ひらり。
目の前を落ちていったものにつられて地面を見る。
手をのばし、拾ってみるとそれはごく普通の銀杏の葉っぱ。
「どっから……」
辺りを見わたしても葉っぱを落とすような銀杏の木は見当たらない。
「ま、いっか」
葉っぱをかばんにつっこんで、もう一度周囲を見回す。
いつからいたのか、塀の上の猫と目が合う。
驚いたように走り去った猫を見送って、トキヤも家へと急いだ。
「トキヤ、落ちたぞ」
カスガは葉っぱの軸を持ってくるくる回して見せる。
「……あぁ」
教科書を出したときに一緒に落ちたらしい。きれいに黄葉した葉っぱ。
「どうしたんだ、これ」
「昨日、カスガの家の帰りに拾ったのをそのままかばんに入れて、忘れてた」
「おれの家からトキヤの家までって、こんな黄葉してる樹あったっけ?」
頭の中で道順をたどっているのか、カスガは眉間にしわを寄せる。
「ないと思う。だいたい、拾った場所に銀杏の樹自体、見当たらなかったんだよなー」
教科書とノートを全部机の中にしまって、かばんを横にかけると、カスガから葉っぱを受け取る。
「この辺で銀杏があるのって、学校裏の八幡さんとか?」
確か大きな銀杏の樹が二本あった気がする。
「もうこんなに黄葉してるかなぁ? それにおれが拾ったの、神社からだいぶ遠いよ? 風で飛ばされたにしてもさぁ」
ちょっと無理がある気がする。
「わかんないよ。誰かの服とかにくっついてきて、そこで落ちたのかもしれないじゃないか」
「それはないよ、きっと」
「なんでだよ」
せっかくの推理を否定されてカスガはむくれる。
「だってこの葉っぱ、上から降ってきたし」
ただ地面に落ちてただけなら、きっと気付かずに通り過ぎただろう。もうずいぶん暗かった上、帰りが遅くなって慌ててたし。
「……じゃあ、誰かが上のほうから落とした」
苦し紛れの言葉にトキヤは肩をすくめる。
「なんで人が上のほうにいるんだよ……あ、」
「あ?」
次の言葉を期待して、カスガは身を乗り出す。
「そういえば、猫がいたなーって」
猫に葉っぱがくっついて、あそこで落ちた……なんてことはないだろう。猫だって自分の身体に葉っぱがくっついたら、その場でふるい落としてくる気がする。
「じゃ、その猫がくわえて来て、トキヤの前で落としたとか?」
「食べられもしないのに、猫がくわえるかなぁ?」
銀杏の葉をくわえている猫を想像してみる。
「あ、魚のしっぽに似てるから間違えた!」
カスガはパン、と手をたたく。
「カスガ、それ自分で言って信じてないだろ」
トキヤが言うとカスガは誤魔化すように笑う。
「とりあえずさ、帰りに八幡さん寄って行こー」
先生が入ってきたのを見て、カスガはそれだけ言って自分の席に戻っていった。
「ちがうなー」
樹を見上げてカスガはため息を吐き出す。
学校裏の八幡神社。お社の横にそびえるように立つ銀杏の樹は二本ともまだ緑のまま。少しも黄色はない。
「北門のとこにも銀杏の樹あったけど、あそこも全然黄葉してなかったし」
「そういえば、あそこにも銀杏あったっけ。って、トキヤ知ってたなら先に言えよ」
普段使うことのない門だからすっかり忘れていた。学校にある樹といったら桜ばっかりの気がしていた。
「おれも掃除のときに気がついたんだよ。それに、言ったとしてもカスガはここに来るのやめなかっただろ」
「そーかも」
トキヤの指摘にカスガは笑ってうなずく。
学校の銀杏は黄葉してなくても、八幡社のは黄葉してるかも、とトキヤを引っぱっていったに決まってる。
「で、どうする?」
「んー。とりあえず、おれんちで昨日のゲームの続きは?」
