かちゃかちゃとカギを回す音。ドアの蝶番がかすかにきしみ、家にあがった軽快な足音がこちらに向かってくる。
「弟者っ」
リビングのドアを大きく開けられ、生ぬるい空気が入り込んでくる。
「……ドアを閉めろ。冷気が逃げる」
気持ちよく寝ていたのに、うるさいのが帰ってきた。
「弟者っ! 夏休みだよ!」
ガッコではやってんのか、妙な呼び方。それとも夏休みで浮かれてるのか?
「なに弟者って。忍者の仲間?」
「にんにん」
それは肯定なのか? 忍者の鳴き声か? さっぱりわからん。
「あー、冷蔵庫にチャーハン入ってるから、食うなら温めてな。じゃ、おやすみ」
いちいち相手にしているのも邪魔くさい。
クッションを顔面に押さえつけ、視界を遮る。
「ねぇっ、夏休みなのに、寝るとかもったいないでしょっ」
クッションを取り上げ、ガシガシと肩をゆすってくださる。
終業式から帰ってきたところでなんでこんな元気なんだ。
「セミ取りでもザリガニ釣りでも行って来い。夏休みだからな。帽子は被っていけよ。水分も忘れるな」
おれは寝る。
「小学生じゃないんだよっ!」
クッションを思い切りおなかに振り下ろされる。
痛くはないが、寝られない。
自分の部屋に戻って鍵をかけて安眠したいところだが、残念ながらエアコンは故障中だ。
灼熱地獄では寝られないし、もし寝られたとしたらそのまま永眠コースだ。
仕方なく伸びをしてソファから体を起こす。
「大丈夫だ。見た目ならまだいける」
制服を着ているからかろうじて高校生に見えるが、小柄な体躯と童顔は服装によっては小学生で通らないこともないだろう。
というか、今どきの小学生ならこれよりもっと色っぽいのだっている気がする。
「しつれーな」
「やっぱり精神年齢に引っ張られるのかね」
約一年の歳の差はあれど、学年は同じだし、どっちかというと、子供のころからおれの方が面倒を見ている。
気分的には姉というよりは手のかかる妹だ。
「重ね重ね失礼なっ。これを見ろっ!」
かばんの中をごそごそとあさり、出したものをこちらに寄越す。
「この立派な成績。見た目も中身も立派な女子高生!」
開いた成績表は本人の言うとおり確かに申し分ない。結構な進学校でこれだけの成績なら文句のつけようもない。
「……自分で言わなきゃな」
「がっちゃんのは?」
「かばんの中、入ってるから勝手に出せば? で、青葉。飯はどうするんだよ」
「たべるー」
早速おれのかばんを開けながら答えられ、仕方なくチャーハンをレンジに突っ込んでやる。
「あ、えらーい。すごーい。がっちゃん優秀ー」
成績表を見て青葉は声を上げる。
数字だけ見れば青葉と遜色はないが、学校のレベルはうちのが下だからそこまで褒めるほどでもない。
「ほら、さっさと食え」
温め完了したチャーハンをテーブルの上に置き、ついでにインスタントのわかめスープも出してやる。
「がっちゃんてば、勉強も運動も料理もできて、ホント自慢の弟だよー」
さっきからうすうす感じていたが、ここまであからさまになると間違いない。
「じゃ、あと片づけとけよ」
ここは立ち去るのが正解だ。
十六年も弟をやっていれば自然と身につく防衛本能。
「ぐぇ」
しかし敵もだてに姉をやっていない。
背を向けたおれのシャツを思い切り引っ張る。
「お願いがあるんだよっ!」
だろーと思ったよ。それも、大体めんどうなヤツだろ。
「断る!」
「話も聞かずに?!」
すごく不思議で不服そうだが、今までの経験上、ろくでもないことなのは聞くまでもないし、聞いたら確実に巻き込まれる。
「飯を食え。そしてお願いはカレシにしろ。いたいけな弟をいじめるな」
「がっちゃん。いたいけって、小さくてかわいらしいって意味だよ?」
真顔で指摘するな。
「おれは器が小さい。そして青葉より年齢も小さい。問題ない」
「がっちゃんは図体も神経も図太いから大丈夫だよ!」
フォローになってねぇよ。
「傷ついた」
だから部屋に戻って寝る、と続けようとしたところをうきうきとした青葉に遮られる。
「がっちゃんの部屋、エアコン壊れてるんでしょ。だから、すずしいところ行こう」
「はぁ?」
そうだったけれども、だからの意味が分からない。
青葉がいなくなれば、このリビングは涼しくて快適なんですよ?
