言い出したのは鳴海だった。
「ミサキ、裏行かない?」
とりあえず練習に参加している、という体裁をとっていた三崎は即うなずく。
「行く」
昼間は整然とした公園めいた場所でも、さすがに夜ともなればそれなりに不気味に見える。それが墓地ともなれば尚更。
「いーカンジ」
「たまにオマエのそういうところがわかんねぇよ」
鳴海は呆れた声を出す。誘ったの、そっちのクセに。
そう言うと鳴海はわざとらしく眉をひそめてみせる。
「フツー女だったら『キャー、コワ~イ』とか言うんじゃねぇ?」
「そういう反応が欲しかったならキョーコとか誘わないと」
今もまだ盆踊りの練習にまじめに取り組んでいるはずの友人の名前を出す。あの子だったら元気に怖がってくれるだろう。絶対。
「それはそれでちょっと、うざい」
「ワガママ」
笑って言って、少ない外灯に照らされる墓地の通路を先に歩き出す。
「ミサキ、じゃんけん」
突然の声に反射的に振り返りパーを出す。鳴海はグー。
「じゃ、十かぞえるうちに逃げろよ。つかまえたらおれの勝ちな?」
「ねぇ、私の勝ちは?」
「んー。練習終わるまで逃げ切れればミサキの勝ちで良いよ。負けたほうが勝ったほうに今日のおやつ進呈ってことで」
「それってなんか私のほうが不利じゃないっ?」
言い終わるより先に鳴海は数え始める。
「いーち」
薄暗い墓地を中心部に向かって走り出す。
ひっきょうものー。
とりあえずどの外灯からもそこそこ離れた、目に付きにくそうなお墓の陰にしゃがみこむ。さわさわと風にのってとどく盆踊りの音楽がすごく遠くに聞こえる。ぱたぱたと走る足音。見当違いのところを探してるね、鳴海。
ちょっと様子を見てやろうと墓石から顔を出す。
「っ」
思わず叫び声をあげそうになった自分の口を押さえる。
二つ向こうのお墓の前に人影。ぼんやりと。
まだお盆前だし、こんな時間にまさかお参りに来る人がいるとは思わなかった。
高校生くらい? 立ち上がった青年はふと遠くに目をやり、驚いたような顔をしたあと満面の笑みを浮かべる。
誰か来たのだろうか。視線をたどってみるが、誰もいない。
「……ぉい、ミサキ」
「んっ、ぁ、っわ」
肩を揺すられ、しりもちをつく。
「どーしたんだよ、ぼーっとして」
「……ぇえと」
おしりをはらいながら立ち上がり青年のいたほうを指差す。
「なに?」
いぶかしげな鳴海の声。
「あれ?」
そこにはもう誰もいなかった。いつの間に?
「練習終わるみたいだから戻るぞ」
「……ん」
「引き分けにしといてやるから」
呆然としているのを負けてへこんでいると勘違いしたようだ。
「わかった。いこ」
とりあえず笑ってみせて墓地を後にする。
もう一度ふりかえって見てもやっぱり人影はなくて、ただ薄暗闇が広がっているだけだった。
何で今頃思い出したのだろう。
「戻ってきたからかな、やっぱり」
小さく笑う。
あの墓地で幽霊のようなものに出会ったその年、親の転勤でこの地をはなれた。
もちろん引っ越すのはイヤで、駄々をこねたりもしたのだけれど、だからといって留まることがかなうはずもなく。
行ってしまえば、そちらに馴染むのに忙しくて、こっちのともだちのことを思い出すことも少なくなっていった。あたりまえに。
八年ぶりに戻った町は懐かしさとよそよそしさが半分ずつで微妙な違和感。
子どものころの記憶を頼りに散策する。
「暗くなる前に帰ってきなさいよ」
なんて小さな子どもみたいに送り出されたのをふと思い出す。
空はもうたそがれ。走ればかろうじて明るいうちに帰れるかもしれないけれど。
「ま、ガキじゃないんだし?」
言い訳みたいに呟いて、遠くで聞こえるなつかしい音楽をたどった。
テープから流れる歌や、太鼓の音で少々うるさいくらいの盆踊り会場。
あの頃は面倒で、でも夜おおっぴらにともだちと遊べるのが楽しくて、最後に渡されるおやつもちょっぴりうれしくて参加してた。
