魔女の願いの森



「未菜! 大丈夫? 顔色悪いよ?」
 心配そうにのぞき込む友人にうなずく。
「……芽衣? あーごめん。ぼんやりしてた。最近、夢見が悪くて寝不足なんだよ」
 そう、ただそれだけ。
 やけにリアルな夢だった。
 あの声がまだ耳の奥でこだましている気がしてぶるりと体が震えた。
 昔から何度も見る夢だった。
 起きた時には決まって冷や汗でぐっしょりとパジャマが濡れていた。
 初めて見たのは十歳ごろだっただろうか。
 その後は二,三年おきくらいの頻度だったと思う。
 先月の頭に一年ぶりくらいにあの夢を見て今回はちょっと早いなと思ったのだ。
 そしたらまた十日ほどたって夢を見た。
 そして一週間おき、数日おき、とだんだん頻度が短くなり、この一週間は毎日だ。
 寝ても夢のせいで睡眠がとれている気がしない。それどころかひどく疲れている始末。
 いっそ起きていた方がマシなのではと試してみたものの、ほんの十分ほどのうたた寝でもきっちり夢を見る始末。
 打つ手なしだ。
「魔女に会いに行くと良い」
 聞き間違いかと芽衣の顔を見る。
 視線が合わない?
「芽衣? 今、なんて?」
「だーから、寝不足なら早く帰って寝なって。家まで送ろうか?」
 虚ろに見えた芽衣の目はいつも通り、というかこちらを案じるものでほっとする。
 気のせいか、寝不足がとうとう目と耳に来たのか。
「一人で帰れるから大丈夫。大人しく寝るよ」
 夜じゃなければ夢を見ないかもしれない。
 軽く手を振って芽衣と別れた。


「――――――っ!!」
 自分の叫び声で目が覚めた。
 現実に声が出ていたかはわからないけれど、叫んだ実感があった。
 心臓がばくばくとうるさい。
 汗だけでなく、目尻に涙もたまっていることに気づいて袖で拭う。
 いつもの罵倒の数々、追い立てられて上る階段。
 たどり着いた先は処刑台だった。


 これは良くない。
 たかが夢とはいえ心臓に悪すぎる。
 精神的にはもちろんだけれどこんなに心拍数があがっては物理的に心臓に負担がありすぎる。
 かといってどうすることもできない。
「早く魔女に会いに行け」
 眩しい陽光に眩みそうになりながら学校へ向かう途中、すれ違いざまの呟き。
 振り返ると声の主も振り返ってこちらを見た。虚ろな瞳。
「夢食らう魔女の家へ」
 それだけ言って行ってしまう男の背を追う。
「あの、今の……魔女、って」
「なにか? ……どなたかとお間違えでは?」
 心底不思議そうに首をかしげられる。
 演技には見えなかった。
 そしてあの虚ろな目は芽衣もしていた。あの時も確か同じようなことを言っていた気がする。
「ごめんなさい。失礼します」
 気味が悪い。
 あの夢も、魔女も、意味が分からない。
 せめて情報が具体的なら少しは対応できるのに、「魔女に会え」だけでどうしろと。どこにいるんだその胡散くさい魔女は!
 イラついたおかげで少し眠気がとんだのは助かったけど。
 とはいえ念仏のような講義を聞いていればさすがにまぶたも下がってくる。
 常であれば多少の居眠りくらい気にしたいが、講義中にあの夢を見て叫んで起床したら目も当てられない。
 目元を指で押したり手首をつねったりしながらなんとかやり過ごし、休憩時間にうとうととする。
 短い時間のせいか夢を見ずに済んだ。