「たーいーちーくん、あそびましょー」
インタフォン越しに呼び掛けると、あきれたような笑い声。
しばらくしてドアが開く。
「どーしたの。やさぐれて」
「おまえのカノジョの横暴に負けた」
「それ以前に、楽の姉だし。だいたい、基本的に楽が甘いんだよ、青葉に対して」
長い付き合いだけあって、大体のところは察してくれるのはいいが、辛辣だ。
もう少し幼馴染を労わってほしい。
まぁ、同じく幼馴染の青葉をカノジョにするようなモノ好きに、それを求めるのが間違いか。
「で、何しろって?」
「おれが行く必要は全くないんだよ。太一がいけば良い。デートして来い。弟公認だ」
「別に楽の公認はいらないけどね、行きたい時はいくし、行きたくないときは行かない」
正論だけどさぁ、もう少し色ボケしてくれても良いんじゃないか?
ため息をつくと太一は目で行先を促す。
「ガッコで聞いてきたんだと。心霊スポット」
「いってらっしゃーい」
最後まで待たずに太一は話を打ち切ろうとする。
「なんでそういう冷たいことを言うんだ!」
「ほら、ボク、品行方正だから、夜遊びとかしないしー」
外面が良いだけだろ、
「怖いんだな?」
「挑発のつもりー? ……ま、いっか。つきあうよ」
比較的あっさりと折れた太一に思わず不審の顔を向ける。
「つきあうって、おれも行くのか?」
「当然。被害は分散させるべきだろ」
仮にもカノジョのしでかすことを被害と言い切るのはさすがだ。
「しょうがないか」
姉弟二人で肝試しよりはマシなはずだ。たとえ傍から見たらカップルに邪魔者一人の構図だとしても。
「あ、ちなみに読書感想文五枚だから」
「はぁ?」
何それ、唐突に。
「代償。タダじゃないでしょ、当然。どうせ楽の学校でも出てるでしょ。内容同じでも構わないから」
有無を言わさず、原稿用紙を目の前に差し出す。
品行方正って誰が言ってたんだっけ?
とりあえず、反論してへそを曲げられたら困るのでおとなしく原稿用紙を受け取った。
「あっれぇ、結局たいちゃんも行くんだ?」
家の前で待っていた太一を見て青葉が声をかける。
「なに、青葉も太一を誘ってたの?」
「うん。一言メンドクサイで断られたけど。がっちゃんが頼むと来るんだ。そっかぁ」
なに、その不穏な「そっかぁ」って。文句言いたいのはおれの方ですよ。
「太一、知ってたくせにシラきってたな?」
「青葉、結果がすべてだよ。一緒に行くのは青葉も楽も望み通りだし、ボクは感想文をやらずに済んだし、みんな幸せ。スバラシイ」
おれは行きたくない上に太一の読書感想文を書かされるわけだが?
「欺瞞だ。詐欺だ。貧乏くじだ」
「いいなぁ。たいちゃん、感想文出来たの見せてよ。私も写す」
「しょーがないなぁ」
おい!
「学校、みんな違うの寂しいって思ってたけど、こういう時便利だねぇ」
青葉と太一は顔を見合わせ、うなずき合う。
もうやだ、こいつら。
帰ってやる。
「往生際が悪いよ、がっちゃん」
「そうそう。毒食わば皿までっていうじゃないか」
にこにことした二人に挟まれて、もうため息も出ない。
被害が分散どころか、二倍になってる気がする。
選択ミスだ。
おまけに、きっと、これは序の口。
今までの経験上、よくわかってる。
わかってたはずなのに。
「おれがバカだった」
「楽は学習能力に難があるよねー」
ぼそりと零した言葉に、太一が辛辣で的確なつっこみをいれる。
「そーじゃなくて、結局、なんだかんだ言っても、がっちゃんは私たちと遊ぶのが好きってことじゃないの?」
ポジティブというか自分勝手な言い分で青葉がまとめる。
長い受難の夏休みは、まだまだつつく。
Jul. 2015