懶鬼



「ちょっと、聞いてくれよっ」
 ドアが開いた条件反射で「いらっしゃいませ」と発しかけた章(あや)の口が「い」の形で固まり、そして大きな息を吐き出した。
「鷹間(たかま)、どうしたんだ。今日はバレンタインデートだって浮かれてたじゃないか」
 ため息の後、口をつぐんで読書に戻った主の代わりに昊(こう)は尋ねる。
 昼休みに学食で会った時は、惚気まじりのデートのプランを垂れ流しにされた。
 ざっくり聞き流していたが、確か、夕方『彼女』と落ち合って、買い物に付き合って、ごはんを食べに行って、そのあとはカラオケ行こうかなぁとか言っていた気がする。
 時計を見ると只今二十三時十八分。
 デートを終えて解散後に寄ったと考えてもおかしくはない時間だけれど。
「それだよ! びっくりだよ。付き合い始めて二カ月、うきうきするのアタリマエじゃない? 普通に」
「あーうん」
 気のない返事をする章に鷹間は苛立ったようにカウンターに手をつく。
「聞いてないだろ」
「……ここはコンビニで、愚痴を垂れ流す場所じゃない。何も買わない鷹間は客じゃないから相手にする必要もない」
 本から顔を上げた章は淡々と言い切ると、再び本に目を落とす。
「親友に向かってその態度! 冷たくないか? ちょっとひどすぎないか? 昊、何とか言ってやってくれよ、お前の主だろ」
「主に口出しするのはちょっとねぇ」
 レジ前で品出しをしながら昊が嘯くと、章も鷹間もそろって顔をしかめる。
「そこまで堂々と言い切られると本当かと思いたくなるよな、実態知ってても」
「失礼な。俺は忠実従順な使鬼ですよ。なぁ、章」
「……で、鷹間はなんだって?」
 基本的に嘘をつかないようにしている章は否定も肯定もせず、諦めたように鷹間に向き合う。
「だからさ、待ち合わせたでしょ。で、カノジョが買い物行きたいって言ってたから、一緒に行って、服見てて、これいーなぁ、でも、ちょっと予算オーバーだなぁとか、かわいく言うじゃん。買ってあげたいと思うでしょ、普通。似合うと思ったし、そんな高いわけじゃなかったし」
 話が長い。もう少し要点だけを簡潔に言えとか指摘するのも面倒なのでとりあえず放置してしゃべらせておく。
「で、買って。ご飯食べて、楽しく過ごしてたんだよ。カノジョだってにこにこしてたし、で、お店出て、どうしよっかーって言ったら、帰るねって。何それ。チョコももらってないし」
「根本的に付き合ってるっていうのは鷹間の思い込みじゃないか?」
 章、辛辣すぎ。
「ちがう! だって、もともと向こうから付き合ってって言ってきたんだし。今日だって、向こうから誘ってきたのに、やっぱりなんか違うかもーとかって言って」
 言いながら鷹間はカウンターに突っ伏す。
「……なんか、前もこんなことなかったか?」
 ため息まじりにこぼす章に昊は肩をすくめて見せる。
「っていうか、日常茶飯事? 鷹間、女を見る目なさすぎだろ」
 基本人が良くて、流されやすい。
 それは鷹間の良いところでもあるけれど。
「少しは慰めてくれよぉ」
「少しは学習しろよ……コーヒー入れてやるから」
 諦めたように本を閉じ、章はカウンター奥においてある店員用のコーヒーを入れて鷹間に渡す。
「ありがとー」
「向こうで飲めよ」
 他に客がいないとはいっても、さすがにカウンター前で堂々と売り物でもないコーヒーを飲まれるのはよろしくない。
 鷹間は素直にイートインコーナーに移動して湯気を立てるコーヒーをちまちまと飲む。
「なんかねぇ、どうせなら会ってすぐ言ってほしかったと思ってたんだけど。バレンタインらしく楽しく過ごせて良かったなぁとか思ったりもしてね。バカみたいだよねぇ」
 鷹間の独り言めいた愚痴を聞いてやわらかな苦笑いをもらす章と目が合う。
 こういう表情を見せるのはめずらしい。
 どうせなら鷹間本人に見せてやれば、慰められるのだろうに。
 物言いたげな昊の表情を察したのか、章はいつもの無愛想な顔に戻る。
「それ、そろそろ片づけるか」
 章が指した棚を振り返る。
 出入口間近で、一番客に目のつくポジションは、ここひと月ほどバレンタイン向けの商品が幅を利かせていた。
 昊は多少隙間の目立っている棚と時計を見比べる。
 日付が変わるまであと十分少々。
 流石にこんな時間から買いに来る物好きはいないだろう。
「了解」
「あーっ、ちょっと待ってっ」
 突如割り込んできた声に、昊はチョコを撤去しかけた手を止める。
「……いらっしゃいませ」
 タイミングをかなりはずして章が声をかける。
「遅くにごめんなさい。チョコ買うから、少し待ってください」
 高校生くらいにみえる少女は、棚にざっと目を通して、かわいらしいラッピングの小さな箱を選びレジに向かう。
「ありがとうございます。八百四十円です」
「袋いいです」
 お金を払い、商品を受け取った少女は章の顔を見上げると小さくうなずく。
「あの」
「……はい?」
「これ、もらってください」
 少女は買ったばかりのチョコの箱を章にずいと差し出す。
「良いなぁ、章」
 うらやましそうにぼそりとつぶやく鷹間を無視して、昊は章の様子を見つめる。
 章は困ったように、それでもやさしい笑みを浮かべると少女に目線を合わせる。
「章!」
 遮るように呼ぶが、無視される。
「ありがとう」
 章の言葉に少女の顔がほころぶ。