「魔女の家は雨上がりの虹の方」
 家に帰る気力もわかず、公園のベンチでぼんやり空を眺めていると突如隣に座って来た幼女が平坦な声を出した。
 慌てて顔を見るとやはり虚ろな目をしていた。
「かなちゃーん、帰るよー」
 母親らしき呼び声に幼女はベンチからおり駆け出していく。
「虹の方って……どっちよ」
 時間帯によって方向が変わるようなものを目印にするな。動かないものを目印にするのが基本でしょうが。
「相変わらず役に立たないなぁ」
 頼むからもう少し具体的に、まとめて情報を寄越してほしい。
 空に向かってため息をつくとぽつりと額に冷たいものが落ちてくる。
「え、雨?」
 空は晴れているのに細かな雨がぱらぱらと地面を濡らす。
「黄色い花の看板」
「うぇっ?」
 足元に何かが当たり慌てて下を見る。
 オレンジ色の目をした黒猫がしっぽを足首にぶつけて立ち去った。
「猫が、しゃべった?」
 夢を見ているのか、現実なのか。
 そもそも魔女を探していること自体が非現実的なのだ。
 雨は通り雨だったようですぐに止む。
 そうだ、雨上がりの虹だ。
 太陽を背に空を見上げると淡い空色にとけてしまいそうに薄っすらと虹が見えた。
「で、黄色の花の看板……花屋かなぁ」
 とりあえず近辺の花屋をスマホで検索して虹の方角にある花屋を探すことにする。
 五分ほど歩いた先にあった花屋は【花】とだけ太文字で書かれた潔い感じの看板。残念なことに色は緑。
 そこからさらに十分弱、ピンクのちょうちょが飛びかうイラストの看板。文字もピンクで【flower shop COLOR】。ハズレ。
「次はちょっと離れてるなぁ」
 日が暮れて辺りはずいぶん暗くなってきた。
 動いているせいか幸い眠気はまぎれている。たださすがに歩き疲れてはきた。
 早いところ魔女の家にたどり着きたいのだけれど、いったん休憩しよう。
 コンビニでコーヒーとシュークリームを買ってイートインコーナーに座る。
 座らない方がよかったかなぁ。もう立ち上がりたくない気持ち。
「あ」
 向かい側の雑居ビルの脇に置いてある小さな看板に明かりが灯る。
 ガーベラのような黄色い花のイラストが浮かび上がった。
 食べかけのシュークリームを大急ぎで飲み込み、コーヒーを持ってコンビニを出る。
 花屋ではなくバルの看板だったようだ。
 見つけられたなんて運がいい! やり切った気分になるが、だめだ。まだ何の解決もしていない。
 この看板をどうすればいいんだ。
「魔女の家へは夕暮れ時に」
「三丁目の路地、パン屋の裏」
 高校生二人が焦点のあわない目でじっとこちらを見ていた。
 そしてすぐに何もなかったかのようにテストの話をしながら行ってしまう。
 だからさぁ、住所をはじめから言え!
 そして時間指定するならもっと早く言え!
「……帰ろ」
 夕暮れ時なんてとっくに過ぎてしまっている。続きはまた明日だ。
 あぁ、腹が立つ。今夜もあの夢を見ないといけないのか。


 さて夢見の悪い夜を乗り越えてやってきました三丁目のパン屋【コットン】。焼き立てパンのいい香り。
 飲食スペースがあれば入りたいくらいだ。
 夕暮れ時にはまだ時間があるし、ちょうど小原もすいてきたし!
 脳内でテンションを上げているけれど、身体は怠い。
 家にいたら寝落ちして夕暮れ時を逃しそうなので早めに出てきたけれどどうやって時間をつぶそうか。
 パンを買って公園で食べようかなぁ。
 ぱすん、と足元に覚えのあるやわらかな感触。
 見ればオレンジの目の黒猫と目が合った。
「魔女は【カトレア】のチーズクッキーが好き」
 黒猫は目を細めてパン屋脇の路地に消えた。
「え? なに? 買って来いってこと?」
 カトレアってうちをはさんで真逆の方なんだけど?
 先に言ってよ! 無駄足じゃないか。
 

