―― 月曜から金曜日、二十六時から二十八時の間、折敷町のコンビニには何でも屋がいる。
「章(あや)、面白いもの見つけたぞ」
カウンターの奥、客から目に付かないようにカーテンで遮られた小さなスペースのむこうからの声に呼ばれた当人は開いた本から目を離さないままに応える。
「何」
どうせ大したことではないだろうという気持ちがありありと織り交ぜられた淡白な声。
「折敷町にコンビニってうちだけだよな?」
「んー。じゃないか? 二軒も三軒もあったって採算とれるような町じゃないだろ」
深夜、こうしてバイトに入っていても客が来ることは稀なのだ。この状況をみれば今更新規参入してくるような物好きがいるとも思えない。
「じゃ、やっぱりうちのことだな。見てみろよ、俺らのことが書いてあるぞ」
パソコンの画面を向けられ章はカウンターに読みかけの本を伏せるとモニターに目を向けた。
ぽっかりと異世界のように浮かび上がる。
暗闇の中、そこだけあふれる白いひかり。
毎日通っているのに、昼が夜に変わっただけでこんなにも違う。
街がまだ明るいうちは人の出入のある店も、陽も、周囲の灯りもおちた今となってはしんとただそこにあるだけで。
「どうしよう」
わざとらしいほどの明るさが、却ってお客が入ることを拒んでいる気さえするコンビニの中を端からそっとのぞき込む。
客の姿は見えない。が、店員の姿も見えない。
なんとなく身をかがめ中が良く見える位置まで移動する。
カウンターの奥に後姿らしい人影。もう少しはっきり見えないかと中腰のまま動く。
「あ」
目標物だけを見ていたせいで扉に手をついてしまう。ドアは体重を支えきれずに難なく内側に傾いてしまう。
「いらっしゃい……ませ?」
愛想が良いとも悪いともいえない声が途中で怪訝なものに変わる。
大学生くらいの、眼鏡のせいかちょっと神経質っぽく見える青年はカウンターに置いてあった本を片付けるとさりげなく目を逸らした。
「いらっしゃい……」
ドアの開閉音に反射的に声を上げて、顔を上げて言葉に詰まる。
高校生だろうか。
ドアの取っ手につかまって、上半身は店舗内なのに足は入ることを拒否したように出入口ぎりぎり外にふんばっている。
気づかない振りをしていてあげたほうが良かったかもしれない。が、言葉を中途半端にしておくのは落ち着かないので「ませ」をつけたしてから伏せてあった本をカウンターの下に片付け、露骨にならない程度に視線をずらす。
しかしこの時間に高校生、それも女の子一人での来店と言うのは非常にめずらしい。
住宅街の只中で街灯も少ないうえ、車どおりも少ない。夜中といっても差しつかえのない時刻に出歩くのは少々怖く感じるのが普通だと思うのだが。
そこまで考えて小さくため息をつく。つまり稀なことなのだ。それには相応の意味がある。
奥をちらりと見やると相棒はデスクに頬杖を突きながら、軽く肩をすくめてみせる。その表情がいやに愉しげで、それが示すことを思って細く長い息をもらした。
どうしよう。
何度目かの呟きを口の中で転がす。
こちらに興味をなくしたらしい、ぼんやりカウンターに立っている店員の姿をコスメを選ぶフリをしながら横目で見る。
もうちょっと、話しかけやすそうな人なら良かったのに。あれでは声をかけても、冷ややかな一瞥で終わるか、もしくは鼻で笑われるのが関の山な気がする。何でよりによってあんな人なんだろう。
かれこれ三十分は経っただろうか。店内を一回りして化粧品コーナーでしばらく足を止めていた客は今は雑誌を見ている。が、それが到底あたまに入っているとは思えない。気がつかないフリはしているが、何度もちらちらとした視線を感じる。
このまま何事もなく帰ってくれれば良いが。腕時計に目を落とす。二時五十九分五十八秒。吐息の間をおいて大きくはない電子音が三時を告げるべく鳴り始める。一瞬おくれて雑誌が落ちる音。条件反射でそちらを見ると焦って拾おうとしている客ときっちり目があう。
失敗した。思うよりも早く、なにやら決意したように女子高生は雑誌を棚に戻すとカウンターまで一直線でやってくる。
目の前でかばんをごそごそしたあと中からラッピングされたちいさな紙袋を取りだしカウンターに置く。
「あの、これ」
「はい」
続きの言葉を待つが、固まってしまっている少女に助け舟を出すつもりで尋ねる。
「宅配ですか?」
そんな用件で三十分以上もムダな時間を過ごしたりはしないとは思うが。軽く希望的観測をしてみる。
「章にくれるって言うんじゃないのー?」
お気楽な声が奥からとんでくる。そうではないことくらい察しはついているだろうに。まったくたちが悪い。
のんびりとした声。目の前の青年からではなく、カウンターの奥から?