「でも、ごめんね。受け取れない」
 が、その後すぐに付け加えられた言葉に少女は落胆し、昊は大きく息を吐く。
 チョコレートを受け取っていたら、おそらくそれだけで契約成立になっていたはずだ。
 それは使鬼である昊からしたら許し難い。
「そう、なの?」
 少女はしょんぼりとし、そして昊と鷹間を見る。
「悪いけど、あれも駄目」
 少女が何か言うより早く幾分強い声で、畳みかけるように章は告げる。
「なんであなたがそんなこと決めるの? あなたに、関係ないじゃない」
 有無を言わせない口調の章に少女はふくれっ面で返す。
「おれの使鬼と友人だしな、一応。食われるのは困る」
 少女が何者で、何をしようとしているか、章もはっきりわかっていたようだ。
「つまんなーい。せっかく、こんなおいしそうなのが揃ってるのに。別に丸呑みするわけじゃなくて、ちょっと分けてもらうだけなんだから、良いじゃないーー」
 少女は言いながらそのまま床にへたり込む。
「おい」
「大丈夫?」
 間にカウンターが挟まっている章より、鷹間の方が駆け寄るのが少し早かった。
「ちょっと、やだぁ。やっぱり、おいしそうー」
 差し伸べられた鷹間の手をつかんで、少女はうるんだ瞳で見上げる。
 それはまぁそうだろう。
 昊はともかく、章も鷹間も普通の人間にはない力を持つ。
 それは少女のようなモノにとっては、たいそう魅力的な糧となる。
「離れろ」
 『浄声(じょうしょう)』としての力を使ったわけでもない、どちらかといえば静かな声にもかかわらず、有無を言わさない章の声。
 少女の手が力なく鷹間から離れる。
「悪いけど、鷹間は特殊だからあんまり触らないでもらえるか」
「おれはこんなかわいい子に手を握ってもらえたら嬉しいけど?」
 章の苦い声とは真逆のあっけらかんとした鷹間の言葉に少女は目を丸くする。
「変な人ね」
「鷹間はちょっとおかしいんだ。で、お前はなんで立ってられないくらいヘロヘロなわけ?」
 疲れ切ったような章の代わりに昊は少女に尋ねる。
「だってぇ、おなかすいてるんだもん。ずっと食べてなくてぇ」
「だから、なんでそんなになるまで放っておいたんだよ」
 床に突っ伏す少女に昊はあきれて尋ねる。
 これだけきちんと人の形をとれるというのは、それなりに高位の『魔』であることは間違いない。普通に考えれば、そこらにいる人間の精気をちょいちょい吸っていれば維持できるはずだ。
「めんどくさいんだよぉ。ほどほどにおいしそうな人間見つけて、声かけて、人気のないところに連れ込んで……なんか変な気起こす奴は多いしさぁ」
 少女はうんざりとぼやく。
 わからないでもない。
 少女の見た目はそれなりにかわいらしく、そして実際はともかくとして若い。
 声をかけられた男が勘違いして、面倒事に巻き込まれるというのはありそうな話だ。
 『魔』であるくせに、そのあたりをコントロールできないのは少女が不器用なせいだろう。
「ひどい男がいるねぇ。女の子には優しくしないといけないのに」
 鷹間は眉をひそめる。
 優しすぎてうまく利用されている鷹間みたいなのも問題だとは思うが、昊はあえて指摘せずに沈黙を守る。
「そうなのよぉ。あなたいい人ねぇ。世の中、あなたみたいな人ばっかりだったら良いのに」
「まじでー。うれしー」
 鷹間と少女のゆるい会話に昊と章のため息が重なる。
 鷹間が『魔』を避けるべき『天承』でなければ、良い組み合わせになりそうなのに、世の中ままならない。
「それ、貸して」
 章は少女の手からチョコレートの箱を取り上げる。
「もらってくれるの!?」
 少女は顔をほころばせるが章はすぐに否定する。
「貸して。と言ったよ」
 章はチョコレートをカウンターの上に置いて向き合うと手を一つたたく。
「《我が息を介し、かむいのためつものたれ》」
 声にしたことを、そのまま実現させる『浄声』の力がチョコレートに注がれる。
「章」
 昊は非難の意を込めて名を呼ぶが、章は無視してチョコレートを少女に返す。
「しばらくはこれで凌げるはずだから」
 受け取ったチョコレートの包装をはがし、少女は口に含むと幸せそうに微笑う。
「おいしー。しみわたる。……ねぇ、どうして?」
「餓死するのを、見て見ぬ振りするのも寝覚めが悪い。次からは有料。出来れば自分でどうにかしたほうが良い」
 愛想はないけれどどこか優しく響く声。
「ありがとう。今日は、帰るね。また、お礼に来るよ」
 力を注がれたチョコレートひとつで動けるようになったらしい少女は立ち上がる。
 残ったチョコレートを大事そうに抱えて店を出た少女の姿が見えなくなってから昊は口を開く。
「章」
「なに?」
 平然と聞き返すが、言いたいことは分かっているはずだ。
「不愉快だ」
 直截的に力を取られるよりはましとはいえ、主の力を分け与えられるのは、見過ごせない。
 大体、章は『魔』に甘すぎる。
「大丈夫だって、昊。章はちゃんと昊のこと大事にしてるし。というか、昊がいるからこそなんだから」
 こちらの考えを見透かしたような鷹間の言葉。
 やけに真をついてるくせに、本人はしごくあっけらかんとしていて毒気抜かれる。
 何も言わずカウンターに戻った章を一瞥して、とりあえず昊はチョコレートの撤去作業に戻った。


【終】




Feb. 2014
関連→連作【神鬼】