 ということで、【カトレア】でチーズクッキーを手に入れ、再びパン屋【コットン】である。
 時間もちょうどいい、まさに夕暮れ時。空はきれいに茜色だ。
「パン屋の裏の路地だっけ?」
 ひとがすれ違うのは無理そうな細い裏道に入ると一気に薄暗さが増す。
 スマホで明かりをつけようかとカバンを探ったところにするりと足首をなでる感触。
「ぎゃっ」
 しずかな路地裏に響く自分の声に思わず口をおさえる。今更遅いのだけど。
 幸い不審な声は聞き咎められなかったらしく路地に面したドアや窓があくことはなかった。
「で、またキミか」
 足首をなでた犯人はオレンジの目をした黒猫だった。三度目の邂逅だ。
 毎回毎回おどろかして、わるい猫め! お詫びにさわらせろ!
 手をのばすとひょいと逃げて先へ行ってしまう。
 ま、そうなるよね。易々とつかませてくれないとは思ってた。
「あ?」
 猫を追って路地を進むと突然真っ暗な穴が開いた。
 地面ではなく正面に。建物の壁も何もかも真っ黒に塗りつぶされたような大きな穴。
 暗闇の中で灯る、誘うようなオレンジ色の瞳に導かれて、躊躇うのも忘れてその穴へ足を踏み入れた。


 穴を抜けたら森の中だった。
 夢でも見ているのかと思いたいところだけれど、そもそも猫が喋ったり路地裏に大きな穴があったりと花から現実離れしているから気にしても仕方ないだろう。
 薄暗くひんやりとした空気の中、黒猫を追いかける。
 十分ほど歩いただろうか。
 森を抜けた先に小ぢんまりとした、素朴な家があった。
 外国の片田舎にあるような野趣あふれる庭草にかこまれた落ち着いた雰囲気。
 おそらくこれが魔女の家なのだろう。想像していたおどろおどろしさは欠片もないけれど、他に家はない。
 さて、猫はどこに行った。
 周囲を見渡している間に猫を見失った。
 できれば家の中まで案内してほしいですよ。
 きょろきょろと猫を探しながら少しずつ建物へ近づいていく。そっとね、魔女に気づかれないようにね。
 家がかわいらしいからと言って済む魔女がかわいらしいとは限らないからね。
 助けてもらいたくて来たのに、釜茹でとかにされたら目も当てられない。
 様子を窺わねば。
 怖い人じゃないと良いよなぁ。
 できればこの家みたいに素朴な感じの、やさしく話を聞いてくれるおばあちゃんみたいな人が良い。
「おまえが客か?」
 低い声。顔を上げるとそこにいたのは背の高い男。三十歳前後だろうか。
「あの、え、っと……あの、魔女、様? に会いに来ました」
「入れば?」
 不愛想な男はそれでも家のドアを開いた。
 ……えぇと、何者ですか?
「……魔女様は家の中に?」
 密室に得体のしれない男と二人きりになるのは避けたい。そのくらいの危機意識はある。
 猫を追いかけてこんなところに来ている時点であまり意味がないかもしれないけれど。
「魔女ならいるじゃないか、目の前に」
 あきれた声を出す男をまじまじと見つめる。
 なるほど。
「黒猫さんは魔女だったのですね。こちら、ご所望のチーズクッキーです。お世話になります」
 男の肩に乗っている黒猫に菓子箱を差し出しながら挨拶する。
「どうしてそうなる。普通に考えて目の前のおれが魔女だろ、猫じゃなく」
「だ、だって、男」
 いや、そうみえるだけで実は女性なのだろうか。失礼なことを口にしてしまったか……いやでもどう見ても男性だよな。
「魔女、といっても別に女に限らない」
 男女雇用機会均等法というやつだろうか。
 それにしてもそれらしさがないんだよなぁ。街中にいても普通にまぎれそうな服装だし、顔立ちも普通。愛想はないけれど、どっちかと言えばかっこいい寄り。
「納得したらさっさとは入れ、夢のことで来たんだろう?」