トキヤの問いに銀杏の樹を見あげながらカスガは答える。
「賛成」
黄葉した樹を見つけるまで帰らない、という答えじゃなくてほっとしつつトキヤは同意してみせた。
「カスガー、トキヤくんっ、いい加減に寝なさいよー」
階段の下からとんでくる母親の声にカスガはトキヤと顔を見合わせてため息をつく。
「はーいっ。……明日休みなんだし、大目に見てくれても良いのにな?」
よいこの返事をしつつ、カスガは小さく愚痴る。
「お泊りOKしてもらえただけカンシャだよ」
急に泊まっていくなんて言ったのに快く了解してくれたのだ。
「ま、しょうがない。寝よっかぁ」
カスガがゲームを片付け始めると、トキヤは用意されていた布団を敷く。
「おやすみー」
カスガがベッドに入るとトキヤは部屋の電気を消し布団にもぐりこんだ。
――
カリカリカリカリカリカリカリ……。
「んー」
耳障りな音にトキヤは目をこする。
何度かまばたきを繰り返し、暗闇に目を慣らして音の元を探す。
ベッドの上のカスガは、音など気にならないらしく、ぐっすり寝息をたてている。
「ぅゎっ」
思わず小さく声を漏らす。ベッド横の窓に光る目玉ふたつ。
「…………猫、か」
ぼんやりと浮かび上がるシルエットに小さく息をもらす。
「カーテン閉めて寝ろよなぁ」
どこの猫だろう。家を間違えてるのか? まだしつこく窓を引っ掻いている猫を追い払おうとカスガの寝るベッドにそっと昇る。
猫の顔がある辺りの窓を内側から軽くたたく。
一瞬、引っ掻く手を止めるがすぐに再開する。
今度はもう少し強めにたたくが、完全無視。
「むかつく」
追い払おうと窓を開けると、猫は隙をついてするりと入り込む。
「げ」
「……ぅぎゃっ?」
慌てたせいで体勢を崩し、カスガに倒れこむ。
「うわっ、ごめん、カスガ」
「トキヤぁ? 何あばれてるのぉー……なんか、さむい? まだ夜だよ……うぅ、足が痛い……」
起き上がりはしたものの軽く寝ぼけているのか脈絡ないことをカスガはぼそぼそとしゃべる。
「ゴメンってば。足はおれが踏んだんだよ。それより猫が」
「猫っておいしい?」
「食べれないよ、猫は。じゃなくて、猫が入り込んじゃったんだって……あ、葉っぱ」
部屋を我が物顔で歩いていた猫は、机の上においてあった黄葉した葉っぱをくわえると窓のほうに走る。
「カスガ、捕まえろっ」
トキヤの声に反射的にカスガは猫を捕まえ、抱き寄せる。
「あったかいー」
まだ寝ぼけてる。
トキヤはため息をつき、とりあえず電気をつける。
カスガに抱きしめられ、逃げられない黒猫が困ったようにトキヤを見つめている。
「その葉っぱ、オマエのなのか?」
ひげを引っ張ると猫は嫌そうに目を細める。
「なにー? 葉っぱ、わざわざ取りに来たの? そんなに大事だったんだー」
「いい加減放せ、コドモ」
カスガ同様、自分も寝ぼけているのだろうかとトキヤはまばたきする。
猫が、しゃべった。
「おぉう。葉っぱが落ちてしまった。そっちのコドモ、拾え」
ずいぶん態度の大きい猫だ。
「トキヤに命令するな、猫。……って、え? 猫、しゃべってる?」
だいぶ目が覚めてきたらしい。抱いてる猫とトキヤを交互に見る。
「まったく。これだからコドモはイヤなんじゃ。ひとのものを勝手に持っていってしまいおって。わざわざ引き取りに出向けば、拘束される始末。けしからん」
猫はぶすくれた声でぶちぶちと文句をいう。
「この葉っぱ、なんなの?」
「招待状じゃ。早く返さんか。そして放せ。時間に遅れてしまうでないか」
猫はあばれるが、カスガがしっかりと抱きしめてるため抜け出せず、しばらくすると諦めてうなだれる。
