「毎度のご利用ありがとうございます。水弥一真(みずや かずま)様」
寂れた駅改札に、いい加減見慣れてしまったモスグリーンの制服姿の駅員は、相変わらず胡散臭い笑みを口元に貼り付けていた。
「……そちらも相変わらずお元気そうで」
こちらの苦々しい口調に気づかないはずもないのに、駅員は笑みをくずさない。
なんというか、このうそ臭い笑みが腹立たしいんだよな。
安眠できるというあやしげな定期券をもって眠ると必ず夢に出てくる駅員は、これもまたいつものように内ポケットから写真を出す。
「本日はこちらの方にお会いしてください」
写っているのはセーラー服姿の女の子。中学生っぽい。
「りょーかい」
安眠の代償として、一人の人間と会うように駅員に指示される。
会わなければならない理由も不明なら、会ってどうしたら良いかという説明もナシ。
大抵、ほんの少し会話するだけで用は足りるようなので、それほど負担はない。ただ、あごで使われているようで癪に障るだけだ。
「いってらっしゃいませ、良い旅を」
心がこもっているとは言い難い定型句に送り出され改札を抜ける。
「……お気をつけて」
「?」
今までにない言葉を聞いて思わずふり返ってみたものの、駅員は背中を向けたまま、こちらの疑問に応える様子もない。
質問を受け付けない、という姿勢は初っ端から変わらないけれど、なんとなく釈然としない。
「気をつけろって……なんか危ないことがあるってことかぁ?」
停車中のレトロな赤い電車に乗り込み、誰も乗っていない車両の、なんとなく定位置にしている座席に座って眉をひそめる。
いつもの丁寧なだけで上滑りしている言葉とは違って聞こえたのが妙に気になる。
扉が閉まり、電車は心地よい振動をたてて走り出す。
ただ、会って話をするだけだ。それも今回は中学生らしき女の子相手で、何が危ないというんだか。
だいたい、リアルではあるけれど所詮は夢だ。たとえ何等かの危険があっても覚めて、現実に戻れば何の問題もないだろうに……。
規則的な電車独特の揺らぎに誘われるまま気持ちよく眠っていたところを、停車の衝撃で起こされる。
「ぅあ。到着ですかー?」
欠伸をかみ殺し、応える声のないことはわかっていながら呟きを漏らす。
窓の外に広がるのは乾いた地面が一面に広がる荒地。
所々、立ち枯れた草木があるのが、余計に荒廃した感じを強める。
「働くかぁ」
こちらが降りるのを待つように、停車後開きっぱなしのドアから、ホームに下りる。
毎度のことながら鄙びた駅の、ホームから直接地面に降りる。
辺りを見回しても人影らしいものはない。
沈みかけの太陽に正対するとまぶしいので、とりあえず東に向かうことにする。
地割れしてぼこぼこの地面に映し出される自分の影が妙に不気味で、視線をそらし周囲に目を配る。
「こんなとこに女の子一人で、ってちょっとアレだよなぁ」
どうせ、会えと言われた人物以外に人がいることはないから、まともに顔を覚えていないが、大人しげな雰囲気の子だった気がする。
「っていうか、気が滅入るだろ、コレは」
荒涼とした風景。動くのは自分と自分の影のみ。どこまで行ってもろくに景色が変わらず、延々とこのまま歩き続けなければならないような気になってくる。疲労も徒労感も半端ない。
現実に戻れば疲れがとれているから良いという問題でもない気がする。
ずいぶん陽が傾いて、辺りはだいぶ暗くなってきている。
「やな感じだな」
あの駅員の思わせぶりな言葉があたまに残っているせいか、妙な不安がつきまとう。
さっさと、該当人物に会って帰りたい。
外灯も月も雲もないのに星もない空を見上げて眉をひそめる。
大声で呼びかければ出てくるだろうか。
「……逆に隠れられそうだよなぁ」
とりあえず歩き続けていた足を止める。
斜め前方にある枯木の下、何かが動いたように見えた。
「逃げないでくれよ」
こちらの姿を見て、身を潜めたような気がして、警戒させないように歩をゆるめて、そっと近づく。
「こんばんは」
樹の後ろに身を縮めている女の子に、できるだけやわらかく聞こえるように、威圧しないようにすこしかがんで声をかける。
顔をあげた女の子と目が合う。
そのあまりの昏さに思わず一歩下がると同時に、女の子の影が、ゆらりと立ち上がった。
おかしいことにもう少し早く気付けば良かった。
太陽もほぼ沈んでしまった。月も星もなく、あたり一面荒野で当然外灯もない、とくれば影ができるはずがないのだ。
先ほどまで自分の前に伸びていた影も当然、見えなくなっている。
それにもかかわらず、女の子の影は暗い地面よりも黒く、くっきりと映し出されていた。
やばい。
一目散に逃げたいのは山々だけれど、背を向けるのもコワイ。
背後から速攻襲われて取り返しのつかないことになりそうだ。
夢なら、っていうか夢だろ。覚めろ。
願いは叶わず、ゆらゆらと立ち上がった影は、少女の足下から切り離されゆっくりと近づいてくる。
すくむ足でじりじりと後ずさる。
女の子の足下から、また新たな影がたちあがる。
無尽蔵なのか?
