ONLY MINE



「だっだいま~」
 お気楽声の帰還にBGMにしていたテレビを消す。
「おかえり。早かったね」
 読みさしの本を伏せ、声の主を見やる。
 ひょろりとしたのっぽがニガワライをうかべる。
「それはイヤミか?」
 言われて時計に目を移す。
「あぁ、もうこんな時間じゃない。早く寝なきゃ、明日も早いんでしょ?」
 帰宅が遅いのなど今更なので、いちいちイヤミを言う気にもならない。
 それより既に日付がかわっているコトに気づかなかった自分がうかつだ。
「つめたい。何、そのタイド? 愛するダンナさまが帰ってきたというのに」
 眉を下げて悲痛な顔をする。
「そーゆーのは、さ。ファンの前かカメラの前でやったら?」
 ここでやってもカネにはならない。
 それどころか、鳥肌が立つじゃないか。
「キリ、こんな見目麗しい人気アーティストサマに向かってそんなこと言うのはおまえくらいだぞ?」
 『飛ぶ鳥を撃ち落とす勢いの「ACS」。メンバーの甲利(G&Vo)と椎一(Key&Vo)は飛ぶ鳥も気を失うくらいのイイオトコ……云々』とは、どこぞの雑誌の陳腐な記事だ。
 ひいき目抜いても、たしかに及第点だとは思うけれども。
「ボギャブラリー貧困。いいかげん、その顔も見飽きたし」
 きっちり、向かい合って宣言してやる。
 恋人と言うよりは悪友というのがしっくりきている関係でずっときている。甘い言葉など吐く気にもならない。
「今更、目ぇ潤ませてオレのこと見られても困るけど、もう少し言い方があるとも思うのだが……とりあえず、エサを与えてくださいますか?」
 鍵盤をひく細長い指がアタマをたたく。
「こんな時間に食べたらデブるじゃない」
「一緒に食わなくてもいーんだよ?」
 クール、を売りにしているアーティスト氏は悪ガキのように笑う。
 ファンが見たら泣くぞ?
「何で、自分が食べないものを作らなきゃいけないのよ」
 キッチンに立ち、既に温めるだけになったおかずをレンジにつっこむ。
 ご飯とみそ汁をよそい、レンジの中身を取り出し、お茶を入れお盆に乗せる。
「この、ナルシスト。己が映ってるテレビなど観るな」
 両手がふさがっているので、背中にケリをいれる。
 いつの間にかつけられたテレビには見飽きた顔が無愛想にしゃべってる。
「食わねーの?」
「デブるので、食いません」
 一人分の夕食を並べ――実のところ、自分の分は既にしっかり食した後だ――お茶だけを自分の前に置いてリモコンを手に取り、指を電源ボタンにのばした。
 ぱちん。
 音を立てて、画面が消える。
「キリって、ほんとオレの仕事みないよな。昔っから」
「だって、笑うし」
 本性を知っていると、とても。
「笑うって、キズつくぞ? ……いただきます」
 律儀に手を合わせて、食べはじめる。
「CDだって聴かないし」
「なに拗ねてんの?」
 今日はイヤにからむ。
「そんなに聴くに堪えませんかね、オレの歌声」
 ここで、「聴くと笑う」とか言ったらますます拗ねるんだろうな。
 とりあえず、無言を通すことにする。
 止まることのない箸の動きを見つめつつ。
「キリの聴くのって言ったら『thas』ばっかりだし~?」
 本格的に拗ねてる。なんかイヤなことでもあったのか?
「椎一もスキでしょーが『thas』」
 気に入りの歌うたいは数あれど、唯一ファンだと言えるバンドだ。それは、お互いに。
「……まぁ、ねぇ?」
 あいまいな表情。自分もプロでやってるとなると複雑なんだろうけれど。
「椎一の声、スキだよ?」
 何でしらふでこんなコト言う羽目に。甘やかしてるな。
「じゃ、そのキリが大好きな声でお願いしたらかなえてくれる?」
 指を組んでかわいらしく言う。やめろ。いい年したオトコが。
「事務所の人の苦労が目に見える。イメージ保つの大変そうだワ」
「仕事は仕事。今はキリだけ。ダメ?」
「…………内容にも、よる」
 たっぷり考えて、そう口にする。
 反射的に「いーよ」なんて応えたら、あとが怖い。
「大したことじゃないから、ダイジョーブ。……ごちそーさまでした」
 きれいに平らげて箸を置く。
「これなんだけど」
 椎一は一枚の事務封筒をテーブルの上にだす。
 受け取り、中を見る。
「何、これ。私にさばいて来いって?」
 中に入っていたのは「ACS」のライブチケット。
「ホントにそう思うんだったら、ソンケーする。ある意味」
 ブゼンとした顔。
 入手困難で有名な「ACS」のチケット――それも、たったの一枚だ――だったら、簡単に売れるだろう。
 それも、この席だったら荒稼ぎも可能だ。
「じゃ、これをどうしろって?」
 察しはついているが、それはさんざんイヤだと言っていることのはずだ。
 チケットをもとのように封筒にしまいテーブルに置いてため息をついてみせた。
「観に来い、ってイミに決まってる」
 案の定な言葉を、いつになくまじめな顔で言う。
「イヤ」
 いつもどおりの返答をする。
「オレのかっこいいトコ見たくないわけ?」
「じゅーぶん、今でもかっこいーですよ。早く寝なよ。明日、起きれなくなる」
 空になった食器を重ね、立ち上がる。
「何で、そんなにかたくななワケ?」
 あー、もぅ。しつこく絡んでくるなぁ、今日は。
「わかった。考えとくから。今日は、寝る! 明日、くまできてて厚化粧する羽目になっても知らないからねっ」
 一気にまくしたてて、食器を乱暴に洗う。
 これ以上、話を続けさせないために。
「……オヤスミ」
 とりあえずといった風情で引き下がったのを確認して呟く。
「今更、どんな顔して観に行けって?」


