恋に及ばず



「予想通りの両手に花だなー」
 面白がっている友人の言葉。
 文字通り、比喩表現なしで両手に花だ。
 大仰な花束ではない。一輪のものがほとんどで多くても五本程度の花が透明のフィルムで巻かれて、リボンでくくられているもの。
 ただ、塵も積もれば山となるというのは言い方が悪いけれど両手に持っているのは少々限界の量だ。一つにまとまっていないせいで抱えて歩くのも順番に落としていきそうだし、この状態で電車に乗って帰るのか?
「予想してたのかよ」
「そりゃ学年一の人気者、ではないかもだけどさ。卒業のご挨拶に来る後輩は多いだろうよ」
 確かに、それなりに人気があった自覚はある。
 自分で言うのもなんだけれど、ほどほどに見た目が良く、それ以上に人当たりも人付き合いも良い。
 その分顔見知りは多いけれど、お世話になった先輩に渡す花を自分がこんなに貰うことになるとは思っていなかった。
 部活にも入っていなかったし。
 そもそも、こういう花を渡し渡されるという状態を想定していなかった。
「さて、心優しいおれは見込みの甘い友人のために役立つ品を机の中に入れてきました」
「なに、役立つ品って」
 教室まで戻れと? 四階だぞ。
「紙袋」
 それは助かる。けど、なぜ校庭に降りてくる前に渡さないのか。
「もしおれの読みが外れて誰も花をくれなかったら空の紙袋をおまえが持つことになるし? それはさすがに不憫かなぁって」
 空っぽの紙袋を持つ姿を想像しているのだろう。にやにやと楽しそうな顔をしている。
 その言い方が多少むかつくが、気にしてくれていたのは有難い。
「気遣いありがとう! 取ってくる。これよろしく」
 卒業証書と花を押し付けるように渡し、少しだけ速足で校舎に戻った。