「ちがいますっ」
力いっぱい答えると姿を見せない店員のものらしいけらけらと笑い声がとどき、今更ながらもう一人いたことに驚く。
「否定されてやんの」
「……昊(こう)、お客さんをからかうの止めろよ。おれ宛じゃないことくらい初めからわかってるくせに……で?」
カウンターの奥に諌める声をかけて、目の前の店員は冷静なままこちらを見る。
「あの、……あれですか、えと。その……」
赤くなっているだろう頬を押さえて意味のないコトバを吐き出す。
「うん?」
その肯きがすとんとやさしく響いて熱が冷める。
深呼吸して口を開く。
「……あの……あなたが『何でも屋さん』ですか?」
青年の顔を見上げると眉を寄せている。あの話はガセだったのだろうか、やっぱり。
噂話なんてたいていはアテにならないけれど、このネタはあまりにウソっぽくて。だから却ってホントかと賭けてみたのに。
「ま、そんなようなもんだよ」
答えたのは苦い顔の店員ではなく、奥から出てきた青年。
目の前にいる青年と同年代の、しかしずっととっつきやすそうな雰囲気に加絵はほっとする。
「あなたが『何でも屋さん』ですか?」
「おれはサポート。メインはそっち」
にこと笑って苦い顔の青年を指差す。
「……厳密に言うと何でも屋とは少し違うから必ずしも引き受けられるとは限らないけど、良い?」
反射的に加絵はうなずく。
「じゃ、話を聞くよ」
あきらめたように青年はため息をついた。
「はい、加絵ちゃん」
にこやかな店員・昊の出したコーヒーを両手で受け取る。
「ありがとうございます」
「いえいえ。ほら、章」
昊は無愛想な方の店員・章の前にカップを置くと隣に座る。
「ん。で、北嶋さん。コレをどうしたら良いの」
イートインコーナーのテーブルの真ん中に置かれた包みを章は指差す。
甘くまろやかなコーヒーを一口飲んで加絵は気持ちを落ち着ける。
「届けて欲しいんです」
「……それは宅配業者に頼んだほうが早いと思う」
至極もっともな言い分。加絵は首を横に振る。
「ムリなんです。どこに住んでるかわからなくて」
そんなことが出来れば苦労してない。
「その人の名前は? 高校生?」
昊が助け舟を出すように尋ねる。
「え、と。名前もわからなくて。……多分、大学生くらいだと思うんだけど」
「そういうのは探偵に頼んだほうが良いと思うよ」
章に淡々と返され視線をテーブルに落とす。
「……そんなお金ない」
「言っておくけど、おれも無償労働はしないよ?」
章が冷ややかに言うと加絵が驚いたように顔を上げる。
「おれはね、深夜バイトもしなけりゃ学校にも行けない勤労学生なのでただ働きはしません」
「そんな……」
きっぱりと言い放たれ加絵は力ない呟きをもらす。
「わかったら帰った方が良いよ。で、自分で地道に探す」
追い討ちをかける章に昊はニガワライする。
「おまえさぁ、オンナノコをあんまりいじめるもんじゃないよ。それも嬉々として」
「……おれの管轄じゃない」
「話、最後まで聞かなきゃわかんないだろ。ねぇ、加絵ちゃん。その人とはどこで会ったの?」
章を黙らせて昊は人好きのする笑顔を向けた。
「学校帰りに会ったんです」
二月の終わりくらいだっただろうか。夕方が夜に変わる隙間みたいな時間帯。
「落としましたよ。北嶋加絵さん」
突然呼び止められ、ふり返る。
立っていたのは見知らぬ青年。
「はい?」
柔らかく穏やかな笑みをたたえて渡してくれたのは定期入れで、それで名前がわかったのかと一人で納得した。
数歩の距離を足早に戻ると青年は定期入れをそっと加絵のてのひらに乗せた。触れた指先がすごく冷たいのが印象的だった。
「ありがとうございます」
ほっそりとした青年は、真冬にもかかわらず薄着ですごく寒そうに見えた。
「気をつけてくださいね。帰られなくなってしまいますよ?」
でも、やさしげな微笑がなんだかほっこりあたたかかった。
「はい」
――そのあと何度同じ場所を通っても会えなかった。
そんな時、ウワサに聞いたのだ。『何でも屋』のことを。だから。
なのに――。
「わかった」
「え?」
しぶい章の声の意外な言葉に驚いて加絵は顔を上げる。
「望む結果は得られないかもしれないが、宅配便は引き受ける」
無表情に言う章の横で「よかったね」と昊が笑った。