 いたたまれない。
 熱気の中、深々と己の行動を後悔する。
 脅しやら、泣き落としやらがいいかげんしつこくて、うっとーしくて、いちいちめんどーで。
 つい肯いたのは失敗だった。
 人間、目先の平穏にとらわれてはいけないという良い見本だ。
「大丈夫? キリちゃん」
「あんまり。生気、吸い取られそーな勢いで」
 隣に座る、椎一の姉で、甲利のカノジョ――ヤな、癒着だよな――でもある椎加の声に軽く頭をふる。
「椎加さんは毎回来てるんでしたっけ?」
「来れる時はね。甲利も椎一も観られるのイヤがるからさぁ」
 いじめっこの顔で笑う。
 さすが姉弟、と言うべきか?
「でもさ、キリちゃんは何でそんなにイヤなの?」
「人混み、キライだから」
「ホントに?」
 疑い半分、面白がり半分。
「……ホントですってバ」
 会場がゆっくり暗闇につつまれる。
 ぱらぱらと客席が静まり出す。
 そして、無音。
 真っ暗な中、期待に満ちた息づかい。
 目を閉じる。
 そして、一瞬でその静寂は大音量によって引き裂かれる。
 まぶたの裏に、目を閉じても入り込む光量。
 聞き慣れた声が、音にのって聴こえる。
 周囲の歓声。
 立ち上がる、気配。
「キリちゃん、オバケがいるわけじゃないんだから、目あけたら?」
 笑みまじりの声が耳元でささやく。
 それより、たちの悪いモノがいる。
 あそこには。
 覚悟を決めて……というよりあきらめをつけて目を開けた。


 あふれる、ヒカリの中。
 だから、来たくなかったんだ。
 人垣の隙間から見えるステージ。
 良く知っているはずなのに、全く知らない人に見える。
 音とヒカリと声と。
 誘蛾灯にひかれる虫みたいに。
 少しでも近くへ、と手をのばす観客。
 力を抜いて、席にもたれる。
「キリちゃん?」
 椎加のいぶかしげな声。
 何でもない、と手振りで伝える。
 まるで神サマみたいだ。
 無神論者だけど。そんなふう思う。
「これだけ、信じる人がいればウソでも神サマのフリしとかないとねぇ?」
 見透かしたように椎加が呟く。
 再び、目を閉じて距離を取る。
 とりとめない思考を泳がせながら、耳に入る音だけをつかまえておく。
 あ、椎一の声。
 歌声ではない、スキな口調。
「……次は、大好きな人の大好きな曲」
 ぼそりと、ぶっきらぼうな声。
 目が、見なれた姿を追う。
 甲利を指招きして耳打ち。
 二人は顔を見合わせ、悪ガキの顔を一瞬浮かべる。
「困った神サマだねぇ」
 隣で椎加がニガワライして呟く。
 ?
 鍵盤の、音。どこか聞き覚えのあるフレーズ。
 ……あ。「thas」の、
 サイアク。
 誰の、大好きな曲。だって?
 ファンが、曲をつかんで反応し始める。
 フツウ、やるかな。こういうコト。
 ステージ上と目が合う。
 一瞬。
 得意満面な顔。
 ば・ぁ・か。
 口だけを動かして伝える。
 見えたのか、どうだか。
 口の端だけで笑って、唄を続ける。
「たちの悪い神サマだねぇ。公私混同もはなはだしい」
 こっちをのぞき込んで笑う。
 知ってたな。
 全く。
 腹立たしい気持ちと、妙にシアワセな気持ちと。
 とりあえず今のトコロは大人しく、観ていよう。
 神サマから、タダビトになるまで。
 そしたら、モンクを盛大に言おう。

【終】




Jul. 2002
関連→連作【ACS】