marry me



「結婚しよう」
 照れたような、緊張したような、笑みまじりのやわらかな声は、『はい』以外の返事が返ることなど予想していないであろう親密さを含んでいる。でも。
「なんで」
 零した自分の声で、目が覚めた。


 何度かまばたきする。カーテンの隙間からもれる薄明りの感じからそろそろ起きる時間だろうことは察せられるけれど、目覚ましはまだ鳴っていない。
 二度寝するには時間がないが、さくっと起きる気力もない。
 どうしてあんな夢を見たんだか。
 就職を機に自然消滅のように別れて以来五年、カレシなし。好きな人もなしという、端から見れば寂しいヤツだと思われそうな状況ではあるものの、自身としてはそれなりの愉しく日々を過ごしている。
 いつかは結婚するかもしれないけれど、今現在、特に結婚願望はないのに。
 と、ここまで考えて思いだした。昨日の昼休みに同僚の結婚報告を受けたんだった。それのせいだ、きっと。
 あの時は、普通におめでたいと思って、祝福をしたけれど、どこかでうらやましいとか思うところがあったのか、自分。
 いや、でもそうだったらプロポーズに「なんで」って返答はないか。
 それにしても実際やったら失礼すぎる返事だよな。
「ま、夢だしね」
 苦笑いをこぼして、ちょうど鳴りだした目覚ましを止めて布団から抜け出した。


「いい加減にしてよ」
 くたびれた声が力なく漏れる。
 この一週間、毎朝毎朝同じプロポーズで目が覚める。
 時間は日に日に早くなり、昨日は四時半、本日は四時起床。
 さすがに早すぎるので二度寝を試みるが眠気はあるのに、目を閉じてもなんだか落ち着かず、寝付けない。
「なんで」
 ごろりと布団の中で寝返りをうつ。
 さすがに毎日同じ夢を見るのはおかしくないだろうか。
 一度くらいなら良い夢かもしれないけれど、もう悪夢でしかない。
「っていうか、ちょっと、あれだよね……メリーさんみたい」
 都市伝説の、あれだ。
『私メリー、××にいるの』とかって電話をかけてきて、それがだんだん自分に近づいてくるやつ。
 いや、似てない。気のせいだった。寝不足のせいで思考が散漫すぎだ。


「…………」
 暗闇の中、目覚まし時計のバックライトを光らせて時間を確認する。
 三時二十八分。
 今日でもう十日目だろうか。プロポーズの言葉も相変わらず。二度寝できないのも引き続いている。目の下のクマもいい加減化粧で誤魔化せなくなってきた。
「今日は休みだから、まぁ良いけど」
 声は我ながら何だけ泣き出しそうに聞こえた。うん。本当は全然よくない。
 仕事中にぼんやりしがちだし、細かいミスは盛りだくさん。取り返しのつかないミスを起こすのも時間の問題だ。
 毎日のプロポーズも気持ち悪いが、寝られないのが一番つらい。
「んー」
 でも実際のところ、初めの数日はともかく、その後のはまた今日も同じことになるかもという自己暗示になっている気もする。
 ちょっと誰かに愚痴って、発散すれば少しはマシにならないだろうか。
 薄暗闇の中、スマホのアドレス帳をスクロールする。
 大学時代の友人はそれぞれ地元に戻ったり、そもそもそこまでの付き合いではなかったりが多く、卒業後も会っているのは、そんなに数多くはない。 
 その友人たちも結婚していたり、長く続く彼氏がいたりで、「結婚願望でしょ」と言われて面白がられそうだ。今はちょっと、そういう言葉を聞き流したり冗談で返したりできる精神状態じゃない。
 地元の友人は察してはくれるだろうけれど、離れている分、ものすごく心配してくれそうで、それはそれでちょっと重い。
 『堂森隆哉』。特に消すタイミングもなくそのままになっていたモトカレの名前がでてきて苦笑いする。
 これはいちばん問題外。会えば普通に話せるとは思うけれど、今回の話は絶対したくない相手だ。
 『鈴掛』。誰だっけ。一瞬考えて思い出す。そうだ、隆哉の友達だ。紹介されて、その後何度か飲み会で一緒になっていて、流れで連絡先を交換したんだった。
「あ、良いかも」
 下の名前も覚えていないほど付き合いの浅い相手ではあるけれど、そのくらいのほうが吐き出しやすい。それに不思議なことに詳しいみたいなことを隆哉が言っていた気がする。その時はどういう意味かも気にせず聞き流していたけれど。
「よし」
 方向性が決まったので、なんとなく気分が浮上する。
 まぁ、鈴掛が話を聞いてくれるかはわからないけれど。