一体目との間合いは広がらず、でも何とかそれ以上詰められることもない距離を保っているが、少女の足下からは三体目の影が切り離されている。
あの駅員の馬鹿。こういうことだったのか。
当初の説明と話が違う。簡単とか言ってたじゃないかっ。命の危険を感じるぞ?
いくら夢とはいえ、死ぬのはもちろん、痛いのもゴメンだ。
とりあえず、三体で打ち止めらしい影は、徐々に歩調を速めているのか差が詰まってくる。
イチかバチか、身を翻し全速力で逃げるか。
覚悟を決め、息を整え、足先に力を入れたその視界の端に光が横切った。
その光線は一体目の影の頭部を貫き、影と一緒に消滅する。
半身でふり返ると、思っているより近くに駅のホームが見えた。
停車した電車の窓からこぼれる、規則的にならんだ明かりに妙にほっとする。
距離にして百メートルくらい。なんとか逃げ切れるか?
迫りつつある二体目との距離を横目で測る。
その鼻先をまた白光が横切る。
「ぅわ」
あ、ぶねぇ。自分がやられるトコだった。
二体目が消えたことを感じつつ、電車に向かって走る。
そうしてようやく、ホームある人影に気付く。
車窓の明かりを背にしているせいで、シルエットしかわからないが、あのまっすぐな姿勢からしておそらく駅員だろう。
文句言ってやる。ホームに着いたら、絶対。
こぶしを強く握り、スピードを上げかけ、結局、足を止めてしまう。
ホームの人影は弓をひき、そしてわずかな間をあけて矢を放つ。
その立ち姿、間合いは、見覚えがあった。
「渡井弓弦(わたらい ゆづる)ー!?」
思わず口をついた名前は静かすぎる荒地にいやに大きく響きわたった。
「っ痛ー」
こめかみを突き刺すような痛みに頭を抱えて起き上がる。
何度かまばたきを繰り返すうちに、痛みは徐々に遠のく。
「乱暴すぎるだろ」
確かに、毎回、夢から放り出されるような感覚はあったけれど、今回は蹴りだされた感がある。
「渡井弓弦ねー」
駅員と同一人物かと問われれば、イマイチ自信はない。
もともと人の顔を覚えるのは苦手だし、ただのクラスメイトという以外、接点もほとんどない。おまけにあの駅員、目深に帽子かぶってるせいで口元しかわからないし。
ただ、あの夢の中では妙な確信があった。
「……ま、本人に確認すれば良いか」
目覚まし時計を見ると、五時三十三分。
セットしてある時間よりずいぶん早いが、丁度いい。
目覚ましをオフにしてベッドから抜け出す。
とりあえず、まずは朝ごはんだ。
いつもより二時間ちかく早い時間、校門をくぐっても人気がない。
「朝練には早い時間か?」
中学の時はこのくらいの時間から走りこみとかやっていたから、もう少しにぎやかかと思っていた。
まぁ、うちの高校、それほど部活動に熱心ではないから、始まりが遅めなんだろう。
校舎には入らず、校門脇の生垣沿いを歩く。
体育館も武道場も通り過ぎた奥にひっそり忘れ去られたように建つ、古びた小さな建物の戸を引く。
古めかしい割にかるくすべってくれたおかげで、それほど音をたてずに中に入れる。
上がり口にはきれいに揃えられた、靴が一足。
「おじゃましまーす」
一応、小声で挨拶をし、靴をぬいで先客の隣に並べてあがる。
なかをのぞくと、弓をひいた状態の渡井と一瞬目があった。
が、何ごともなかったように渡井は矢を放ち命中させる。お見事。
「何の用だ? 入部希望か?」
表情なく尋ねる渡井に、にっこり笑みを返す。
「いつもの笑顔はどこに忘れてきたんだ? 駅員」
「何の話だ?」
「おれは確信してるし、朝錬の邪魔はしたくないし、さっさと認めたほう時間を無駄にしなくて済むよ?」
先ほどの射をみて、間違いないと思った。
顔を覚えるのは苦手だけど、形というか雰囲気、空気感をよむのは比較的得意だ。
渡井はあきらめたように弓をたてかける。
「顔が見えていたとは思えないが?」
座るように促され、床にそのまま正座する。
「顔は、見えてたとしても記憶できてたかどうかあやしいけどな……。前、ゴミ捨てでここの横通ったときに、見かけたんだよ。それがちょっとカッコよかったので、覚えてたんだよねー」