今もそんな雰囲気はそのまま。にぎやかな音のもと、きちんと練習に参加する子、輪の外で別の遊びに興じる子。大人たちの注意の声。もう一度参加したいとはおもわないけれどこうして遠くから眺めている分には懐かしい。
木陰で密談している小学生二人の横を通り抜け、裏手にある墓地へ向かう。あの時と同じに薄暗くて、やっぱり人影はない。すこし遠くなった音楽をBGMにこつこつとミュールのかかとが地面をたたく音が響く。
「あ」
いた。
声を潜めてつぶやく。
あの時に見た幽霊らしきものが、あの時のままに。
お墓に向かってしゃがみこんでいた幽霊は立ち上がり、立ちつくしていたこちらに気づく。不思議そうにこちらを見つめ、そして笑う。なつかしそうに。
「ミサキ、ミサキだろ?」
低い、知らない声。だけどその呼び方には覚えがあった。よくよく見ればむかしの面影もある。
「ナルミ?」
ちょっと見あげないと目線があわないのが変な感じ。同じくらいの背だったはずなのに。
「アタリ。っていうか、そこまで熟考しなきゃわかんないわけ?」
しょうがないじゃないか。何年ぶりだと思ってるんだ。それも成長期をはさんでるんだぞ。
そう言ってやろうかと思ったのだけれど、わざとらしく眉をひそめたその表情があまりにも変わらなくておもわずふきだす。
「覚えてる? ここでかくれんぼしたの」
「あ? あぁ、盆踊りサボってな」
唐突な問いにも関わらずすぐに思い当たったようで鳴海はいたずらっぽく笑う。
「あの時さ、私ここで幽霊に会ったんだよ」
「は?」
意味をつかみ取れないのか、まばたきを繰り返す。
「だーかーら。ここで幽霊を見たんだよ。ナルミが呼びにきたら消えちゃったんだけどね、あの時は」
疑わしそうな表情の鳴海につづける。
「今日来たらまたいたから、びっくりした。それも今回は消えてない」
「どこに?」
ナルミは少しおびえたようにきょろきょろと辺りを見回す。ばぁか。
腕をのばして鼻先に人差し指を突きつける。
「ナルミだよ」
「……生きてますが、おれは」
まじめな顔で言い返す。そんなこと。
「知ってる。何でいるの?」
「どっちかっていうとそれはこっちが聞きたいんだけどな。おれは墓参り」
あきれ声。簡単に答える。
「またこっちに住むことになった」
「そ。あのさ、一つ言っても良いか?」
軽くながすなぁ。もうちょっと感動の再会みたいに出来ないのか?
「ナニ?」
「女が一人でこんな薄暗いとこに来るんじゃねーよ」
ため息まじりで苦くいう。お母さんみたいだなぁ。
「男女差別?」
わざとはずしたことを口にする。
薄暗闇でもわかるくらいはっきり眉をひそめたのがわかる。
「じゃなくて。あぶねーだろ、ってことだよ。痴漢出没注意って立看板があっただろうが」
「あぁ、あったね」
墓地で痴漢なんて罰当たりだなぁと思ったのだ。いや、昔かくれんぼしてた自分がいうのも違う気もするけど。
「そーいう奴だよな、ミサキって」
どういう意味だ。ま、いいや。
とりあえず幽霊の正体はわかったし。なんであの時、ここにいたかっていうのはわからないけれど。でも、会えたし。
「じゃ、ばいばい。忠告に従っておとなしく帰るよ」
盆踊りの練習はまだ続いてるみたいだけれどもう真っ暗だし。帰ってお小言食らうかな。
「送るって」
「別に帰れるよ。迷子じゃないんだし」
「オマエ、わざと言ってるよな? それ」
「何が」
鳴海はため息をもらす。深々と、心底呆れたといった風に。感じ悪いなぁ。
「……ミサキ、じゃんけん」
グーとパー。やっぱりナルミの負け。
「しょうがない。おれが負けたから送ってやるよ」
何それ。
出したパーをつかまえられる。手をつなぐ。むかしみたいに。
「小さい子じゃないんだから」
そのまま隣にならぶ。
「そ。子どもじゃないんだから」
笑う顔を見上げる。つい笑みがこぼれる。
「ただいま」
「おかえり」
つないだ手に力がこもった。
Aug. 2006