咲く花落ちて



 人体に突然花が咲くという病があるという。
 その花は誰にでも見えるわけではなく、本人とその花が咲く要因――多くは恋愛感情を抱いた相手にのみ見えるという。
 とは言っても、第三者には認識できない症状では治療のしようもない。
 まして花が咲く以外に肉体や精神に問題が出るわけではないのだから尚更。
 周囲で聞くのも「友達のお姉ちゃんのバイト先の人が咲いたって聞いた」くらいの都市伝説めいた話なのだけれど。
「好きです。付き合ってください」
 そう言った後輩の喉辺りに小さめの白い花がいくつか咲いていた。
 都市伝説めいた花咲病についてあれだけ前置きしておいてなんだけど、これは違う。
 もちろんこの後輩が僕に対して何らかの思いがあっての告白だから僕に要因があるともいえるんだけど、そうじゃなくて。
 おそらく彼女には自分の胸元に咲く花が見えていないはずだ。
 僕が彼女の喉に視線を向けていても気に留めてもいない。
 花咲病と何か関係があるのかないのか、僕は子供の頃から人に咲く花が見えた。
 それは今のように自分に向けられた感情だけでなく、道行く見知らぬ人の花でさえ。
「……ありがとう」
 下校時刻間際、図書委員の後輩と二人で施錠をして帰る間際の告白に僕はあいまいに微笑みをかえした。
 何度も一緒に当番をしてきていたけれど、今までそんなそぶりを見せたことは一度もなかった。
 僕が気づかなかっただけ、と言ことはない。
 だって花は咲いていなかった、今まで一度も。
「でもごめんね、僕、好きな人がいるんだ」
 申し訳なさそうに見えるよう、眉を下げ目を伏せる。
 嘘だけど。
 でも彼女の告白も嘘だから申し訳なく思う必要はないだろう。
「え、あ、そうなん、ですか。……でも、あの、じゃあ友達はダメですか? 先輩と、仲良くなりたいです」
 困ったように視線を揺らしながら、どこか必死な言葉。
 喉元の花はいきいきと咲いている。
「……ゼラニウム、かな」
「え?」
「いや、なんでも。友達、ね。良いよ、友達」
 さすがにそれを断るのはどうかと思うし。
「あ、ほんとですか、うれしい……今度、先輩の家に遊びに行っても良いですか?」
 にこにこと笑う後輩の喉に咲く花は赤く色づく。
 これだけ明け透けだと花の存在もかすむな。
 思わず漏れた微笑みを後輩は了承だと思ったのか「楽しみです!」と弾んだ声を出した。
「いつ遊びに行って良いですか? 今からでも大丈夫ですよ」
 断られるなんてみじんも考えていなさそうな後輩の言葉を穏やかに曖昧にかわし、帰路につく。
「つかれる」
 僕を好きではないことは、告白してきた時からわかっていたこととはいえ、ああもあからさまに目的を明らかにさせるとへこむ、ではないな萎えるとも違うし、何というかもう少し取り繕ってくれと言いたくなる。
 言わないけど。
 本人は露わにしているつもりはないのかもしれないし。
 大きくため息がこぼれる。
「?」
 気が付けばうつむいて歩いていたようだ。
 すぐ足元に落ちている花に今更気づく。
 かがんで手に取ろうとするが、空をつかむ。
 もう一度しっかり足元を見るが、そこにはやっぱり一輪の花。
 夕暮れも深まってきて、判別しにくいけれどたぶんピンク色のリンドウ。
 もう一度手をのばすが、やはりつかめない。
 これは、人に咲く花だ。何かあってこぼれたのだろうか。
 持ち主はいるんだろうかと顔を上げる。
 いたとしても花を返せるわけでもないのだけれど、何となく。
 誰もいない。ただ、点々と花が落ちている。
 僕の歩幅でだいたい五歩くらいずつの間隔だろうか。
 次に落ちているのは白いガーベラ、その次はチューリップ、ストック、ブーゲンビリア、ヒマワリ、コスモス、名前のわからない花もいくつもあった。
 ただただいろんな種類、いろんな色、様々な花が道しるべのように続いていた。
 ヘンゼルとグレーテルのような気分でそれをたどる。
 一人の人間に一度にいろんな種類の花が咲くのは見たことがない。
 この花を落としていったのはどんな人なのか。
 気になって花を追いかけてどのくらいたっただろう。
 住宅街のはずれにある小さな公園の中に花は続いていた。
 ここを通り過ぎたのか、それとも公園にいるのか。
 花の主がいるとしたら、ちょっと気まずい。
 なんとなく好奇心でここまで来てしまったが、真っ向から顔を合わせることまでは考えていなかった。
 どうしようか。このまま来た道を戻って帰るか、通りすがりのふりをして公園を突っ切って花の主がいれば横目で確認するか。