「見たければぬしらもついて来れば良かろう」
「連れてってくれるのか?」
「仕方なかろう。ほれ、さっさと支度しろ。逃げんから、まずわしを放せ」
猫はぎゃんぎゃんとわめく。
「トキヤ、窓」
トキヤが窓を閉めるとカスガはやっと猫を放す。
「信用ないのう。まぁ良い。さっさとしろ、さっさと」
せかす声に、二人は慌てて服を着替える。
「上着も忘れぬようにな。外は寒い」
「……やさしーな、猫」
同意するようにカスガもうなずき、着込んだ上着の中に猫を抱きいれる。
「猫もこれなら寒くないだろ。じゃ、行こー」
楽しそうに、でも小声で言って、家をそっと抜け出した。
住宅街の細い路地や余所の家の裏などをこそこそ、どきどき通り抜けつつたどり着いたのは学校裏の八幡社。
「えーと。あんな道じゃないようなトコ通らなくても来れたと思うんだけど」
カスガの上着から顔だけのぞかせている猫にトキヤは抗議する。
「近道じゃよ。ぬしらの道を通っておったら間に合わないだろう。ほれ、社の裏に道がある。そこを登れば到着だ。ほれ、急げ」
猫に急かされるまま、道というより草むらの隙間を抜けてたどり着いたのは木々の生い茂る中、ぽかりと開けた空間。
真ん中に一本そびえる銀杏の大木が、月の光を浴びて黄金色にひかる。
その隣には銀杏より小ぶりな、葉っぱのついていない、枯れているような樹が寄り添うように立つ。
その二本を囲むようにたくさんの猫と、何匹かの犬と、数羽のカラスが静かに座って枯れ木を見上げている。
「いいか、ここで静かにしておれよ」
猫はカスガの上着から抜け出すと、トキヤの手から葉っぱを取り返し、猫たちの輪の中に加わる。
「何がはじまるんだろ?」
カスガのささやきにトキヤは首をかしげる。
ただ静かな時間だけが過ぎる。
ふわり。
ちいさな風が吹くと銀杏の葉がはらはら隣の樹に舞いおりる。
その葉が枝に触れると、枯木がしろく、仄かに灯る。ひとつ、ふたつ。
徐々に明かりは増えていき、枯木全体が柔らかな光をまとう。
「……すごい」
「きれー」
トキヤとカスガはため息のように小さく声を漏らす。
並び灯る、黄金と白のひかり。風にほのかに揺らめくのをただ眺める。
――
「ほれ、帰るぞ」
月が雲にかくれ、樹に灯った灯りもスイッチを切られたかのようにただ暗闇に沈む。
それでも尚、そのまま眺めていた二人の足元を黒猫が鼻先でつつく。
「……あ。うん」
夢から醒めたように二人はぎこちなくうなずき、黒猫に先導されてきた道をもどる。
「わしはこちらへ行くからの。……ぬしら、ちゃんと帰れるか?」
いまだどこかぼんやりとしている二人を不安そうに黒猫は見上げる。
「だいじょーぶだよ」
トキヤはしゃがみこみ黒猫と視線をちかづける。
「連れていってくれて、ありがとう」
「うんっ、すっごい、すごかった」
カスガもつづけて言う。
「……気をつけて帰れよ」
ぷいっとそっぽを向いて黒猫は言い残すと、塀の上に跳びあがり、そのまま見えなくなってしまった。
「あれ、何だったんだろうね」
翌日、もう一度訪れたあの場所は、黄葉した銀杏はそのままに。でも仄白く灯っていた樹は、もとの枯木のような姿のまま寒々しく立っているだけ。
残念そうに呟くカスガをトキヤが手招きする。
「……カスガ。ほら」
樹の下、トキヤが指差す方向をカスガはみつめる。
「あ」
小さな花ひとつ。
「……桜?」
「秋なのに?」
顔を見合わせて、小さく笑う。
春、満開になれば、きっと。
昨夜のような光景がみられる。きっと。
Nov. 2008
関連→連作【トキヤ・カスガ】