『お久しぶりです。同じ大学だった本条です。お話したいことがあるのですが、お時間いただけませんか』
 卒業以来連絡を取っていない、それも仲良かったわけでもない相手に対するメールとしては不審極まりないけれど、程よい文面が作れず仕方なしにこのまま送る。
 この手の連絡は何等かの勧誘を警戒するだろうし、八割方スルーされるだろうと覚悟していた。
「ぅわっ」
 メールを送って五分もしないうちにスマホが鳴り出し、画面を見ると『鈴掛』の文字。びっくりして落としそうになるのを何とか回避して通話ボタンを押す。
「はい、本条です」
「鈴掛です。……メールの件、堂森と連絡とるとかは無理だけど?」
 警戒したような硬い声。
「あ、ちがう。ごめん。全然関係ない話。そして勧誘とかでもない。ぇえと、鈴掛くん、今、時間大丈夫? 大丈夫なら、話があるのこっちだから、折り返す」
 切られないようにあわてて言い募る。
「……おれ、東埜にまだ住んでるけど、本条さんがこっちにいるなら、良ければ会って聞こうか?」
「私もこっちで就職したから。奈川市だけど東埜寄りだから近いし、会ってもらえたら助かる」
 最初とは違う、やわらかな声で願ってもない申し出をされてほっとした。


「本条さん、こっち」
 ほどほどにうす暗い店内に入ると先に来ていた鈴掛はすぐ気付いて軽く手を上げる。
「ごめん。遅くなりました」
 あの電話ですぐに話がまとまって、その日のうちに会ってもらえることになった。場所は鈴掛が行きやすい場所にしてもらえばと言ったのに、結局中間地点の店を選んでくれた。
「いや。おれが早かっただけ」
 席に座ると、鈴掛はこちらをみてほんのり微笑む。
 あぁ、そうだ。どちらかと言えば無愛想な雰囲気の人なのに、初対面の時もこんな感じで笑って、それがなんか感じが良くて、隆哉、良い友達がいるなぁって思ったんだった。
「ありがとう。えぇと、とりあえず、お礼代わりにここは私が持つから、好きなもの頼んで?」
「……じゃ、遠慮なく」
 

「それで、急におれなんかに、どうしたの」
 注文したものがそろい、ワインを一口飲んで、鈴掛から切り出してくれる。
「うん」
 どう話そうか。なんか勢いで連絡とっちゃったけど、鈴掛に相談するのってなんか変だよな。
「とりあえず、アルコール入れたら? ……あぁ、でも疲れてるみたいだから程々で」
 労わるような声に力が抜けると同時にこの薄暗さでもわかるほど睡眠不足が顔に出ていることにため息をつきたくなる。結構きちんと化粧をしてきたつもりだったのに。
「くだらない話なんだけどね、最近夢見が悪くて」
 ワインを二口ほど飲んで本題に入る。
 夢の内容、同僚の結婚の話、目が覚めて寝られないこと、結婚願望なんかない話とかをまとまりなく話した。
 鈴掛は相槌をはさむだけで、余計なことを言わずにただ聞いてくれた。
「鈴掛くん、なんか不思議なことに詳しいって聞いた覚えがあって、それで、急に連絡しちゃって、ごめん」
 どことなく困った顔をしているように見えて、謝る。
 普通、困るよね。寝られないなら病院いって睡眠剤でも出してもらえって話だし。
「なんか、話聞いてもらえただけで、ちょっと気持ちが楽になった気がするし、今夜はもうぐっすり眠れるかも」
 出来るだけかるく伝えて笑ってみせる。
「謝らなくていいし、無理しなくていい。ただ、申し訳ないが、おれは解決策を持ってない。ただ話を聞くことしかできないが、それで良ければいくらでも聞く」
 やさしいというか、懐が深いというか。
「良い人だねぇ、鈴掛くん」
「良く言われるよ」
 苦笑いまじり。
 なんとなく察した。得てして恋愛対象から外れがちなんだよな。こういうタイプ。
「そこでわかるって顔されるのも不本意なんだけど?」
 言葉とは裏腹に鈴掛は気にした風もなく楽しげに笑った。


