今日もぼくはサッカーボールを蹴る。
そのボールを蹴り返すのは、いつだってあいつだった。昨日までは。
でも今日からはぼくの相手は家の塀。ボールは必ず戻ってくるけれど返事はしてくれない。
ぼくはため息をこぼしながら機械的にボールを壁にぶつける。
あいつとぼくはずっと一緒にいた。家が隣同士だったから赤ちゃんのころから仲良し。幼稚園だって小学校だって、クラスもずっと一緒だったんだ。この間のクラス替え発表の時だって「また一緒だな」って、喜んだのに。ずっと一緒にいようって約束してたのに。
「うそつき」
つぶやいて蹴ったボールは塀までとどかずにぼてぼてと転がる。
「下手くそだにゃー」
どこから現れたのか一匹の黒猫がサッカーボールにあごをかけて言った。
「一人きりで寂しがっている人のところには願いごとをきいてくれるしゃべれる黒猫がやって来るんだよ」
確かおばあちゃんから聞いたんだと思う。小さなころ、眠る前にいろんなお話をしてくれた、その中のひとつ。それを思い出した。
ぼくはあいつがいなくなってすごくさみしい。隣にいなくて何だかすうすうする感じ。
そして今、目の前にいるのは黒猫。それも人間の言葉をしゃべる。まちがいない。
「猫だ」
「人に指差しちゃいけみゃせんって習わにゃかったにょか?」
微妙に猫語が混じったしゃべり方。やれやれと言いたげに黒猫は首をふる。
「猫だろ。人じゃないじゃん」
差していた指を引っ込めながら言い訳する。
「口のへらにゃいガキだにゃ。……帰るにゃ」
小さな前足でサッカーボールを小突いて黒猫はどこかに行こうとする。
「ちょっと待って。おまえ、願いごとかなえてくれるんだろ? しゃべる黒猫。おばあちゃんに聞いたんだ」
あわてて引きとめると黒猫は立ち止まり、やる気なさげにふりかえる。
「にゃんだよ、願いごとって」
「あいつ、連れもどしてよ。ずっと一緒にいるって約束したんだ」
お父さんの仕事の都合だから、って引っ越していった。いつだって、隣にいるのがアタリマエだったのに。今はいない。そしてこれからもずっと。そんなのはイヤだ。まちがってる。
「会いたければ会いに行けば良いにゃ。電車だって飛行機だってあるにゃ」
そんなんじゃダメだ。毎日、いつだって一緒にいなきゃ。
「会えにゃいときは電話だってメールだって出来るにゃ」
「でも、ここにはいないじゃんか」
のんびり言う黒猫にぼくはいらいらしてくる。
「たとえ今、もしここにいたとしても、きっとそのうち一緒にいなくなったはずにゃ」
「そんなことないっ」
「でも、行っちゃったにょは事実にゃ」
黒猫の顔に意地の悪い笑みがうかぶ。
「……だって、お父さんの仕事の都合じゃしょうがないじゃん」
子どもだから、ついていくしかない。
「約束したにょに? 実はお友達にとってはどうでも良かったんじゃにゃいの?」
「そんなはずないっ。……なんだよ、おまえ。願い、かなえてくれるんじゃないのかよ」
「そんなこと一言も言ってにゃいにゃ。でも良いこと教えてやるにゃ」
黒猫のひそやかな声に、ずっと一緒にいる方法があるのかと期待する。
「なに?」
「忘れるにょ」
あっさりとした一言。なんだよ、それ。にらみつけると黒猫はぐぐっと身体をのばす。
「大丈夫にゃ。おたがいに別々にょ新しい友達ができて、きっと忘れるにゃ。一緒にいにゃい日が続けば」
「忘れないよっ。一緒にいなくても、ずっとともだちだっ」
簡単に言うな。そんなこと。どれだけ一緒にいたか、どれだけ仲良かったか、大事だったか、知らないくせに。
「それにゃら、問題ないにゃ? 離れていても、それでも一番にゃろ? 何もかわらにゃいにゃ」
「あたりまえだろっ」
静かな声に大声で言い返すと黒猫はぴょんとしっぽをふって路地に入っていった。
ふりかえった最後の顔ががんばれってやさしく笑ってるように見えた。だから、
「ありがとなっ」
って、黒猫が消えた方に言ってみた。
May. 2007