境界花



 その花を見た時、電車の色だと言ったらしい。
 一緒にいた母親は、色覚に問題があるのだろうかと不安になったらしいが、母の弟の「子どもの言うことだから様子を見たら?」という楽観的な発言に、納得したらしい。
 実際、問題はなかった。
 色覚に関しては。


「うわ。壮観だな」
 何故だか良くわからないが、たまに朝練の時間にやってくるクラスメイトは、弓道場の脇に咲く彼岸花の群生に声を上げる。
 薄暗がりに毒々しいほどの赤色の群れは、壮観と言えば、まぁ確かに壮観かもしれない。
 観賞に付き合ってやる義理もないので、カギを開け、さっさと弓道場へ入る。
 着替えを済ませ射場に戻ってくると、水弥(みずや)はいつものように邪魔にならない位置で正座していた。
 足くらい崩していてもどうとも思わないが、こういうところは妙に律儀だ。
 声をかけて、許容されてと思われてもめんどくさいのでわざわざ口にはしない。
 出来れば一人、静かに邪魔されることなく弓を引きたいのだ。
 ただ、水弥はそれをわかっているのか、邪魔にならない気配で静かにしているから追い出しにくい。ある意味厄介かもしれなかった。


「渡井は彼岸花が嫌いなのか?」
 一息つこうとした絶妙なタイミングで水弥は声をかけてくる。
 いろいろとよく見ている奴だと思う。
「別に」
 顔に出ていたのだろうか。無表情でわかりづらいと言われがちなのに、わかるほどに。
 追撃はしてこないが、納得していなさそうな雰囲気は伝わる。
「水弥は好きなのか?」
「割と? 何にもなかったところに急に現れるのが面白いし、見た目、線香花火みたいだし」
 線香花火と言えば儚いイメージがあったが、水弥にとってはそうでもないようだ。相容れない。
「でも、真っ赤なんだけどなんだか暗い色のイメージもあるよな。雰囲気というか。……あぁ、ちょっとあの電車もそんなイメージか。あれは古ぼけてるせいだろうけど」
 なかば独り言めいていて、同意は求められていないはずだ。
 弓を片付け、黙ったまま更衣室に引っ込む。
 こちらの対応が雑なのは今日だけのことではない。
「じゃ、お先ー」
 いつものように気にした様子もない声のあと、水弥が外に出ていく気配がした。


「よ。渡井」
 ほんとうに水弥は懲りない。
 普段の言動からはそうは見えないが、かるく不眠気味らしい水弥は、安眠を得る代わりに、閉じた他人の夢に入り、開放の手助けをしてもらっている。それほど難しいことではない。ただ、危険がゼロというわけでもない。
 そんなことをするくらいなら、普通に睡眠導入剤でも飲んだ方がましだと思うのだけれど。
「いつもにも増して不機嫌そうだな」
 ここは夢の入り口。かりそめの駅で仲介人の駅員として立つ自分に、気安く声をかけるのは水弥だけだ。
 基本、ていねいに。しかし関わらず、立ち入らず、緊急時のみ介入。
 水弥に対しても当初はそのような対応をしていたのだが、素性がばれてしまったので多少雑な扱いになっている。
 内ポケットから写真を一枚取り出し渡す。
 受け取った水弥は、それを少し眺めてからホームへ向かう。
「いってらっしゃいませ。水弥一真様」
 定型の送り文句だけは一応丁寧に口にした。



   ■   ■   ■


 【眠行 使用期限:無期限 眠行電車】と書かれた定期券を手に入れたのは、たぶん偶然だった。
 医者にかかるほどでもなければ、市販の薬を飲むほどでもない、たまにある不眠の時にそれを持って眠ると安眠できるという便利な券。
 ただし代償として、誰かの夢に連れて行かれて、そこの主と話をするという仕事がついてくるが、さほど面倒でもない。
 夢の中、いつものように渡井から写真を渡される。
 小学校低学年くらいの女の子だった。肩あたりでぱつんとまっすぐに切られた髪型のせいで日本人形っぽい。
 そのまま改札を抜け停車中の電車に乗り込む。いつも他の乗客はいない。
 扉にほど近い座席に座り、目を閉じる。
 息と吐き出すように扉が閉まる音。そしてゆっくりと電車が走りだす。
 その揺れに任せて、ゆるゆると眠りに沈んだ。


