管鬼



 駐車場に入ってきた車のヘッドライトの灯りに目を細める。
「いらっしゃいま……彩(さい)?」
「あ、昊(こう)ちゃん」
 にこにこ笑って入ってきた見慣れた顔に昊は目をしばたたかせる。
「どうしたんだ、こんな時間に」
「境木(さかき)さん」
 昊に近づいて、意味ありげに笑む彩を追いかけるように男が入ってくる。
「いらっしゃいませー」
 おざなりに一応声をかけ、ちらりと観察する。
 二十歳前後くらいか、茶髪の、どちらかといえば軽薄そうな、でもまぁその辺にいる大学生といった感じだ。
 こちらを見て何かを言おうと口を開きかけた男の言葉をさえぎるように彩が言う。
「昊ちゃん、大学の先輩で木原さん」
 自然に昊の腕をとって自分の腕を絡ませた彩は、どこか甘えるような雰囲気で見上げる。
 このムスメは。
 明確にはしないものの、カレシに仕立て上げられた昊は、仕方なく彩の思惑にのって笑顔を浮かべ木原に挨拶する。
「木原さん、私、昊ちゃんと帰るんで、ここまでで大丈夫です。ありがとうございました」
 憮然としながら、すごすごとコンビニをあとにする男を見送ってから昊は深々とため息をついて、彩に向き直る。
「で、彩? 俺はアナタの恋人でもなんでもないんですが?」
「私、一言もそんなこと言ってないよ。私は大好きな家族に甘えただけだし。昊ちゃん、見目良いから、こういう時、便利だよね」
 一応否定して見せたものの、思惑をあっけらかんと明かす彩に昊はもう一度ため息を返す。
 嘘をつかずに、相手の勘違いを引きだしたのはさすがと言うべきか。
「彩? なんでいるんだ?」
 バックヤードから戻ってきた章(あや)が、昊にくっつく妹の姿に驚いたような声を上げる。
 彩はにこにこと手をふる。
「章ちゃん、久しぶりー」
「久しぶり、じゃなくてさ。なんでこんな時間に出歩いてるんだよ」
 深夜二時過ぎ。章の言葉はもっともだ。
「もっと言ってやれよ。彩、男と二人でここまで来た上、男を追い払うダシに俺を使ったんだぞ」
 昊が言うと章は眉をひそめ口を開くが、彩はそれを遮るように先に言う。
「大丈夫。章ちゃんとこ泊まるってお母さんには言ってきたし」
 何が大丈夫なんだか。
 昊が章に目線をむけると、疲れたような顔でため息を吐いている。
「うちに泊まるのはいいけど、男と二人で、こんな遅くまで出歩いてるのは感心しない」
「私、普通の男の子に負けないよ? 最悪、マリモもいるんだし」
 華奢でそうは見えないが、訓練を受けている彩はそれなりに強い。
 あのひょろっこい男一人に対してなら、余程のことがなければ彩は押さえ込めるだろうけど。
「そういう問題じゃない」
 章の短い言葉に彩は小さく下を向く。
「さっきまでは他の子も一緒だったんだよ。家が近い子から順番に下ろしてもらって、たまたま私が最後に残っちゃっただけで。木原さんが私に好意を持ってることもわかってたから、家まで二人きりはちょっとな、って思って章ちゃん頼ったのに」
 この言い分に、それ以上言い返す気力をなくしたのか章は話をずらす。
「……で、こんな遅くまで何やってたんだ?」
「飲み会。って言っても未成年者はソフトドリンクだったよ? で、そのあとトンネルに行ってきたんだけど」
 彩の口調から甘えたものが抜ける。
「トンネル?」
 それに気付いた章はしずかに促す。
「飲み会で怪談話になって、じゃあ近くに心霊スポットがあるから行こうってことになって井沙トンネルって、わかる?」
 有名どころなので、さすがに話ぐらいは知っている。新トンネルができてからは、ほとんど使われなくなったトンネルだ。その立地や古色とした雰囲気から怪談話が後を絶たない。
 章と顔を見合わせて頷くと、彩は続ける。
「確かに怪談話にはうってつけの雰囲気で、でも実際、何か出ることもなくて、みんな肝試し的に楽しんでたんだけど……あそこ、何かいた」
 イートインコーナーに座った彩はまじめな顔で言う。
「毛玉はなんて?」
 昊が尋ねると、彩のかばんにつけられた月色のファー状のものが抗議するように毛を逆立てる。
「マリモは警戒はしてたけど、逼迫した危険はなさそうな感じだった」
 毛玉状の使鬼をなだめるように撫でながら彩は伝える。
「で、彩はどうしたいわけ?」
「確認したい、かな。良いものなのか、悪いものなのかも判別できなかったし、気になる。あのままにしておいて良いのか」
 彩にまっすぐ見つめられた章は、深々とあきらめのため息を吐き出す。
「昊、とりあえず彩つれて、先に帰っといて」
 彩が慌てる。
「章ちゃん、私バイト終わるまでここにいるよ」
 まぁ、そうなるよな。バイト終わるのは四時過ぎだし、それまで彩をつきあわせるわけにはいかないだろう。
「いいから。トンネルの件はまた明日な……昊?」
 返事を促すように章が昊を呼ぶ。
「俺は一応、章の使鬼なんですがね?」
 使鬼は主の傍らにあり、助けるもの。昊はそれがより顕著であり、それを知っているから彩もここで待つと言ってくれたのだろうけど。
「……なら、文句言わずに意を汲めよ」
 苦い声に昊は仕方なく肩をすくめる。
 もともと昊が章の言葉に勝てるわけもないが異論があることを伝えたかっただけだ。
「了解。行こう、彩」


