私たちは生まれた時からそばにいて、それが当たり前だった。
「菜緒ちゃんって、壮太君が好きなんでしょー」
あれは確か小学校二年の時だった。
からかいまじりの同級生の言葉に、慌てて声を荒らげた。
「ちがうよっ! 好きじゃないもんっ」
家が近所で、登下校も一緒で、当たり前に仲は良かったけど、そんなんじゃなかった。ほんとだった。
思ったより大きな声になったのは誤解されたくなかったのだ。同じクラスにいた圭吾君が好きだったから。
「えぇー? だって、毎日一緒にいるのにー」
「兄弟みたいなものだよっ。生まれた時からずっと一緒だもん」
ちょっとだけ声を落として言い返した。
その場に壮太がいたかどうかは覚えていない。
その後も相変わらず仲は良くて、同じようなことを聞かれたことも何度もあって、そのたびに「好きじゃない。兄弟みたいなもの」と繰り返した。
それはいつしか半分本当で半分は嘘になっていたのだけど、今更そのスタンスは崩すことはできずに、でもわかってもらえてると思ってた。
「菜緒って、高野くんと本当に付き合ってないの?」
「ないよー」
美波の声に苦笑いしながら答える。
「いつも言ってるでしょ。壮太は兄弟みたいなものだから」
「だって、あんなに仲がいいのに? 兄弟だったら逆にそこまで仲良くなくない? 私も一個上に兄貴いるけど、ほとんど口きかないよ?」
美波の言わんとすることもわからないでもない。
菜緒にも実の兄がいるが、確かに壮太と同じような距離感ではない。
「そんなこと言ってもなぁ。兄弟じゃだめなら腐れ縁? 生まれた時から一緒って感じだから、気楽なんだよね。空気っていうか」
高校も特に示し合わせたわけじゃないのに、同じ学校に進んだ。
「いっそ、付き合っちゃえばいいのに。嫌いじゃないんでしょ?」
美波は簡単に言ってくれる。
「ないよ。だって、そういう好きじゃないもん」
笑って答えてはみたものの、想像しないわけではない。
今みたいに、今までと同じように兄弟の距離ではなく、カノジョカレシの関係になるとか、少し、うきうきしながら。
最初は本当に兄弟みたいに思ってたはずなのに、いつのまにか当たり前みたいに好きになっていた。男の子として。
なんでとか、どこがとか、もう分らなかった。
空気みたいって言ったのは本当で、そばにいてくれると楽に呼吸ができる気がした。安心した。
ただ、今更そんなこと口にできなかった。
壮太はたぶん私のことを嫌いではない。
ただ、それが兄弟みたいな好きなのか、レンアイの好きなのかまではわからなかった。
だから言葉にして、今の関係さえも壊れてしまうのが怖い。
「菜緒ー。おれ帰るよー?」
廊下から教室をのぞきこむ顔にあわてて立ち上がる。
「一緒に帰るー。じゃあね、美波。また明日」
釈然としない表情の美波に手を振る。
「これで付き合ってないとかいうんだから」
ぼやく声を聞こえなかったふりをして教室を後にした。
うん。付き合ってるんだと見えるなら、それはそれで嬉しいんだよ。
言えないけど。
「美波にもね、付き合ってるんじゃないのって聞かれちゃった。そんなんじゃないのにねぇ」
いつものように一緒に並んで帰る途中、どうして、その話題をだしてしまったのか。
「菜緒はおれのこと好きじゃないもんなー」
軽く笑って応じる壮太に、同じく笑って頷く。
自分ではよく言うけれど、改めて好きじゃないって壮太の口から出ると、すごく違和感。
「いや、もちろん嫌いじゃないよっ。ただ、兄弟みたいなものだしっ」
「そんなに焦らなくてもわかってるよー。嫌ってるなら、一緒に帰ったりしないだろ」
そう。
付き合いが長い分、全部を言葉にしなくてもわかってくれるから。
それに甘えてた。
「なんだかんだいっても、二人は付き合うと思ってたのになぁ」
昼休み。お弁当も食べ終わって一息ついたところでしみじみと美波がぼやく。
「なに。何の話?」
「菜緒と高野くん。兄弟とか言っておきながら結局付き合うことになると思ってたのよ」
付き合ってないとかいう話をしたのは一週間ほど前だっただろうか。どうして今更蒸し返すのだろう。
怪訝な表情を見て取ったのか美波は目をしばたく。
「知らないの?」
「何が?」
「高野くん、一年の女の子と付き合い始めたでしょ?」
何、それ。聞いてない。知らない。
「そうなんだー。壮太、教えてくれないんだもん。お祝いしてやらないと」
動揺を隠して笑ってみせる。たぶん、ちゃんと笑えてたはずだ。
「壮太」
呼んではみたものの、続ける言葉が見つからなかった。
約束なんかしてなくても、当たり前に普通に一緒に帰ってたのに。
昇降口で見つけた壮太の隣には髪の長い女の子。
同時に振り返った二人が、当たり前にカレシカノジョに見えて思わず目をそらす。
その視界の端で彼女が小さく頭を下げたのが見えた。
「壮太先輩。先に帰りますね。また明日」
「ああ、ごめんな。また明日」
壮太は柔らかく笑ってカノジョを見送る。
「で、どうした? なんか元気ないけど」
気付くし。気付いてくれるし。なのに、なんで。
「……別にー。壮太がカレシっぽいことしててびっくりしただけー。言ってくれればよかったのに」
並んで歩く。
肝心なことに、気付いてくれないのに。
「恥ずかしくない? 身内に打ち明けるのって」
照れた風に笑う。
身内って言葉がこんなにうれしくないのは初めてだ。
「それにさー。……やっぱ、やめ」
「なに。途中でやめるのは良くないよ。男らしくない。気になるでしょ」
平静を装って、いつもみたいに、応じる。
「笑うなよ? 内緒だからな?」
こんな風にもったいぶっても、大した内容じゃない。昔っから。
だから、うんうんと頷きながら適当に続きを待つ。
「実はずっと、好きだったからさ。菜緒のこと」
え?
耳を通り過ぎた言葉が意外すぎて思わず足も止まる。
なんで。
「でも、菜緒が兄弟としか思ってくれてないのはわかってるし、今はもう、ちがうけど。大丈夫。兄弟だもんな」
笑えないし、大丈夫じゃない。兄弟じゃない。
ここで、「私もホントは好き」と伝えたら、壮太はどうするだろう。
バカバカしい。
今更、この状況で、言えるはずもない。
口に出せる言葉が一つも見つからなくて、黙ったまま歩く。
当たり前みたいに壮太が隣にならんだ。
Dec. 2015