最初、物珍しさで足を止め、その姿勢のよさと一人で射場に立って、的に向かう様子が、すごくきちんとしていて、思わず見入った。
それがクラスメイトだとわかったのは、実は結構あとのことだったのだけれど。
「……オマエ、それ変だろ」
あきれた混じりの疲れた表情で渡井はつぶやく。
「何でもそつなくこなして、誰にでもにこにこしてて、つかみどころのないやつだとは思っていたが」
おい。それは褒めてないだろ。
「イヤミか? この成績優秀者」
そつがないのはどっちだ。成績上位一覧に大体名前が載ってるだろ、そっちは。おまけに背も高くてムカつくし。
……ってか、話がずれてるじゃないか。
「そんなのはどうでも良くて。渡井、なんで、あんな駅員なんかやってんだよ」
「……不可抗力」
不機嫌そうな一言。
さっぱりわかんねーよ。
「じゃ、昨夜のはなんだよ。いや、昨夜だけじゃないけども」
適当に切り抜けられないと思ったのか、あきらめたのか、渡井は小さくため息をつく。
「迷子だ。悪夢に呑まれて出口を見失った。昨日のはちょっと遅かったな」
渡井の表情がかすかにかげる。
「おれが見つけるのが?」
確かにいつもより時間がかかっていた気がする。
「いや、そういう問題でもないか……単純にオレが見誤った」
すまなかった、と渡井はしずかに頭を下げる。
「ちょっと、待て。そんなことよりワケを言えワケを」
そんな全うな謝罪、どうして良いかわからなくなる。
「中には悪夢に好んで浸かる奴もいる。その手の場合、祓う必要がある」
光の矢で影を貫くのが祓うということか?
自分がわかってるからか、面倒だからなのか、渡井の説明はイマイチ言葉が足りない。
「あれ、あのままにしておくとどうなるんだ?」
不足を補うために質問をつづけると、渡井は目を眇める。
「……オマエ、まだ続ける気があるのか?」
「は?」
予想外の切り返しに間抜けに聞き返す。
渡井は立ち上がり、話を終わらせるつもりか弓を取る。
「続ける気がないなら話す必要はないだろ。……あんなことがあって、それでも続けるつもりか?」
なんか、腹たつ言い方だな。
反論しようとしたのを読んだかのように、的前に立った渡井は続ける。
「言っておくが、あれはただの夢じゃない。あそこで怪我をすれば、現実でも相応の傷を負う。くだらない反発心で短絡的に答えない方がいい」
こいつ、本気でむかつく。
「……ありがとう。そうするよ」
本音を飲み込んで、笑ってみせる。
渡井から見れば、内心まるわかりかもしれないが、こっちにだって意地がある。
「邪魔して悪かった。また、教室で」
できるだけ平静な声で背を向ける。
案の定返事はなく、ただ、矢が放たれた音が聞こえた。
はじめて、笑顔ではない駅員を見た。
なんとなく勝った気分で、駅員に近寄る。
「今日のノルマをいただけますか、駅員サン?」
「…………水弥一真様。ご忠告差し上げたと思いますが?」
いつも通りの胡散臭い笑顔を貼り付けて切り返して来る。
早々に立て直してきたか。
可愛げがない。
「ちゃんと仕事しようよ、駅員。問題になるような仕事をおれにふらなければ良いだけだろ、渡井弓弦」
手をのばし、顔を半分隠す帽子を外してやると、その下から苦い表情があらわれる。
「絶対の安全は保障できない」
深々としたため息と一緒に吐き出す。
真面目だなぁ、こいつ。無表情だし、言い方には非常に問題あるけれど。
「そこまで求めてないって。おれはこの快適睡眠方法が結構気にいってるし、そのためには多少のリスクは甘受するよ。渡井が来るまで逃げ回るくらいはできると思うし」
そのくらいは出来る。たぶん。
「物好き」
あきれたようなため息とともに渡井はつぶやく。
それには、ただ笑みを返す。
「……それでは、水弥一真様。本日はこちらの方にお会いしてください」
帽子を取り返した渡井は、駅員仕様の胡散臭い笑みをはりつけ、いつものように写真を差し出した。
Jul. 2011
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