 ……ここまで来たし、確認したい。
 まだ落ちた花が先へと続いている可能性もあるし、どうせなら終点まで見届けたい。
 何気ない風を装って公園に入る。
 滑り台とブランコと鉄棒があるだけの本当に小さな公園。
 花は公園の奥にあるベンチの方へ続いていた。
 街灯に照らされたベンチに女の子が一人。
 思わず足を止めてしまった。
 その足元に、というか彼女の右足あたりからラナンキュラスが咲いていたから。
 ただそれがひどく項垂れていて元気がなかった。
 落ちていた花々が生き生きとみずみずしかったのとあまりにも対照的だった。
 呆然と立ちすくむ僕の気配を感じたのか女の子は顔を上げる。
 なんというか、印象的な子だった。
 きれいと評するか、かわいいと評するか少々迷うけれど、整った顔立ち。
 この辺ではあまり見たことのないセーラー服にゆるく編んだ三つ編みのせいか微妙に古風というか。非日常な空間にいるように見えた。
「何か用?」
 ずいぶん不躾に見つめてしまっていたのかもしれない。
 見た目に似合わないぶっきらぼうな声に慌てる。
「え、と、花が落ちてて、それで、気になって」
「花?」
 不審げに周囲を見る彼女を見て失敗したことに気が付く。
 花はある。あるけれど、僕にしか見えないやつだ。
 何事もなかったようにこの場を立ち去ろうか……不審者として通報されそうだよな。
 そして不審者情報メールが流されて、ご近所さんに無駄に不安を与えることになる。
 それは良くない。僕にとっても、周囲の人にとっても。
 でも本当のことを説明しても同じ結果になりそうな気もするんだよな。
 そこにあなたには見えない花があります、とか言いだしたら普通の人は関わっちゃいけないと思うだろう。僕なら思う。
 どうにか誤魔化す方法はないかと、さまよわせた視線の端に、見透かすような黒目がちの瞳が映り、諦めて吐息をつく。
「まぁ、信じがたいと思うんだけどね。僕には人に咲く花が見えるんだ」
「…………花咲病?」
 知ってたか。なら少しは信じてもらいやすいか?
「多分そんな感じ。ただ、僕自身には咲いてないし、見える相手も不特定多数だから厳密には違うんだろうけど」
「……じゃあ、あなたにとっては花が見えるのが普通でしょ。なのになんで私を見てたの? よっぽど珍しい花でも咲いてた?」
 少し怒っているようにも聞こえる淡々とした口調。
「そうじゃなくて、道に点々と花が落ちてたんだよ。いろんな花が等間隔で。だから気になって辿ってきたら、ここについた」
 視線が怖いけれど、逸らしたら嘘ををついていると思われかねないのでまっすぐ見返す。
「私、そんないろんな花が咲いてるの?」
 平坦な声で感情がわかりづらいけれど、信じてくれた感じだろうか? なんとなく。
「んー。咲いてない。だから落ちてた花はなんだろう……それに普通は一種類の花しか咲いてないんだよね」
 日によっては違う花が咲くことはあるけれど、一度に咲くのは一種類だ。
「私にはいま何か咲いてる?」
「ラナンキュラスが…………すごく、疲れた感じに項垂れてる」
 しおれる一歩手前のような感じで痛々しい。
「そっか」
 あわく笑った彼女はひどくくたびれて見えた。
「ねぇ、なにか僕にできることがある? 話を聞くくらいしか、できないかも、だけど」
 さっきは誤魔化したけれど、本当は落ちていた花と同様のみずみずしい花がいくつも彼女にささっている。
 それを見れば多少察しはつく。
 これだけの目をひく容姿の子だから向けられる感情も多いだろう。
「…………花が、見えるってどんな感じ?」
 迷うようにしてから、彼女はおそらく本筋でないことを口にした。
 それも当然だ。得体のしれない初対面の相手に悩み事を打ち明けるのはハードルが高い。
 見ず知らずだからこそ、あとくされなく話ができるかもと思って声をかけたのだけれど。
「どんなって言われても、難しいなぁ。僕にとっては見えるのが当たり前で、見えないのってどんな感じ? って思うしね……でも、うん。あのね、僕、自慢じゃないんだけど割とよく告白されるんだよ」
 彼女の視線が僕の顔に向けられ、ゆっくりと足元へ移動する。
 不躾にならないように気を使ってくれているのだろう、いい子だ。
「見た目は普通だし、なんでって思うよねぇ」
 身長も平均程度、成績や運動神経も可も不可もなく。
「え、と。良い人、だから?」
 フォローありがとう。
 でも良い人って一般的に恋愛対象にはなり辛くない?