「んー」
 部屋に漏れ入る光がまぶしくて目をこする。もう、朝? すごい。ぐっすり。
 鈴掛に話した効果が早速出たのか。
「あ、れ」
 ごろりと仰向けになって気付く。見たことのない天井。そして知らない布団。
「うそっ」
 慌てて起き上がる。
 服は昨日着てたもののまま。あぁ、これ化粧も落とさずに寝たな。最悪だ……そうじゃない。
 どこだ、ここ。
 四方が襖で囲まれた畳の部屋だ。隅に小さな戸棚が一つ。
 とりあえず光が差し込んできている側の襖を小さく開ける。
 廊下なのか縁側なのか。庭に面して一面ガラス張りの通路になっていて開放的。なんとなくおばあちゃんの家を思い出すような、普通の民家だ。
「本条さん、おはよう。気分は?」
 玄関に出たところで、別の部屋から出てきた鈴掛と鉢合わせる。


「え、あ、おはよう、あの、さ。鈴掛くん」
「とりあえず、洗面所はあっち。良かったらこれ使って。簡単なものだけど、ごはん支度してるから」
 手渡されたのは一泊用のスキンケアセット。コンビニで買ってきてくれたのだろうか。なんて気の利く。
 お礼を言って、洗顔を済ませる。すっぴんなのが微妙に恥ずかしいが、化粧がよれよれにくずれた未洗顔よりマシなはずだ。
「コーヒーで良い?」
「ありがとう」
 居間らしき和室の座卓に、トーストとサラダと目玉焼きが載ったプレートが置いてある。
 その横にコーヒーのカップを置いて、対面に鈴掛は座り、食べるように促す。
「いただきます。あの、さ」
「本条さん、昨日、食べながら寝ちゃったんだよ。なんか静かだと思ったら、フォーク持ったまま」
 鈴掛はくつくつと笑いを漏らす。
「うそ」
「限界だったんだろ。眠れてよかったよ」
「ごめんなさい。迷惑かけて」
「別に。大したことしてない。ちょうどここがあったし」
 本当に大したことなさそうに、軽く言う。
「ここって、鈴掛くんの家?」
「あー、おれのというか、もともとは伯母の家。ただ伯母は引っ越しして、今は使ってない。管理はおれがやってるから、自由に使っても大丈夫なんだけど」
 そういうことか。一人暮らしにしては広い家だし、ご家族と同居だとちょっと気まずいと思っていたから、少しほっとする。
「起きたら全然知らない場所って驚いたよな。今更だけどゴメンな」
 どう考えても鈴掛が謝ることじゃない。
「呼び出して話聞いてもらってたにもかかわらず寝た私がどう考えても悪い。鈴掛くんに謝られたら困る」
 っていうか、ごはん奢るって言ってたのに、払ってもらってるよね。後でしっかり清算して、お礼もしないと。
「その話のことなんだけど、今日は夢を見なかった?」
「おかげさまで。こんな時間までぐっすり」
 何時に寝たかは定かではないけれど、おそらく九時は過ぎていなかっただろう。そして今は十時近い。十二時間以上寝ていたことになる。
 話を聞いてもらえたおかげに違いない。
 あらためてお礼を伝えると、しかし鈴掛は少し難しい顔をする。
「……ここに住んでた伯母が、ちょっと特殊な人で、端的に言うと拝み屋みたいなことができたんだ」
「拝み屋っていうと、悪霊退散、みたいな?」
 胡散臭い坊さんのイメージがある。だからこそ鈴掛の口調も躊躇いがちなのだろう。