「怒ってる?」
 タクシーに乗り込んでしばらくして、ぽつんと尋ねた声に、窓の外を眺めていた昊は隣を見る。
「なに? 彩が男と夜遊びしてたこと?」
「わざと言ってるでしょ」
 彩の睨むような目に昊は苦笑する。
「章を一人にする羽目になったこと? 章を妙な怪談話につきあわせること?」
「ごめん」
「怒ってないよ。夜遊びのこと以外は」
 彩の疑いの眼差しに昊は嘘じゃないと重ねてから、夜遊びは程ほどにするように釘を刺す。
 微妙に信じきれていない風な彩はしばらく考えてから切り出す。
「あのさ、このままトンネル行くっていうのはどうかな?」
「却下」
「なんで? 章ちゃんを巻き込まなくて済むのに」
 間髪ない拒否に彩は眉をひそめる。
「俺は章の使鬼なんだよ。章が家に帰ってろ、と言ったら、従わざるを得ない。例えそれが俺の意に反していても」
 タクシーの運転手に聞こえぬよう、より声をひそめる。
「じゃあ、章ちゃんの言葉がなかったら行ってた?」
 試すような言葉に昊は顔をしかめる。
「行かないよ。命令がなければ章のそばを離れなかったというだけで、彩を家につれて帰ると言うのに異はない」
「なんで」
 むくれて見せる彩に昊はわざとらしいため息をつく。
「彩が言ったのと同じ。俺にとって彩は大事な家族だから、危ないことさせたくないんだよ」
 割と本気で昊が言ったにも関わらず、彩は微妙に納得いかないような表情を浮かべる。
「でも私よりは章ちゃんのほうが大事でしょ?」
「章は浄声だから、多少危険だろうと経験値を積む必要もあるし仕方ない。彩は違うだろ」
 タクシーが章のアパート付近まで来たので、案内してアパート前に停めさせる。
 お金を払いタクシーが行ってしまってから昊は口を開く。
「ま、章は彩を留守番させるつもりだろうけど、その辺はちゃんととりなしてやるから」
「絶対だからね」
 子どもっぽい表情で言う彩の髪を昊はくしゃくしゃとかき混ぜた。


「おかえり」
「あからさまにほっとした顔するなよ」
 バイトを終え、まっすぐ帰ってきた章に昊が声をかけると苦く言い返される。
「使鬼の性だ。がまんしろ」
 余程のことがない限り章一人で対処ができることは判っている。そして何かあれば自分に判らないはずがなくても、顔を見ればほっとする。
「……彩は寝た?」
「待ってるって言ってたけどな。寝ないと明日連れて行かないぞって言ったら素直に寝た」
 彩は、どれだけ子ども扱い? などと苦笑いしてたが。
「連れて行くのか?」
 グラスに水を注いでいた章は、嫌そうにふり返る。
「問題ないだろ?」
 有無を言わせないよう言い切ると、章は言葉と一緒に水を飲み干した。