 出されたハーブティと持ってきたチーズクッキーでお茶をしながら、経緯を詳しく話す。話さなくても【魔女】は把握していそうだったけれど。
「その夢は実際あったことだ」
 食べかけていたチーズクッキーを呑みこみ終わってから【魔女】は口を開く。
 猫の言った通りチーズクッキーが好きなようだ。不愛想な顔がわずかにゆるんで見えた。
 もっと食べて取っ付きやすい雰囲気になってくれると良いのだけれど。いや、そんなことはどうでも良い。
「実際って、なんで……私の夢に」
「それは自分の身に起きたことだから、記憶がよみがえったんだろう。いわゆる前世」
「前世」
「正確には異世界転生。良くあるやつだ」
 前世だけでも呑みこみにくいのにその上異世界転生ときた。良くあるのは物語の中であって現実にはそんなものないだろう。
 いや、たまにはあるのかもしれないな。
 男の魔女なんてものが存在していたのだ、この現代に。多少の不思議はあってもおかしくない、かも。
 ただ自分が当事者となるのは話が別だ。
 ごくごく平均値、突出したものがない私にそんな過去があったはずがない。
 今回のはただ夢見が悪いだけ。そしてこの【魔女】の診断がポンコツなだけだ。
「現世と前世の環境に関連性はないから前世が非凡で現世が平凡なんて例、ザラにある」
 初対面の人間から平凡判定されるとそれはそれでイラっとするな。人間図星をさされると腹が立つ生き物なのだ。
「一般論だ。そして、転生者はキミの思っている以上にいる。キミのように前世の記憶を残すものも。その記憶を処理するのがおれの役目だ」
 処理、とはなんだか不穏な言葉だ。このまま何も聞かずに帰った方が良いんじゃないか?
「別に無体を働くわけじゃない。安心安全、日帰りOK。価格ゼロ円」
 腰を浮かしたことに気づかれ、引き留められる。それにしても真顔でその文句、胡散臭い。帰りたい。
「タダより高い物はないって、言いますし」
 高額請求されたら支払えないけど、無償もちょっと怖いものがある。相手は魔女だし。
「厳密には無償というわけではない。代償としてメッセンジャーをやってもらう」
 ほら。何か変なこと言いだすし。何やらせる気だよ。
「……キミもここに来るヒントをもらっただろう。該当者を見つけたら、同じようにヒントを出してもらうだけだ」
 会ったけどさ、アレ、なんか焦点が定まらないちょっとおかしな感じになってなかった? 大丈夫なの? 
「暗示をかけてある。人体に害はない。メッセンジャーとしての自覚は本人にはない。その時になるとスイッチが入るだけで日常生活に影響もない」
 胡散臭いけど、でも現状お願いするしかないんだよなぁ。他に夢をどうにかする方法もわからないし。
「疑問なんですけどあなたにとって何のメリットがあるんですか?」
 代償も結局は転生者のためのものであって【魔女】の利にはなっていない。
「おれはね異世界からこっちに引っ張られた転移者なんだ。帰るためにキミたちのような転生者の記憶を集める必要がある」
 なるほど。ファンタジーが大渋滞だ。もうどうでも良くなってきた。睡眠不足で頭も働かないし。
「わかりました。とっととやってしまってください」
 【魔女】はあきれたような顔をして、それでも頷いた。


 ◆

 夕暮れの街角、客だった女の後ろ姿を猫の目を通して見送る。
 もう転生前の夢を見ることもなく、夢を見たという記憶も残っていない。
 当然魔女を訪ねた記憶も忘れて、普通に生きていく。
 時折、迷える転生者へのメッセンジャー役を果たしながら。
 手元に残るのは転生前の彼女の記憶の結晶。
 辛い記憶で凝ったそれを飲み下す。
 苦々しい前世をもって余りあるほどに、今世の彼女が幸せであらんことを願っておく。
 そしてまた、次の客を待つ。
 いつか帰れるその日まで。

【終】




Dec. 2025