 電車の停まる、大きな揺れで目が覚める。
 とは言っても、まだ夢の中だ。
 かるく伸びをして、開いたドアから外に出る。
 ホームに出ると、眼前に広がるのは一面の赤。
「うわ」
 弓道場脇の群生など比ではない。空以外、見渡す限り、彼岸花で埋め尽くされている。
「このどこかに、居るんだよな?」
 彼岸花はほぼ隙間なく咲いていて、もちろん道などない。人探しをするとなれば、歩くたびに彼岸花が折れたり踏まれたり残念なことになりそうだ。
 ホームを端から端まで歩きながら、見える範囲に人影がないか探すが、彼岸花以外、一切何もないように見えた。
「しょうがないかぁ」
 ずっとここにいても仕方ない。ホームからそっと降りるとすでにぱきぱきと茎の入れる音が足裏に伝わる。
「夢の中とはいえ、申し訳ない」
 なるべく被害を出さないように足元に気を付けてはみたものの、彼岸花の密度が高すぎて、一歩ごとに何本かは必ず折ってしまう。
 振り返れば、歩いてきた部分がわかる程度に空白ができていた。
 ため息を一つついて、諦める。折らないのは無理だ。
 それでもなるべく大股で被害を減らす努力はしつつ、一歩ごとに周囲をよく見て人影がないか確認しつつ進む。
 どれくらい歩いただろうか。
 振り返っても既に電車もホームも見えず、ただたどってきた道筋が長く続く。
「さすがにちょっと気が滅入るなぁ」
 ぱきぱきと足もとで折れる感触も慣れないし、綺麗ではあっても、真っ赤な彼岸花のなか、一人でいると、何をしているのかよくわからなくなってくる。
「……きらい?」
 どこからか小さな声が聞こえた気がして立ち止まり、耳を澄ます。
 気のせいだったか?
 しばらく耳を澄ませていたけれど、声は聞こえない。
 仕方ない。もう少し歩こうかと一歩踏み出しかけたところで、自分が立てたのとは違う、かさかさと花のこすれる音が聞こえて、また耳を澄ます。
 人影はない。けれど確かに何かの気配がする。
「ねぇ。そっちに行ってもいいか?」
 驚かせないように、できるだけ柔らかい声を気配の方に向けた。
 返事はなかった。けれど逃げ出すような様子もなかったのでゆっくりと近付く。
 真っ赤な花の中にうずくまる小さな後頭部が目に入る。
「かくれんぼ中だった?」
 手が届かない程度の距離にしゃがんで、声をかける。
「……ちがう」
「…………なにか、悲しいことがあった?」
 だからこそ、夢の中、こんな一面の赤い花の下でうずくまっていたのだろうと思う。
 ただ、それを聞いてしまってもいいのか、躊躇ったのだけれど。
 小さな頭がむくりと持ち上がり、ゆっくりとこちらを振り返る。
 しろい顔に涙のあと。
「きもち、わるいって……お隣のおばさんに、もらったの……きれい、だなって、みてたら、くれたの」
 女の子はぐっと息をのんで、目元をぬぐう。
「かなちゃん、風邪で、休み……だから、おみまいに」
 がまんしきれずに、しゃくりあげてしまった女の子はそのままうつむいて、肩を震わせる。
「そっか。かなちゃんは、彼岸花嫌いだったのか」
 おそらくそういうことなのだろうと当たりをつけて口にする。
「お、墓に、ある……おばけ、の花だ、って……いじわる、しないで、って……ちがう、のに」
 これは、なんというか、荷が重い。
「それは、かなしいねぇ。喜んでもらいたかっただけなのにね」
 もう一度ちゃんと話してみたらとか、手紙を書いてみるとか、なんてありきたりの提案のせいで余計にこじれることになったらと思うと、怖くて口にはできなかった。
 女の子は泣き声は上げずに、ぽろぽろと涙をこぼす。
「おれもね、好きなんだよね、彼岸花。線香花火に似てない?」
 泣きながら、女の子はこくんと頷く。
「良かった。仲間がいた。友達に言ったら、どこが? って嫌そうな顔されたからさ。まぁ別に、良いんだけど。でも解ってくれる人がいるのもうれしい」
「……いいの?」
 女の子は目を丸くしてこちらをまっすぐに見た。


 目が覚めたら、ベッドの上だった。
「なにか、出来たのかな」
 あのまっすぐな視線がずっと頭に残っていた。


   ■   ■   ■

 空の電車が戻ってくる。
 鮮やかなようでいて、どこか沈んで見える赤色。
 いつから。そしていつまで、この電車と付き合っていくのだろう。
 車体をなるべく視界に入れないように帽子を脱いだ。

【終】




Oct. 2019
関連→連作【眠交電車】