「ほら、ここまで来てそんなめんどくさそうな顔しない。引き受けるっていったのはおまえなんだし、それに俺ら向きの話だろ?」
人通りのない閑静な住宅街。加絵が青年と出会ったという、人の住んでなさげな家の前で足を止める。
「何でおまえはそんなにやる気なワケ?」
ため息をつく。お金にならない仕事はいくら自分向きのことでもやる気は起きない。
「健気にかわいい女の子の頼みは聞いてあげたいじゃない?」
昊が笑ってうそぶくのを章は聞き流す。
「枯れかけてるな」
垣根から道路側に張りだしている木の枝に手を伸ばす。ちらほら咲きだしている樹もあると言うのにこの桜はまだつぼみもふくらんでいない。
「これが本体?」
答えず空をあおぐ。今にも降り出しそうな鈍色が広がっている。
「……さっさと片付けるか」
章は樹に目を戻し、向き合うとぱんと手をあわせる。
「《永き年月を経、宿りし者。其は我が言により形を成す。我が息音は此を許す》」
ゆっくりと呼吸をしながら言葉をつむぐ。
空気の揺らぎを感じて章は顔を上げる。
『はじめまして、浄声殿』
現れたほっそりとやわらかげな青年が穏やかな口調で微笑む。
「あ、詳しいなぁ。桜魔」
章の、言葉をそのまま具現する力。それを使う者の称号を口にした桜の化身に昊は笑み返す。
『さすがにお目にかかったのは初めてですが。しかし使鬼殿に「魔」扱いされるは妙な気分ですね』
二人の人外のモノののほほんとした会話に章は肩を落とす。このまま放っておけば延々と続くに違いないとぼけた会話を断ち切るために仕方なく口を開く。
「これ。定期券を拾ってもらったお礼だって」
『……たったあれだけのことで?』
すぐに思い当たった様子で桜魔は目を見張る。
「オンナノコがよろめくのはカンタンだよ、桜魔」
「むやみに姿を見せるから。だいたい魔とか鬼とかは無駄に見目が良いんだし。そっちにその思惑がなかったとしても道踏み外すのが人間だろ」
楽しそうな昊とは対照的に章は冷ややかな声を出す。
『浄声殿は人間嫌いなのですか?』
「……別に。自分のことで手一杯なだけだよ」
「章はこう見えてもやさしいんだよ、桜魔」
『でしょうね。使鬼にここまで慕われる浄声はあまり聞いたことないですから……これ、開けても良いですか』
勝手にどうぞと章が目線で促すと桜魔は丁寧に紙包みを開ける。
「ハンカチ、だね」
昊の言葉に章もそれに目を向ける。
「……薄花桜色」
やわらかな青色。夜が近いころの空のような。加絵は何も知らないはずだから、桜にちなんだ名前なのはただの偶然だろうけれど。
『うれしいですね……彼女に御礼を伝えてください』
桜魔のうれしそうな、そしてどこか寂しそうな言葉にため息をつく。
「自分で言え」
『残念ながらそれだけの力は残っていません。今は浄声殿の力があるからこそ姿を保っていられますが』
あの時はなけなしの力をふりしぼったのだと桜魔は淡く微笑う。
「おれの力があればいいんだろ。入るぞ?」
ぶっきらぼうに言うと、章は雑草伸び放題の荒れた庭に足を踏み入れる。
『浄声殿?』
桜魔は老木の下にかがむ背中に声をかける。
「《一切、流れ滞ることなし。凡ては環として廻る。我が終えまで永刻を紡ぎし気をそそぐことを約す》」
『浄声殿! なんてことを』
淡々と自分の力をわけることを詠じる章に桜魔は初めて顔色を変える。
「術中に介入したらダメだよ」
『使鬼殿、そんな悠長な』
「大丈夫だって。ホントにやばければ俺が止める……章。完了?」
返事の代わりに大きな吐息が漏れる。
『浄声殿……』
言いかけて口をつぐんだ桜魔は章に近づきひざをつく。
『ありがとうございます』
「別に。……もったいないし、せっかくの桜が咲かないの」
独り言のようにつぶやいて庭を出て行く。その後に続く昊に桜魔は声をかける。
『花が咲いたときにはまた、ぜひ。浄声殿とご一緒に』
「りょうかーい。またね」
頭を下げる桜魔に手を振って昊は足早に章を追った。
はらり。
目の前を花びらが一片よこぎる。
「あ。桜、まだ咲いてたんだ」
見あげると満開の桜。四月下旬の今、ほとんどは葉桜になっているというのに。
なんとなく得した気分で加絵は眺める。
「こんにちは」
背後から声をかけられてふりかえる。
そっとたたずむ青年に加絵は微笑を返した。
Apr. 2006
関連→連作【神鬼】