 三階までは人の気配があったけれど、三年の教室しかない四階になると途端に静かになった。
 なんとなく息をひそめて自分の教室に向かう。
「ぅおっ」
 扉を開けると誰もいないと思っていた教室に人がいて思わず声が漏れる。
 窓際の机に座っていたその見知らぬ女子は立ち上がってぺこりと頭を下げた。
「卒業、おめでとうございます」
「ありがとう?」
 思わず疑問形になってしまう。
 こんな誰もいない教室で何をしていたんだろう。
 ネクタイの色からすると一年生だけれど。
 それはともかく、目的は紙袋だ。
 花を押し付けてきてしまったし、さっさと戻らないと文句を言われそうだ。
 自分の席の机の中を覗くと言われた通り白い紙袋がある。
 それを引っ張り出し顔を上げると、目の前に花束を差し出された。
 びっくりした。気配なく近づいてきてた。
「私、先輩に憧れてました」
 にこりと彼女は可愛らしい笑顔を浮かべた。
 「好きです」とか「付き合ってください」と言われたことはあるけれど「憧れてました」は初な気がする。
「えっと、じゃあ付き合う?」
 どちらにしろ、いわゆる『告白』だろう。
 今お付き合いしているカノジョはいないし、進学先も自宅通学圏内だ。遠距離恋愛にもならない。
 そして目の前にいる彼女は元気で好奇心いっぱいの子犬のようなきらきらした眼差しが微笑ましく好ましい。
 付き合うのに何ら問題はない。
 しかし彼女は意外な言葉を聞いたと言わんばかりに目を丸くする。
「そういうのは良いです!」
 にこりと笑顔を浮かべて一切迷いのない声で断ち切られる。
 え? そういうって何? どういう意味?
 うろたえたこちらをみて説明の必要を感じたのか彼女はほんの少し苦笑いを浮かべた後、すぐ元の笑顔に戻して続けた。
「えぇとですね。憧れているのは本当なんです。憧れって言っても色々あるでしょう? 先輩は恋愛対象って感じではなくて。あくまで私にとっては、ですけど。鑑賞対象? ちょっと違うかな。なんていうか、先輩の姿勢とか良いなって思ったんです」
「大丈夫? なんか無理に褒めるとこ見つけようとしてない?」
 言葉を探して少々焦っているように見える彼女を落ち着かせようと軽く声をかける。
「そういうわけじゃなくて、ですね。私、人見知りなんです」
 嘘だ。
 人見知りのひとは初対面の相手に憧れているなんて面と向かって言えないだろう。
 おまけに「そういうのは良いです!」なんて一刀両断できるはずがない。
 いやでも、うまく話せずあたふたしている辺りは人慣れしていないせいなのか。
 じっとりと胡乱気に見つめると彼女は首を傾げる。
「ホントですよ。入学当初、クラスメイトに声もかけられないし、ろくに友だちも作れなくて……でも、先輩は来るもの拒まずな感じで誰にでもにこやかに気軽に話をするし……それに関してあれこれ噂されても気にせず背筋を伸ばしていられるところ、すごく尊敬してて」
 褒めてるのだろうか、これ。
 最後に小声で「ある意味」って聞こえたけど?
 しかし目の前の彼女は悪意のない笑顔だ。
 やっぱりちょっと元気な子犬みたいでかわいい。
「先輩と話ができる機会なんてもうないだろうし、最後にお礼を言いたくて」
「お礼?」
「はい。私、先輩みたいになりたくて、人見知りなりにひとに話しかけて、友だちもできました。だから、ありがとうございました」
 いや、それおれ何もしてないよね。
 自分が頑張っただけだよね。
「えらいねぇ。頑張ったんだ?」
「すごく、子ども扱いされてるような気がしますけど……ありがとうございます」
 照れ隠しなのか軽口をたたいて、はにかむ。
「時間取らせてすみません。お友達、待ってますよね。失礼します」
「あ、ちょっと待って」
 ぺこりと頭を下げて立ち去ろうとする背中を呼び止める。
「はい?」
 無意識というか反射的に声をかけてしまった。どうしよう。
「……え、と。ありがとう」
「? いえ。先輩、たくさんもらうから邪魔になるかとは思ったんですが、あとに残らず渡せるほど良いものが思いつかなくて」
 不思議そうに振り返った彼女は合点がいったとばかりに笑みをこぼす。
 花のことじゃなくて。
「うん。花もなんだけど。そんな風に見てもらえてるとは思わなくて、それをわざわざ伝えに来てもらえたのが嬉しかったから」
 嘘じゃない。
 周囲からは要領がいいとか、いい加減だとか思われているのはわかっているし、何なら冗談交じりとはいえ面と向かって言われたりもするし。
 たしかに来る者は拒まないけれど去る者を追わない性格なのも自覚しているし。
 彼女はたぶんそんな面もある程度わかっているはずなのに、プラスの評価を伝えてくれたのが思った以上に心に残った。
「……先輩の、そういうところも良いなって思います」
 この「そういう」がどういうなのかはあまり良くわからないけれど柔らかな笑顔につられて頬が緩む。
「ねぇ、名前を教えてもらっていい?」
「宮崎柚佳です」
「古賀泰士です」
「それは知ってます」
 彼女が名乗ってくれたので一応こちらも名乗り返すとくすくすと声を立てて笑われる。
「宮崎さん、連絡先を教えてもらえませんか?」
 緊張で声が少しかたくなる。
 また一刀両断でお断りされる前に一言付け加える。
「友達に、なりたい。とりあえず、知り合いくらいからでも。宮崎さんと話してるの、楽しかったから」
 嘘じゃない。
 もう少し、強い気持ちのような気もするけれど、今のところは、まだ。
 宮崎さんは少し迷ったような表情をしていて、こちらがダメかなと思った頃にスカートのポケットからスマホを取り出した。
「私、スマホ放置気味なので、返信遅いかもですけど」
 表示されたコードを自分のスマホに読み取らせスタンプを一つ送る。
 すぐに「よろしく」としっぽを振るかわいい柴犬のスタンプが返ってくる。
 なんだか宮崎さんにそっくりだ。
「……っ」
 突然鳴りだしたスマホに驚き口にしようとしていた言葉を飲みこむ。
 画面には友人の名前。
 しまった。待たせ過ぎたか。
「じゃ、私行きますね」
 宮崎さんはもう一度頭を下げる。
 行ってしまう宮崎さんに「またね」と声をかけて通話ボタンをタップする。
 肩越しに振り返った宮崎さんが小さく手を振った。


 恋にするまで、もう少し。

【終】




Apr * Mar * Feb * Jan. 2024