「彩、本当に行く気か?」
 あきらめてくれないかという願望が透けてみえる章の言葉に彩はきれいに笑う。
「わざわざ一旦家に帰って、車まで用意してきておいて、止めとくなんて言うわけないでしょ」
 章が普段足にしているバイクでは連れて行くことを渋られる可能性が高いことを見越していたらしい。
「じゃ、行こうか」
 実際は断念させることはムリだとは思っていたのだろう。
 それ以上言葉を重ねることなく、あっさりと引き下がった章は、彩から車の鍵を受け取った。


「おー、おあつらえむき」
 車から降りて昊は思わず口にする。
「ねー。いかにもって感じでしょ? 夏休み中は肝試しに来る人多いみたい。今日は人いなくて良かったよね」
 鬱蒼とした山の中にぽかりとあいたトンネル。
 切れかかったような蛍光灯が設置されているものの、やはり暗く、怪談話がなかったとしても入るのを躊躇う風情だ。
「彩、昨日感じた気配っていうのは、今は?」
 章の言葉に彩は周囲の様子を感じとるように目を伏せる。
「……今日は、いない……? じゃなくて、息、ひそめてる感じ?」
 バッグにつけたマリモに触れながら、ゆっくりと呟く。
「昊、彩から離れるな」
「了解」
 その言葉をうけた章の静かな命令の声に、昊は彩の手を引き、一歩さがる。
「危ないもの?」
 章の邪魔をしないように細くささやく彩に昊はみじかく応える。
「……いや」
 まだ、はっきりと気配は読めないが、それほど強いものには感じられない。
 暗闇に章の打つ手の音が響く。
「《此に棲しもの、我声に応じよ》」
 浄声である章の声は、その言葉に従わざるを得ない力を持つ。
 鋭い風が走る。
「飯綱か」
 彩を守るように抱き、現れた白い影に昊は目を細める。
 ぼんやりとしていた影はやがて大型犬より一回りほど大きな、鼬に似た獣の姿を象る。
「飯綱って……管狐?」
 腕の中で怪訝そうに呟く彩に、昊はかるく頷きかえす。
 名前はともかく、もとは術者によって使役されていたものだろう。
 そういう意味では使鬼であり、昊と同類だといえる。
「《鎮まれ。伏せよ》」
 凛とした声に呼応するように、吹きすさんでいた風が止む。
「はぐれたかな」
 使役されて襲ってきているようではなく、手綱がはずれて暴走しているだけに見える。
「《主なき者よ、》」
 獣と対峙した章も同様の判断を下したようだ。しかし、その先の一言を止めるため、昊は遮るように名を呼ぶ。
「章」
「昊ちゃん?」
 厳しい声に彩が問うように昊を見上げる。
 術中に介入するのはご法度だが、昊には止める権利がある。
「《能事足れり。還れ》」
 昊の意を汲んだ言葉が、振り返らない章の口から紡がれる。
 影が空気に溶けるように消える。
「おつかれ」
 昊が章の背中に声をかけると、不機嫌そうな顔で顧みる。
「彩、怪我は?」
「あ、平気。章ちゃんは……大丈夫?」
 いくつかの細い傷に気付いたらしい彩は章に近づく。
「大したことないよ。帰ろう」
 めずらしくやさしい表情で微笑って、章は彩を促す。
 昊のことを無視して先に歩き出した章の背を追いかけながら、彩は昊をふり返る。
「章さーん? 勤勉な使鬼に対する労いの言葉はないんですかね?」
 心配そうにしている彩に追いつき、安心させるように微笑ってみせてから、章の背に声を投げる。
「全然信用してないくせに、何を」
 深いため息とともに声だけが返る。
 多少怒っているようだが、気にせず問いかける。
「ちらりとも考えなかったか? 還すんじゃなく、降そうと」
 あの程度の小物を章が使鬼に従えるなど、許せることではない。
 章は返事をしない。つまりそれが答えだ。浄声である章は、嘘をつかない分、言葉を飲み込む。
「俺はそんなに心広くないんだよ」
 勝ち誇ったように隣にならんだ昊に章は思い切り嫌そうに顔をしかめて見せる。
「仲良しだよね、二人」
 面白がったような彩の言葉に、章のしかめ面が情けなくゆがむ。
「彩には敵わないねぇ」
 昊が彩のあたまを子どもの頃のようになでると、彩は当然と言わんばかりに笑みを浮かべた。

【終】




Oct. 2010
関連→連作【神鬼】