届かないものばかり、欲しがってた。
駅を出てすぐ、引っかかった違和感に目を奪われた。
きれいな男の子だった。
とは言っても高校生だろうから、同じ高校生の私が男の『子』扱いするのもおかしいかもしれないけど。
背が高く、整った顔立ち。右目を隠すように伸ばされた長い前髪。視界が悪くないんだろうか。
視線を合わせないようにしながら、ぼんやりと眺める。
まぁ、今の彼にはあまり関係ないことだろう。
彼は多分もう生きていない。幽霊だ。
美人薄命、と一瞬頭に浮かんだけれど、生前の彼が今の見た目と同じだったかわからない。
幽霊自身の脳内補正の作用なのか、実際より美化されていたり、若返っていることが多い。
幽霊の彼は、どことなく寂し気に佇み、行き交う人をただ見ているようだった。
「どうする、かな」
下手に声をかけると、普通の人に不審な目で見られてしまう。
だからと言って、このまま彼を放置もし難い。
だって、私には見えるんだから。
小さく手を振ってみると、ほどなくして気が付いた彼はそっと周囲を見渡す。
私の振る手を受け取る相手がいなさそうなことに、首をかしげる。
その彼に目線を合わせて指をさすと、彼は自身を指さし反対側に首をかしげる。
よし。伝わった。
大きくうなずき、ついてくるように手招きをする。
人通りがそれなりにある駅前で、幽霊と会話なんてできるはずもない。
少し行けば人目につかない路地がある。
そこまで来てもらえれば話をすることができる。
歩きだし、振り返ると幽霊の彼は釈然としないような表情で、それでも後ろをついてきていた。
「さて、私に何かできることはある?」
ほのかな街灯の下に浮かび上がる彼の顔は近くで見てもやっぱりきれいだった。
「はい?」
柔らかに不思議そうな声。
「あのね。気づいていないかもしれないけど、あなた幽霊なの。たぶん、きっと心残りがあると思う。だから」
「……僕、死んでるんですか?」
目を瞬かせる彼からそっと目をそらす。
「ん。たぶん。あ、でも、生霊っていうか、幽体離脱っていうか、そういう可能性もゼロではないっていうか」
沈んだ声に慌てて言い募る。
彼からふっと吐息がこぼれる。それは何というか、笑いが混じっているように感じて顔を上げた。
「あぁ、そういうことか……僕は生きてますよ」
視線が合うと、彼はふんわりと笑う。
「……生霊?」
「そういうんじゃなくて。ちょっとごめんね?」
彼の指先が控えめに私の手の甲に触れる。
触れる感触があるということは。
「……生もの?」
ウソでしょ。ありえないでしょ、間違った? っていうか、すごく失礼だよね。どうしよう。
「そう。普通に、生きてます。まさか幽霊に見間違えられるとは思わなかったなぁ」
どう謝ろうかと焦っていると、彼は気分を害した風もなく、楽しそうに笑う。
「僕、そんなに生気がないですか?」
「ごめんなさいっ。生気がないとか、そういうことじゃなくて」
色白ではあるけれど不健康そうな雰囲気はないし、改めて今、近くで見れば幽霊なんかには見えない。
ただ、あの時はもう少し儚げに見えていた気がするから、そのせいで見誤ったのかもしれない。
「なら良いんだけど。道行く人が幽霊だと勘違いして恐怖に陥れてたら迷惑だなぁって思って」
いや、もし幽霊だったとしたら万人に見えるわけではないと思う。
「ねぇ、幽霊なんて信じるの?」
私が当たり前に幽霊が見える前提で話が進んでいるけれど、胡散臭いだろう、普通に考えて。
私だって自覚があるから、親にも友達にも幽霊が見えるなんて話さない。
「あぁ、だって、僕も見えるから」
「見える?」
あっさりと答えられた言葉の意味が一瞬わからなかった。
「僕も幽霊が見えます。あなたと同じに」
「……うそ」
「証拠を出せと言われたら困りますけどね。今、この付近に幽霊はいなさそうですし」
そっと周囲を見渡し、彼は小さくため息を吐く。
「ごめん。疑ってるんじゃなくて、見える人、今まで会ったことなかったから」
「自分しか見えていないものがあるって不安だよね。幻覚でも見てるんじゃないかって」
慰めるように寄り添う声に大きくうなずく。
幽霊を見て、会話を交わすことは私にとっては当たり前だけれど、ほかの人はそれができないと気づいたのはいつだっただろうか。
その時の愕然とした気持ちだけは生々しく残っている。
私はおかしいのではないかという思いはいつもあった。それでも見えてしまう幽霊と関わらないという選択もできなくて。
だから、彼の言葉と存在はすごくうれしくて、心強かった。
「いつも、あんなふうに声をかけてるの?」
「うん。だって放っておけないでしょ? 死んだ後でも居残っちゃうくらい心残りがあるなんて」
見ないふりをしようとしたことも、実はある。
けれど、ただひたすら来ない人を待ち続ける幽霊や、必死で探しものをする幽霊は、私にとっては生きている人間と同じに見えて、やっぱり声をかけてしまった。
私以外の人に見えないってことは、私にしか手助けできないんだから。
「怖く、ないの?」
深く、うかがう声。
彼は怖い目にあったことがあるのだろうか。
「怖くはないかな。話していても普通の人と変わりないし、だいたい物理的に触れられないから何かされるってこともないし」
その点でいえば、生きている人間の方が怖い。
そういうと彼は困ったような笑みを浮かべる
「そう、だね。生きている人間は怖い」
「いや、あなたが怖いということじゃないから!」
慌てて否定すると、彼はゆるく首を横に振る。
「でも幽霊も怖いものもいる。害する方法は物理的なものだけじゃない。祟りや呪いだってある」
「私が会ったのはみんな良い幽霊だった」
手助けしたら、ありがとうって言ってくれた。声をかけただけで喜んでくれた人だっていた。
「肉体という殻に保護されていない分、たやすく変質する。それは本人の意思とも関係なく」
「でも、……だったら見捨てるの? 変わっちゃう前に助けてあげれば良いんじゃないの?」
彼は言葉を探すように目を伏せた。
彼はどうしているのか教えてほしかった。
「本当は関わらないことが一番なんです。でも、きっとあなたは優しいから出来ないでしょうね……これを」
促され手を出すと、手のひらにビー玉くらいの玉をのせられる。
街灯にかざすとガラス玉の中で淡い色合いの液体が揺らめいた。
「お守りです。悪い幽霊に会わないように肌身離さず持っていてください」
「ありがとう」
どうしてこんなもの持ってるんだろうとか、貰っちゃって良いのかとか、聞きたいことはあったのはずなのに、聞けないままただお礼を口にした。
彼は小さく頭を下げると、何も言わずに行ってしまった。
その後姿はやけに曖昧に揺らいで見えて、やっぱり幽霊のようだった。
「また、会えたら、今度はもっといろいろ聞けたらいいのに」
彼女に渡した『お守り』は、一晩かけて彼女に溶け込み、全ての幽霊を見えなくする。彼女の見る力を封じるためのもの。
そして、自分と出会った記憶も一緒になくなる。
「僕はあなたと違って、彼らを消すものですから」
放置するのは危険だからと、親切そうな顔で彼らに話を聞き、騙すようにして存在を抹消する。
「あなたみたいに出来たら良かったんですけどね」
何も悪くない彼女から勝手に奪う、身勝手な行為の言い訳にもならないけれど。
「あなたに幸いがありますように」
May. 2020
関連→連作【幽想寂日】