「ごめん。困らせるつもりはなかった。告白してくる子たちはね、僕自身に興味があるんじゃなくて、僕は馬なんだ」
「馬?」
「将を射んと欲すれば先ず馬を、の馬。で、花の話。告白してきた子、その『将』と会えるとわかると、目に見えて花がきれいになる。色づいたり、元気になったり」
 もちろん表情だけでも喜んでいるのはわかるけれど、花の方が感情を顕著に表す。
「ええと、それは便利なような、そうでもないような」
 小声でぽそぽそと呟く。
「どうなんだろうね。さっきも言ったけど僕にとっては当たり前のことだから」
 花なんかなくても人の顔色読むのがうまい人はいるし。
「……私、も。よく、告白される」
 どうにか絞り出したような、ぎゅっと力が入った声。
 うん。僕と違って彼女ならそうだと思う。
 この容姿なら一目ぼれされ放題だろうし。
「全然、仲良くない人なのに。見た目だけで、気持ち押し付けられる。……相談しても、自慢? とか、言われるし」
 唇をかんで下を向く。
「言われるね。モテ自慢? とかね。そういう問題じゃないんだよなぁ。って言っても伝わらないから言わないけど」
 なるべく軽めに同意する。
 たぶん彼女は僕の比じゃなく告白されているし、馬な僕と違って彼女自身に向けられる感情だ。より負担は大きいだろう。
「そう。ずっと見てた、とか。気持ち悪い、普通に! 知らないし」
 声にちょっとずつ勢いが出てくる。
 それに合わせて、彼女の足元に咲いたラナンキュラスが頭をもたげる。
「そうだろうね。僕も同じ立場ならそう思うだろうし」
 少し元気になって悪態をついている彼女にうなずく。
 口にはしないけれど「こわい」とも思うはずだ。
 男相手に力ではかなうはずもなく、逆上させないよう程よく断る必要もあるだろうし。
 そもそも、これだけきれいな子に事前の関係性なく告白するなんて、自信がなきゃできないだろう。
 総じてそういう相手はめんどくさいことが多い。と思う。
「……ねぇ……将のこと、嫌いになったりしないの?」
「しょう?」
 ってなんだっけ。
「馬さんの、将」
「『将』ね。うん。ごめん。理解した。……嫌いにはならないねぇ。僕にとっては普通の、面倒見のいい兄なんだよね。だからこそ告白してくる子たちに腹が立つのかも。見た目だけしか知らないくせに、中身もかっこいいんだぞって……あ、ブラコンぽいな、これ」
 笑ってごまかす。
 兄はすごく有名というわけではないけれど雑誌モデルで、それなりの認知度はあって、でもそれは一面で、普段は弟に構いたがりの部分がたまに少しめんどくさい良い兄ちゃんで。
「良いなぁ」
「でしょ、自慢の兄ちゃん」
 彼女の言葉があまりに素直な声だったので、こちらも素直に本音をこぼす。
「うん。……でも。じゃないな。えぇと、私は
馬さんみたいなお兄さん、欲しかったな」
 ふわふわとラナンキュラスの花びらが揺れる。
「僕、『馬さん』に決定なの?」
 言われた言葉がくすぐったくて、花が柔らかくきれいで、照れくさくて誤魔化すようにおどける。
「だ、って。名前、知らないし。馬ってやさしくて賢くて、人間のことよく見て、わかってくれてるって聞いたことあるから、だから、ぴったりだなって……ありがと。話を聞いてもらえて、少し元気になれた」
 ぽつん。ぽつんと伝えられる言葉にどうしていいかわからなくなる。
 ラナンキュラスは揺れながらもしっかり上を向いていた。
「……僕も、ありがとう。……あのね、もし何か困ったことがあったら、話したいことが出来たら、僕でよければ、聞くから」
 メモにメッセージアプリのIDを書いて渡す。
 彼女から連絡先を聞き出すつもりはなかった。
「連絡しろってことじゃなくて、何かの時に話ができる場所があるっていうか、お守り的な」
 こんな寂しい公園に一人でいなくてもいいように。
 彼女の『兄』みたいなものになれたらいいなと思う。
 ちょっと気持ち悪いかと我ながら思って、言い訳がましく言葉を募らせた。
 でも彼女は淡くうれしそうに微笑んでスマホを取り出す。
 そしてすぐに僕のスマホが震える。
『私の名前は涼花です。馬さんのお名前は?』
 思わず笑みがこぼれたのは、その文章の微妙な奇妙さのせいだけではなくて。
 僕はすぐに返事を打ち返した。


【終】




Oct. 2023