるの?」
 視線を落とすと、少年がじっとこちらを見上げていた。
 ぼそぼそとした小声に、どこかうらやまし気なものが混ざっていた。
「って、リフティング?」
「も、だけど。サッカー。オレ、全然うまくならない。つまんない」
 膝をぎゅっと抱えたまま、それでもこちらをしっかり見つめる様子が微笑ましい。
 自分も、こんな風だった。
 七歳上の兄のようになりたくて、うまくいかずに拗ねていた自分を思い出す。
「じゃ、一緒に練習するか?」
 足元にボールを落とし、それを足の甲で受け止める。
「うん」
 俯いていた姿が嘘のように、弾むように立ち上がった少年に、強くなりすぎないよう気を付けてボールをパスした。
 

 パスの応酬、シュート練習、リフティング。
 少年はうまくいかなくて、拗ねたりしながらも、何度も何度も繰り返す。
 それに付き合って、コツとかも教えたりして、兄にやってもらったことをまるっと少年に返している気になる。
 うらやまし気に憧れるような目や、うまくいったときの少年の誇らしげな笑顔は、たぶん自分もあんなだったんだろうな、と面映ゆくもなったけれど。
 楽しかった。時間を忘れた。
 そして、ふと気が付いた時には少年の姿もボールもなかった。
 たぶん、満足してくれたのだろう。
 少年が起きた時にここでのことを、覚えているのかどうかはわからないけれど、出来れば少しでも力になっていると良い。
 今そこにあったグラウンドさえも、溶けるように消え、ただ真っ暗な、何もない夜闇になる。
 それでも不思議と恐怖心はわかなかった。
 何気なく振り返ると、電車の窓からもれる規則正しく並んだ明かりが目に飛び込む。
 そのあたたかな明かりに向かって、歩き出した。


 目を開けると見慣れた天井。
「うぅ、良く寝た」
 そのままの体勢で、手探りで時計を目の前に持ってくる。
 九時二十三分。
 ベッドに入ったのが、十二時くらいだったはずだから九時間以上寝ていたことになる。
「休みで良かった」
 平日だったら完全に遅刻だ。
 体を起こし、伸びをするとメキメキと骨が鳴る。寝すぎて体が痛い。
「おれが楽しんでどうするよ」
 膝を壊して以来、以前のようなプレイは出来なくなった。
 本気でやっていた分、それはつらくて、親の心配する顔も見たくなくて、サッカーから離れてしまったけれど。
 少年と対しているときは、そんなこと忘れていた。
 触れていたボールの重みがまだ脚に残る。現実であったことのように。
 でも。
「あれは、夢だし」
 現実ではない。
 ため息と一緒に言葉を吐き出して、カーテンを開ける。
 差し込む陽光に、少し眩んだ。

【終】




May. 2014
関連→連作【眠交電車】