「ちょっと違う気もするが、まぁお札を書いたりとか。商売してるというわけでもなくて、知り合いの相談にのる程度のものだったんだけど」
 鈴掛が不思議なことに詳しいというのもその伯母さんの影響なのかもしれない。
「本条さんが眠れたのは、もしかしたらこの家だったからかもしれない。この家は悪いものを弾く。……すごく胡散臭いことを言ってるな、おれ」
 すごく困ったような、そしてどこか自嘲的な力ない微笑み。
「胡散臭いで言ったら私の方が先じゃない? ほぼ付き合いのない、モトカレの友達に突然連絡取って呼び出して。自分がやられたらとりあえず、行かないよね。絶対変なもの売りつけられそうだもん」
「電話の時点ではね。でも、会ったら相変わらずだし。それなのにすごく辛そうだし」
 私の言葉に鈴掛の表情が少し和らぐ。
「相変わらず?」
「胡散臭いついでに。おれは人の持つ気配というかオーラのようなものを感じ取る力が強い」
 諦めたようにも聞こえる口調。その内容は微妙に持って回った言い方で、意味をくみ取るのに少し時間が要った。
「それは私が今何を考えてるかわかるってこと?」
「本条さんは今困惑してるっていうのは普通に顔と声でわかるけど、そういうんじゃないよ。もっと根本的な……例えば、初見でもこの人とは気が合いそうだなっていうのとか判ったりすることない?」
 うなずく。
「そういうのが、もう少しはっきりわかる感じ。本条さんはなんていうか、居心地のいい空気な人だなって初め会った時も思った。堂森もそんな感じ。で、お似合いだなって思ったんだよ」
 懐かしむような柔らかな笑顔。
「ただ、人は変わる。時間や、環境や、対する人に影響されて。良くも悪くも。本条さんは全然変わってなかったけど」
「成長がないってこと?」
「なんでそうなるよ。褒めてるだろ」
 いや、本気でそう思ったわけでもないんだけどさ。鈴掛の口調が少しくだけてきて、なんとなく面白い。
「っていうか、あっさり受け入れすぎ。壺とか売りつけられないように気を付けたほうが良いぞ」
「そこまで純真無垢じゃないよ」
「普通、気味悪いと警戒するだろ」
「人よりちょっと勘が良い程度でしょ。それに鈴掛くん、良い人だし」
 顔を見て、話してればわかる。親身になって、心配もしてくれていること。
「……本条さん、これ」
 肩を落とした鈴掛は座卓の上に一センチくらいの銀色の鈴を置く。
 ちりんと涼やかな音とともに少し転がる。
「悪夢の件、たぶん誰かの感情を強く受けすぎてるんだと思うから、魔除け代わりに。伯母が残していったものだから、多少は効果があるはず」
「ありがとう。鈴掛くんに相談して良かった」


「結婚しよう」
 驚いて、そして仄かに笑った。
 その笑顔が。
「……うん?」
 握っていた手の中から鈴が転がり落ちてちりんちりんと音を立てた。
 同じ夢のようでいて、全然違う。
 プロポーズしたのは私だった。相手の顔は良く覚えていないけれど。
「うん」
 目覚まし時計が鳴り始めて、ベッドから起き上がる。
 別に急に結婚願望が湧いたわけじゃないけれど、良く眠れたし、なんとなく良い気分だ。
『良く眠れた! ありがとう。改めて今度こそお礼をしたいので、週末どうですか?』
 メールを打つ。
 鈴掛の笑顔が見えるような気がした。

【終】




Jun. 2019